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蹄煮込み、経験を喰らう――六英雄が棲む酪農少年は、調理魔法で無双する  作者: 迦月 メイ
第二章:言葉を探す少年

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第86話:虹色の何かが喋った

 頬を刺す冷たい朝の風にさらされながらも、僕の足取りは、ここへ来たときとは比べものにならないほど軽かった。


 ブラックウッド夫妻との、不器用なケジメをつけ終えた帰り道。


 胸の奥に残る二人の温かさを、一歩ごとに噛み締めるように歩いていく。


 竜息山で起きた出来事のうち、冷夏さんをはじめとする、自分以外の人間に関わることは伏せた。


 学園を取り巻く、どこかキナ臭い疑惑についても話していない。

 山で誰と出会い、何を持ち帰ったのかも伝えなかった。


 それは、僕一人の判断で他人へ明かしていい話じゃないと思ったからだ。


 その代わり、自分について話すべきことは誤魔化さなかった。


 異常なミルクをきっかけに、竜息山へ入ったこと。

 そこで、密猟者らしき何者かに傷つけられた鋼鉄毛皮牛(アイアン・バイソン)を見つけたこと。

 彼らの群れと、命懸けのやり取りになったこと。


 そして、その経験を通して、僕がこれから何をしたいと思ったのか。


 自分の口から話していい範囲で、伝えるべきことは、すべて伝えた。


 僕の身勝手な本音(エゴ)も含めて。


『ホノちゃん、本当によかったね。魔法柵のこと、お二人とも全面的に協力してくれそうで』


(ほんとだよね。あの夫婦、いい人たちすぎるよ。いくら感謝しても足りないや)


