第90話:隣人を百パーセント信じるなんて、危険だから
「うわああぁっ!! やめろぉおおっ!」
――斬られる。
教室にいた誰もが、そう思った。
僕も、そう思った。
血のように赤い刀身が、宙吊りになったガルダの身体へ迫る。
その瞬間――。
「《楔》ッ!」
橙馬の声が、すぐ隣で弾けた。
次の瞬間には、もういない。
僕の横を風が駆け抜け、机の上に置かれていたメッセージカードが、一斉に舞い上がった。
ターコイズグリーンの光が、紅姫とガルダの間へ滑り込む。
――ガギィィンッ!!
硬質な金属音が、教室を震わせた。
火花が散る。
眩しさが網膜を焼き、焦げた金属の匂いが鼻を刺す。衝撃の余韻が床を走り、靴底から脛へ突き上がってきた。
「……キミは、橘くんですね」
セシル先生の声が、火花の向こうから聞こえる。
「これは、どういうつもりなのかな?」
振り下ろされた紅い凶刃。
それを受け止めていたのは――厚手のガントレットを嵌めた、橙馬の右手だった。
正確には、紅姫とガントレットの間へ打ち込まれた、半透明の楔。
ターコイズグリーンの魔力で形作られたそれは、刃を受け止めながら、今にも砕けそうなほど細かく震えている。
ガントレットの手の甲へ埋め込まれた魔煌玉が、激しい明滅を繰り返していた。
「見ての通りだぜ、綺麗なお姉さん」
橙馬は紅姫を受け止めたまま、ニッと笑った。
「生徒を殺そうとしてる、頭のおかしい人間を――俺っちが止めてるだけだ」
「……そう」
セシル先生が、わずかに目を細めた。
それから、ふっと腕の力を抜く。
同時に、ガルダを宙へ繋ぎ止めていた魔力も途切れた。
「うおっ――!?」
――ドサッ!
唐突に重力を取り戻したガルダが、床へ叩きつけられる。
「いってぇっ!」
橙馬の前にあった魔力の楔も、役目を終えたように砕け、淡い光の粒となって消えていった。
「てめえ……! いてえだろうがっ! このメスが! 死ねっ!」
床へ落とされたガルダは、痛みに顔を歪めながら、すぐさま立ち上がった。
反省するどころか、怒りをさらに燃え上がらせている。
再び右手へ魔力を集めようとした――そのとき。
「《魔力攪乱》」
低く、よく通る声が、教室の奥から響いた。
今度は、セシル先生の声ではない。
同じ術式。
同じ名前。
けれど、白いハートのピアスは光っていなかった。
放たれた無属性魔法が、ガルダの周囲に集まりかけていた魔力を正確に射抜く。
「なっ……!?」
集まりかけていた魔力が、またもや霧散した。
続けて――。
「《魔力浮遊》」
教室の後ろから二列目、窓側の席。
そこに座っていた黒髪の男子生徒が、まっすぐガルダを見ていた。
身体はほとんど動いていない。
ただ淡々と、必要な術式だけを放つ。
それだけで、ガルダの身体が再び宙へ吊り上げられた。
「ぐっ!? またかよ! 下ろせ、クソがっ!」
「やめろ。ガルダ」
黒髪の男子生徒は、表情ひとつ変えない。
「橘。貴様もだ。無意味な行動は慎め」
「ぐっ……! ヴォルグ! てめえまで邪魔する気かっ!?」
「やりたいなら、いつでも俺が相手をしてやる」
ヴォルグと呼ばれた男子生徒が、ほんの少しだけ顎を引いた。
ただ、それだけ。
怒鳴り声もない。
立ち上がってすらいない。
それなのに、教室の空気が一瞬で張り詰めた。
姿勢に無駄がない。
視線にも、呼吸にも、わずかな揺れさえない。
座っているだけなのに、そのまま立ち上がれば、最短の歩数で相手を制圧する姿まで想像できてしまう。
学生というより、幾度も死地を越えてきた軍人みたいだった。
「……ヴォルグ……!」
ガルダの顔が、屈辱に歪む。
それでも、ヴォルグと正面からやり合う気にはなれないらしい。
「チッ……クソ。もういい。今回は、引いてやるよ」
「そうか」
ヴォルグは、ガルダの負け惜しみへ興味を示さなかった。
