第91話:六つの柱と、一つの願い
セシル先生が、ゆっくりと教室全体を見渡した。
その視線が教室をぐるりと一周する。
最後列にいる僕のところで、ほんの一瞬だけ止まった気がしたけれど、すぐに滑るように前へ戻っていった。
「それでは、さっそくですが――担任としての初仕事をしたいと思います」
言葉の切れ目で、セシル先生の指先がふわりと宙へ止まった。
たったそれだけの仕草なのに、教室中の意識が、一本の糸で前へ引っ張られたように集まる。
「その初仕事とは――授業の本格的な内容、つまりカリキュラムの説明です」
教室のあちこちから、安堵の息が漏れた。
毒入りチョコレート疑惑に、ガルダの魔法攻撃。紅姫による寸止めと、橙馬の乱入。
担任の初仕事が、今度こそ普通の内容だとわかって、ようやく全員が肩の力を抜いたらしい。
椅子が小さく軋み、机の上へ手が戻る。張り詰めていた視線も、少しずつ穏やかなものへ変わっていった。
「入学のしおりにも簡単には載っているんですけど、いちおう、あたしの口から改めて説明させてくださいね」
(入学のしおり……)
脳裏に、実家の白ヤギと黒ヤギが、たいそう美味しそうに紙を咀嚼している光景が蘇った。
(あれなら今頃、しーちゃんとくーちゃんのお腹の中だろうなぁ……)
天然の黒草インクと、木の繊維で作られた上質な紙。
あの二頭にとっては、よほど素晴らしい組み合わせだったらしい。僕が「高級食材だぞ」と与えて以来、しばらく普通の餌へ見向きもしなくなったほどだ。
まったく、困った美食家たちである。
『その結果、ご主人様は寮の存在すら知らず、今回の説明も初耳になっているわけですが』
(……まあ、それはそれとして)
『ご自分の愚行を、牧場のヤギへ責任転嫁するのはおやめください』
(いいじゃん。今ごろ、ちゃんと二頭の血肉になって巡ってるんだから)
『言葉だけは綺麗ですわね』
脳内から飛んできた冷たい言葉を、聞こえなかったことにする。
セシル先生の一番魅力的なところは、やっぱり、この柔らかな雰囲気だと思う。
そして同時に――それこそが、一番怖いところでもある。
さっきまで、死を意識するほど緊迫していたはずなのに。彼女が「授業の説明をします」と微笑んだだけで、今までの騒ぎが嘘みたいに薄れていく。
油断していたら、本当に脅されていたことまで忘れてしまいそうだ。
「時間もあまりないので、今日は簡潔に説明します。だから、よく聞いていてね?」
セシル先生が可愛らしく首を傾げ、こちらの反応を確かめるように視線を巡らせた。
「入学してからの約一週間は、これまでに学んできたことのおさらいが中心でした。基本的な授業も、すでにいくつか始まっています。でも、何より『面談』に多くの時間を使ってもらったよね?」
(え、そうだったの?)
僕だけ、何も聞かされていない。
(じゃあ、もしかして……僕だけ、これから別で面談するとかあるのかな……?)
検査は終わった。
ようやく、普通の授業を受けられる。
そう思っていたのに、また知らない大人と向かい合って、根掘り葉掘り聞かれる時間が待っているのだろうか。
焦りが顔へ出たのか。
セシル先生の視線が、ふっとこちらへ寄った。
「ちなみに――特別な『検査』を受けていた子は、検査と並行して面談も終えています。だから、安心してね」
「ひっ!?」
肩が、びくんと跳ねた。
遅れて椅子が小さく軋み、僕が立てた音だけが、不自然に教室へ残った。
(び、びっくりしたぁ……! あまりにも僕の疑問へ答えるタイミングがよすぎるから、心を読まれてるのかと思った……!)
