↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蹄煮込み、経験を喰らう――六英雄が棲む酪農少年は、調理魔法で無双する  作者: 迦月 メイ
第三章:闇に灯る食卓

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

96/134

第93話:魔眼にも視えないもの

──【冷夏視点】──


(……また、あんなデタラメを)


 西芳寺さいほうじ冷夏れいかは、煙の残る演習場で、ひとり鴨葱かもねぎ焔乃士ほのじを見つめていた。


 黒い煙は薄い膜となって視界へまとわりつき、呼吸をするたび、甘い燻香くんこうが喉の奥へ残る。


(しかも、美味しそうな匂いなのが、なおさら腹立たしいわね)


 垂れそうになった唾液を、誰にも気づかれないよう飲み込む。


 それから冷夏は、意識を瞳へ集中させた。

 琥珀色の瞳の奥で、青白い光が点る。


 西芳寺家に代々伝わる魔導体質(ブラッディ)――《魔色魔眼(エーテルアイズ)》。

 他者の魔導回路(マジカルシナプス)と、そこを流れる魔力の性質を「色」として視認する眼。


 煙の向こうにいる焔乃士の輪郭が薄れ、その代わりに、脳から伸びる魔力の線が鮮明に浮かび上がる。


 通常、人間が持つ魔導回路(マジカルシナプス)は三本。


 先ほどラファエル教官も、そう説明した。


 けれど、焔乃士の脳から伸びている線は――十本。


 本来のものと思われる三本。


 それとは明らかに性質の異なる、六本の太い回路。それぞれが別々の色を持ち、まるで異なる人間の魔力を、無理やりひとつの器へ収めたように蠢いている。


 そして、最後の一本。

 すべての色のさらに奥。

 光さえ呑み込む深淵のような、漆黒の回路。


(……やっぱり、あの黒だけは見たくない)


 直視し続ければ、こちらの意識まで引きずり込まれるような錯覚を覚える。


 あの一本が何なのか、冷夏にもわからない。


 ただ、六本とも、元から存在する三本とも違う。

 もっと深い場所に根を張り、静かに何かを待っているように見えた。


 十本の回路を流れる色は、互いに絡み合い、溶け合っている。


 複数の色が混ざり、最後には極太の「黒」となって、焔乃士の全身を巡っていた。


(入学式の《神託の帽子》は、この混ざり合った色を見て、彼を闇属性と判定したのね)


 正確には、誤判定。


 けれど――ある意味では、正解なのかもしれない。


 あれは闇属性なんて単純なものではない。

 もっと混沌として、もっと説明のつかない何かだ。


 冷夏は視線をわずかに横へ動かした。


 煙が噴き出した瞬間、ヴィオレッタの扇子を握る指へ、異様なほど強く力が入ったこと。

 ほぼ同時に、橙馬がヴィオレッタの前へ半歩だけ移動したこと。


 どちらも、ほんの一瞬の出来事だった。


 煙に驚いた。それだけだと言われれば、そう見えなくもない。

 兄が妹を咄嗟に庇う。それ自体は、なんの不思議もない光景だ。

 

 ――あの二人が、公の場で頑なに他人を演じてさえいなければ。

 

 けれど、冷夏の直感は、それだけではないと告げている。


(怪しい人間ばかりね、この学園は)


 もちろん、その筆頭は――。


「ゼロ点……ゼロ点……。目的はだいたい達成したのに、ゼロ点……」


 サクラチップの残骸を拾いながら、心底納得がいかなそうに呟いている少年だ。


 冷夏の眼は、彼を「異常」だと告げている。


 得体が知れない。

 危険かもしれない。

 完全に信用するには、わからないことが多すぎる。


 それでも。


 竜息山で、冷夏は彼の行動を見た。


 恐怖を抱えたまま前へ出たこと。

 自分の欲望には素直なこと。

 命を奪う覚悟を問うたこと。

 倒れそうになっても、得た命を無駄にしなかったこと。


 彼の内側に何がいるのかは知らない。


 けれど少なくとも――あの場所で彼が選んだ行動まで、偽物だったとは思わない。


(瑠衣のためにも、彼には協力してもらう)


 学園の奥に何が潜んでいるのか。

 ヴィオレッタが、なぜ焔乃士のことを「牛好きの少年」と呼び、竜息山へ向かうよう仕向けたのか。

 あの場にいた一人の少女と一人の女、瑠衣にどんな関係があるのか。


 わからないことばかりだ。


 ならば、学園の闇には――それ以上に得体の知れない深淵をぶつけてやればいい。


 そう考えた、そのとき。


 ぐぅ~~。


 冷夏の腹が、情けない音を立てた。

 燻製騒ぎで誰にも聞こえなかったはずなのに、自分の耳にはやけに鮮明だった。


(ち、違うわ)