指先をわずかに下げる。
すると、宙へ浮かんでいたガルダの身体も、今度は床へ叩きつけられることなく、ゆっくりと元の席へ下ろされた。
「えーと、ヴォルグ」
橙馬が、気まずそうに頭を掻いた。
「無意味って……どういう意味だ?」
「あの教官に、殺す気など端からない」
「……マジかよ」
橙馬は紅姫と衝突したガントレットを見下ろした。
「俺っち、早とちりしちまったってこと? うわぁ……それは、ちょっと恥ずかしいな」
「少し違う」
「お。慰めてくれんの?」
「中途半端な無能が、判断を誤って飛び出すなど、誰にも予想できまい」
「フォローかと思ったら追撃……!? にしても、ひっでえ言い方!?」
橙馬が胸元を押さえ、わざとらしくよろめいた。
「いて、いててて……! 鋭利な刃より、ヴォルグの言葉のほうが深く刺さる! 心が、心がいてえよぉ……!」
「黙れ」
「でもよぉ。誰にも予想できないって言ったけど――お前なら、そんなことないだろ?」
橙馬の表情が、ほんの少しだけ真面目になる。
「なんてたってお前は、『未来が視える』んだからな」
「未来は視えん」
ヴォルグは、即座に否定した。
「能無しどもの、くだらん噂だ」
その声には、照れも謙遜もない。
本当に事実と違うから訂正した。
ただ、それだけに聞こえた。
「あいかわらず、クールで辛辣だなぁ。そんなんじゃ、モテないぜ?」
「貴様ほどではない」
「返し強っ!」
橙馬はまた胸を押さえ、今度はその場へ膝をつくふりまで始めた。
「そんなふうに言われたら、さすがの俺っちも……いて、いててててっ! 心が死んじまうよぉ~~っ!」
「黙れ、道化」
「へいへい。どうせ俺っちは、道化ですよ~だ」
橙馬は立ち上がると、ひらひらと手を振りながら、セシル先生へ向き直った。
「で、お姉さん」
視線が、セシル先生の手にある紅姫へ落ちる。
「これは、どういうことなのか、ちゃんと説明してもらえますよね?」
「えへ。寸止めで止めるつもりだったんですけど……ちょっと、やりすぎちゃった感じかな?」
「寸止めにしては、迫力がヤバすぎるって! いくら綺麗なお姉さんでも、さすがに笑える内容じゃないですって~!」
「うん。ごめんね」
セシル先生は、ほんの少しだけ困ったように眉を下げた。
「でも、もう大丈夫ですから。橙馬くんも、席へ戻ってもらえますか?」
「しょうがないですね~! お姉さん、綺麗なんだから、次はもうちょっと慎重にお願いしますよ~?」
「――食えない子」
「あははん。そんなんじゃないですって」
「どうだろうね」
セシル先生の目が、一瞬だけ細くなる。
橙馬も笑っている。
二人とも柔らかい声で話しているはずなのに、言葉の下では、互いに何かを探っているようにも見えた。
「とりあえず、今は席へ戻ってくれるかな?」
「あいあいさー!」
橙馬が踵を返す。
それを確認してから、セシル先生も教壇に戻ると、教室全体をゆっくりと見渡した。
「――あたしは、あくまで皆さんの味方です。そこは勘違いしないでほしいな……なんて」
ぺろりと、小さく舌を出す。
いつの間にか、手元にあった紅い刀――紅姫は消えていた。
赤黒い魔煌玉の光が静かに消え、胸元では元の宝石だけが、何事もなかったように揺れている。
耳元の白いハートも、淡い光を失い、ただの装飾へ戻っていた。
「まったく。人騒がせなお姉さんだぜ……」
橙馬が小声でぼやきながら、僕の隣へ戻ろうとする。
そこで、ふと足を止めた。
「ん……?」
橙馬の視線が、教室の出入口付近へ向く。
「おいおい。あいつら、どうしたんだ?」
通路側にいた数人の生徒が、中腰の姿勢のまま、ぴくりとも動かず固まっていた。
逃げようとしたのか。
セシル先生を止めようとしたのか。