セシル先生は、ときどき、ぞっとするほど勘がいい。
検査室で初めて会ったときも、そうだった。
まるで、僕が自分で隠している部分まで、すべて見透かしているような――そんな妙な感覚に陥る。
(にしても、検査のときに検査官が根掘り葉掘り聞いてきて、ちょっとうるさいなぁと思ってたけど……あれ、面談も兼ねてたのか)
僕はてっきり、検査官が暇だから、僕へ絡んできているのだと思っていた。
『ご主人様の愚かさと鈍感さには、未だ驚かされますわ』
脳内で、呆れ果てたような溜め息が鳴った。
(……ミネルヴァの皮肉って、棘が抜けにくいよね。時間差でダメージが蓄積されるから、まだ普通に罵ってくれたほうがマシなくらいかも)
『そうですか。では、普通に申し上げます』
一拍。
『痴れ者鈍感野郎』
(罵倒に込めたメッセージ性が濃すぎるっ!)
『馬鹿。阿呆。たわけ。うつけ。間抜け。愚か者。おたんこなす』
(罵倒の種類を増やしたって、ダメージが分散されるわけじゃないんだよ!?)
『はぁ~……本当に注文の多い、わがままなご主人様ですこと』
(なんで僕が悪い感じに丸め込まれちゃってるの!?)
これ以上ミネルヴァを相手にしていたら、授業が始まる前に精神をゴリゴリ削られてしまう。
僕は急いで、教室の前へ意識を戻した。
教卓の横には、黒板に似た大きな板が据えられている。
漆黒の表面には、淡い魔力の光。
内部には複数の魔煌玉と、情報を表示するための術式が組み込まれているらしい。
あれが、魔煌板というものだろう。
セシル先生が、その前で両手を合わせた。
――パンッ!
澄んだ音が鳴る。
同時に、魔煌板が一度だけ強く脈打ち、六つの文字が鮮やかな光となって浮かび上がった。
――――――――――――――――
Ⅰ.魔法学
Ⅱ.戦争学
Ⅲ.社会学
Ⅳ.神秘学
Ⅴ.工房学
Ⅵ.支援学
――――――――――――――――
(おおっ。いかにも魔法学園って感じだ)
魔法学、社会学、神秘学は、入試でも必須科目だった。だから、それなりには勉強してきた。
でも――。
「この中でも『戦争学』『工房学』、それから『支援学』は、おそらく皆さんにとって、ほとんど初めて聞く科目ですよね?」
「ひっ……!」
またしても、僕の心臓が跳ねた。
あまりにも、どんぴしゃすぎる。
思わず喉が鳴り、息が詰まった。
(えっ、まさか……本当に心を読んでたりする!? 何それ! そういうチート魔法でもあるのっ!?)
『正式な魔法としての学術的記述はありませんわ』
ミネルヴァが、冷静に答えた。
『ただし、他者の思考を読み取る魔導体質なら、過去に存在しました。もっとも――その忌まわしき血脈は、すでに途絶えたはずですが』
『うむ。あるいは\深淵魔法の類であれば、我にもいささか心当たりがあるぞ』
(えっ。二人とも、マジで言ってる……?)
