第102話 服を着ない店員
新しい店員のマヤは、初出勤の日に服を使わなかった。
採用面接では、彼女は三種類の布を触っただけで産地を当てた。港で帆の修理をしていた母に育てられ、濡れた糸の匂いで強度が分かる。服を着る経験は少ないが、布そのものの知識なら結人より古い。
結人は採用を決めた後、「店頭では見本を一つ着けてもらうかもしれません」と曖昧に伝えていた。マヤはそれを義務とは受け取らず、初日の暑さを見て何も着けず来た。
店の奥には、結人が勝手に用意した青い試着布が掛かったままだった。
腰の青い紋と、片腕の金属輪だけで店頭へ立つ。最初の客は入口で止まり、看板と彼女を見比べた。
「ここは服屋だろう」
「そうです」
「着ていない人が勧めるのか」
マヤは棚から三枚の布を出した。汗を吸う粗布、肌から離して使う軽布、仕事帯の補修布。客の腕へ触れず、用途に合わない二枚をすぐ戻す。
「あなたは粉場で働く。薄い色布は一日で目詰まりする。これだけ」
説明は結人より短く、正確だった。
客は不満そうに一枚を注文した。
昼まで同じ質問が五回あった。二人は帰り、三人は買った。売上は前週より少ない。
帰った二人のうち、一人は入口で「服を信じていない店員から買えない」と言った。もう一人は、自分が服を着ていないことを責められた経験があり、「ここも面倒だ」と肩をすくめた。
買った三人も、マヤを納得したわけではない。説明が短いから、布の選び方が正確だから、他店より修理が早いから。それぞれ理由が違った。
結人は客が帰るたび、奥の青布を見た。着てもらえば売上が戻るかもしれない。その考えが、頼む言葉を丁寧にするほど正しく見えた。
ミラは帳簿を見せた。「着用見本がある方が、説明時間は短い」
結人はマヤへ試着を頼みかけた。
「着ない理由を聞いても?」
「理由が要る?」
「店員として」
「今日は暑い。明日は着るかもしれない」
思想でも抗議でもない。その日の選択だった。
午後、死装束を思い出して布を怖がる老人が来た。
老人は入口から三歩以上入れず、棚へ掛かった長布を見るだけで呼吸が浅くなる。若い頃、病床の兄を包んだ白布を自分で縫ったという。
マヤは服の効能を説明しなかった。店の外へ天幕布を持ち出し、地面へ広げる。まず袋にし、次に日陰を作り、最後に身体へ触れないよう二本の棒へ渡した。
「布が先に死装束だったわけじゃない」と彼女は言う。「兄さんを包んだ時の布が、あなたにそう見えるだけかもしれない」
老人はすぐ納得せず、一時間、棒の間の布を見た。その後、自分の手で端を持った。マヤは自分が着ていないからこそ、「身体へ巻かない見本から見る?」と聞いた。天幕布を腕の外へ浮かせ、肩だけ支える形を選ぶ。
老人は一時間後、細い腰帯だけを注文した。
「店員が着てなくても売れました」と結人。
「その言い方、褒めてる?」
「僕なりに」
閉店前、結人は採用札へ一行足した。
書く前に、マヤへ「必要ですか」と聞いた。
「私だけの例外札なら要らない」
「次に入る人が、僕の曖昧な言い方で困らないようにします」
マヤは炭筆を取り、「服を着ない日もある」と下書きした。結人はそこへ、客へ知識を示す方法は着用だけでないことを足した。二人で何度も消し、最終的には短い一行になった。
勤務中の着用は、採用の条件にしない。
マヤはそれを見て、翌日の勤務用に派手な赤布を予約した。
「着るんですか」
「明日は少し寒いらしい」
結人は理由を深くしなかった。




