第82話:猛毒キノコと、神速斬り
日曜の昼。
「クソ……こいつも、ジェネラル・バイソンの装甲と一緒じゃんか……」
悪態をつくのも、仕方ないと思う。僕は旧ブラックウッド牧場跡地の片隅で、目の前に鎮座する竜息茸の、あまりにも意地の悪い性質に頭を抱えていた。
明日は、いよいよ調理実習。そのための最後の仕込みとして、大型の保存瓶から竜息茸を一本だけ取り出したところだ。
本来の目的は、竜息茸を餌として利用し、最高のミルクを作ること。
でも、今ある量では、牛たちへ継続的に与えるには少なすぎる。それ以前に、安全な与え方もわかっていない状態で食べさせるわけにはいかない。
繁殖用の胞子は、すでに別の容器へ保管してある。どう栽培し、安全な餌として供給するのかは、この牧場跡地が整ったあとの課題になるだろう。
だから今は、一本だけ。牛へ食べさせる前に、まず僕自身が竜息茸の味を知るため、調理へ回すことにした。
危険な胞子を人のいる場所で撒き散らすわけにはいかないので、自宅ではなく、この牧場跡地まで持ってきた。周囲に燃えやすいものがないことを確かめ、風向きも読んである。
簡易的な調理台として使っている大きな石板。その上に置かれた竜息茸は、それだけで魔獣みたいな存在感を放っていた。
赤紫色のカサは、硬質な鱗のように波打っている。ゆっくりと脈動するたび、表面を走る紫色の筋が、呼吸に合わせるように明滅した。
サイズは、ゆうに二十センチを超えている。ボリュームは充分。鮮度も抜群だ。
すべては万事オーケーだった――はずなのに。
「普通に切ったら、猛毒になる。それは間違いないんだよね、ミネルヴァ」
未知の食材へ手を入れる前に、ミネルヴァへ分析してもらう。最近は、それがお決まりになりつつあった。
下手な処理で鮮度を落とすのも嫌だし、今回はガンテツが珍しく強い口調で「必ず分析してから仕込め」と念を押してきたからだ。
そして――分析結果を聞いた瞬間、ガンテツが警戒していた理由も、すぐに理解できた。
『その認識で間違いありませんわ』
ミネルヴァが、淡々と告げる。
『竜息茸の中心には、全身へ魔力を供給するコアが存在します。そこから伸びる供給路が途切れ、一定以上の組織が本体から切り離された瞬間、その部位は自壊を開始します』
「自壊……」
『自壊の過程で細胞が変異し、極めて強い毒を生成するのです。切り離された部位は数秒以内に猛毒化。摂取した動物は死に至り、その死体もまた、急速な腐敗によって胞子の苗床となるでしょう』
つまり、包丁を入れた端から毒になる。そのまま齧りついたところで、噛み切った部分が口の中で猛毒化するだけだ。
摂取するまでは「極上の食材」という顔をしておきながら、口へ入れた途端、「致死性の毒物」に変わる。
詐欺なんてレベルじゃない。あまりにも悪質な罠だ。
「強い衝撃を受けたら、高熱の胞子を撒き散らす。切り離されたら、今度は猛毒になる……」
『ええ。高熱胞子の放出と、切断された部位の毒化は、それぞれ異なる防衛機構ですわ』
「食べようとしても、壊そうとしても殺しにくるんだね。食材にしては、自己主張が激しすぎない?」
『食べられる側からすれば、極めて合理的でしょう』
「それはそうなんだけどさ……」
でも、冷静に考えれば、その生態は理に適っている。
強い衝撃を受ければ、高熱の胞子で周囲を焼く。食べられたなら、噛み切られた部位を猛毒へ変えて、食べた動物を内側から殺す。
近づくものを殺し、その死体を苗床にするのが竜息茸の生存戦略なら、どちらの仕組みも、行き着く先は同じだ。
ただし――そこには、一つだけ巨大な矛盾が残る。
「購買で飲んだミルクNo.2045は、奇跡みたいな味だった。また飲みたい」
僕は、赤紫色のカサを見据えながら言った。
「あのミルクからは、竜息茸の成分が検出された。あの独特な風味が、竜息茸によるものなのも間違いないんだよね?」
『ええ。それも、分析上は事実ですわ』