心の中で、ひきつった笑いが漏れる。
(いやいや。さすがに、あのセシル先生が、そんな……アハハ)
もし仮に。
本当に、僕の思考まで読めているのだとしたら。
検査室で先生は、何もかもわかったうえで、あの言葉を口にしたことになる。
『キミ、自分の中に、複数人の魔力が混ざり合ってるみたいだね』
当時の声音が、頭の中で不気味なほど鮮明に蘇った。
あのときも、十分にひやりとした。
でも、もし脳内会議まで筒抜けだったなら――。
六英雄の存在も。
英雄たちとの会話も。
僕が脳内でセシル先生を「お姉さん」と呼びながら、いろいろ考えていたことまで――。
(……いや。さすがに、考えすぎだよね)
そうだ。
セシル先生は、あの冷たい検査室で、唯一僕へ温かく接してくれた人じゃないか。
疑う必要なんて――。
そこで、つい先ほど聞いた言葉が蘇った。
『隣人を百パーセント信じるなんて、危険だから』
(……ううっ。タイミングが悪すぎるよ)
それでも、ミネルヴァが言うには、その魔導体質はすでに途絶えている。
ヴァンデルが言う深淵魔法も、普通に生きていて関わるような代物ではない――と思いたい。
僕が必死に自分を納得させている間にも、セシル先生は魔煌板の前で静かに手を組んだ。
一呼吸分だけ、間を置く。
「では、一つずつ簡単に説明しますね」
細い指先が、一番上の文字へ向けられる。
それに呼応して、『Ⅰ.魔法学』の部分だけが、ひときわ強く光った。
「まずは、魔法学」
セシル先生は、浮かび上がった文字の輪郭をなぞる。
「これは、安全に――そして時には、必要な危険を引き受けながら魔法を行使するための授業です」
術式を理解する。
魔力を回路へ通す。
性質を制御し、正しく発動させる。
「いわば、魔法使いとしての基礎体力を培う科目です。魔法学園ということもあって、全カリキュラムの中でも、単位数はもっとも多いです」
セシル先生が、教室へ向き直る。
「ここの基礎が弱いと、どれだけ強力な魔法を覚えても、応用が全部不安定になってしまいますからね」
(おおっ。それは地味に楽しみだな)
僕の《調理》も、もっと便利に使えるようになるかもしれない。
温度を細かく調整したり。
素材の鮮度を保ったり。
魔力を無駄なく料理へ通したり。
今よりさらに美味しいものを作れる可能性がある。
『――フン。楽しみではあるがな』
脳内で、ヴァンデルの尊大な声が響く。
『この時代の魔法教育とやらが、魔法の超越点へどこまで迫っているものか。我を満足させるという悲願――そう易々と叶うとは思えぬ』
(相変わらず、すごい上から目線だなぁ……)
勝手に僕の脳内へ住み着いて。
自分の人生で到達できなかった夢を、子どもである僕へ押しつける。
(こういうのを、絵に描いたような毒親って言うんじゃないの?)
『……丸聞こえだぞ、小市民』
(あっ)
同じ脳内にいるのだから、心の声が聞こえるのは当然だった。
(いっけね。いっけね)
心の中で舌を出し、頭を掻く。
『貴様、反省という言葉を知らんのか?』
(知ってるよ。意味までは詳しく知らないけど)
『それを、知らんと言うのだ!』
その後も続いたヴァンデルの小言を、僕は魔法学の説明へ集中するふりをして、綺麗に聞き流した。
セシル先生の指先が、二つ目の文字へ滑っていく。
「次が――戦争学です」
魔煌板の『Ⅱ.戦争学』が、重い光を帯びた。
「この科目は、魔法学と同じくらい単位数が多いです。名前のとおり、実際に戦うための理屈と、身体の動かし方を学びます」
戦争。
たった二文字で、教室の空気が少しだけ重くなる。
「ただし、一人で強くなるためだけの授業ではありません」
セシル先生は、ゆっくりと教室全体を見渡した。
「周囲と協力して、生き残るための授業です。仲間の得意なことを知って、苦手なことを補い合う。誰かが動けなくなったら、置いていかずに連れて帰る」
その視線が、先ほど紅姫を止めた橙馬へ向く。
次に、必要なときまで動かなかったヴォルグへ。
そして最後に、糸で全員を止めたミラへと流れていった。
「――仲間は、大切にしてね」
セシル先生は優しく笑っていた。
でも、その瞳の奥だけは、少しも笑っていなかった。
