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蹄煮込み、経験を喰らう――六英雄が棲む酪農少年は、調理魔法で無双する  作者: 迦月 メイ
第三章:闇に灯る食卓

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第88話:たべてね♡

 寮から教室までの道のりは、橙馬の騒がしいマシンガントークのおかげで、退屈する暇だけはなかった。


「いいか、ホノジ。教室に入ったら、まず空気を読めよ? お前は今や『闇属性の自爆男』として、別の意味で時の人なんだからな……! しかも一週間も待たせるVIP待遇! よっ、迦導国かどうこく一の自爆男! 目立ち方が憎いぜ、このやろうっ!」


「わかってるよ。目立たず、騒がず、でしょ? あと、後半のテンションは丸ごと間違ってるからね?」


 今日が、僕にとって実質的な初登校だ。


 入学初日の属性判定で闇属性と判定され、そのまま一週間、検査のために隔離されていた。教室へ顔を出すのも、あの日以来になる。


 牛好き――せめて、ミルク好きが一人ぐらいいればいいな。


 そんな淡い期待を抱きながら、僕は教室の扉へ手をかけた。


 ――ガラッ。


 扉を開けた瞬間。


 教室を満たしていた声が、ほんの少しだけ遠のいた。


「おい、見ろよ。あれが例の……」

「闇属性のやつだ」

「一週間も検査されてたんだろ?」

「近くにいて、大丈夫なのか……?」


 居心地の悪い視線と、聞かせるつもりのないふりをした声が、あちこちから飛んでくる。


 闇属性さまさま。

 入学早々、すっかり人気者というわけだ。


「ほーら見ろ。お前、完全に珍しい魔獣を見る目で見られてんぞ! まったく、楽しいよな!」


 橙馬がニシシと笑い、僕の肩をバシバシ叩いた。


「橙馬は、僕の気持ちを軽くしたいのか、さらに目立たせたいのか、どっちなの?」


「両方だな!」


「最悪の欲張りセットじゃん……」


 でも、こいつのデリカシーのなさが、今は少しだけありがたかった。


 教室にいる生徒の中に、橙馬以外の見知った顔なんて、きっといない。


 ――そう思っていた、そのとき。


 少し離れた席で、えんじ色の扇子が揺れた。


 豪華な装飾に、綺麗に整えられた縦ロール。入学初日、試験会場の前で盛大に高笑いをして、盛大にむせていた令嬢だ。


(あ……ヴィオレッタさんだ)


 今朝、橙馬から教えてもらったばかりだった。


 彼女こそが、竜息山の地主――橘ヴィオレッタ。


 魔法柵を作るためには、これから正式に話をしなければならない相手だ。向こうもこちらを見ていたので、僕は反射的に小さく手を振った。


 ヴィオレッタさんの扇子が、ほんの一瞬だけ止まる。


 けれど次の瞬間には、何事もなかったように口元へ戻されていた。


「あの闇属性。わたくしに手を振って、どうしたんですの?」


 隣にいた栗色の巻き毛の少女が、待っていましたとばかりに身を乗り出す。


「きっと、ヴィオレッタ様の美貌に見惚れているのでしょう!」


「オーホッホッホ! 当然ですわ! わたくしの美貌は、すでに優勝していますのよ!」


(優勝て……相変わらず、変な人だなぁ)


『アハハ! 相変わらずバカそうで安心したよ!』


(ジュリア。安心するところ、そこなの?)