「なら、なんで牛さんは食べることができたんだ?」
猛毒なら、食べた時点で死ぬはずだ。そして死んでしまえば、乳を搾ることなんてできない。
『……それに関しては、不可解な点が多く残っていますわね』
ミネルヴァの声が、わずかに低くなる。
『分析の結果、ミルクNo.2045に竜息茸の成分が含まれていたことは事実。しかし、毒化した痕跡は検出されませんでした』
「毒になってなかったの? それって、つまり……?」
『整合性を取るなら――何者かによって毒化せずに処理された竜息茸を、乳牛が他の飼料と共に口にした。そう考えるのが自然でしょうね』
「あー、やっぱそうなる? でも、うーん……そういう言い方をされると、まるでロイさんたちがやったみたいに聞こえるんだけど?」
『バトルロイとエレナがそうしたかどうかは、断定できませんわ。証拠がありませんもの』
そこまで言って、ミネルヴァは小さく間を置いた。
『しかし――あの二人が“それをしていない”ことにも、証拠はありません』
「ちょっと、ミネルヴァ」
『なんでしょうか、ご主人様』
「いくらミネルヴァでも、言葉遊びとか悪魔の証明みたいなのは、タイミングを選んで言ってよ? あの二人が、そんなことをする動機なんてないじゃん」
『そうでしょうか……』
「なに? 何か言いたいことでもあるの?」
『ご主人様は、あのお二人を信用しすぎていますわ』
「そうかな」
『出会って、まだ十日程度。彼らが何を知り、何を隠し、どのように生きてきたのか。ご主人様は、その何割を理解しているおつもりですの?』
「多くは、まだまだ知らないよ。でも、あの人たちがいい人だってことはわかる」
『何を根拠に?』
「酪農家に、悪い人はいない」
『……まったく。反吐が出るほど単純な考え方ですわね』
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん」
気持ちでは、ロイさんとエレナさんを信頼している。これは本当のことだ。
でも、ミネルヴァの指摘を完全に否定することもできなかった。少なくとも、論理的には。
ロイさんとエレナさんが、竜息茸について何か知っている可能性。ロイさんが、僕へ竜息山に行くなと言った理由。
それらが本当に無関係なのか、今の僕には判断できない。
「……まあ、ここで答えの出ない話をしていても仕方ないよな」
僕は気持ちを切り替え、目の前の竜息茸へ意識を戻す。
「わかることから処理しよう。僕の目的は、竜息茸を料理すること。そのためには、猛毒になってもらったら困る」
そう言って、竜息茸を睨む。
睨んだところで、何かが変わるわけじゃない――と思ったが、そのとき、ふと一つのことを思い出した。
叔父が一度だけ、スライスされた竜息茸を持ってきた、あのときのことだ。
当時の僕は、「ものすごく美味しいキノコ」だと思って、何の疑いもなく食べていた。でも今思えば、とんでもないものを口へ入れていたのかもしれない。
超高級食材は、食べられる状態になってこその食材だ。
採取して、そのまま持ち帰っただけでは、おそらく食材ですらない。ただ採取難度が高いだけの、危険な魔物素材だ。
食べられる状態へ加工する難しさまで含めて、「超高級」の名に相応しいのだろう。
そして、叔父が持ってきた竜息茸には、最大のヒントが残されている。
僕は、あれを口にした。そして、今もこうして生きている。
つまり――叔父の竜息茸は、毒化を防ぐ処理が施されていた。
あれは、どんな状態だった?
確か……スライスされていた。
つまり――切れる。
(思い出せ……)
普通とは違うところが、何かなかったか。ぼんやりとした記憶を、ゆっくりと掘り起こしていく。
少なくとも、あれは普通の薄切りじゃなかった。
切れ込みが入っているのに、どこか細長い。皿の上で、不思議なほど長く、つながっているように見えた。
そんな記憶が、微かに残っている。
(薄切りだと、不都合があった……?)