教室中から、椅子の軋みが消える。
空間の音そのものが、一段――いや、数段落ちたように感じた。
戦争は、遠い物語ではない。
この国は今、休戦しているだけだ。
僕たちが卒業するまで、平和が続く保証なんてない。
もし戦争が始まれば、僕たちもそこへ駆り出される可能性がある。
……目を背けたい。
でも、この世界に生まれた以上、完全に避けて通ることはできないのだろう。
それでも僕は、せめて自分のやり方で、この世界と向き合いたい。
誰かを傷つけるためではなく。
命を育て、料理を作り、牛乳を搾るという――僕らしい方法で。
『――いざッてときになッたら、味方を殺さねえといけねえかもしれねえ』
不意に。
地の底から響くような、オーガの声が脳内を震わせた。
『仲間ごッこも悪かねえ。だが、過信はテメエを滅ぼす。特にクソガキ――テメエは甘ぇからな』
鋭く、現実的な言葉だった。
敵に操られた仲間。
裏切った味方。
助けることで、より多くの命が失われる状況。
オーガはきっと、そういうものを何度も見てきたのだろう。
僕は、何を返せばいいのかわからなかった。
(……うん)
心の中で、それだけ答える。
「……いろいろ、思うところもあるよね」
重く沈んだ空気を感じ取ったのか、セシル先生が小さく息を吐いた。
「答えは、簡単には出ません。だから――これからの学園生活で、少しずつ、自分なりに納得できる形へ咀嚼してくれたら嬉しいな」
咀嚼。
その言葉なら、得意だ。
難しいことでも、ちゃんと噛み砕いていけば、いつかは飲み込めるのかもしれない。
「では、次へ行きますね」
セシル先生の指が、三番目の項目へ移る。
「三つ目は、社会学」
法。
制度。
歴史。
「ここで扱うのは、『何が正しいのか』という道徳だけではありません。社会の中で、何が許されていて、何が許されていないのか。その線引きを知るための授業です」
ひどく現実的な話だった。
「いざというとき、『知らなかった』は――この世界では、通用しないから」
何人かの生徒が、気まずそうに目を逸らした。
僕も、少しだけ視線を下げる。
……社会学。
何度聞いても、つまらなそうな響きだ。
入試でも、まるで楽しめなかった。
規則。制度。権利。義務。
無機質で硬い言葉を、とにかく脳内へ詰め込む。温かみが少しもなくて、僕はどうにも苦手だった。
ただ――。
竜息山へ魔法柵を作るにも、地主の許可がいる。
学園側との交渉も必要になる。
ルールを知らなければ、自分が正しいと思っていることさえ、誰かの権利を踏みにじる可能性がある。
(……それでも、やっぱり苦手なものは苦手なんだけどね)
『都合が悪くなると、すぐ目を逸らすその逃避癖。ある意味、極めて徹底しておりますわね』
(しょうがないじゃん。冷たい感じがして、あんまり好きじゃないんだもん)
『……いつか、ご主人様が、そのルールの中にある“優しさ”へ気づける日が来るとよいのですが』
(ルールの、優しさ……?)
普段から冷たい声と態度を持つミネルヴァの口から、「優しさ」という言葉が出てきた。
それが、妙に意外だった。
誰か個人の善意に頼らなくても、人を守るための線。
それがルールなのだろうか。
聞き返そうとしたけれど、ミネルヴァの声色にわずかな寂しさが混じっているような気がして、言葉が止まった。
その間にも、セシル先生の指先は四つ目の項目へ進んでいく。
「四つ目は――神秘学」
魔煌板の淡い光が、細い指を追うように、神秘的な軌跡を描いた。
「ここでは、神話、禁呪、古い文献、それから未だ体系化されていない現象などを扱います」
セシル先生が、少し楽しそうに笑う。
「ロマンもあります。でも、危険も多い分野です。知らないものへ想いを馳せるだけでなく、正しい知識を持って、触れてはいけないものを見分けることも大切になります」
『神秘学……未知はまさしく、芳醇な果実……あアッ! 《毒を喰らわば皿まで》ッ!』
(うん。この気持ち悪さは、いつもどおり流していいやつだ)
と思っていたら。
「うおおおお~~っ! きたきたきたっ!」
静かな教室をぶち破るように、橙馬が両腕を天へ突き上げた。
「俺っちのマイフェイバリット授業た~~んっ!」
――ガタァッ!
