第95話:共犯者の昼食
喧騒に包まれる学生食堂。
周囲の生徒たちは、豪勢な昼食や他愛のないおしゃべりに夢中だ。焼きたてのパンの匂い。湯気を立てるスープ。皿とフォークが触れ合う音。
けれど、窓際の隅にあるこの席だけは、防音ガラスで切り離されたみたいに、張り詰めた空気が漂っていた。
冷夏さんは周囲に聞き耳を立てる者がいないことを視線だけで確認すると、皿の脇へフォークを置いた。
「昨日の夜のこと。そして、これからのこと……大事な話をしましょう」
「わかった。何から話す?」
「まずは、私がメロウと戦ったときのことからね」
そういえば。
冷夏さんが森の向こうで、メロウとどんな戦いをしたのか。
僕はまだ、何も聞いていない。
「あの子、おそらく瑠衣を知っていたわ」
「瑠衣さんを?」
「ええ。名前を初めて聞いた反応じゃなかった。以前から瑠衣の存在を知っているように見えたのよ」
冷夏さんの指先が、フォークの柄へ触れる。
けれど、持ち上げようとはしなかった。
「それから、あの子が口にしていた『パパ』という言葉も気になるのよね」
「ぱ、パパ? お父さんってこと?」
「実の父親かどうかはわからないわ。でも、あのジェーンとかいう女も、同じ言葉を使っていたでしょう?」
「……うん。ジェーンさんも、確かにパパって言ってた。すっごくお父さんのこと好きなのかなって思ったけど、違うのかな」
「……なんでそんな感想になるのよ。どう考えても、あの場には不釣り合いな言葉でしょう」
「そっか……でもなぁ、ジェーンさんパパのこと好きだと思うんだよなぁ」
パパ。
振り返れば、確かに違和感のある言葉なのかもしれない。
でも、だからと言って、ジェーンさんの言い方が、「パパ」とかいう人物に対して、何かしらの好意を抱いていたのは気のせいじゃない気がする。
「それは否定できないかもしれないわね。確かにメロウもパパと言っていたとき、嬉しそうだったから」
「そうなんだ」
闇の住人にも、家族がいる。
そんな当然のことを、なぜかふと思った。
「ほかに、あの女から何か聞いていない?」
「ほかに……」
ジェーンさんとのやり取りを思い返す。
敵意はあった。
僕たちを邪魔者として排除しようとする、冷たい言葉もあった。
でも、その中に一つだけ。
妙に引っかかったまま、頭の隅へ残っている言葉がある。
「そういえば……『人のためにやってる』って言ってた」
「人のため?」
「うん。詳しくは教えてくれなかったけど、自分たちがやってることは、誰かを助けるためなんだって。少なくとも、ジェーンさんは本気でそう思ってるように見えた」
冷夏さんの目が、わずかに細くなる。
「……人のため、ね」
その言葉を舌の上で確かめるように、ゆっくり繰り返した。
「誰を救うために、誰から奪っているのかしら」
救うために奪う。
彼女たちが狙っていたのは、アイアン・バイソンの角だった。
人間のハンターに切り落とされた角。
群れのボスが、命を懸けて守ろうとしたもの。
それを人のためって、どういう意味なんだろう。
真意はわからない。
「なぜそう言ったのか、推測しか今はできないわね」
「……そうだね」
「話を進めるわよ」
「うん、おねがい」
「山を下りてから改めて調べたの。あの連中が集めていた、魔獣の角について」
「何かわかった?」
「魔獣の角は、ただの骨でも武器でもない。魔獣の魔導回路が、体外へ伸びる過程で結晶化した器官なのよ」
「魔力回路が……結晶に?」
「ええ。切り離されたあとも、角にはその個体が持っていた回路の性質と、多量の魔力が残る。極端に言えば——角は、魔獣から切り取った魔導回路そのものよ」
角を集める。
それは、高価な素材を集めるということだけじゃないのかもしれない。
「じゃあ、メロウさんたちは……魔獣の角じゃなくて、魔力回路を集めてたってこと?」