だから、完全には切り離さなかった。
その“不都合”こそが、毒化だったとしたら。切り離されることで、コアからの供給路が途切れる。
なら――切り離さなければいい。
「あ……」
答えに気づき、思わず声が漏れた。
それが偶然にも、和菓子を生業にしていた叔父の得意な切り方だったからだ。
叔父の手元で、何度も見た。
刃を入れている。
確かに切っている。
それなのに、最後の一枚だけは、決して断ち切らない。
ぼんやりとしていた記憶が立体的になり、一つの答えを引き寄せる。
あれは、薄切りじゃない。
切り離さない、切り方。
――『蛇腹切り』だ。
表と裏から、交互に細かな切れ込みを入れる。でも、決して最後まで切り落とさない。
皮一枚。
繊維一本。
わずかなつながりを残したまま、全体を長く伸ばす切り方だ。
これなら、コアから伸びる供給路は途切れない。細胞は本体とつながったままだから、毒化のスイッチも入らない。
『理論上は、可能ですわ』
ミネルヴァが、僕の考えを肯定した。
『ただし、刃が表面の鱗へ侵入してから、およそ〇・三秒で周辺組織の収縮が始まります。切断を妨げるため、鱗同士を強く噛み合わせ、侵入した刃を固定する反応ですわ』
「高熱の胞子は?」
『それとは別です。高熱胞子の放出条件は、あくまで強い衝撃。刃を滑らかに通すだけなら、放出には至りません』
「でも、途中で刃が止まって、無理やり叩き込んだら……」
『竜息茸が強い衝撃を受けたと判断し、高熱胞子を放出する可能性がありますわね』
必要なのは、硬い鱗を断ち切るための「剛力」。
ただし、その力を叩きつけてはいけない。強大な力のすべてを、衝撃ではなく、滑らかな切断へ変えなければならない。
そして、鱗が収縮を始める前に、蛇腹切りを完成させる「神速」も必要になる。
幸い、今の僕には、ジェネラル・バイソンの装甲から作った、名もなき漆黒の包丁がある。
この刃なら、竜息茸の鱗にも負けない。
でも、僕自身の腕力と速度だけでは、〇・三秒以内に蛇腹切りを完成させられない。
なら、答えは一つだ。
「オーガ、ジュリア。お願いがあるんだけど、二人で協力してくれないかな?」
『お~、ホノちゃん。アタシとオーガ兄だって?』
脳内で、ジュリアが楽しそうに身を乗り出した。
『めっちゃ珍しい組み合わせ! なになに、楽しいことでもするの!?』
『オイ、テメエ、クソガキ。なンでオレがテメエに協力しなきゃいけねえンだよ。頭にウジでも湧いてンのか?』
『まあまあ、オーガ兄。いいじゃん』
ジュリアが、なだめるように両手を振る。
『ホノちゃんが、こうして料理で助けを求めること自体、珍しいんだよ? たいていは、自分だけでどうにかしちゃうんだからさ』
『ケッ。汚ねえ食い意地張ッてるだけだろ。ジュリア、オメエもだ』
オーガが、吐き捨てるように言った。
『オメエみてえなシノビが協力すンのも、あのクソ魔法使いが協力すンのも、結局はクソガキの身体を通して、料理を味わいてえだけだろ?』
『えへへ~。ヤッバ、ばれてるぅ~』
脳内で、ジュリアが片目をつむり、ぺろっと舌を出した。
『……野蛮人。今、我を侮辱したな?』
それまで脚を組んでいたヴァンデルが、ゆっくりと顔を上げる。
『あン? 事実だろうが』
『貴様の安い舌では、極上の料理を味わったところで、家畜の餌との違いすらわからんだろう。協力しないというのなら好都合だ。そこで指でもくわえて見ていろ。貴様には、指の塩気を味わうだけで充分だ』
『誰がテメエに指図されるか、クソ魔法使いが!』
『指図ではない。貴様のような鈍重な木偶には不可能だと、事実を教えてやっただけだ』
『あン? なンだテメエ。舌引ッこ抜いて、蝶々結びにして、空に飛ばしてやろうか?』
『あ~、ハイハイ、いつものごとくストップ』