椅子が派手な音を立て、勢いで近くの机まで揺れた。
クラス中の視線が、橙馬へ集まる。
ヴィオレッタさんも扇子の向こうから、ほんの一瞬だけ橙馬を見た。
けれど、すぐに興味を失ったように視線を逸らしている。
「え。橙馬って、神秘学とか好きなの?」
「何言ってんだ、ホノジ!」
橙馬が机へ身を乗り出す。
「どう考えても、一番おんもれー授業だろうがい! 神話! 禁呪! 古代の謎! 未知の怪奇現象! 男のロマン全部盛りじゃねえか!」
「いや……『神秘』って、響きに品があるからさ」
「おう?」
「品の欠片もなさそうな橙馬が一番好きなの、ちょっと意外だなって」
橙馬の満面の笑みが、ぴたりと止まった。
右の眉だけが、ひくりと動く。
「……おう? 今、めちゃくちゃ自然に言ったけど、自分の言葉の鋭利さに自覚あるか?」
「え。褒めたつもりだけど」
「どこの部分が!?」
僕と橙馬の小競り合いなど、最初から存在していないものとして扱うように、セシル先生は華麗に話を進めた。
「続いて、五つ目。工房学です」
魔煌板の文字が切り替わる。
「ここでは、武器、防具、装備、そして魔導具の構造と扱い方を学びます」
セシル先生が、自分の耳元へ指を添えた。
先ほど《魔力攪乱》と《|魔力浮遊《マナ・フロート
》》を放った、白いハート型の魔導具だ。
「魔法は、生まれ持った才能に左右されやすい。でも、装備は知識と技術によって補える部分が大きいです」
次に、紅姫を引き抜いた胸元へ手を置く。
「ただし――構造を理解しないまま使えば、簡単に事故が起きます。魔導具を甘く見たとき、どれだけ危険なことになるかは……」
セシル先生が、可愛らしく首を傾げる。
「もう、言わなくても十分に体感してくれましたよね? ……なんて」
教室の空気が、また少しだけ冷えた。
ガルダが、自分の席で苦虫を噛み潰したような顔をしている。
紅姫を受け止めた橙馬も、ガントレットの手の甲を、そっと反対の手で隠した。
あの一連の騒ぎは、確かに心臓へ悪すぎた。
でも――工房という言葉を聞いた僕の胸は、少しだけ弾んでいた。
(ガンテツ。工房学だってさ!)
『聞こえとるわい』
(ガンテツにとっても、楽しい授業だといいね)
『時代は変わっていくからのう』
ガンテツは、珍しく穏やかな声で答えた。
『ワイも、まだまだじゃ。何か新しいものを学べるなら、職人としての技術をさらに磨けるやもしれん。恐れ多くも、学ばせてもらえれば嬉しいものよ』
(何それ。今さら僕に遠慮するなんて、ガンテツらしくなくて変じゃない?)
『小僧の貴重な学園生活、その時間をワイがいただくことになるからのう』
(たぶん、「恐れ多くなっちゃう」のは、授業をする先生や他の生徒のほうだと思うけどなぁ)
『何?』
(だって、ガンテツの技術って、ハンパないし)
『職人たるもの、つねに謙虚と勤勉でいることが大切じゃ。自分を完成したと思うた瞬間、腕は腐り始める』
(そういうものかな。僕は、適度に怠惰でいるのも悪くないと思うけど)
そのときだった。
「……ワシは、このときをずっと待っとったんじゃあああっ!!」
教室の前方から、学生とは思えないほど野太い声が響いた。
座っていたのは、岩みたいに頑丈そうなドワーフ族の男子生徒だ。
「伝説の職人、黒鉄岩哲の超SSS級の逸品――八岐大剣!」
太い拳を、力強く握り込む。
「いつか、あれを超える最強の武器を作るぜよ! すべての陰気を吹き飛ばし、神さえ超える職人に――ワシはなるッ!!」
「ちょ、ちょっと~! 声、大きいよぉっ!」
隣にいた女生徒が、慌てて袖を引っ張った。
「……ツムギ。お前の声のほうが、大きゅうなっとるじゃん」
「あっ……!」
教室がざわめき始める。
セシル先生は怒るでもなく、困ったように笑っていた。
(ほらっ! ガンテツに、めちゃくちゃ憧れてる人いるじゃん! めず……じゃなくて、すごいね!)
