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蹄煮込み、経験を喰らう――六英雄が棲む酪農少年は、調理魔法で無双する  作者: 迦月 メイ
第三章:闇に灯る食卓

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第97話:黒い太陽は、命を照らす

「オラオラオラァ! 火力こそパワー! 焼き尽くせ――《爆炎点火(イグニッション)》ッ!」


 隣の調理台では、ヴィンセントが中華鍋を振るたび、轟音と熱波が押し寄せていた。


 米粒が宙を舞う。

 刻まれた具材が躍る。

 爆炎に煽られ、油と香りが一気に馴染んでいく。


 ものすごい迫力だ。


 こんな気概の漢(おとこ)が隣で爆発を起こしていたら、普通は調理へ集中するどころじゃないだろう。


 でも――今の僕には、それすらまるで遠い世界の音にしか聞こえなかった。


「……調理、開始だ」


 息を整え、自分の世界へ潜る。

 深く深く、さらに深く。

 五感を研ぎ澄ます。


 調理台の端に置いた、重厚な革張りの包みへ手を伸ばした。


 持ち上げた瞬間、掌へずしりと重みが伝わる。


 中に収められているのは、ガンテツが僕のために新調してくれた、専用の肉切り包丁だ。


 僕の「闇」と、魔獣が遺した荒々しい「命」。

 その両方を、真正面から受け止められる刃として。


 留め具を外し、革の包みを開いていく。

 現れた刀身は、艶を抑えた漆黒。


 形状は長方形に近い台形で、厚みのある峰から鋭い刃先へ、無駄なく力が流れるよう設計されている。黒光りする柄には、ガンテツの印である小さな木槌の刻印が彫られていた。


(加工難度の高い素材を、ここまで綺麗に仕立てるなんて……)


 さすが、英雄と呼ばれた職人だ。

 その洗練された仕上がりに、僕はおもわず生唾を呑んだ。


「……ふぅ」


 ゆっくりと、包みから引き抜く。


 ――キィィィィンッ!


 澄み切った高音が、調理室を走った。


 ヴィンセントの爆炎すら一瞬だけ断ち切り、周囲の喧騒がわずかに静まる。


 刃紋は、嵐が過ぎ去ったあとの波間みたいに、黒い刀身の上でゆらゆらと揺れていた。


 触れなくてもわかるほどの――異常なまでの鋭利さ。


『へっ。ええ顔した刃じゃろ』


 ガンテツの声にも、隠しきれない誇らしさと無邪気さが滲んでいた。


『そいつは小僧が受け取った命へ、覚悟を乗せるための刃じゃ。ワイの分身じゃと思うて、好きに使え。小僧なら、そいつの潜在能力を引き出せるじゃろう』


(うん。本当にありがとう、ガンテツ)


 黒い刀身を、改めて見つめる。


 光を呑み込むような色。


 けれど、この刃がすることは、その逆だ。


 肉を切る。

 筋をほどく。

 食材の内側に眠っている味を、光の下へ引き出す。


 命を暗闇へ沈めるためではなく、一皿の上へ照らし出すための刃。


(……黒陽(こくよう))


『なんじゃ、小僧』


(この包丁の名前。まだなかったでしょ?)


『ほう?』


(黒い刀身。でも、素材の持ち味を照らして、受け取った命を美味しさへ変える。太陽みたいな包丁だから——)


 刀身を傾ける。


 漆黒の表面に、調理室の炎が細く映り込んだ。


「――黒陽(こくよう)」


 口に出した瞬間、名前が刃へ馴染んだ気がした。


『……カカッ! 黒い太陽たぁ、また大仰な名をつけおったな』


(嫌だった?)


『阿呆。職人が作った道具へ、使い手が魂を入れたんじゃ。文句があるわけなかろうが。むしろ名前を与えられ、初めて完成と呼べるんじゃ』


 ガンテツの声が、いつもより少しだけ弾んでいる。


『ゆけ、小僧。《黒陽(こくよう)》で、受け取った命を照らしてこい』


(うん)


 僕は、熟成を終えたジェネラル・バイソンの肉へ《黒陽(こくよう)》を添えた。


 ――トン。


 力は入れていない。

 包丁の自重を、ほんの少し前へ預けただけ。


 それだけで、強靱な筋繊維が、水面へ線を引くみたいに音もなく割れた。


(刀身はしっかりしてるのに……なんて軽いんだ)


 切られたことに、肉自身が気づいていない。

 そんな錯覚を覚えるほど、断面は滑らかで澄んでいた。


「……っ! なんて綺麗な断面なの……!」


 隣で見守っていた冷夏さんが、息を呑む。


 この包丁は、ただ切断するための道具じゃない。

 食材を、本来あるべき形へ解放する刃だ。


 宝石みたいに深く、濃い紅色の断面へ左手をかざす。


「生粋魔法(ネイティブ)・調理(クック)――《下拵え(プレップ)》」


 指先が淡い光に包まれた。


 数センチほどの微細な光刃が生まれ、脂と筋の境界へ吸い込まれていく。


 ――フォォォン……。


 極小の世界へ意識を沈める。


 アイアン・バイソンの濃厚な脂を、味を損なわない大きさまで細かく刻む。


 それを、ジェネラル・バイソンの赤身にある繊維の隙間へ、一本ずつ丁寧に埋め込んでいく。


 本来なら、混ざり合うはずのなかった二つの命。


 それを魔法の針で縫い合わせ、一つの味へと整えていく。


(……次)