「断定はできない。でも、ただ換金するために狙っていたと考えるより、筋は通るわね」
「それを、人のために使う……?」
「何に使うのかまではわからない。そもそもジェーンの言葉が真実である保証もないわ。ただ——本人が善意だと思っているからといって、行為まで正しいとは限らない」
冷夏さんの指に、ほんの少しだけ力が入る。
「メロウは瑠衣を知っていた。メロウとジェーンは、同じ人物を『パパ』と呼んでいる。そして二人は、魔力回路の結晶である角を集め、それを『人のため』だと言った」
「……全部、そのパパって人につながってる?」
「おそらくね。言ってしまえば黒幕——あるいは、少なくともこの件の中心にいる人物は、その『パパ』だと私は考えているわ」
「でも、正体はわからないんだよね?」
「ええ。名前も顔も目的も、まだ霧の向こうよ。何ひとつ掴めていないと言ってもいいわね。妄想に似た推測と言われても、私に反論することはできない」
冷夏さんは、そこで一度だけ言葉を切った。
何も見えていないはずなのに、琥珀色の瞳から迷いだけが消えている。
「ただ、関係ないこともあるのよ。少なくとも正体がなんであれ――」
冷夏さんはまっすぐ僕の顔を見る。
「私はぶちのめすの」
淡々と言い放った冷夏さんの瞳は力強かった。
「それだけはもう、決めたから」
静かな声で冷夏さんはそう付け足した。
その言葉が冗談でも、怒りに任せた勢いでもないことはわかった気がする。
「うん。そこだけは、すっごくわかりやすいね」
「何よ。文句ある?」
「ううん。ないよ。僕も手伝うって言ったからね」
「……そう」
冷夏さんが、ほんの少しだけ目元を緩めた。
けれど、その表情はすぐに消える。
「それを踏まえて、瑠衣のことを話すわ。最初に大事な結論から落とすなら――」
冷夏さんの瞳が、まっすぐ僕を捉えた。
「瑠衣は、おそらくこの学園にある『魔力炉』の燃料にされている」
「……え?」
爆弾みたいな一言に、パンをちぎる手が止まった。
焼きたての香ばしい匂いが、急に鼻につく。
「ちょっと待って。魔力炉の燃料って……それじゃ、瑠衣さんはもう——」
「死んでいないわ」
冷夏さんが、僕の言葉を遮る。
「殺されて燃料にされた、という意味じゃない。生かされたまま、魔力を無理やり搾り取られている可能性があると言っているの」
「生かされたまま……無理やり……」
搾り取られる。
その言葉に、手の中のパンがぐしゃりと潰れた。
僕は実家の牛と、マチルダの顔を思い出す。
「……ひどい話だね。牛さんだって、搾乳のペースと体調管理は絶対だよ。無理に搾れば身体を壊すし、そのあとの乳量だって落ちる。命を使い潰すなんて、三流のやることだ」
「人間を牛と並べることには、少し思うところがあるけれど……あなたが怒っていることだけは、よくわかったわ」
「でも、どうして瑠衣さんが生きてるってわかるの? 僕だって生きていてほしいとは思うよ。でも、希望だけで動くのは危険すぎるんじゃない?」
「ええ。だから、これは希望的観測ではないわ」
冷夏さんが、わずかに身を乗り出した。
「これを話すかは迷ったのだけれど、協力してもらう以上、根拠を隠したまま信じろというのも無理があるでしょうからね」
琥珀色の瞳の奥に、青白い光が淡く灯る。
「私には、西芳寺家に伝わる魔導体質——《魔色魔眼》があるの」
「えーてるあいず?」
「他人の魔導回路と、そこを流れる魔力の性質を、『色』として視認する眼よ」
「そんなことができるんだ……すご……」
魔導体質。
遺伝によって受け継がれる、先天的な異能。
僕の《還元消化》も、その一つだ。
「人間の魔導回路は、通常三本。生まれてから一年ほどかけて絡まり合い、一つの太い紐のように結合していく。そこまでは、さっきラファエル教官も説明していたわね」
「うん」