 誰にも聞かれていないのに、心の中で反射的に弁明する。


 けれど、鼻をくすぐるサクラチップの燻香は、容赦なくあの夜の記憶を連れてくる。


 焚き火の上で、脂を落としながら焼かれていたバイソン肉。

 香ばしく焼けた表面へ歯を立てれば、中にはしっとりとした肉の旨味が残っていた。


 それから、炊きたての白いご飯。

 その上に乗せられたバイソン肉と、濃く艶めく卵黄。最後に振りかけられた、ピンクワサビ入りの万能魔草塩(ハーブソルト)


 箸で一気にかき込んだ瞬間、肉の脂と卵黄の甘みが、熱いご飯の上で溶け合った。


 さらに。


 口の中でふやかし、噛みしめるほど、じゅわじゅわと旨味が溢れ出したハクゲツのジャーキー。


(……っ!)


 思い出しただけで、口の中に唾液が溜まる。


(これは決して、焔乃士くんのご飯が食べたいわけじゃない。ただ、美味しいものを美味しくいただくのは、食材と料理人に対する最低限の礼儀であって……)


 あの夜。


 危険な禁足地で冷え切っていた身体を、焔乃士の起こした火が温めた。

 空腹で鈍っていた思考を、彼の料理がもう一度動かした。

 怖さに呑まれかけていた冷夏を、食べることで「生きられる状態」へ戻してくれた。


 彼が何者なのかは、まだわからない。


 それでも、あのとき受け取った温かさまで、偽物だったとは思いたくなかった。


(ハッ!? 何を考えているの、冷夏! 今は瑠衣のことを考えなさい!)


 自分を叱責するように、片腕を強く掴む。


 あの少年を利用する前提で接したのだ。

 それもこれもすべては、瑠衣のため。


 そのはずなのに。


(冷静になりなさい! 冷夏!)


 そもそもあれは、短い時間のできごとだ。

 あの少年と過ごした時間は半日もない。


 なのに。

 

 ……なのに。


(なんでこんなにも私の記憶にこびりついてるのよ……!)


 今日顔を見て、あらためて揺さぶられているのがわかった。

 揺れているのではない。

 『氷の令嬢』が揺さぶられているのだ。


(この私が揺さぶられるだなんて!)


 あの少年と会って、はじめて味わう――胸の高鳴り。

 戦闘経験とも緊張経験とも外交とも違う、この緊張感に似た何か。


 確かに疼く、この胸の感触はなんなのだろう。

 その感触を、冷夏は人生でまだ味わったことがなかった。


(わからない……わからないわ……!)


 ゆえに、その感触を名付けることはできない。

 冷夏には、まだその術はない。

 まだ、その選択肢はない。


 ただ、不愉快なことはわかる。

 だが、不快ではないこともわかる。


 それはむしろ――。


『どうしてほしいかだけは、聞くのが僕の信条なんだ』

『本音を聞かせて』

『冷夏さん、僕のそばから絶対に離れないで』

『氷の令嬢って、本当に冷夏さんにぴったしの二つ名だよね。強くて、そして……氷のように繊細だから』

『氷は必要なんだよ。生きるためには必要不可欠なんだ』


 気にしないように気にしないように、と。

 意識すれば意識するほど。

 いくつもの言葉が、まるで大切なものかのように冷夏の中で巡っていく。


 まるでそんな冷夏を肯定するかのように、鼻から入り込んだ燻香は、容赦なく空腹を刺激した。


 空腹を感じるたびに、あの少年を思い出す自分がいる。

 その事実を冷夏は、ずっと知らないフリをした。


 だが、それもそろそろ限界に近かった。


 ぐぅ~~~。


 情けなく、お腹がまた音を立てる。

 冷夏は、どうしようもなく、その少年が作るご飯を欲するようになっていた。


 だが、その欲求は決してその少年そのものには結び付けないように――


「……ご飯は別。ご飯は別……ご飯は仕方ない……。ご飯に罪はないもの……」


 気づけば、口が勝手に言い訳を繰り返していた。


 少し離れた場所で、焔乃士が残ったサクラチップを拾い終え、立ち上がる。


 その姿を見て、冷夏はどうしようもなく理不尽な苛立ちとともに、心の中で叫んだ。


(これもあれも――美味しすぎるご飯を作る、焔乃士くんのせいよっ!)


 それはもう、敗北宣言とほとんど同じだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。