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蹄煮込み、経験を喰らう――六英雄が棲む酪農少年は、調理魔法で無双する  作者: 迦月 メイ
第三章:闇に灯る食卓

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第96話:食べることは、色づくこと

 ――午後の部。


 待ちに待った、Ⅵ.支援学(サポート)の時間だ。


 本日の課題は、「持ち込み食材を使った自由創作」。


 セントルファー魔法学園では、一クラス全員が、常に同じ顔ぶれで授業を受けるわけではない。


 実習の内容や設備、担当教員に合わせ、その都度、午前と午後の組へ分けられる。組み合わせも固定ではなく、最終的に全員が同じ履修機会を修められるよう、学園側が細かく調整しているらしい。


 つまり。


 今日、冷夏さんと同じ組になれたのは――純然たる幸運である。


 それも、ただ一緒に授業を受けるだけじゃない。


 調理台の上には、西芳寺家から提供されたということになった、僕のバイソン肉が堂々と鎮座している。


 入手経路を偽装してくれた共犯者まで隣にいる。


 今日は運まで僕に味方しているらしい。


 やはり僕は、ラッキーボーイだ。


 本来なら同じ組にいたはずの橙馬は、なぜかラファエル教官に呼び出されているらしいが——そんなことは、今となってはどうでもいい。


 ついに、この時が来た。


 ……やばい。


 やばい、やばいやばい。


 喉が渇く。心臓が高鳴る。


 今にも興奮が興奮を追い越して、僕の中から何かが飛び出してしまいそうだ。


『もうすでに、相当おかしなことになっていると思いますが』


 いつものミネルヴァの皮肉も、今日はやけに心地よい。


『アハハ! ホノちゃん、待ちに待った授業だねえ』


 ジュリアの言う通り、今日は――この時間は――セントルファー魔法学園で、僕が最も楽しみにしていた授業なのだから。


 色んな意味での幸運を僕は感じている。

 というのも、支援学は、昔から存在した科目ではないらしい。


 新しい校長が就任してから、新設された比較的新しい授業だという。


(新しい校長……絶対、僕と気が合う)


 週に二限しかないのが寂しいけれど、存在しないより圧倒的にいい。


 この学園に来た理由の九割は、卒業資格を得て、実家の牧場を継ぐため。


 だが、残り一割の下心を正直に認めるなら――。


 この授業を受けること。

 そして、新しく就任した一人の女性教師に会うことだった。


 ……いや。


 教師という言い方だけでは、到底足りない。


 真の顔はおそらくこっち。

 美食学ガストロノミーのパイオニア。


 七つ星国宝級レストラン〈ジパング〉の最高調理長シェフ・ド・キュイジーヌ


 食材の魅力を極限まで引き出し、皿の上へ新たな価値を生み出す――『美食の錬金術師』。


 アウレリア・ガストリカ。


 その人に、今日、やっと会えるのだ。


『ほほう、錬金術師とはネエ。ボクと気が合うかもしれないってわけかイ! 美食という肩書が、いささかボクと重なって気に喰わないが――あアッ! いずれボクの錬金術と毒で、鮮やかに上塗りしてあげようじゃないカッ!』


 脳内で、レクターがわざとらしく両手を広げた。


(黙れ。レクターごときがキャラ被りしてるわけないだろ。本当に黙れ)


『ホノちゃん……料理関連の話になると、露骨に口悪くならない?』


 ジュリアが、若干引いたように笑う。


(料理の評価だけは、絶対だから)


『でもレクター相手なら、悪口になってむしろ正解だからヨシ!』


(さすがジュリア~。よくわかってるぅ)


『私の記憶が正しければ、彼女が世間で呼ばれていた二つ名は「融解の魔術師」だったはずですが。戦場に立てば、それはそれは凄惨な光景を作り上げるとか』


(そっちの二つ名は忘れていい。最初に呼び始めたやつの両目へ、グリーンワサビを塗り込んでやりたいね)


『アハハ! ホノちゃん、キレまで上がってるよ!』


『小僧の料理好きにも困ったもんじゃわい。まあ、ワイらへの扱いが雑になるんは、それだけ楽しみにしとった証拠じゃろ。小僧の陰気を抜く、ええ機会じゃ』


(い、陰気って……僕って、そんなに陰気かな)