机へ手をかけた姿勢や、立ち上がりかけた状態のまま、まるで時間だけを止められたように静止している。
「な、なんだこれ……!?」
「身体が……動かない……!」
目を凝らして、ようやく気づいた。
天井から、極細の魔力が何本も伸びている。
細い。
髪の毛よりも、ずっと細い。
朝の光が当たった一瞬にだけ、蜘蛛の糸みたいな線が、かすかに浮かび上がる。
その糸が、生徒たちの腕や足、胴体へ複雑に絡みつき、動きを完全に封じていた。
冷夏さんも、片腕をわずかに上げた姿勢で止まっている。
琥珀色の瞳だけが鋭く動き、自分の身体を縛っている何かを探している。
「あ。もちろん――」
セシル先生が、そんな異様な光景の中で、柔らかく声を上げた。
「今朝、皆さんの机に入っていたチョコレートに、毒なんて含まれていませんよ。そこは安心してください。えへ」
教室中から、一斉に息が漏れた。
「……よ、よかったぁ~~っ!」
僕の隣まで戻ってきた橙馬が、その場で机へ突っ伏した。
「俺っち、マジで死ぬかと思ったぁ……! よかった。世界はやっぱり優しかったんだな……!」
(確かにそれはよかったよ……)
『先ほど申し上げたとおり、現時点で毒性反応はありませんでしたわ』
(ミネルヴァも、断言はできてなかったじゃん)
『情報が不足している段階で断言するほうが、無能の証明でしょう。私はつねに完璧を徹底します。できる女ですので』
(はいはい。心配してくれてありがとう)
『……わかればよろしいのですわ』
いつもどおりの返事が戻ってきて、ようやく胸の奥から力が抜けた。
「それから、ミラちゃん」
セシル先生が、教室の奥へ顔を向ける。
「そろそろ魔力を解いてくれると助かります。他の皆さんが、少し窮屈そうですから」
優しい声だった。
ただ、言葉尻の温度だけが、わずかに低く聞こえた。
「……はぁ~い」
窓際の一番端から、甘く気だるげな声が返ってくる。
頬杖をついていた少女が、退屈そうに指先を持ち上げた。
――ぱちん。
小さく、指を鳴らす。
「あほらしぃ~~。先生に殺気なんて、全然なかったんだもん。動くだけムダじゃなぁい?」
天井から伸びていた魔力の糸が、ふわりと緩んだ。
「だから、ちょっとだけ――大人しくしててもらったのぉ」
細い糸がほどけ、光へ溶けて消えていく。
拘束されていた生徒たちの身体が、次々と自由を取り戻した。
教室のあちこちから安堵の息が漏れ、止まっていた椅子が一斉に軋む。
冷夏さんも、ようやく腕を下ろした。
けれど、その視線は魔力の糸が消えたあとも、ミラと呼ばれた少女を鋭く射抜いている。
「ミラ」
「なぁに、レイカちゃん?」
「次、勝手に私へ何かしたら――許さないわよ」
凍りつくような声だった。
でも、ミラは少しも怯まない。
むしろ、冷夏さんの怒りを舐めるように、熱っぽく目を細めた。
「善意なのにぃ……。でも、レイカちゃんのその瞳――そそるぅ」
「……気持ち悪い」
「うふ……褒められちゃったぁ」
冷夏さんが眉間へ深く皺を寄せた。
嫌悪を向けられているはずなのに、ミラは本当に嬉しそうだった。
「ミラちゃ~ん?」
そこへ、椿くんがにゅっと首を突っ込んだ。
「ボクのことは、もっと強う拘束してくれてもええんやけどなぁ」
「興味な~~し」
「そない、つれんこと言わんといてぇな」
「うふ……ごめんなさぁい。椿くんには、あまり興味がないのぉ」
ミラは、椿くんの顔をじっくり眺める。
誰が見ても整っている顔立ちを前にして、それでも少しも心が動いていないようだった。
「アナタは……全然、そそられないもの」
「……なんや。ボク、フラれたんか?」
椿くんは胸元へ手を当て、大げさに傷ついたような顔を作る。
「思ったより悪うないな。むしろ、気持ちええくらいや」
(なに、その言動!? 椿くん、レクターみたいなんだけど!?)