 ヴィオレッタさんは満足そうに扇子を広げ、その向こうから得意げにこちらを見ている。


 とりあえず敵意はなさそうだ。


 地主との最初の接触としては、ボチボチといったところだろうか。


 そんなことを考えながら教室を見回すと、今度は窓から差し込む朝日が、太陽と月を弾いた。


 右耳には太陽。左耳には月。

 見覚えのあるピアスが、きらりと光っている。


「あ、椿くん!」


 思わず、声が出た。


 長い髪を白銀のかんざしでまとめたエルフのお兄さんが、こちらへ顔を向ける。


「椿くん、いたんだ。やっぱりいるんだ……」


「そりゃあおめえ、クラスメイトなんだから、いるに決まってんだろ」


 橙馬が呆れたように言った。


 ただ、その声には、ほんの少しだけ刺々《とげとげ》しいものが混じっていた気がする。


「それもそっか……」


「鴨葱くんやんか。久しぶりやねぇ」


 椿くんは席を立つと、こちらへ歩み寄りながら、ひらひらと手を振った。


「にしても、なんや。噂には聞いとったけど、想像以上の人気ぶりやなぁ。嫉妬してまうわぁ」


「あはは。笑えないんですけど……」


「なんでもありそうな魔法学園で、属性ひとつでよう盛り上がれるもんやね。みんな暇なんやろか」


 相変わらず、教室のあちこちから、闇属性に対する声が聞こえてくる。


 僕は、それを聞かないフリをした。


 そんなことより、椿くんに会ったら、絶対に伝えたいことがあったのだ。


「椿くん」


「なんや、鴨葱くん」


「あのルミタ、超~~~~おいしかった! 本当にありがとう!」


「そらよかったわぁ。ちゃんと夜に、蒸して食べたんやろな?」


「食べたよ! 蒸したてのルミタは……へへへ。頬っぺたが落っこちるほど、おいしかったぁ……」


 思い出しただけで、口の中にあの味が蘇ってくる。


 ほくほくと崩れる身。

 噛むたびに溢れる濃厚な甘み。

 大地の匂いと一緒に、身体の奥へ染み込んでいく魔力。


「また食べたいなぁ……。高いから、すぐには買えないけど……」


 僕の中で、あの美味しさと、一個二銀貨という、じゃがいもにしてはあまりにも高価な値段が、激しくせめぎ合う。


 あの味を知る前なら、じゃがいも一個に二銀貨なんて、とても出せないと思っていた。


 でも、知ってしまった今は違う。


 もう一度食べたい。

 また、あの味を確かめたい。


 そんな衝動が、胃袋の奥から全身へ駆け巡る。


 脳内では、ミネルヴァが静かに、ゆっくりと頷いていた。


(あのときのミネルヴァ、相当うれしそうだったもんね)


『……何か問題でも?』


(ううん。ミネルヴァも、また食べたいんだろうなって)


『ご主人様がどうしても食べたいとおっしゃるのでしたら、私は止めませんわ』


(はいはい。そういうことにしておくよ)