 内心で首を傾げた、そのとき。


 調理室の扉が、静かに開いた。


 入ってきたのは、純白のロングコートを纏った銀髪の女性だった。

 その手には、桃色と青色と白色の三色がグラデーションで混ざったようなおしゃれな扇子を広げていた。


 背筋はまっすぐ伸び、一歩ごとの歩幅に乱れがない。調理室へ入ってきただけなのに、厨房全体が彼女の領域へ塗り替えられていくような圧がある。


 その姿を認めた瞬間、教室内が一気に沸き立った。


「お、おい……本物だ!」

「『融解の魔術師』だ……!」


『ご主人様。あれが、世間一般の認識のようです』


(うるさい。僕には何も聞こえない)


 あんな野蛮な二つ名で彼女を呼ぶ連中は、全員味覚が死んでいるに違いない。


 教壇へ立った女性――アウレリア先生は、花が綻ぶような微笑みを浮かべた。


 けれど、その瞳の奥には、研ぎ上げた包丁の刃にも似た鋭い光が宿っている。


「ごきげんよう、雛鳥の皆さん。アウレリア・ガストリカです。今日から皆さんの支援学、その調理分野を担当いたします」


 柔らかく、よく通る声。


 それだけで、さっきまでざわめいていた生徒たちが自然と口を閉じる。


「……あら?」


 アウレリア先生の視線が、調理室の後方で止まった。


「そこの雛鳥。何かしら、その不服そうなお顔は」


 視線の先にいたのは、椅子へだらしなく座り、大きな欠伸をしていた金髪の男子生徒だった。


 あの態度。

 あの髪。


 セシル先生へ喧嘩を売り、こっぴどくやられていた人だ。


(名前、なんだっけ。カスだ、だっけ?)


『ガルダでございます、ご主人様。人物への評価が、そのまま名前へ混入していますわ』


(おっと、いけないいけない。無意識にやっちゃった)


「いや、だって先生。腹を膨らませるだけなら、魔法食糧(マジック・レーション)で十分じゃないっすか?」


 ガルダが、悪びれもせずに肩をすくめる。


「正直、料理なんて食えれば何でもよくね? って思うんすよ」


 その瞬間。


 アウレリア先生の周囲から、温度が消えた。


 火も水も使っていないはずなのに、調理室の空気が凍りつく。


(……なんて愚直で、悲しい発想なんだろう。やっぱりガルダじゃなくてカスだ、がふさわしいかもしれない)


「なるほど」


 アウレリア先生は、微笑みを崩さなかった。


「お腹を膨らませ、生命活動を維持する。それだけを目的とするなら、あなたの考えは生物として正しいでしょう」


 一歩。


 教壇を降りる。


「ですが――私たちは、ただ飢えを満たすためだけに食べるのではありません」


 さらに、一歩。


「食材は、ただ消費されるために存在するのではない。その色を、その香りを、その味を、最も美しい形で引き出される可能性を持っている」


 静かな声が、調理室の隅々まで染み渡る。


「食べることは色づくこと。食は、しょくでもあるのです」


 アウレリア先生の瞳に、鋭利な光が差す。


 食は色でもある……なぜかその言葉が、感覚的に僕の胸にも刺さる。


「味覚を疎かにすることは、己の魂を疎かにすること。ひいては、己の存在そのものを粗末に扱うことと同義です」


「は、はあ……」


「この教室で『何でもいい』という言葉を使うときは、それが自分の死を招く呪文であると覚悟なさい」


 顔は微笑んでいたが、アウレリア先生からのプレッシャーが教室全体に広がっていた。


「わかりましたか?」


「は……はい」


 ガルダの顔から、綺麗に血の気が引いていた。


 セシル先生に続いて、なぜこの男は会う教師すべてへ喧嘩を売りにいくのだろう。


 その生き方だけは、まったく理解できない。


 それにしても。


(……いい。めちゃくちゃ、いい……!)


 やっぱり最高だ、この人。

 言っている内容も、その雰囲気も。


「……ふふ。ごめんなさい。少し怖がらせてしまいましたね」


 アウレリア先生は一転し、少女のように可憐な笑みを浮かべた。


「私、本当は皆さんと仲良くなりたいんです。ですから――」


 頬へ指を添え、小さく首を傾げる。


「どうか『リア』と、可愛く、親しみを込めて呼んでくださいな。約束ですよ?」


「「「…………は、はい!?」」」


 教室中が、その落差に翻弄された。


(愛嬌もあるだなんて……なんて完璧な人なんだ……!)