ジュリアが二人の間へ割って入り、両手を広げる。
『でもオーガ兄、いいの? 食べれないよ、ホノちゃんの料理。本当は楽しみなんでしょ。素直になればいいんだから』
『うるせえ! どンな状況であれ、指図は嫌いなンだよ。消えろ』
「……そっか」
僕は、わざとらしく小さく息を吐いた。
「あれれ~。オーガ、びびってるんだ?」
『あ? びびッてる?』
脳内の空気が、一瞬で重くなった。
『……テメエ、誰に向かッて言ッてンのか、わかッてンのか。アアッ!?』
「いやぁ、びびって逃げるなんて、オーガらしくないなぁと思ってさ」
『逃げるだァ……?』
「あ、そっか。繊細な作業だもんね」
僕は、納得したように何度も頷く。
「分厚い鱗を断ち切る力は、オーガにもあると思うよ。でも、今回はその力を衝撃にしたら駄目なんだ」
目の前の竜息茸を指差す。
「〇・三秒以内に、表と裏へ一ミリ単位の切れ込みを何百本も入れる。力が強すぎれば、最後の繊維まで切り落として毒化する。少しでも遅れれば鱗が閉じて、刃を捕まえる。そこで力任せに叩き込めば、高熱の胞子まで飛んでくる」
わざと、少し間を置く。
「大雑把な筋肉ダルマには、さすがに無理かぁ。ごめんごめん。僕の配慮不足だったよ」
『ア゛ァ!? テメエ、今なンつッた!? ぶッ殺すぞ!?』
図星。
痛いところを突かれた獣みたいに、オーガが吠える。単純で助かる。
この手のタイプには、「できない」と言うのが一番効く。
「だって、そうでしょ? これは、ただ力任せに壊せばいい作業じゃない。オーガには荷が重いみたいだし、おとなしく見てて――」
『上等じゃねえかオラァッ!!』
脳内で、爆発的な怒気が弾けた。
『テメエの身体ごと、そのキノコ野郎を芸術的にバラしてやらァ!! 貸せ! 主導権寄越せ!!』
オーガの同意――という名のブチギレ。
接続条件は、これで満たされた。
「よし、釣れた」
『聞こえてンぞ、クソガキ!!』
「……ジュリア。サポートをお願いできる?」
『アハハ! ホノちゃん、性格悪ぅ~!』
ジュリアは笑いながら、片手で目尻の涙を拭った。
『でも、いいね、その作戦。オーガ兄の力を、衝撃にせず刃へ乗せるための速度とリズムなら、アタシに任せて!』
「二人とも、ありがとう」
僕は、昨日から回復した《英傑貸出》の使用可能時間を確かめる。
最初の使用から二十四時間が経過し、合計約六十分の制限は回復している。ただし、二人同時に接続すれば、一秒につき二秒ぶんを消費する。
身体へかかる負担は、それ以上だ。
オーガの剛力と、ジュリアの神経速度。本来なら、同じ肉体へ同時に流し込むような力じゃない。
力が速度を追い越せば、関節が壊れる。
速度が力を置き去りにすれば、筋肉が千切れる。
その境界を調整し、刃筋を決めるのは――二人のあいだにいる、僕だ。
「……本当は、疲れるからやりたくなかったんだけど」
僕は大きく息を吐き、漆黒の包丁を握った。
「そうも言ってられないか」
意識の奥にある、二つの扉を同時に開く。
「《英傑貸出》――二重接続!」
――ガクンッ。
右肩へ、鉛を流し込まれたような重さが落ちてきた。同時に、鋭い電流が右腕を駆け巡る。
「ぐっ……!」
右腕を動かす筋力と出力を、オーガから借りる。その筋肉へ命令を届ける神経伝達と反射速度を、ジュリアのものへ置き換える。
そして、どこへ、どの角度で、どれほど深く刃を入れるのか。
それを決めるのは、料理人である僕だ。
『ヒャハハッ! オラァッ!! 寄越せェッ!!』
『了解~! ホノちゃんの神経、借りるね! アタシが最高速でドライブしてあげる!』
自分の右腕なのに、自分のものではないような感覚。
筋肉が膨れ上がり、皮膚の上へ太い血管が浮き出す。オーガの力が、暴風みたいに腕の内側で荒れ狂う。
