第103話 優先券
祭典会場の前列へ、金色の札を持つ客だけが通された。
高額衣装を買った人への特典だとスポンサーは説明した。
金札は、祭典前夜に決まった。スポンサーは赤字を埋めるため、前列二百席へ値段を付けた。ミラは一度反対したが、劇場代を払えなければ公演そのものが消える。
結人も署名した。前列の一部なら、後方には鏡がある。七十枚あれば誰でも見えると、設営した自分が信じていた。
当日、人が立つと鏡は身体で塞がれた。紙の上では空いていた見通しが、客の肩と腰で消える。ラナの母は入場料を払っても、娘の顔を一度も見られない。後方席からは七十枚の鏡が壁になり、小柄なラナの母は娘の足先しか見えない。
「前回は先着順でした」とテオ。
「前回は赤字だった。今回は金を出した人へ価値を返す」
公演は始まっている。止めれば、役者の稽古も遠方から来た客の一日も無駄になる。
結人は鏡の角度を変えようとしたが、係員に腕を掴まれた。設備を動かせば契約違反だ。
ラナが舞台の端まで歩き、母のいる後方へ手を振る。母は見えず、隣人へ「今どこ」と尋ねていた。
次の出番で、テオは白線を外れた。
舞台監督が腕を掴み、「今動けば次もない」と囁く。テオは一度、主役札を見た。失った後に取り戻したばかりの名前だ。
ラナの母が、隣の客へまた「今どこ」と尋ねる。返事が遅れ、舞台では娘の踊りが終わろうとしている。
テオは青布の留めを一つ外した。長い方を客席へ垂らせば、狭い椅子の間でも進める。結人が作った「遅れて揺れる」形は崩れるが、人の間へ道を作るには都合が良かった。
彼は白線から降りた。
舞台から客席中央へ降り、長い青布を椅子の間へ引く。観客が道を開ける。彼は前列に背を向け、後方席の近くで演技を始めた。
「契約違反です!」
スポンサーの声が響く。
テオは止まらない。ラナも続き、出演者が一人ずつ客席へ移る。金札の客には怒る者もいたが、多くは椅子を回し、後ろを向いて見た。
舞台は客席の中央へ生まれ直した。
終演後、ラナの母は娘を抱き、何度も「見えた」と言った。テオの契約札には違反印が押される。
スポンサーは次回資金を取り消した。劇場代、鏡の運搬、貸衣装棚の維持費が消える。
出演者へ払う予定だった金も半分になった。舞台袖で働いた照明係は、契約を破ったのはテオなのに、なぜ自分の賃金が減るのかと怒る。返す言葉はない。
テオは自分の主役料を全額差し出した。それでも足りない。ラナも出演料を置く。結人はORIGOの売上から出そうとし、ミラに「来月の職人賃金が消えます」と止められる。
一つの勇気ある動きが、周囲を無料で働かせてよい理由にはならなかった。誰もテオを英雄と呼ばず、かといって母が娘を見られたことを取り消そうともしなかった。
「正しかったから払わなくていい、にはなりません」とミラ。
テオの顔から勢いが抜けた。自分が動いた代金を、舞台裏の職人が払うことになる。
ラナの母は硬貨を出したが、到底足りない。前列券を買った客の一人も、中央の舞台の方が面白かったと追加で置いた。怒って帰った客は戻らない。
結人は新しい仕組みを考えかけ、まず椅子を片づけた。
テオと二人、一脚ずつ元の場所へ運ぶ。金札の付いた椅子は、後方の椅子より重くはなかった。