 そんな中、リア先生は両手を覆っていた白い手袋を、指先から一本ずつ丁寧に外していった。


 露わになった手は、美しい。


 けれど、傷一つないわけじゃない。


 指の腹には薄いタコ。関節の近くには、小さな火傷の痕。包丁を握り、熱い鍋へ向かい、数え切れないほど食材へ触れてきた人間の手だった。


(……本物だ)


 あれは、飾りとして厨房に立つ人の手じゃない。


 職人の手だ。


「実習を始める前に、少しだけ喉を潤しましょうか」


 アウレリア先生――もとい、リア先生が指を鳴らした。


 パチン。


 澄んだ音が響いた瞬間、調理室内の空気が揺れる。


 気のせいじゃない。


 大気中の魔力(エーテル)が、一斉に彼女の周囲へ引き寄せられていた。


「持ち込んだ食材から一皿を生み出すことは、己の魂を削り、そこへ色を与える作業です」


 リア先生の手のひらの上へ、透明な水の球体が生まれる。


「濁った(からだ)では、食材の声を正しく聞くことはできません」


 その水球へ、香味野菜の皮や茎、切り落とされた端材が次々と吸い込まれていく。


 普通なら、捨てられてしまうこともある部分。


 けれど、香りも、甘みも、旨味も、まだ残っている。


「――《黄金の抽出液(ゴールデン・ブイヨン)》」


 ボォッ、と。


 青白い炎が、水球を包み込んだ。


 火と水。


 本来なら相反する二つの魔力が、互いを打ち消すことなく、恐ろしいほど緻密な均衡を保っている。


 野菜の端材は少しずつ色を失い、その代わりに水が、内側から黄金色へ染まり始めた。


(……まさか、あの短時間でブイヨンを……!?)


 通常なら、弱火で時間をかけて旨味を引き出す。


 火が強すぎれば雑味が出る。温度が低すぎれば香りが開かない。素材ごとに異なる抽出の時間を見極め、余計なものを出さず、必要なものだけを液体へ移す。


 それをリア先生は、火力と水分、それに魔力の流れを同時に制御して――数十秒で終わらせようとしている。


 やがて、野菜から色が完全に抜けた。


 透き通った黄金色の液体だけが、空中で静かに揺れている。


 リア先生は、指先へほんの少量のスープを掬い、舌で確かめた。


 それから、塩をひとつまみ。


(カイソウタートルの背に宿る岩塩……!)


 海の旨味と、岩塩の輪郭を併せ持つ逸品だ。


(ほ、ほしい……!)


 塩が溶けた瞬間、香りの輪郭が立った。


 甘み。

 青い香り。

 土の匂い。


 それまで一つの液体へ溶けていた要素が、喧嘩することなく、それぞれの存在を主張し始める。


 黄金色の液体は細い流れへ分かれ、調理台へ用意されていた小さな耐熱グラスを、次々と満たしていった。


「さあ、召し上がれ」


 リア先生が、満足げに目を細める。


「これから茨の道へ踏み出す雛鳥たちへの、私からの餞別です」


 僕の前にも、小さなグラスが一つ置かれた。


 具材は何も浮いていない。


 見た目だけなら、透き通った野菜のスープ。


 でも、この色は本物だ。


 僕はグラスを持ち上げ、まず香りを確かめた。


 尖った匂いが一つもない。


 それなのに、使われた野菜の一つ一つが、どこかに埋もれて消えているわけでもない。


 ゆっくりと、黄金色の液体を口へ含む。


「……っ!」


 舌へ触れた瞬間、衝撃が走った。


 美味しい――だけでは足りない。


 野菜の甘み。

 根に残る土の香り。

 葉や茎が持つ、かすかな苦味。

 

 最後に舌を引き締める、岩塩の鮮やかな塩気。


 それらが身体の中にあった小さな隙間へ、ぴたり、ぴたりとはまり込んでいく。


 何かを無理やり足された感覚ではない。

 絡まっていたものが解かれ、滞っていたものが、ようやく本来の場所へ流れ始める。

 

 透き通った黄金が、身体の隅々まで染み渡っていく。


『ご主人様。これは……』


 ミネルヴァの声が、わずかに震えていた。


『魔力の乱れが、強制的に平定フラットされています。おそらく、彼女の生粋魔法(ネイティブ)によるものですわ。抽出した食材の魔力と、塩ひとつまみだけで、これほど精密な調律を……』