 ジュリアの弾むような声へ、僕は心の中で深く同意した。


 竜息山は、危険な禁足地だ。


 だから、「魔法柵を作って、アイアン・バイソンたちを保護したい」なんて、口で言うほど簡単に実現できる話じゃない。


 僕が最初に片づけなければならない現実的な壁は――「権利」という、大人のルールだった。


 そもそも竜息山は、この一帯でもっとも大きな権力を持つ地主の所有地らしい。


 その地主は、山への出入りそのものを厳格に禁じてはいない。

 だから、足を踏み入れただけで罪に問われるわけではないそうだ。


 ただし、竜息山には竜息茸(ドラゴン・マッシュ)のような特異な植物や、アイアン・バイソン、ハクゲツをはじめとした強力な魔獣が生息している。


 危険が、あまりにも大きい。


 それもあって、明文化された規則とは別に、暗黙の了解として禁足地扱いされてきたらしい。


 しかも最近は、密猟者らしきハンターたちの脅威まで加わっている。


 だから一般人が「少し散歩でも」なんて、気軽に入るような場所ではなくなった。


 いずれにせよ、出入りが自由だからといって、勝手に柵や建造物を作っていいわけじゃない。


 竜息山へ強固な魔法柵を設置するなら、山の地主と、隣接する学園側。


 その両方へ正式な許可を取り、交渉の席へ着かなければならない。


 ただの一学生である僕には、ほとんど不可能な芸当だ。


 けれど、地主の情報や、交渉に必要な細かな根回しについては、ロイさんたちが人脈を使って調べてくれることになった。


 しかも、必要なら交渉の席まで、ブラックウッド夫妻の名前で用意してくれるという。


 まさに至れり尽くせり。

 頭が上がらないとは、このことだ。


 僕は大切な約束を破った。


 それなのに二人は、僕を頭ごなしに咎めるのではなく、


 ――やりたいことを、正々堂々とやれ。


 そう言って、背中を押してくれた。


 そんなことを言われて、嬉しくならないわけがない。


 胸の奥から、力が次々と湧いてくるような気がした。


 だから僕も、二人へ真っ直ぐに伝えた。


 竜息山へ魔法柵を作り、アイアン・バイソンたちを理不尽な暴力から守りたいこと。


 そのために必要になる莫大な資金や素材は、できる限り自分の力で集めたいこと。


 悪意あるハンターたちから、あの命の居場所を守りたいこと。


 話を聞いた二人は、まるで自分たちの夢について聞かされたみたいに、嬉しそうに笑った。


 そして、ほとんど迷うことなく、


 ――全力で協力する。


 と答えてくれた。


 ロイさんは、「足りない金も俺が出す」と、男気全開で申し出てくれた。


 けれど、エレナさんが即座に首を横へ振った。


「鴨葱くんの自立を邪魔しないで。鴨葱くんは、ここで働いて、自分で稼ぐのよ」


 その一言で、ロイさんの提案は却下された。


 そもそも、権利や許可の交渉という、もっとも重たい部分を助けてもらえるだけで充分すぎる。


 そこへ金銭的な援助まで乗せてもらったら、さすがに僕のワガママが過ぎるし、自分の中で筋が通らない。


 だから、ブラックウッド夫妻の人脈と、彼らが作る乳製品の知名度を借りて、大人同士の交渉の場を整えてもらう。


 まずは、その形で落ち着いた。


 本当に、いくら感謝しても足りない。


 もちろん、交渉がまとまったからといって、すぐに魔法柵を作れるわけじゃない。


 設置費用だけなら、どうにかなる可能性はある。


 でも、魔法柵は作って終わりじゃない。

 維持に必要な魔力や、定期的な整備、破損した場合の修繕費まで必要になる。


 今の僕には、それを継続して支えられるだけの収入がない。


 だから、まずは交渉と並行して、僕の“家”――〈旧・ブラックウッド牧場跡地〉を、本格的に始動させる。


 牧場を安定させる。

 美味しいものを作る。

 それをたくさんの人へ届けて、しっかり稼ぐ。


 その収入を、竜息山の魔法柵へ巡らせる。


 牧場の成長と、アイアン・バイソンたちの保護。


 二つは、別々の夢じゃない。

 一つの循環として、繋げることができる。


 あの極上のミルクにも負けないくらい、美味しいミルクを作ろう。


 誰も食べたことがないほど美味しいチーズやヨーグルトを作って、たくさんの人を笑顔にする。


 その笑顔から得たものを、今度は、竜息山で生きている命へ還していく。


 何せ僕は、一流の魔法使いでも、凄腕の戦士でもない。


 料理することが好きなだけの――命を育む、誇り高き酪農家なのだから。


(……自分のエゴを、ちゃんと話せてよかったよ。本当に)


『ただし、何もかもを完全に野晒し(のざらし)にしたわけではありませんでしたが』


(うん。だからこそだよ)


 朝露に濡れた道を踏みながら、心の中で答える。


(誰かの事情まで、僕が勝手に話す必要はない。でも、自分のことを誤魔化さずに、本音で向き合えた。それが、すごく気持ちよかったんだ)


『ご主人様。ゆめゆめ、勘違いなさらないでくださいまし』


 ミネルヴァの理知的な声が、僕の浮かれた気分へ冷水を浴びせるように響いた。


『私はまだ、あの二人を完全に信用したわけではございませんわ』


(あんなに深い話をして、あれだけ無条件に受け入れてもらったのに、まだ信用できないっていうの?)


 思わず、少しだけ口を尖らせる。


(ミネルヴァも、そろそろ素直になればいいのに)


『これは、私が常に論理的かつ素直だからこそ申し上げているのです』


 脳内で、ミネルヴァが眼鏡のブリッジを押し上げた。


『何せ私は、完璧にできる女、ミネルヴァちゃんなので』


(自分で「できる女」って、ドヤ顔で言っちゃうところは相変わらずだね……)


 呆れながらも、足は止めない。


(まあ、どちらにせよだよ。僕は、あの二人を信じたいと思ってる。ミネルヴァとは違ってね)


『フッ……ご主人様』


 ミネルヴァが、鼻で笑ったような気配がした。


『口では甘いことをおっしゃるわりに、私の“忠告”も、完全に無視したわけではなさそうですが?』


(ミネルヴァの案は、確かに合理的でアリだと思ったからね)


 僕は、少しだけ肩を竦めた。


(あの二人を、僕の中で完全に純白(シロ)にするためにも)


『……そうですか』


 ミネルヴァの返事は、いつもより少しだけ静かだった。


『ですが、世の中に完全な純白(シロ)など――そんな人間は、どこにもいないと思いますけれど』


 その理知的な声が、どこか懐かしそうで。


 そして、ひどく寂しそうに聞こえたのは――僕の気のせいだろうか。


 これからの牧場のこと。

 魔法柵の計画のこと。

 地主や学園との交渉のこと。


 頭の中で、いろいろな未来へ思いを巡らせながら歩いていると、気づけば、朝の光に包まれた自宅の前まで戻ってきていた。


 時計を見なくても、だいたいの時刻はわかる。


 もうすぐ、登校時間だ。


 急いで作業着(ツナギ)から学園の制服へ着替え、鞄を掴んで、学校へ向かわなければならない。


 ――そう思って、家の前で顔を上げたときだった。


「……うわ」


 思わず、変な声が漏れた。


 僕の家の扉の前に、見覚えのない人物が、堂々と立っていた。


 いや。


 正確には、「見覚えがない」というより、本能的に「直視したくない」と言うべきかもしれない。


 爽やかな朝の景色の中で、そこだけが異次元みたいに浮いている。


『……おい、小僧』


 脳内で、ガンテツの呆れた声が響く。


『なんか家の前に、チカチカして目に痛いやつがおるのう……』


 その的確すぎる感想には、完全に同意するしかなかった。


「おはようっス!」


 虹色の何かが、喋った。

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