『しっかりして、ホノちゃんっ! レクターはもっと段違いに気持ち悪いよ!?』
(はっ!? 確かに……! ジュリア、天才じゃん!)
『えっへっへ~。でしょ? 死ぬまで一生、レクターを気持ち悪がろうねっ!』
(もちろん任せて! レクター殲滅同盟の絆は永遠だよ!)
『あアッ! ボクを呼んだかイッ!? 宿主にジュリアッ!』
『帰れっ!』
(帰れっ!)
僕とジュリアの声が、綺麗に重なった。
ことレクターの撃退に関しては、僕たちの相性は控えめに言って最高だ。
『……ワイが庇うことじゃないかもしれんがのう。さすがにレクターが、かわいそうすぎんか?』
ガンテツが、仏のように慈悲深いことを言う。
すごい。
僕には絶対に真似できそうにないし、一生、真似したくもない。
いつもの脳内レクター撃退戦が一段落したところで、僕は改めて椿くんを見た。
さっきまでミラに振られて楽しそうにしていたのに、もう何事もなかったような顔になっている。
それを見て、すこしだけ胸がざわついた。
(……ミネルヴァ)
『なんですの?』
(さっきの椿くんの話。橘家のことも、ルミタを夜に食べろって言った理由も……やっぱり、何か隠してると思う?)
『少なくとも――』
ミネルヴァの声が、わずかに冷たくなる。
『嘘の質だけは、一級品かもしれませんわね』
(嘘の質? どれが嘘なの? ていうか嘘の質ってなんなの……?)
『知る必要はありませんわ』
(ま~た隠し事?)
『これは隠し事ではありません。言及する必要がないと判断したまでです』
ミネルヴァは、当然のことを説明するように続ける。
『通常、ヒトにはプライバシーというものがあるものですから』
(プ、プライバシー!? ええっ!? それを僕に言うのっ!?)
僕の脳内を我が物顔で占拠している存在から、まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
『失礼ですわね。私はつねに、ご主人様の尊厳へ最大限配慮しておりますわ』
(びっくりしたぁ……。そんな認識だったんだ……)
ミネルヴァの特大ブーメラン発言に度肝を抜かれているうちに、現実の教室も、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
「……皆さん。少しは、落ち着きましたか?」
セシル先生は、教卓へそっと手をつく。
薄紫色のカーディガンが、動きに合わせてふわりと揺れた。
耳元では、白いハートのピアスが、先ほどまで魔法を放っていたとは思えないほど静かに揺れている。
「えへ。あたしは確かに無一紋です」
セシル先生は、自分の弱点を隠そうとしなかった。
「魔法は使えません。魔導具がなければ、魔力攪乱も、魔力浮遊も使えない。戦うとなれば、ホント、どうしようもないんです」
一拍置く。
「でも――それが、どうしたっていうんですか?」
教室の空気が、再び引き締まる。
「大金を叩いて魔導具を揃えれば、魔法を使えないあたしでも、簡単な無属性魔法を使うことはできる」
セシル先生の視線が、ガルダへ向く。
「そして――人を殺すことだって」
柔らかな声だった。
だからこそ、その言葉が持つ重さだけが、くっきりと浮かび上がった。
「やろうと思えば、今朝のチョコレートに、本物の毒を仕込むこともできました」
何人もの生徒が、机の上に残された銀紙を見る。
すでに食べ終えた者は、自分の腹へ手を当てる。
「もし、あたしが皆さんの『敵』だったなら――この教室にいる半分以上の人が、もう助からなかったかもしれません」
誰も、声を上げなかった。