 じゃがいも好きのミネルヴァにも、また味わわせてあげたい。


 そのためにも、今度は自分のお金で買わなくちゃ。


「で、でも……次は、ちゃんとお金を出して絶対に買うから……!」


「満足してもらえて何よりや。別にボクとしては、余ったもんを分けただけやで。また余りそうになったら、受け取ってほしいぐらいや」


「そ、それは駄目だよ……! 次は、しっかり正規の値段を払うんだから」


 僕は胸を張って、椿くんを見上げた。


「僕だって、こう見えて酪農家の端くれだよ。むしろ、僕がおいしい牛乳を搾れるようになったら、椿くんにご馳走させてほしい!」


「めっちゃええやんか。それはそれは、楽しみやなぁ」


「うん。約束だからね!」


 またひとつ、僕の牧場で美味しい牛乳を作る理由が増えた。


 けれど、椿くんの言葉を思い返していると、もうひとつ、聞いておきたかったことを思い出した。


「それより椿くん、気になることがあるんだけどさ」


「なんや。遠慮せずに聞き?」


魔法強化食(ブースターミール)のこと、知ってたの?」


 僕としては、椿くんが「夜に食べろ」と時間まで指定したのは、ルミタが持つブースターミール効果を知っていたからだと思っていた。


 暗い場所でも、昼間のように周囲が見えるようになる。


 あの効果を一番実感できる時間に、食べるよう勧めてくれたのだと。


 だけど――。


「…………なんや、それ」


 返ってきたのは、まったく予想していなかった反応だった。


「え。ほら、ルミタのブースターミール効果だよ。食べたあと、暗いところでも周りが明るく見えるようになるやつ!」


「だから、なんやそれ……こわ」


「……し、知らないの?」


 椿くんは、冗談を言っているようには見えなかった。


 眉をわずかに寄せ、初めて聞いた奇妙な現象を、頭の中で確かめているような顔をしている。


「おいおい、とぼけんなよ、椿」


 隣にいた橙馬が、低い声で割って入った。


「お前、知らねえのに、なんで夜に食えっつったんだ。どう考えても、知ってるやつの口ぶりだっただろ」


「ふふふ、おもろいわぁ」


 椿くんは、少しも焦ることなく笑った。


「思い込むんは自由やけどな。それをそのまま人に当てはめるんは、どないやろか」


「何?」


「ボクが夜に食べてほしかったんは、蒸したてのルミタを素朴に味わうなら、肌寒うなる夜が一番やと思ったからや。明るい昼間より、静かな夜に、あつあつを頬張る。ええやろ?」


 もっともらしい。


 でも、あまりにも綺麗に整いすぎている気もする。


「判断力と思い込みが尖っとるんは、やっぱり橘家次期当主様やねえ」


 その瞬間。


 橙馬の表情から、笑いが消えた。


「て、てめえ……! 俺は、ただの橘だ! 勝手な勘違いしてんじゃねえ!」


「どないしたん。何をそんなに怒っとるん? 落ち着きのない男はモテへんで?」


「……何を知ってんだよ。お前とは、あの日まで会ったこともなかっただろうが……!」


「なんのことやろか」


 椿くんは、どこか楽しそうに目を細めた。


「ボクとしては、偉大な地主様と同じ名字やから、『次期当主様』いうて冗談を言っただけなんやけど。何をそんな、マジに捉えとんねん。こわ」


「てめえ……!」


 橙馬が椿くんの胸倉を掴んだ。


 教室に、小さなどよめきが走る。


 椿くんの服を握る橙馬の手には、力が入りすぎている。指先が小刻みに震え、普段の底抜けに明るい顔は、本気の怒りで強張っていた。


 どこかで、扇子がぱちりと閉じる音がした。


「橙馬……! どうしたの!? さすがにやりすぎだよ!」


 僕は慌てて二人の間へ入り、椿くんの胸倉を掴んでいる橙馬の手へ、自分の手を重ねた。


「ほら。離してあげて」


 橙馬が、僕を見る。


 そのまま数秒。


 僕がここにいることを確かめるように見つめたあと、震えていた手から、少しずつ力が抜けていった。


「……ごめん」


 橙馬は、ゆっくりと椿くんの服を離した。


「椿も、その……悪かったな」


「ま、こういうこともあるやろ。ええよ、ええよ」


 椿くんは乱れた襟元を軽く整え、何事もなかったかのように笑っている。


 でも、さっきの言葉がただの冗談だったとは、僕には思えなかった。


 それ以上に気になるのは、橙馬の反応だ。


 橙馬は以前から、椿くんを警戒しておくに越したことはないと言っていた。

 でも、今の怒りは、それだけでは説明できない気がする。


 聞きたい。

 けれど、今ここで聞いていいことではないようにも思えた。


 誰にだって、今すぐには言葉にできないことがある。


 僕だって、それを知ったばかりだ。


「ま、クラスメイト同士、仲よくやろうぜ!」


 橙馬が、場を立て直すように、わざと明るい声を上げた。


「人生、助け合い――なんだろ?」


「せやね」


 椿くんは、橙馬の言葉に薄く笑った。


「あらためて、よろしゅう。橘くんに――そして、鴨葱くん」


「うん。よろしく!」


 表面上は、それで話が収まった。


 けれど、教室の空気までは元に戻らない。


「見ろよ……。闇属性が絡んで、さっそく衝突か?」

「やっぱり、近くにいるだけで何か起こるんじゃないか……?」

「一週間も検査されてたんだろ。普通じゃないって」


 僕は止めただけなんだけどなぁ。


 そう思ったけれど、わざわざ訂正する気にはなれなかった。


『どう見ても、今のはホノちゃん関係ないでしょ!?』


 代わりに、脳内でジュリアが盛大に怒っていた。


『さっきから調子に乗ってる子がいるみたいだけど、アタシやるよ! 《暗黒の楔(カースケージ)》で、二度と逆らえないようにしてあげるんだから!』


(う、うん。気持ちは嬉しいけど、さすがにそれはやりすぎだから、やめようね?)