『……おい、小僧』
(何?)
『「珍しい」と続けるつもりじゃったろ』
(えへへ。ご名答)
『……まったく。珍しい、は余計じゃ。お主、デリカシーを母親の胎内に置いてきたんか』
(珍しいのは仕方ないじゃん。だってガンテツ、自分のこと全然自慢させてくれないんだもん……)
『そりゃ小僧、ワイらのことは他人には話せんじゃろうが』
(そこなんだよなぁ……! ガンテツのすごさ、みんなに教えたいのに! でも、それができないのがもどかしいんだよぉ。だからさっき、ガンテツに憧れてる人がいて、すっごく嬉しかったんだ。あの人とは仲良くなりたいって、思ったぐらいには!)
『…………小僧』
ガンテツの声が、そこで妙にしおらしく途切れた。
(ん? どうしたの?)
『……なんでもないわい。まったく、しょうのない小僧じゃ』
ぶっきらぼうに吐き捨てる声は、いつもよりほんの少しだけ柔らかかった。
『それより、あの若造が言っとった《八岐大剣》じゃがな。あんな不完全なナマクラの、いったいどこがいいんじゃか……ワイにはさっぱりわからんわい』
(えっ!? あれで不完全なの!? でも、あの人の熱量と言い方だと、その武器で相当すごい伝説を作ったんじゃ……)
『——ふん。せいぜい、国をいくつか滅ぼしたぐらいじゃ』
(ええっ!?)
思わず、声が出そうになった。
(国をいくつも滅ぼした武器を「不完全なナマクラ」って……! いくら頑固職人でも、完璧主義とストイックが病的すぎるでしょ!)
『それを、病的なこだわりを持つ小僧に言われるのも、いささか心外じゃがな』
(いやいや、僕の料理で国は滅びないから!)
『問題は、そこではないわい』
ガンテツの声が、少しだけ低くなる。
『武器は、ただ人を殺せればよいというものではない』
(……どういうこと?)
国を滅ぼせるほど強い。
それでも、武器としては不完全。
その意味が、僕にはわからなかった。
(理由、教えてくれる?)
『素直に教えるわけなかろうが。技術は盗め。心は磨け。そして、志は――』
(築け、だったよね)
『……先に言うな、たわけ』
(うーん、ケチ。でも、時間があるときに自分で考えてみるよ)
ガンテツへ適当な相槌を打っていると、セシル先生が、わざとらしく一度だけ咳払いをした。
「――コホン」
ざわついていた教室が、魔法みたいに静まり返る。
セシル先生の指先が、最後の項目へ下りた。
「最後は――支援学です」
魔煌板の光が、六つ目の文字へ集まる。
「魔力回路の保全。怪我や病気への対処。物資の管理。それから、調理実習や、野外での食事についても学んでもらいます」
調理実習。
その言葉に、僕の背筋がぴんと伸びた。
「他の科目と比べると、少し地味に見えるかもしれません。でも、過酷な状況でも身体と魔力を維持して、『戦い続けられる力』を作るための、とても大切な授業です」
セシル先生は、少しだけ誇らしそうに笑った。
「あたしも担当教員の一人ですから、よろしくね」
『お~~っ! 調理実習に、野外での食事ぃ!?』
脳内で、ジュリアの声がポンッと弾んだ。
『ついに、ホノちゃんの隠されし手腕が火を噴くじゃ~ん!』
(まあねっ!)
