聖なる森の黒い呪いと、偽物の聖女の嘘
私がオブシディアン公爵の「本当の娘」として、世界で一番幸せな八歳のお誕生日を迎えてから、季節は少しだけ進んで、温かい春の終わりになりました。
お屋敷の広いお庭では、今日も私の笑い声が響いています。
「えいっ!」
私が両手を前に出してギュッと目を閉じると、手のひらからキラキラとした白い光の粒が飛び出しました。
光の粒がしおれかけていたバラの花壇に降り注ぐと、お花たちはまるで魔法のように元気にピンと立ち上がり、とても良い香りを漂わせました。
「素晴らしいです、リリアお嬢様! 光の魔法のコントロールが、とても上手になりましたね」
そばで見ていたルークが、パチパチと拍手をしてくれました。ルークの深い青色の髪が春風に揺れて、水色の瞳が優しく細められています。
「ふふっ、ありがとう、ルーク。あのね、この光を出す時、お父様やルークのことを考えると、すごくポカポカしてうまくいくの」
私が笑うと、ルークは少しだけ顔を赤くして「俺もお嬢様を想うと、剣の素振りがいつもの百倍うまくできます」と真面目な顔で答えてくれました。
私は今、自分の不思議な力と、少しずつ向き合う練習をしています。
二度目の人生では、この力のせいで『偽物の聖女』に利用され、最後には国を裏切った悪女として処刑されてしまいました。だから、この力を使うのがずっと怖かったのです。
でも、ルークの呪いを解いた時も、お誕生日に満開のお花を咲かせた時も、お父様とルークは「素晴らしい力だ」と褒めてくれました。
前世(日本)の記憶と、二度目の人生のつらい記憶を抱えた私にとって、この魔法はもう「自分を傷つけるもの」ではなく、「大好きな人たちを守るための力」に変わっていたのです。
***
そんな平和なある日の午後。
お父様の執務室の前を通りかかった時、中からお父様のとても低くて、怒っているような声が聞こえてきました。
「……断る。私の娘は、国や教会の道具ではない」
「しかし公爵閣下。王都のすぐそばにある『聖なる森』の呪いの瘴気は、日に日に濃くなっております。最高位の神官たちの浄化魔法でも、まったく歯が立ちません。どうか、奇跡の治癒魔法を持つというリリアお嬢様のお力を……」
「くどい! まだ八歳の子どもを、そのような危険な場所に行かせられるか!」
私は、こっそりと少しだけ開いていたドアの隙間から中を覗き込みました。
お父様が、王宮から来たらしい神官の服を着た大人たちを、鋭い金色の瞳で睨みつけています。
『黒曜石の悪魔』と呼ばれるお父様のコワモテの迫力に、大人たちはガタガタと震えていました。
(聖なる森の、黒い呪い……?)
その言葉を聞いて、私の胸がトクンと鳴りました。
黒い呪いといえば、ルークの命を奪いかけていたあの恐ろしいアザと同じものです。
もし、その呪いが森からあふれ出して、街の人たちや、私の大好きな家族にまで届いてしまったら……
「お父様」
私は、勇気を出してドアを開け、執務室の中に入りました。
「リ、リリア!? どうした、お昼寝の時間はまだだろう?」
さっきまで鬼のような顔をしていたお父様が、私を見た瞬間にパッと顔をほころばせ、慌てて私を抱き上げようと駆け寄ってきました。
「お父様。私、お話聞こえちゃった。……私、その『聖なる森』に行ってみたい」
私がそう言うと、お父様は驚いて目を丸くしました。
「だめだ、リリア! あそこは今、恐ろしい黒い霧で覆われている。お前が怖い思いをする必要はまったくないんだぞ」
「ううん、怖くないよ」
私は、自分の銀色の髪にとめてある、ルークからもらったサファイアのヘアピンをそっと触りました。
「私には、お父様とルークがついていてくれるでしょう? 昔の私なら、怖くて逃げていたかもしれない。でも今は……私をバケモノじゃなくて『本当の娘』だって言ってくれたお父様がいるから。私のこの力で、困っている人たちを助けたいの」
私がまっすぐに目を見て伝えると、お父様はハッとして、それから泣きそうなほど優しい顔になりました。
「……リリア。お前は本当に、私の誇り高い娘だ。……わかった。だが、条件がある。私とルークが、お前の一歩後ろから絶対に離れないことだ。少しでも危ないと思ったら、私が森ごと燃やしてでもお前を連れて帰るからな」
「うんっ! ありがとう、お父様!」
こうして私は、お父様とルークに守られながら、王都の郊外にある『聖なる森』へと向かうことになったのです。
***
馬車を降りると、そこには信じられない光景が広がっていました。