「《魔色魔眼》は、結合したあとの大まかな形だけでなく、その内側にある一本一本の色や性質まで見分けられる。そして、深い繋がりを持つ人間なら、離れていてもその回路が存在しているかどうかを、ある程度感じ取れるの」
「つまり……」
「瑠衣の色は、まだ消えていない」
冷夏さんは、きっぱりと言い切った。
「確かに存在している。だから瑠衣は生きている。これは私の願望ではなく、この眼で観測している事実よ」
「……わかった」
そこまで断言されれば、疑う理由はない。
「瑠衣さんの生存は事実。でも、どこかに囚われて、自分の意思では帰ってこられない。そしてメロウさんは、瑠衣さんを知っていた可能性がある」
「ええ」
「だから、瑠衣さんも角みたいに、魔力回路を利用されているかもしれないって考えたんだね」
「それだけではないわ。私がメロウと戦ったときに見たものを考えれば、人間を生かしたまま魔力の供給源として扱う発想が、あの連中にないとは思えない」
冷夏さんが、冷めかけたスープを一口だけ飲む。
白い湯気が、彼女の顔を一瞬だけ隠した。
「それに、この学園の地下には巨大な魔力貯蔵施設があるという噂がある。最初はくだらない都市伝説だと思っていたけれど、竜息山に残されていた瑠衣の杖と、メロウとの戦いで見たものを考えると……ただの噂として無視できなくなった」
「あの焦げた杖か……」
「ええ。あれは、瑠衣の魔力を増幅させるための杖ではないの。逆よ。あり余る魔力の放出を制限するためのもの」
「制限?」
「瑠衣は魔力が足りないから杖を使っていたんじゃない。回路が抱える出力に、身体のほうが耐えられないのよ。もし制御を外して本気で魔法を使えば、たった一度の行使で魔導回路を焼き切る可能性がある」
背筋に冷たいものが走った。
回路が焼き切れる。
それは魔法が使えなくなるだけでは済まない。魔力の循環そのものが壊れれば、命に直結する。
行き過ぎた才能は自らを滅ぼしかねない。
あればいいってもんでもないんだ。
「でも、制限する杖を使っていても……瑠衣は、属性魔法の試験で九十七点を取ったのよ」
「九十七点?」
「学園の歴代記録でも、上位十人に入る成績らしいわ」
「すご……」
思わず感嘆しかけて、すぐに口を閉じた。
今は、その才能を喜ぶ話じゃない。
「山を下りてから、使える時間はほとんど調査に回したわ。こう見えても西芳寺家の令嬢だもの。学園の記録をすべて閲覧することはできなくても、人を使って断片を集めるくらいはできる」
「それで、調査して、何かわかったの?」
「ここ二年ほどで、属性魔法の試験において九十五点以上を記録した生徒のうち、十二人が謎の失踪を遂げている。該当者の、ほぼ半数よ」
「半分……」
「彼らは、魔力保有量と回復力に優れた生徒——より正確に言うなら、強く、しなやかな魔導回路を持つ人間を選別している可能性が高い」
「属性魔法の試験は、そのための品評会ってこと?」
「少なくとも、結果だけを見ればそう考えられるわね」
入学初日。
将来の戦力候補を一か所へ集めた会場を見て、家畜市みたいだと思った。
あのときは、我ながら牛さんたちに失礼なたとえだと思ったけれど。
もしかしたら、本当に値踏みされていたのかもしれない。
「……となると、あのラファエル教官が?」
「そんなに単純ではないみたいなのよ」
冷夏さんは首を横に振り、ナプキンで口元を拭った。
「経歴、交友関係、普段の行動。調べられる範囲で調べたけれど、失踪事件へ直接関与している証拠は見つからなかった。それどころか——」
「それどころか?」
「ラファエル教官自身も、失踪した生徒たちを探っている形跡があったわ」
「じゃあ、シロ?」
「限りなく白に近い灰色、といったところね」
「オフホワイト?」
「そうね」
「ホワイトシチューくらい?」
「食べ物から離れなさい」
ぴしゃりと切られた。