僕は心の中で、誰にも見えないように胸を張った。
(この授業、ずっと楽しみにしてたんだよ! 伊達に酪農家の息子であり、料理人の息子でもあるわけじゃないからねっ! えっへん!)
『アハハッ! 珍しくホノちゃんが、めっちゃ自慢げになってる!』
(珍しくって何?)
『普段はわりと陰気なオーラが出てるから、今のポジティブなホノちゃん、最高にイイ感じ!』
(えっ、ちょっと待って)
僕は、心の中で胸を張った姿勢のまま固まった。
(僕って、脳内メンバーから、そんなに暗いやつだと思われてるの!?)
『うん!』
(即答っ!?)
『だってアタシ、こんなに燦然と輝く明るさを持ってるんだよ? アタシと比べたら、ホノちゃんなんて、まだまだヒヨッコちゃんってもんよ~!』
(まさかの相対評価っ!? それ、絶対に基準がおかしいやつじゃん!)
真昼の太陽と夜の月を比べられて、「月って暗いね」と言われている気分だ。
(こう見えて僕、「自称ラッキーボーイ」をアイデンティティとして大切に生きてるから、地味に……いや、かなりショックなんだけど!)
『ちっちっちっ。ホノちゃん、ラッキーボーイは明るさじゃなくて、思い込みの強さだから』
(もっと酷くなったっ!)
『太陽フラァァッシュ!!』
(うお~~っ! 目が、目がやられる~~っ!)
『……お主ら、相変わらずアホよのう』
ガンテツの呆れ声まで含め、脳内がいつもの調子へ戻っていく。
そんな僕たちを知るはずもなく、セシル先生は魔煌板の前で教室全体を見渡した。
「以上の六つが、これから皆さんの四年間を形作る、大きな柱になります」
魔法学。
戦争学。
社会学。
神秘学。
工房学。
支援学。
「どれか一つだけでは、足りません。魔法が使えても、身体を守れなければ意味がない。強くても、ルールを知らなければ、大切なものを守れない。戦えても、食べられなければ、いつか倒れてしまう」
セシル先生は、言葉を選ぶように一度口を閉じた。
「全部、繋がっているんです」
魔煌板に浮かぶ六つの文字が、同じ強さで静かに光っている。
「学園で過ごす四年間は、皆さんが思っているより、ずっと――」
ほんの少しだけ、声が揺れたように聞こえた。
「ずっと、ずっと。人生の中で、かけがえのない時間になることでしょう」
セシル先生は、僕たち一人ひとりを確かめるように、教室を見渡した。
その瞳の奥には、優しさと同時に、どこか祈るようなものがあった。
「だから、あたしは――〈迦導国〉らしく、最後にこの言葉を贈ります」
間。
魔煌板の光が、じわりと落ち着く。
「――生き残ってね。えへ」
頬へ指を添え、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
かわいい。
なのに、どこか不気味だった。
誰かが遅れて息を吐き、その音すらすぐに静寂へ呑まれた。
セシル先生は小さく肩をすくめ、指先を下ろした。
「あたしから、今日説明できるのは、このくらいかな」
教室の前に立ったまま、視線を左右へ配る。
「あ。そうそう」
何かを思い出したように、人差し指を立てた。
「一か月後はサバイバル演習です。詳しい内容は、事前に聞いていますよね?」
その言葉に、教室の何人かが頷いた。
僕だけは、何もわからない。
「演習内容について、あたしから多くのヒントを言うことはできません。ただ、強いて一つだけ言うなら――」
セシル先生の笑みが、ほんの少しだけ意味深なものへ変わる。
「ラファエル先生から伝えられたことを、よく考えておいて損はないと思います。一か月という時間は長そうで、あっという間だからね」
その名前が出た瞬間、教室中の視線が一度だけ前へ揃った。
それから、何かを思い返すように、静かに散っていく。
僕の中には、一つの淡い疑問が浮かぶ。
(……ラファエル先生って、誰?)