ほんの少し前まで、チョコレートの値段と美味しさに浮かれていた教室が、今はしんと静まり返っている。
「でも、安心してください」
セシル先生は、また柔らかく微笑んだ。
「あたしは、皆さんの味方です。担任としての仕事も、きっちり全うします」
その笑顔を見て、張り詰めていた何かが、ほんの少しだけ緩む。
「スクールカウンセラーでもありますから、悩みがある人は、何でも相談してくださいね。話したくないことまで、無理に話す必要はありません。話せるところからで、大丈夫です」
検査室で、僕へ向けてくれた言葉と同じだった。
静かな器具。
触れる前の確認。
僕が答えられるまで、急かさず待ってくれた時間。
あのときのお姉さんは、確かに僕の味方だった。
「ただ――」
セシル先生の笑顔から、ほんの少しだけ温度が消える。
「忘れないでほしいんです」
教室の全員を、順番に見渡していく。
「〈迦導国〉は、今こそ休戦状態です。でも、いつまた戦争が始まっても、おかしくありません」
教室の空気が、重く沈む。
「なんなら今この瞬間も、皆さんの知らない場所で、すでに何か恐ろしい罠が仕掛けられているかもしれない」
白いハートが、朝日を受けて小さく光った。
「油断しないでください」
セシル先生の視線が、一瞬だけ僕のところを通り過ぎた。
「たとえ、親しくなった相手であっても」
――なぜか。
今朝の、温かいミルクの味を思い出した。
大きな手。
両側から抱きしめられたときの体温。
『俺たちは鴨葱くんのことを……家族のように思ってるんだ』
胸の奥へ、小さな棘が刺さる。
(……なんで、今)
違う。
ロイさんたちは、関係ない。
僕は、その記憶を振り払うように、セシル先生の言葉へ意識を戻した。
「だって――」
セシル先生が、一度だけ言葉を切る。
「隣人を百パーセント信じるなんて、危険だから」
一瞬。
教室から、すべての音が消えた。
椅子の軋みも。
紙の擦れる音も。
誰かの呼吸さえも。
僕の耳には、脳内で響いたミネルヴァの言葉だけが、もう一度蘇っていた。
――『完全に純白だなんて、そんな人間など、どこにもいないと思いますけれど』
信じたい。
でも、すべてを知っているわけじゃない。
信じることと、何も疑わないことは、きっと同じじゃない。
それでも――。
「……なんて」
セシル先生が、可愛らしく首を傾げた。
「あはは。ちょっと、大人の怖さを見せつけたかっただけなの」
先ほどまでの冷たさが、嘘みたいに消える。
「お姉さんのいたずら心ということで、許してほしいな」
ふっと、教室の空気が緩んだ。
全員へかけられていた見えない拘束が、ようやく解けたような感覚だった。
――本当に、食えない人だ。
僕は手元に残っていた白い包みを見た。
毒は入っていない。
それでも、このチョコレートを食べるかどうかは、僕が決めていい。
疑うことと、受け取らないことは、たぶん同じじゃない。
薄紙を開き、銀紙を剥がす。
小さな一粒を口へ入れ、舌の上でゆっくりと溶かした。
濃厚な甘み。
カカオの微かな苦み。
検査室で食べたものと、同じ味だった。
美味しい。
だけど、あのときより、ほんの少しだけ苦く感じた。
「では、改めまして」
セシル先生が、教卓の前で姿勢を正す。
「あたしが、皆さんの担任になるセシリア・グロウです。セシル先生か、お姉さんと呼んでくださいね」
いつもの穏やかな笑顔。
「卒業まで――ぜひ、よろしくお願いします」
それから最後に、ひとつだけ。
セシル先生は、笑顔のまま、はっきりと付け足した。
「ちなみに――」
白いハートのピアスが、静かに揺れる。
「戦争は、大嫌いです。えへ」