「そもそも、失踪させている側の人間なら、探しているふりくらいするでしょう。敵が学園全体という可能性は低そうだけれど、内部に協力者がいないとも思えない。ラファエル教官が、その協力者ではないという確証まではないわ」
「うーん。聞けば聞くほど、灰色が混ざってシチューが傷んできた感じだね」
「だから食べ物から離れなさいって言っているでしょう」
冷夏さんが、わずかに眉間を押さえる。
「ただ、今日の採点には気になる点があった」
「採点?」
「あなた、橙馬の《風刃》を見て、どう思った?」
「すごかったよ。スライム人形が、綺麗に真っ二つになってた」
「私も同感よ。魔法の性質が違うから単純比較はできないけれど、制御の精度だけなら、私の《雷槍》と同等——いえ、部分的には上だったかもしれない」
「でも、橙馬は六十六点だったね」
「無駄口で自分から点を捨てていたのもあってね」
「橙馬って、そういうところあるから」
「私が九十四点。ミラは、五つの標的をほぼ同時に拘束して九十一点。どちらも、九十五点には届いていない」
「ラファエル教官が、わざと九十五点未満にしてるってこと?」
「可能性はあるわ。実力のある生徒を、失踪者と同じ基準へ乗せないために」
ラファエル教官の冷たい三白眼が脳裏に浮かぶ。
ただの鬼教官にしか見えなかった。
でも、もし減点の一つ一つに別の意味があったのなら。
「じゃあ、やっぱりラファエル教官は、みんなを守ってる?」
「そう考えたいところだけれど……その仮説には、説明のつかない人間が一人いる」
「一人?」
「ヴォルグよ。彼だけは、九十六点を与えられた」
「あ……」
九十五点以上を取った生徒の、ほぼ半数が失踪している。
その話が本当なら、今日の演習で最も危険な得点を取ったのは、ヴォルグくんだ。
「ラファエル教官が高得点者を守っているなら、なぜヴォルグに九十六点をつけたのか。彼だけは守る必要がなかったのか。それとも、別の意図があるのか」
「橙馬、ヴォルグくんとは腐れ縁だって言ってたな……」
「……知り合いと聞かされたの?」
「昔からの友達みたい。橙馬は僕のことも一方的に親友扱いしてくるから、あいつの言う関係性はあんまり信用できないけど」
「あなたたち、そこまで一緒にいてまだ友達ですらないの?」
「知り合い以上、椅子を食べる仲未満かな」
「何よその関係」
冷夏さんが露骨に顔をしかめた。
少し微笑んでるようにも見える。
「少なくとも、現時点でヴォルグは最も次の標的になりやすい。ラファエル教官を信じるにしても疑うにしても、彼の周囲には注意したほうがいいわね」
「うん。橙馬にも——」
「待って」
すぐに釘を刺された。
「橘くんやヴォルグ自身が、何も知らないとは限らない。誰がどこまで関わっているのかわからない状態で、こちらの推理を不用意に話すのは危険よ」
「……そっか」
「信用するなと言っているわけではないわ。話す相手と、話す内容を選びましょうと言っているの」
胸の奥へ、少しだけ引っかかる言葉だった。
全部を話すことだけが誠実じゃない。
でも、何も話さないことが誠実なわけでもない。
つい今朝、自分で考えたばかりのことだ。
「わかった。橙馬には、今すぐ全部は話さない」
「ええ。それがいいと思うわ」
そこで、ふと白い錠剤が頭に浮かんだ。
「……あのさ。これと関係あるかはわからないんだけど」
「いいわよ。何か引っかかっているのね?」
「演習が始まる前、白い錠剤を飲んでる人がチョイチョイいたでしょ。椿くんは、魔導回路の発達を補助する薬だって言ってたけど」
「ブーストタブね」
「冷夏さんも知ってるの?」
「ええ。数年前から流通している、合法の魔力補助剤よ。魔力回路の発達を助けて、摂取後は微量ながら魔力も回復する。ヴィンセントが常用しているから、それなりに知っているわ」
「あれ、ヴィンセントくんも飲んでるんだ」
「本人は隠しているつもりみたいだけれどね」
