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蹄煮込み、経験を喰らう――牛好きの少年は「死」を食べて強くなる  作者: メイ
第二章:言葉を探す少年

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第71話:月下の空蝉

『オイ、クソガキ。気ィ抜くなよ』


 ジェーンさんがナイフを握り直し、戦闘態勢に入った――そう見えた、その瞬間。


 頭の奥から、ざらつくような声が響いた。

 オーガの声だ。


『あのクソッカス女、まだ余力がありやがンな。見せてねえ何かがある』


(……見せてない何かって何?)


『……オメエ、どこまで覚えてやがる。指を鳴らすこと、接吻されたことは覚えてンのかよ?』


(…………覚えてるよ。あれ、そ、その、口で、さ、されたけど……大丈夫……なんだよね?)


『ア゛? なンだそのシャバい反応。気持ちわりィヤツだな。接吻ごときで動揺しやがッて。心配しなくとも、テメエの身体に何かが残ってることはねえ。どッちかッつーとアレは精神に作用するヤツだな。とっくに弾けとンでッから安心しろ』


 ジェーンさんに何かをされた感覚はある。

 けれど、オーガが今言ってくれたように、自分の身体(からだ)に異変はない。

 そこは信頼してもいいだろう。


 ただ、どんなカタチであれ、あの出来事は適当に流せるものじゃない。

 冷夏さんの色仕掛けとは比べものにならないくらい、思い返せば、最悪の気分になる。

 できるだけ思い出したくはない。


(それで……見せてない何かって、結局何のこと?)


『知らねえよ』


(え……教えてくれないの?)


『ハンッ! オレがこれ以上教えるわけねえだろうが。オレは気分で教えただけだ。あとはテメエの頭で考えやがれ、クソガキ』


 相変わらずの乱暴な物言いだった。

 意外ではない。

 何せオーガだ。優しさは最初から期待できない。だから、期待もしない。


(……ソウデスカ。ホントウニオシエテイタダキアリガトウゴザイマス)


 できるだけ棒読みになるように心がけた。


『ケッ……せいぜい死ぬなよ、クソガキ』


 いつものように吐き捨てて、オーガの気配が奥に消えていった。


 オーガが気まぐれなのはいつものことだ。

 ただ、ここ最近、絡まれることが多い気もする。

 たぶん気のせいなんかじゃない。


 ……今そのことを考えてもどうしようもない。

 そもそも、気まぐれな鬼みたいな存在を読み解こうだなんて、どれだけ暇になっても勘弁したい。


『……まったく、どっちも素直じゃないんだから』


 ジュリアの呆れたような声が届いた。

 どっちも、と言われたことに少し不服だったが、今はそこに気を取られている場合ではない。


 目の前にいるジェーンさんの鋭い気配が、少しずつ濃くなっているからだ。


「――話し合う、という割には、とても緊張しているように見えるが?」


「あなたの殺気のせいだよ、ジェーンさん。そういうジェーンさんも、話すつもりがないっていう割には、こうして声をかけてくれるんだね?」


「なぁに。少しばかり興が乗っただけだ。契約と任務の範囲内であるなら、楽しむぶんには構わない。ただ、それでも私は、できるだけ迅速に終わらせることを最優先にする」


「ならそろそろジェーンさんの正体とか、どんなご飯が好きとか、教えてもらってもいい?」


「重要な情報を渡すことはできない。時間もなるべく無駄にはしない。ただ、干渉を自力で解いたことだけは素直に賞賛する。どうやったかは知らないがな。ちなみにだが……私の大好物はおしるこだ」


「……答えてんじゃん。おしるこ美味しいよね。焼きたての香ばしいお餅があれば、なおさら最高だな」


「ああ、まったく同感だ。だからこそ――殺すには惜しい」


 その瞬間、ジェーンさんの指先が、ひゅっと地面を撫でた。


「――《空蝉うつせみ》」


 地面が――盛り上がった。


 最初は、足元の土がわずかに震えただけだった。

 けれど次の瞬間、波紋のような揺れが月明かりの下を走り、土が内側から押し上げられる。


 ぼこり、と地面が裂けた。


 湿った土が盛り上がり、人の輪郭を作っていく。

 

