第106話 女王の一着
王宮の屋上で、エリアーヌは公務用の注文札を破った。
破れた紙片が風へ飛び、結人が柵際まで追いかけた。威厳、遠声、防寒と書かれた三片のうち、「威厳」だけが雨樋へ落ちる。
エリアーヌは拾わせなかった。
「それがなくても、城は今日まで立った」
「明日の会議で要るかもしれません」
「服の話をしている」
結人は紙片から手を離した。王へ作る時だけ、役に立つ項目を増やす癖が抜けない。失敗すれば国へ迷惑が掛かるという正しさの中に、立派な服を作った自分を見せたい欲も混じっていた。
防寒、威厳、遠くへ声を届ける力。結人が書いた項目は、どれも女王には役立つ。だから彼女は気に入らなかった。
「今夜の私を、きれいにしろ」
「用途がないと、服の力が」
「力はいらない」
「でも陛下は――」
「今夜だけ、その呼び方をやめろ」
結人は黙った。役に立たない服を作れるようになったはずなのに、エリアーヌへは王の機能を足そうとしている。
彼女が持ってきたのは、祭典で使った淡緑の布と、何度も落とした偽物の青石だった。
布には祭典の汗と、夜食の油染みが少し残っていた。侍女は新品へ替えるよう勧めたが、エリアーヌはこの布がいいと言った。
「汚れています」
「私が汚した」
「洗えます」
「全部消すな。青石を追った時の泥は残せ」
王家の衣なら、汚れは見せないのが普通だ。今夜の注文は、似合う色だけでなく、自分で過ごした時間を残すことだった。高価な王家の糸は使わない。夜食へ行く時に邪魔にならず、屋上の風で少し揺れるもの。
結人は身体の周りを回り、肩と腰の位置を見る。王族の姿勢へ戻るたび布が張るので、力を抜いてと言った。
エリアーヌはわざと大きく肩を落とし、額を結人の鼻先へ近づける。
「これでよいか」
「近いです」
「何が」
結人は後ろへ下がり、柵へぶつかった。
淡緑の布は深紅の紋を隠さず、その外側だけで波打つ。
結人は布を背中へ大きく流す案を捨て、左腰から膝までの短い一筋にした。歩けば青石が先に鳴り、緑が半歩遅れる。止まれば、深紅の紋だけが本人の呼吸で揺れる。
エリアーヌは屋上を歩くだけでなく、椅子へ座り、皿を持ち、寝台へ横になる動きまで試した。公務衣なら立っている姿だけでよいが、私的な一着は夜食をこぼさず食べられなければ意味がない。
結人が皿役の木板を渡すと、彼女はわざと傾けた。
「汁物なら失格だな」
「汁物は両手で持ってください」
「お前が持て」
「それは服の機能ではありません」青石は首ではなく左腰へ置いた。歩くたび膝へ当たり、小さく鳴る。
「似合います」
「今度は本当か」
「はい」
エリアーヌは鏡を見ず、屋上を一周した。途中で青石が外れ、結人が拾おうとする。彼女も同時に屈み、額がぶつかった。
二人とも痛がった後、先に笑ったのはエリアーヌだった。
「祭典で私が別の作り手を選んだら、どうする」
結人はシュウの星屑色を思い出した。エリアーヌの深紅へ、あの銀橙はよく映える。想像しただけで見たいと思い、同時に自分以外が作る姿を見たくないと思った。
「たぶん、その人の縫い目を見に行きます」
「私より先に?」
「……順番は約束できません」
エリアーヌは呆れ、青石の紐で彼の指を軽く叩いた。
「見ます」
「それだけか」
「良ければ褒めます。たぶん、かなり悔しがります」
彼女は満足そうに青石を結び直した。
屋上の扉が開き、夜食を運んだ侍女が立ち止まる。女王の姿だと分かっているのに、いつもの儀礼の言葉が遅れた。
「きれいです」と侍女が先に言った。
エリアーヌは王として礼を返さず、一人の客のように「ありがとう」と答えた。
結人はその声を聞きながら、裾の縫い目へ触れたい手をポケットへ入れた。
中で青石の予備紐が指へ当たった。