「じゃあ、あの人たち……薬で魔力を回復してから演習を受けてたってこと? それってズルじゃない?」
「堂々と教官の前で飲んでいる時点で、規則違反ではないわよ」
「合法的なズル?」
「栄養補助よ。運動前に食事を取ることまでズルだと言うつもり?」
「食事と薬は違うでしょ」
「分類上、ブーストタブは栄養剤よ」
「あ、そうなの? じゃあ僕も飲もうかな。魔力が増えるなら、料理にも使えそうだし」
「今まさに怪しいかもしれないと話している薬を、どうして即座に飲もうとするのよ」
「だって、効果だけ聞いたら便利そうだから」
「ダメ。絶対にやめなさい」
強めに叱られた。
「でも椿くん、仲間にも飲んでる人がいるって言ってたよ。珍しい薬じゃないんでしょ?」
「珍しくないことと、安全であることは別よ」
冷夏さんが、僕の顔をじっと見つめた。
琥珀色の瞳が、奥底まで覗き込むみたいに細められる。
「それに、あなたの場合は……なおさらやめておいたほうがいいわ」
「気になる言い方するなぁ」
「その理由は、あとでまとめて話すわ。ほかに、薬について何か心当たりは?」
「そういえば、牧場で働いてるエレナさんも飲んでたよ。同じカタチの白い錠剤だった」
「エレナさん?」
「ブラックウッド牧場の奥さん。僕を雇ってくれてるロイさんのだよ。ていうか、雇ってるのはエレナさん? まあ、ともかくロイさんの奥さんだよ」
「学園の外にも服用者がいるのね」
「うん。あのときは体調を整える薬だと思ってたけど、演習前に同じものを見て思い出したんだ」
「その情報、軽くない可能性があるわね……覚えておくわ」
冷夏さんは、パンを小さくちぎりながら答えた。
指先は落ち着いている。
けれど、その目はもう、次に調べる場所を探しているように見えた。
「魔力回路の結晶である角を集める人間たち。優れた回路を持つ生徒の失踪。そして、回路の発達を助ける薬……」
冷夏さんが、並べた言葉を確かめるように目を伏せる。
「もしかして、ブーストタブと角に何か関係があるのかな? たとえば、ブーストタブの材料に角が使われてるとかさ」
「可能性としてはあるわね」
「でしょ!」
「ただ、今のところ、直接結びつける証拠は何もないわ。ブーストタブは合法よ。魔力回路の発達を助ける効果も、魔力を微量に回復させる効果も認められている。栄養剤がどうつくられているのかも、公にチェックもされている。それを見る限りは、魔物の角が材料に入ってるわけじゃなさそうなの。クリーンなのよ」
「でも、怪しいと思ってるんでしょ?」
「ええ」
「なんで?」
「直感よ」
「……直感?」
「ええ、直感」
冷夏さんは一切の照れもなく、堂々と言い切った。
「冷夏さん、僕のことを変な人って言うけど、冷夏さんもなかなかだよ?」
「直感を馬鹿にしないことね。知識だけでは拾えない違和感を、先に教えてくれることがあるから」
「……そういうもんかな」
「そういうものよ」
冷夏さんが、パンを口へ運ぶ。
焦っているわけではないのに、咀嚼が妙に速い。
大皿にあった肉料理も、山盛りの温野菜も、話している間に着々と減っていた。
「じゃあ、僕も一ついいかな」
「あら。何かしら?」
「そのブーストタブ、角だけじゃなくて、学園の闇と関係ある気がするんだ」
「根拠は?」
「直感」
冷夏さんの口が、わずかに開いたまま止まった。
「……あなた、ついさっきまで私の直感を疑っていたでしょう?」
「でも僕、素直さだけが取り柄だから。冷夏さんの話を聞いて、『なるほど、ずっと引っかかってたこれが直感か』って気づいたんだよ」
「都合がいいわね」
「柔軟性があると言ってほしいな」
「ものは言いようね」
冷夏さんは呆れたように息を吐き——ふっと笑った。
その笑みは薄かったけれど、さっきより少しだけ温度があった。