その暴力を、ジュリアの神経が恐ろしいほど細かく、正確に研ぎ澄ませていく。
重い。
速い。
同時に存在するはずのない二つの感覚が、右腕一本へ凝縮されていた。
「いくよ」
僕は漆黒の包丁を正しく握り、竜息茸を見据える。
狙いは、ただ一つ。
『蛇腹切り』。
一ミリのズレも許されない。
相反する二人の英雄の力を、僕という器の中で、無理やり一つの刃筋へ噛み合わせる。
「失敗したら……右腕が千切れるかもね」
『縁起でもないこと言わないでよ、ホノちゃん!』
『千切れる前に終わらせりゃいいンだろうが! さッさとやれ、クソガキ!』
「それもそうだね」
僕は、包丁を構えた。
「――《連撃解体》!」
シュパパパパパパパパパッ!!
音が、置き去りにされた。
漆黒の刃が銀色の残光だけを残し、竜息茸の表面を滑るように駆け抜ける。
表。
反転。
裏。
オーガの剛力が、硬質な鱗を押し切る。
ジュリアの神経が、その力を一度も打撃へ変えさせない。包丁は石板へ叩きつけられる寸前で止まり、最後の繊維一本だけを残す。
何百本もの切れ込みが、互い違いに刻まれていく。
鱗が閉じる暇もない。
刃が止まる瞬間もない。
強大な力は、一度も竜息茸へ叩きつけられることなく、すべて滑らかな切断へ変換されていく。
高熱胞子を放つほどの衝撃を、一度も与えないまま――最後の一閃が走り抜けた。
「ぐ、ぅ……ッ!」
残心が解けた瞬間、右腕へ強烈な熱が戻ってきた。
筋肉が軋み、関節の内側から骨を砕こうとするような痛みが押し寄せる。僕は膝をつきかけ、左手で石板を掴んだ。
ほんの一秒にも満たない接続。
それでも、二人分の力を同じ右腕へ通した負担は、単純な二倍なんてもんじゃない。
(やっぱり、二人同時はキツい……!)
でも、目の前には、見た目のほとんど変わらない竜息茸が鎮座している。
高熱の胞子は、噴き出していない。黒く変色した箇所もなかった。
震える左手で端をつまみ、そっと持ち上げる。
――ビヨォォォォン。
「おぉ……!」
まるで、アコーディオンみたいに。
あるいは、長い蛇みたいに。
硬いはずの竜息茸が、どこまでも長く、しなやかに伸びていく。
細かな切れ込みの奥では、コアから伸びた紫色の供給路が、まだ途切れずに光っている。
毒化の証である黒ずみはない。鮮やかな赤紫色のままだ。
「第一段階、成功……!」
『ヘッ。ざッとこンなもンよ。腕が鈍ッてンじゃねえか、クソガキ』
『すごーい! キレッキレだったね! アタシ、ちょっと感動しちゃった!』
「二人とも、ありがとう。おかげで助かったよ」
僕は《英傑貸出》を解除し、右腕を押さえながら呼吸を整えた。
「あとは、僕がやる」
ここからが、本当の下処理だ。
蛇腹切りにしたことで、コアからの供給路を残したまま、竜息茸の内部構造を外側へ露出させることができた。
ただし、この状態で完全に切り分ければ、結局は毒化する。口の中で噛み砕いたときも同じだ。
魔力を閉じ込めるだけでは足りない。毒を生み出す仕組みそのものを、先に止めなければならない。
長く伸びた竜息茸を、石板の上へ丁寧に広げる。蛇腹状に開いたことで、あれほど硬かった繊維も、だいぶ柔らかくなっていた。
これなら、僕の魔法が通る。
「生粋魔法・調理――《下拵え》」
残った魔力を練り上げると、僕の両手が青白い光に包まれた。
オーラは手袋のように皮膚を覆い、やがて指先から、極薄のメスとなって伸びていく。
硬すぎるものは切れない。でも、柔らかくなった食材に対しては、無類の切れ味と、特殊な干渉力を持つ。
「いくよ」
狙うのは、繊維じゃない。
蛇腹状に開いた内部を巡る、毒化のための魔力回路だ。
コアとの接続が残っている今なら、毒化を起こさせず、回路だけへ干渉できる。
僕は青白いメスを、竜息茸の内部へ滑り込ませた。
――トトトトトトトトッ!