かつては美しい緑の木々でいっぱいだったはずの『聖なる森』は、ドロドロとした黒い霧(瘴気)にすっぽりと包まれ、木は枯れ果て、空気がチクチクと肌を刺すほど冷たくなっていました。
「……っ」
冷たくて、暗くて、息が詰まるような気配。
私は思わず足を踏みとどまりました。孤児院の地下室に閉じ込められていた時の記憶や、処刑台の冷たい刃の記憶が、フラッシュバックのように蘇りそうになります。
ガタッ、と体が震えたその時。
「リリアお嬢様。俺の手を」
ルークが私の前にひざまずき、自分の大きな手で、私の小さな両手をギュッと握りしめてくれました。
透き通った水色の瞳が、私に勇気をくれます。
そして、背中からは、お父様の大きくて温かい手がポンッと置かれました。
「大丈夫だ、リリア。お前は一人じゃない」
「……うん!」
家族の温もりに触れて、私の心の中の暗い影は一瞬で吹き飛びました。
私は大きく深呼吸をして、真っ黒な森の入り口へと一歩を踏み出しました。
しかし、私たちが浄化の準備をしようとしたその時です。
「ちょっと待ちなさいよ!!」
キーーッ! という耳をつんざくような高い声がして、後ろから派手な馬車が猛スピードでやってきました。
馬車から降りてきたのは、目の痛くなるような真っ赤なドレスを着た、金色の巻髪の女の子でした。
「ま、マリアンヌ……!?」
私は驚いて目を丸くしました。
先日のお茶会で、お父様の逆鱗に触れ、領地と財産を奪われて破滅したはずの、あの『偽物の聖女』マリアンヌとそのお父さん(ゴードン元伯爵)だったのです。
二人は、教会のえらい神官(悪いお金で買収された人)に案内されて、ここまでやってきたようでした。
「ふふんっ! 孤児上がりのリリア! あんたなんかに、この森の呪いは解けないわよ! だって、あんたの魔法はただのインチキ手品なんだから!」
マリアンヌは私を指差して、得意げに鼻で笑いました。
「ゴードン、貴様……まだ私の怒りが足りなかったようだな」
お父様が地獄のような低い声で睨みつけると、ゴードン元伯爵は「ひぃっ!」と悲鳴を上げながらも、必死に言い返してきました。
「こ、公爵閣下! 今回ばかりはそうはいきませんぞ! この教会の枢機卿様が、我が娘マリアンヌこそが『真の聖女』であると認めてくださったのです! ここでマリアンヌが森を浄化すれば、我々の貴族としての身分も復活する手はずになっております!」
どうやら彼らは、落ちぶれた身分を取り戻すために、悪い神官とお金を出し合って「自分が森を浄化する」という嘘の台本を作っていたようです。
「さあ、見なさい! これが本物の聖女の力よ!」
マリアンヌは、自信満々に黒い霧が立ち込める森の前に立ち、両手を突き出しました。
「えいっ!!」
マリアンヌの手から、チカチカとした、ろうそくの火のような小さな黄色い光が出ました。
「おおっ! さすがはマリアンヌ様!」と、悪い神官とゴードン元伯爵が拍手をします。
しかし――。
シュゥゥゥ……ッ!!
「えっ……?」
マリアンヌの出した小さな光は、巨大な森の黒い呪いに触れた瞬間、まるで水滴が熱い鉄板に落ちたように一瞬でかき消されてしまいました。
それどころか、マリアンヌの光に反応して怒り狂ったように、黒い霧が巨大な波のようになって、マリアンヌたちに向かって襲いかかってきたのです!
「キャアァァァァッ!! くるな、こないでぇぇっ!!」
「ひぃぃっ! た、助けてくれぇぇっ!」
マリアンヌとゴードン元伯爵、そして悪い神官は、腰を抜かして地面に倒れ込み、自分たちが引き起こした恐ろしい黒い霧に飲み込まれそうになりました。
「ルーク!」
「はっ!」
お父様の短い合図とともに、ルークが目にも留まらぬ速さで剣を抜き、マリアンヌたちの前に立ちふさがって黒い霧の先端を鋭い剣風で弾き飛ばしました。
「リリアお嬢様、今です!」
ルークの声に背中を押され、私はスッと前に出ました。
(……昔の私なら、マリアンヌが困っていても、怖くて見捨てていたかもしれない)
二度目の人生で、私をギロチンに追いやった憎い相手。
でも、三度目の人生を生きる今の私は、もう「復讐」や「憎しみ」に縛られるような可哀想な女の子ではありません。私には、こんなにも愛に溢れた温かい家族がいるのだから。
「神様。どうか、この黒い痛みを、優しく包み込んで消してあげてください……!」
私は両手を胸の前でギュッと組み、心の底から祈りました。
お父様に抱きしめられた時の温かさ。ルークと一緒に食べるケーキの甘さ。みんなの笑顔。
私の心の中にある「幸せ」を、全部光に変えて。
――カァァァァァァァァァッ!!!