『え~っ!? ちょっとぐらい恐怖を身体に刻み込んだほうが、今後のためになると思うんだけどなぁ!』


(その「ちょっと」の基準が、ジュリアは絶対におかしいから)


 僕は、自分に向けられる視線から逃れるように、一番奥にある自分の席へ向かった。


 窓際の最後列。


 目立たず、騒がず、限りなく平凡な成績で卒業するためには、これ以上ない場所だ。


 ……すでに、あまり平凡ではない騒ぎを起こした気もするけれど、僕が起こしたわけではないので、気にしないことにする。


 席へ座り、教科書を広げる。


 その上に、こっそりとレシピノートを重ねた。


 目立たず、騒がず、卒業まで牛の世話ができれば、それでいい。


 ――そのときだった。


 ガラッ。


 後ろの扉が開き、ひとりの少女が教室へ入ってくる。


 その瞬間、先ほどまでのざわめきとは種類の違う緊張が、教室中へ走った。


 艶やかな黒髪。ぴんと伸びた背筋。

 周囲を圧倒する美しさと、誰も寄せつけない琥珀色の瞳。


「出たぜ……『氷の令嬢』、西芳寺冷夏さいほうじれいか。この学園で最も美しく、最も近寄りがたい高嶺の花……」


 隣の席へ座った橙馬が、声を潜めて解説してくる。


「へえ、そうなんだ」


「おい、反応薄いな! まあ、普通のやつなら下手に接すること自体、おすすめしねえけどよ。ホノジなら、どう接しても逆に大丈夫な気もするから恐ろしいぜ。だが……」


 橙馬はさらに声を落とし、周囲を警戒するように視線を巡らせた。


「彼女の許嫁いいなずけがヴィンセントなんだ。あいつに見つかったら、お前なんて一瞬で消し炭にされるかもしれねえ。関わるなとは言わねえが、関わり方には気をつけたほうがいいぞ」


「ヴィンセント? ……誰それ?」


「……その反応。マジかよ、ホノジ。覚えてないのか?」


「あれ。僕、絡んだことあったっけ?」


「思いっきり、入学初日に絡まれてたじゃねえか!」


「ん~~~。駄目。思い出せない。橙馬の気のせいじゃないの?」


 かろうじて頭の中に浮かんだのは、つるつるな脳みそのイメージ。

 ……なんでつるつるの脳みそ?


「……お前、マジか。ぶっ! ぎゃははははっ! 相変わらず愉快で最高なやつだぜ!」


「何を笑ってるの?」


「まあ、気にすんなって。ヴィンセントには、あとで会える。あいつは家の都合で留学生を迎えに行ってて、今日は午後から重役出勤らしい。今はいねえけど、会うまでの楽しみにしとけよ」


「うん。覚えてたら、そうするね」


「覚えてたらってお前……。相変わらず、ぶれねえやつだな」


 そんな話をしている間にも、冷夏さんは周囲の視線を完全に無視し、自分の席へ向かっていた。


 そして、ふと。


 僕と目が合った。


 その足が、ぴたりと止まる。


(あ……冷夏さん)


 竜息山で別れて以来だ。


 身体は、もう大丈夫なのだろうか。


 声をかけようとした、その瞬間。


「ッ……!?」


 冷夏さんが、小さく息を呑んだ。


 凍りついたように揺らがなかった琥珀色の瞳が、大きく揺れる。


 白い頬が、朝焼けを映したみたいに赤く染まった。


「ふ、ふんッ!」


 猛烈な勢いで顔を逸らす。


 拒絶されたようにも見えるけれど、黒髪の隙間から覗く耳まで、真っ赤になっていた。


「「「ええええええええっ!?」」」


 教室中から、驚愕の声が上がる。


 少し離れた席では、椿くんまで面白そうに目を細めていた。


 えんじ色の扇子の向こうから、ヴィオレッタさんもこちらを見ている。


 みんな、何をそんなに驚いているんだろう。


(しばらく橙馬と僕のやり取りを見てたみたいだけど……山のことで、何か伝えたいことでもあるのかな?)