小気味いい音が、牧場跡地へ響く。
蛇腹状に伸びた身をなぞりながら、毒を生成する魔力回路を一つずつ封じていく。
切り離す前に。
毒化のスイッチを、すべて潰す。
回路を封じ終えた箇所から、赤紫色の光が落ち着き、淡い輝きへ変わっていった。
『……ほう。面白いことを考えたのう』
ガンテツが、感心したように声を漏らす。
『蛇腹切りによって、コアとの接続を保ったまま、毒を生み出す回路を露出させた。その回路を《下拵え》で封じてから、完全に切り離すつもりか』
「その通り」
最後の回路を封じ終え、青白いメスを引き抜く。
「これなら、切り離しても、口の中で噛み砕いても、もう毒化しない」
僕は漆黒の包丁を握り直し、安全化した竜息茸を細かく刻んでいく。
――トトトトトトトトッ!
今度は、純粋なみじん切り。
切り分けられた欠片は、どれも鮮やかな赤紫色を保っている。黒ずまず、腐敗もしない。
ミネルヴァの分析を待つ。
『毒化反応は検出されません。処理成功ですわ』
「よし!」
目の前には、宝石みたいにきらきらと輝く、山盛りの竜息茸。
毒々しく見えていた紫色も、今では食欲をそそる極上のアクセントカラーに思えてくる。
「名付けて――『魔力封じのみじん切り』ってところかな」
『そのままですわね』
「わかりやすいのが一番でしょ?」
安全化した竜息茸の一部は、《食糧保存》へ収めた。
残りは、低温の風を当てながら、じっくりと乾燥させていく。水分が抜けた竜息茸は、赤紫色の結晶みたいに硬くなった。
それを細かく砕き、数種類の乾燥ハーブと岩塩を加える。指先で全体が均等になるよう混ぜ合わせると、ふわりと香りが立ち上がった。
焚き火を思わせる、わずかな熱の匂い。森の奥にある湿った土と、濃縮されたキノコの旨味。
鼻を抜けたあとにも、どこか香ばしい余韻が残る。
僕は、ほんのひとつまみだけ舌へ乗せた。
「……美味しい!」
最初に感じるのは、岩塩の塩気。すぐあとから、竜息茸の濃厚な旨味が追いかけてくる。
飲み込んだあとには、喉の奥へ小さな熱が残った。
「これなら、ジェネラル・バイソンの赤身にも負けない」
特別な風味を持つ、自家製ハーブソルトの完成だ。
《無限保温皿》。
ジェネラル・バイソンの装甲から生まれた、名もなき漆黒の包丁。
《要塞チーズ》。
バイソン・バター。
そして、竜息茸のハーブソルト。
役者は、これで揃った。
「あとは、明日の調理実習に臨むだけだ」
完成したハーブソルトの瓶を、陽の光へかざす。
赤紫色の粒子が、瓶の中できらきらと輝いていた。
明日、この調味料を使って、ジェネラル・バイソンの肉を焼く。
あの漆黒のプレートへ乗せて。
竜息茸の香りをまとわせて。
それから――。
(冷夏さん、どんな顔をするかな)
美味しいものを食べたときの、冷夏さんの顔。いつもの冷たい表情が崩れ、頬を緩ませる瞬間を思い浮かべる。
それだけで、明日が待ち遠しくなった。