私の体から、太陽がすぐそばに降りてきたような、ものすごく眩しくて、でも少しも熱くない、純白の光があふれ出しました。
光は私の背中で巨大な天使の羽のように広がり、そのまま『聖なる森』全体を、ドームのように優しく包み込みました。
「う、うおおおっ……!?」
「なんだ、この温かくて凄まじい力は……!」
一緒に来ていた王宮の騎士たちも、マリアンヌたちも、あまりの眩しさと神々しさに地面にひれ伏しました。
黒い呪いの霧は、私の白い光に触れた瞬間、シュワシュワと音を立てて、まるで朝日に溶ける雪のように綺麗に消え去っていきました。
枯れ果てていた木々には一瞬で青々とした葉っぱが戻り、黒い土からは、赤やピンクの可愛らしいお花が一斉に咲き乱れました。
たった数秒の間に、恐ろしい死の森が、元の美しい『聖なる森』へと生まれ変わったのです。
「……ふぅっ」
私が祈りを終えてゆっくりと目を開けると、静まり返った森に、小鳥の美しいさえずりが響き渡っていました。
「リリア!!」
誰よりも早く駆け寄ってきたのは、お父様でした。
お父様は私を力強く抱きしめ、何度も何度も私の髪にキスをしました。
「素晴らしい……っ! よくやった、リリア! お前は世界一の魔法使いだ! 私の自慢の娘だ!!」
お父様が泣きながら私を高い高いしてくれて、私は「あははっ、お父様、くすぐったいよぉ!」と笑い声を上げました。
ルークも剣を鞘に収め、誇らしげに目を細めて私を見てくれています。
その時、地面に倒れ込んでいたマリアンヌが、信じられないものを見るような目で私を指差しました。
「う、うそよ……っ! あんな孤児上がりの小娘が、こんなものすごい魔法を使えるわけないわ! 何かの罠よ、みんな騙されちゃだめぇっ!!」
マリアンヌが狂ったように叫びます。
しかし、そこに現れたのは、急報を聞いて王宮から駆けつけてきた、本物の教会のトップである『教皇様』でした。
教皇様は、黒い霧が完全に消え去った森と、光り輝く私の姿を見て、感動のあまりその場に膝をつきました。
「おお……神よ。伝説の『真の聖女』様が、ついにこの国に降臨なされた……! この圧倒的な浄化の光、間違いない。リリアお嬢様こそが、神に選ばれし本物の聖女様であられる!」
教皇様の言葉に、周囲の騎士や神官たちも一斉に私に向かって深々と頭を下げました。
「なっ……! ち、ちがうわ、聖女はこの私よぉぉっ!」
マリアンヌがジタバタと暴れますが、教皇様は冷たい目で彼女を見下ろしました。
「黙りなさい、愚か者。己のちっぽけな力を過信し、聖女を騙り、あまつさえ裏でお金を使って教会の神官を買収するなど、決して許されることではない! ゴードン元伯爵、お前たち親子は、この国から永久に追放する! 二度とこの神聖な土地を踏むことは許さん!」
「そ、そんなァァァァッ!!」
「いやぁぁぁっ! 私は聖女なのよぉぉっ!!」
マリアンヌとゴードン元伯爵、そして悪い神官は、王宮の騎士たちによって両腕を掴まれ、そのまま遠い遠い辺境の地へと引きずられていきました。
私の二度目の人生を終わらせた『偽物の聖女』は、今度こそ、その嘘と意地悪な性格のせいで、完全に破滅したのです。
***
「教皇よ。言っておくが、私の娘を教会の飾りにするつもりは毛頭ないぞ」
お父様は私を抱きかかえたまま、教皇様に向かって鋭い目で言いました。
「リリアが力を使うのは、リリア自身が『助けたい』と願った時だけだ。もし、国や教会の都合でこの子をこき使おうとする者がいれば、相手が誰であろうと、私がこの手で消し飛ばす」
「も、もちろんでございます、公爵閣下! リリア様には、どうか自由にお過ごしくださいませ!」
教皇様は冷や汗を流しながら、何度も頭を下げました。
帰り道の馬車の中。
私は、お父様の広い膝の上に座って、ルークに優しく頭を撫でられながら、窓の外の夕焼けを眺めていました。
「リリア。今日は、本当に凄かったぞ。お前はもう、自分の力を恐れていないんだな」
お父様の言葉に、私はニコッと笑って頷きました。
「うん! だって、私の魔法は『愛』から生まれるんだってわかったから。お父様とルークが私を愛してくれたから、私は森を助けることができたの」
「リリアお嬢様……」
ルークが感動してポロッと涙をこぼし、お父様も「おおお、我が娘の言葉が尊すぎる!」と大泣きして私をギューッと抱きしめました。
私はもう、過去のトラウマに怯えるだけの小さな女の子ではありません。
二度目の人生の悲しい因縁もすべて終わり、私の前には、大好きな家族と一緒に歩む、果てしなくキラキラとした未来だけが広がっているのです。