「でも、調べるべきものは一つ増えたわ。瑠衣の失踪、高得点者、学園地下の魔力炉。魔獣の角。そして、ブーストタブ」
「全部つながってるのかな」
「まだ一本につながったとは言えない。でも、無関係なものとして切り捨てるには、重なりすぎているわ」
冷夏さんの指先が、テーブルの縁を一度だけ叩く。
小さな音とともに、会話が次の段階へ進んだ。
「ここからは、どう動くかの話よ」
「うーん、先生たちに気になってること知らせて、任せたほうがよくない?」
「だめよ」
「そうなの? でもこの学園、戦争の英雄まで教師をやってるんでしょ?」
「……だからこそよ。これを引き起こしている側が優秀なら、最も警戒するのは学園の教師たち。実力も権限もある人間は、当然監視されているでしょうね」
「それに比べて、僕たちは生徒だからノーマークってこと?」
「ええ。少なくとも、大人たちよりは動きやすいわね」
「でも、それなら僕たちじゃなくてもいいんじゃない?」
「普通の生徒ならね」
「まるで僕たちが普通じゃないみたいな言い方するじゃん? 冷夏さんは令嬢だけど、僕は普通だよ。普通の田舎出身の学生」
「……だといいのだけれどね」
含むような言い方が少し気になった。
冷夏さんには僕がどう見えているのだろう。
どう考えても僕は普通の学生。そうじゃないと困る。
「ともかくよ。英雄だからといっていい人とは限らないわ。人は変わるもの」
「たしかにそれはあるかも。うーん……英雄ねえ……。ろくなもんとは限らないからなぁ」
僕は、ぽつりとこぼした。
『……なんじゃと?』
ガンテツの低い声が、脳内へ響く。
『アハハ! 辛辣だねぇ! でも大正解! アタシたち、揃いも揃ってろくでもないよ!』
『テメエと一緒にすンな、クソくのいち』
『ふん。歴史に名を残す者が人格まで優れていると考えるのは、小市民どもの浅薄な幻想にすぎん』
『あアッ! 英雄とは、甘美なる毒の別名だとも! 《毒を喰らわば皿まで》ッ!』
(うん。最後の気持ち悪いのは、いつもどおり流していいやつだ)
「何よ、その言い方。まるで英雄をよく知ってるみたいね」
「いや、そういうわけじゃ……それより、どうして僕たちじゃなきゃいけないの? 特に僕なんて、普通の学生だよ?」
脳内の騒音を無視して、話を戻す。
「違うわ。あなたは普通の学生なんかじゃない」
冷夏さんがきっぱりと断言した。
「……その根拠は何? 直感?」
「直感……それもなくないけれど、あなたに限ってはそれだけじゃないの」
冷夏さんの瞳に、再び青白い光が灯った。
「私には《魔色魔眼》がある。瑠衣の生存を確かめ、その魔力を追うことができる。そして——」
視線が、僕の頭の奥へ突き刺さる。
「あなたには、十本の魔導回路があることも見えてる」
「……十本? ……十本!? 三本じゃなくて……!?」
「ええ。通常の三本に加えて、明らかに性質の異なる六本。それぞれが、まるで別人のものみたいに違う色をしているのよ」
「六本……」
脳内に、六人の顔が浮かぶ。
「そして、そのさらに奥に一本。ほかのどの回路とも違う、深い漆黒の回路があるわ。全部合わせて十本よ」
元からある僕の三本。
六人の英雄で、六本。
それから——正体のわからない、もう一つの何か。
三足す六足す一。
イコール十。
「……あっ」
「その反応。心当たりがあるのね?」
「しまった! あ、ほんとにしまった! 『しまった』が口に出てる、しまった!! あああああっ! もうだめだあああ!」
頭を抱えて、机に突っ伏す。
終わった。
このままでは僕のほのぼの酪農ライフが、人体実験のバラバラ被検体ライフに変わってしまう!
『アハハハハ! ホノちゃん、バカすぎ! 顔どころか声にまで出てるよ〜!』
『隠蔽工作、失敗。ご主人様のポーカーフェイス能力は最低ランクですわね』
『めんどくせえ。いッそのこと殺しちまえよ! 口封じだ』
(オーガ、物騒なこと言わないでよ!)