 職人の仕事に厳しいガンテツも、

 いつもなら何かしら悪態を吐くオーガも。

 味には厳しい食通のヴァンデルも、

 ついついはしゃぐジュリアも。

 自分の気持ち悪さを見せつけたがるレクターも。


 今だけは、毒気を抜かれたみたいに黙り込んでいる。


 つまりこれは、最上級の誉め言葉に近い。


「……まあ」


 少し離れた調理台で、ヴィオレッタが胸元へ手を当て、うっとりと吐息を漏らした。


「これが“リア”……。わたくし、今日という日を国の祝日に制定したいですわ」


 その隣で、椿くんがグラスを軽く揺らしながら肩をすくめる。


「祝日て。姫さん、さすがに盛りすぎやわ」


「何をおっしゃいますの。この一杯は、歴史へ刻まれるべき偉業ですわよ!」


「はいはい。究極完全体令嬢は言うことも違うやんか」


 軽口を叩きながら、椿くんは黄金色の液体を一口だけ含んだ。


 その直後。


 へらへらしていた目が、ふっと細くなる。


「……あかん。これ、ただ飲ませるためのスープやないわ」


「え?」


 ヴィオレッタが、きょとんと目を瞬く。


「見た目と味だけ麗しゅう整えたんやない。飲んだ相手まで、ちゃっかり整える気ぃ満々や」


 椿くんはグラスを見下ろし、小さく笑った。


「リア先生、えげつな。華やかな顔して、やっとることが容赦ないわぁ。これがあれば、戦果すら変えることができるかもしれへん……!」


「あら。あなたのほうが、わたくしより盛っているのではなくて?」


 ヴィオレッタが扇子を広げる。


「でも、華やかなのはよいことですわ! オーホッホッホッホ!」


 珍しく、むせていない。


「……っ、クソ。別に、うまいって言ったわけじゃねえからな……!」


 ガルダが顔をしかめたまま、震える手で空のグラスを置いた。


 悪態は変わらない。

 けれど、一滴も残っていない時点で、味にだけは嘘をつけなかったらしい。


「……何だ、これは」


 今度は、隣の調理台から震える声が聞こえた。


 ヴィンセントが、空になったグラスを呆然と見つめている。


「俺の魔力が……整っていく。まるで、最上級のポーションを飲んだみたいに……」


 グラスを握る手に、力が籠もる。


 その目には驚愕と――それ以上に、燃え上がるような火が灯っていた。


「すごい……。これが、本物の調理魔法なのか」


 ヴィンセントは自分の掌を見つめ、何かを確かめるように開閉する。


「俺の爆炎も、扱い方次第では……ただ焼き尽くすだけじゃなく、この域まで……!」


 どうやら彼の心にも、別の意味で火がついたらしい。


 単純な男なのかもしれない。

 でも、だからこそ、こういうときの情熱には嘘がない気がする。


「……ふふ。少しは整いましたかしら?」


 リア先生が、満足そうに微笑んだ。


 その微笑みの陰で――。


「……っ……ああ、もう……!」


 隣から、切羽詰まった声が聞こえた。


 冷夏さんが、調理台の下で膝を小さく震わせている。


「冷夏さん?」


「整う、なんて……嘘よ」


 どこか不満げな声色だった。


「え?」


「余計に、お腹が…………空いちゃったじゃない……!」


 昼休みにあれだけ食べていたのに。

 潤んだ琥珀色の瞳が、僕の調理台に置かれたバイソン肉を、飢えた肉食獣みたいに射抜いている。


 リア先生のスープという最高の前菜を口にしてしまった冷夏さんにとって、僕の料理はもはや授業の課題ではない。


 生存に必要な救いなのだろう。


「安心して。約束どおり、一番美味しい焼き加減にするから」


「……絶対よ」


 声が、真剣すぎる。


「では、課題を始めましょう」


 リア先生が、微笑みをそっと畳んだ。


 グラスを囲んでいた柔らかな空気が消え、教壇の前に立つ彼女の輪郭だけが、はっきりと浮かび上がる。


 鋭い視線が、調理台を一つずつなぞっていく。


 並べられた食材。

 握られた包丁。

 雛鳥たちの指先に残る、わずかな震え。


 そのすべてを見定めるように。


 そして——静かに息を吸った。


「私に、あなたの『命の彩り』を見せてごらんなさい」

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