 肉の表面へ、手のひらを密着させた。


「《下拵え(プレップ)》――応用技術。《肉質軟化(テンダライザー)》!」


 出力を、一瞬だけ引き上げる。


 無数の針にも似た微細な衝撃が、肉の奥深くまで走った。


 強靱な繊維を細かくほどく。


 壊しすぎない。

 柔らかくしすぎない。

 噛んだときに、肉らしい抵抗がわずかに残る位置で止める。


 そこへ振りかけるのは、黒海のシーソルトと、乾燥させて香りを凝縮した竜息茸(ドラゴンマッシュ)のブレンドソルト。


 粒子が、開いた繊維の奥へ吸い込まれていく。


(塩で余分な水分を抜いて、旨味を凝縮させる。風味は、中心まで届かせる)


 仕上げに、オリーブオイル。


 力を入れすぎないよう、肉の表面へ丹念に馴染ませる。

 油が繊維をゆるめ、薄い膜となって、肉汁の逃げ道を塞いでいく。


 最後に――。


「《真空処理(スーヴィド)》」


 肉の周囲から、余分な空気だけが抜けた。


 透明な膜がぴたりと密着し、香りも、調味料も、肉汁も、その内側へ閉じ込められる。


 これで、下拵えは終了。


 あとは少し、肉に時間を渡す。


「……信じられません」


 気づけば、リア先生が教卓へ手をつき、身を乗り出していた。


「荒々しい筋繊維を無理に従わせるのではなく、残すべき食感と、ほどくべき箇所を選別している……。脂を移し、風味を通し、真空処理まで——それを、この速度で?」


 瞳に宿っているのは、教師が生徒を値踏みする光じゃない。

 一人の職人が、未知の技術を見つめる眼差しだった。


 その熱は嬉しい。


 でも、まだ料理は完成していない。


 僕は視線をソースへ移した。


 すりおろしたニンニク。

 バイソンの乳から作ったヨーグルト。

 オリーブオイル。

 細かく刻んだ竜息茸(ドラゴンマッシュ)。

 粉チーズ。

 柑橘の柔らかな酸味を持つ、リモンの果汁。

 そこへクミンを少々と、自家製のブレンドソルト。


 手早く混ぜ合わせ、小指の先へほんの少しだけ取る。

 そのまま舌へ乗せた。


(……っ!)


 ヨーグルトの酸味が、野性味のある肉の脂を軽くする。


 そのあとから、チーズのコクとドラゴンマッシュの旨味が追いかけてくる。最後に残るクミンの香りも、強すぎない。


(うん。美味しい。これなら、肉を邪魔しない)


 それから十分。


 付け合わせのブロッコリー、じゃがいも、ニンジンには、《圧力調理《プレッシャー・クッカー》》で適度に火を通した。


 柔らかい。


 でも、噛んだときに野菜自身の食感が残る。


(いよいよだ)


 鉄板へ落とすのは、特製のバター。


 ジェネラル・バイソンのつがいから分けてもらった乳で作ったバターへ、バイソンの牛脂を少量だけ練り込んである。


 熱に強く、焦げにくい。


 強い火へ晒されても香りを失いにくい、バイソンの性質をそのまま宿したバターだ。


 ――パチパチパチッ。


 黄金色に泡立ち始めた、その瞬間。

 寝かせておいた肉を、鉄板の上へ滑り込ませる。


 ジゥゥゥゥゥゥゥッ!!


 暴力的な音が、調理室を蹂躙した。


 溶けたバター。

 焼ける脂。

 熱によって開かれたドラゴンマッシュの香り。


 それらが一斉に立ち上がり、周囲の生徒たちの意識をこちらへ引き寄せる。


 でも、油断はしない。


 火入れは、一瞬ごとに状態が変わる。


 肉の表面から上がる泡。

 鉄板へ落ちる脂の色。

 香りの変化。


 すべてを見る。


 頃合いを見極め、ブランデーチェリーを注ぎ入れた。


 ――ドォォォォンッ!


 蒼い炎が、高く立ち上がった。


 果実の甘い香りが野性味の強い肉を包み、余計な臭みだけを連れ去っていく。


 焼き加減は、ミディアムレア。

 表面には香ばしい焼き目。

 中心には、肉汁を抱えた紅色を残す。


 焼き上がった肉を、あらかじめ熱しておいた二枚の皿へ移した。


 付け合わせの野菜。


 切り分けた《要塞チーズ》。


 最後に、ヨーグルト・リモンソースを添える。


「……これは、ただの鉄板皿ではありませんね?」


 リア先生の目が鋭く光った。


「熱の伝わり方が、あまりにも均一です。それに、温度がほとんど落ちていない」


 肉の下にあるのは、ジェネラル・バイソンの首筋にあった鋼鉄の皮。


 ガンテツの指示を受けながら限界まで圧縮し、魔法によって熱伝導率を固定した――《無限保温皿(エターナル・プレート)》だ。


 食べ終わるまで、料理を最も美味しい温度に保ち続ける。


「お待たせしました。リア先生。それから――冷夏さん」


 二枚の《無限保温皿(エターナル・プレート)》を、二人の前へ滑らせた。


 鉄板の上では、脂がまだ細く歌っている。

 

 湯気は濃く、立ち上がる香りは攻撃的なほど強い。


 これは、ただ課題をこなすための料理じゃない。


 僕なりの、命の弔い。

 そして――受け取ったものへ与える、彩りだ。


 ジェネラル・バイソンの熟成ステーキ、ヨーグルト・リモンソース。

 アイアン・バイソン乳の超圧縮熟成《要塞チーズ》と、温野菜の付け合わせ。

 鋼鉄の皮を加工した、《無限保温皿(エターナル・プレート)》。


 あの山で得たものを、何一つ無駄にせず、一皿へ。


「た、食べても……いいのかしら?」


「もちろん。熱々のうちに召し上がれ」


「……いただきます」


 冷夏さんが、震える手でナイフを入れた。

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