「お、おい……! おい、ホノジ! 今の見たか!?」


 橙馬が椅子をガタッと鳴らし、僕へ詰め寄ってくる。


「あの氷が溶けただと……!? お前、知らないうちに何したんだよ!?」


「え? 別に……ただ目が合っただけだけど」


「目が合っただけで、あんなになるかよ! お前……やるな、このやろう! ヒューヒューもんだぜ!」


「大げさだなぁ。たぶん、僕の顔に朝ごはんのパン屑でもついてたんじゃない?」


「ひぇっ!? お、恐ろしく鈍感な男……! これが闇属性のなせる技なのか……?」


 橙馬が、わざとらしく口元を押さえた。


「マジでヴィンセントが今いなくてよかったぜ。今のを見られてたら、人死にが出てたかもしれねえぞ……」


 何を伝えたいのかはわからないけれど、まったくもって余計なお世話なのだけはわかる。


『アハハ! トーマちゃんの反応も、そりゃそうなるよ~! アタシだって、学園へ来る前のホノちゃんの淡い恋愛事情に、どれだけ苦労したか……』


『あら。ご主人様の甘酸っぱい恋心の足を引っ張っていたのは、ジュリア、あなたではなくって?』


『ルヴァねえ、相変わらずキレがすごいねっ! アハハ……アハハハハ! ……笑ってないと、泣いちゃいそうだよ……』


 こっちも、ずいぶん余計なお世話な会話をしている。


 英雄なんて大層な響きだけはいいけれど、これでは「シュフのイドバタ会議」とやらと変わらない気がする。


 シュフもイドバタも、何なのかはよく知らないけど。


 まあ、いいや。


 それよりも、今日の調理実習だ。


 教室の喧騒をよそに、僕の頭の中は、すでに今日作る料理のことでいっぱいになっていた。


 主役は、黒い統率者(ジェネラル・バイソン)の極上の赤身肉。


 下味には、竜息茸ドラゴン・マッシュを使った特製ハーブソルト。バイソン・ミルクから作ったヨーグルトとバターもある。


 それから、ほんの少しだけ溶かした要塞チーズ。


 分量を間違えると、食べた人が頑丈な置物になってしまうので、あれだけは慎重に扱わなければならない。大量に食べなければ、きっと効果も薄いはず。


 そして、完成したばかりの無限保温皿(エターナル・プレート)


 あの極上の赤身肉を、最高の状態で食べてもらう。


 冷夏さんは、たぶん猫舌だ。

 バイソン丼のとき、すっごいハフハフしてたから。


 熱々の鉄板へ乗せるとしても、口へ運ぶ頃にはちょうどよくなるよう、肉の厚さと休ませる時間を調整したほうがいい。


 きのこのソテーも添えて――。


 ああ、早く作りたい。


 ――そのとき。


 ふっと、甘い香りが鼻をくすぐった。


 場違いなほど柔らかい、カカオの匂い。


 その香りは一瞬だけ、医務室に満ちていた金属と薬品の匂いを引き連れ、記憶の奥を撫でていった。


 静かな器具。


 触れる前に、何度も確認してくれた声。


 白い紙の上へ、そっと置かれた小さなチョコレート。


 そして――。


『無理しないでね♡』


(……チョコ?)


 僕は反射的に、机の中へ手を入れた。


 指先に、小さな包みが触れる。


 取り出してみると、それは白い薄紙に包まれていた。端には金色の箔で、学園の紋章が刻まれている。


 その上には、カードが一枚だけ添えられていた。


 ――――――――――――――――――――


 これは学園からのプレゼントです、たべてね♡


 ――――――――――――――――――――


 最後のハートが、妙に目に刺さった。

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