 足。

 腰。

 胴体。

 肩。

 首。


 土の塊だったものの表面が、さざ波みたいに揺れながら整っていく。

 粗い泥の質感が消え、布地のしわが浮かび、肌の色が乗り、髪の一本一本まで形を得ていく。


 そして、そこに立っていたのは――。


 ジェーンさんだった。


 同じ顔。

 同じ服。

 同じ無表情。


 ふっ、とまた地面がうねった。


 二人目。


 今度は左側の土が跳ねる。

 地面から引き抜かれるように、もう一人のジェーンさんが立ち上がった。


 三人目。


 背後に近い場所で、土が渦を巻くように盛り上がる。

 そこから、ナイフを持ったジェーンさんがぬるりと現れる。


 四人目。


 月光を浴びた地面が波打ち、土の腕が伸び、身体が生え、顔が形作られていく。


 それだけでは終わらない。


 五人目。

 六人目。

 七人目。


 土の中から、ジェーンさんが次々と立ち上がっていく。

 地面がうねるたびに、同じ顔が増えていく。

 同じ無表情が、音もなく僕を見据えていく。


「あはは、さすがに多勢に無勢すぎるって……」


 気づけば、僕の前には――。


 十人のジェーンさんが、半円を描くように立っていた。


(話し合いたいって言ったけど、さすがに僕はショウトクタイシじゃないぞ。一気に別のこと話されるのは無理がある。そもそもショウトクタイシが誰かよく知らないけど)


『……ホノちゃん、ときおりふざけてるのか真面目なのかわかんない発言するよね?』


(僕はいつだって真面目なのに、そう思われてるのは心外だなぁ)


 ジュリアのツッコミを軽く流して、僕は目の前の状況に集中する。


 全員が、同じ角度でナイフを握っている。

 全員が、同じ目で僕を見ている。

 全員が、本物みたいだった。


『土人形……いえ、これは』


 ミネルヴァの声が、緊張と興味を帯びる。


『術式の型が、見たことのないものですわね』


(……ミネルヴァも見たことないって相当じゃない?)


 ミネルヴァの声が、少しだけ慎重になった。


『ええ。あの女、闇属性ですが――ただ闇属性というだけではありません。回路に……古い傷のようなものが走っていますわ。あの練度は、その傷を抱えたまま鍛え抜いた者のもの――』


(傷……?)


『嫌な予感がしますわ。あの女、まだ何かを“使う前提”で動いている』


(それってオーガが言ってたヤツと同じ?)


『オーガ風に言うなら、「知らねえ」ですわね』


(……うん? そこはオーガ風じゃなくて普通に答えてもらえると嬉しいんだけど?)


 とりあえず、引き続き警戒は強めておいて損はなさそうだ。


 なにせ、目の前には月光に晒されている十人のジェーンさんがいる。


 どれが本物か、わからない。


 しかし人形なら――汚れ方が違うはずだ。


 さっきの戦いでついた返り血。

 靴底の泥。

 月光の照り返し。


 僕は、目を凝らした。


 ……同じ。

 全部、同じだ。

 暗くて見えづらい部分もあるが、見て確認できる部分は全部同じ。


 血の飛び方も、泥のつき方も、つやの濃淡も――寸分違わず、同じ。

 一流の飴細工職人でも、ここまでまったく同じものは作ることなんてできやしない。


(……厄介だな。ジェーンさん一人相手でも面倒なのに、十人も相手しないといけないだなんて……)


 心の中で毒づくと、十人のうちの一人が、口を開いた。


「見分けようとしても無駄だ。多くの人間がそれを試みるが、失敗に終わる。本体の見た目と質感は、常に分身と同調(リンク)する。最初から見分けることはできない。意味はない。諦めろ」


「なるほどね。でも今喋ってるジェーンさんが本物なんじゃないの?」


「……そう思うなら試してみるといい」


 腰の包丁を抜く。

 Eランクの、魔煌玉なしの、ただの肉切り包丁。

 僕の立派で心強い相棒。


 構造を読むなら、これで十分。

 僕は腰に提げたランプのつまみを回して、光量を最大にした。


 ジェーンさんたちの姿がはっきりと見えた。

 そして静かに唱える。


「――《解体(ブッチャー)》」

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