「お、落ち着いて、焔乃士くん。感情が全部こぼれているわよ」
「む、無理だよ! 絶対このあと、研究室に連れていかれて、身体を頭から爪先まで細かく切り分けられるんだ!」
「誰がそんなことをするのよ」
「偉い学者とか!」
「私を何だと思っているの?」
「うーん? 偉い令嬢……?」
「そうだけれど、そういう意味じゃないわ。というかその言い方、少しムカつくわね」
冷夏さんが、額へ手を当てた。
「別に、理由を無理やり聞き出すつもりはないわよ。私だって《魔色魔眼》のことは、普段は隠しているもの」
「……へ?」
恐る恐る顔を上げる。
「言いたくないことがあるなら、言わなくていい。あなたが隠したいと思う気持ちは理解できるわ」
喉の奥に、何かが引っかかった。
全部を言えば、簡単なのかもしれない。
六人の英雄が脳内に住んでいること。
でも、これは僕だけの秘密じゃない。
六人には六人の過去がある。僕が勝手に、すべてを話していいものじゃない。
「ごめん。十本ある理由には、心当たりがある」
「ええ。そうでしょうね」
「でも、これは僕だけの秘密じゃないんだ。だから今は、全部を話すことはできない」
冷夏さんは、何も言わずに僕を見ていた。
「その代わり、僕自身に危険な変化があったり、今回の事件に関係することがわかったりしたら、そのときはちゃんと冷夏さんに話す。何も言わないまま、勝手にいなくなったりはしない」
「……そう」
短い返事。
けれど、冷夏さんの表情は少しだけ柔らかくなっていた。
「なら、それでいいわ」
「いいの?」
「全部を話すことだけが、信頼ではないでしょう」
その言葉が、胸の奥へ静かに落ちる。
「私も、自分の秘密を明かしたからといって、あなたの秘密を同じだけ差し出せとは言わないわ。そんなものは信頼じゃなく、ただの取り立てよ」
「……そっか」
「それに、私はあなたをとっくに信頼している。強さも。誠実さもね」
冷夏さんはそう言ってから、自分の言葉に気づいたように、ほんの少し頬を赤らめた。
食堂の喧騒が、一瞬だけ遠のく。
まっすぐな琥珀色の瞳に射抜かれて、今度は僕のほうが目を逸らしそうになった。
「ありがとう」
「こちらこそ。感謝は、さすがにするわよ……」
その空間が、すこしだけむず痒かった。
「だから、お互いの秘密を暴き合うのではなく、守り合う共犯者でいましょう。……いいわね?」
「うん。こちらこそ、よろしくね」
「ええ。あらためて、よろしくお願いするわ」
冷夏さんが、ほんのわずかに口元を緩めた。
それが笑みなのか、決意の形なのか。
判別できないくらい淡い表情だった。
でも少なくとも。
敵としてではなく、味方として僕を見ている。
その事実だけで、胸の奥にあった硬いものが少し溶けた気がした。
「瑠衣の居場所については、引き続き私が調べるわ。焔乃士くんには、先生や生徒、それから学園の周囲にいる人たちを観察してほしいの」
「観察?」
「何か少しでも違和感があったら、なんとなくで流さず、私に逐一報告して。相手が親しい人であってもよ」
「うん、わかった。任せて!」
冷夏さんは少し厳しいし、何を考えているのかわからないところもあるけれど、これほど頼りになる相手もなかなかいない。
これで、最強のバディ結成だ。
「まだ問題はあるわ」
「何?」
「あなた、午後の調理実習で、あのバイソン肉を焼くつもりでしょう」
「うん! 最高のレシピも考えて、プレートも用意したしね」
「バカなの?」
「え?」
「『週末に禁足地へ侵入して、B級魔獣を狩ってきました』なんて正直に言ったら、大問題になるに決まっているでしょう」
「あ」
完全に失念していた。
調理実習で食材を出した瞬間、入手経路を聞かれる可能性がある。
「……はぁ。やっぱり、変なところで抜けているわね」
「ど、どうしよう。バイソン肉を使わないなんて、食材に失礼すぎるよ……!」
「そっちの心配なの?」
「だって、最高の状態で持ってきてるんだよ!?」
「わかった。わかったから、少し落ち着きなさい」
冷夏さんはこめかみを押さえ、心底呆れたように息を吐いた。
「『西芳寺家から差し入れられた特別食材』ということにしましょう」
「え、いいの?」
「西芳寺家の名前を出せば、入手経路までしつこく聞く人間はいないはずよ。仮に聞かれても、私が口裏を合わせるわ」
「おおっ、さすがパートナー! 頼りになるぅ!」
「調子に乗らないで。何でもかんでも、タダで引き受けるつもりはないのよ」
「あ、お金、あんまり持ってないよ?」
「あなたにお金は期待してないわよ。その代わり、条件があるの」
冷夏さんが身を乗り出す。
声は小さい。
眼差しは、学園の闇について話していたときと同じくらい真剣だった。
「一番美味しい焼き加減で、私に食べさせること。……いいわね?」
じゅるり。
今にも、そんな音が聞こえてきそうだった。
「もちろん! もともとそのつもりだったよ!」
「そ、そうなの?」
「うん! 交渉成立だね!」
「ええ。成立よ」
こうして午後の調理実習では、「西芳寺家の令嬢より提供された最高級食材」という立派な大義名分のもと。
僕と冷夏さんの、最初の共同偽装工作——もとい、堂々たるステーキパーティーが開催されることになった。




