第65話:行きはよいよい、帰りはこわい
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪」
――パン、パパパン!
手拍子がリズミカルになるたびに、地面の影が濃くなる。
その影から、三メートルほどの影鬼が再び顕現した。
一体だけではない。
影鬼が、次々と影からにゅっと立ち上がっていく。
二体。
三体。
冷夏はその光景を見て、目を細めた。
(やっぱり増やせるのね……でも、一体ごとの密度は落ちていないみたい……)
黒紫の魔力が、影鬼一体一体の中に濃く詰まっている。
薄まっていない。
分散していない。
数を増やしてなお、最初の一体と同じだけの密度がある。
(魔力量の暴力で圧をかけるつもりね……まったく、なんてことかしら……)
だが、その瞬間、冷夏の唇がわずかに動いた。
(――ここまで期待通りの動きをしてくれるなんて)
メロウにとって、キャンディーは安くて使いやすい。
魔力を飴の形に固め、影に落として放つだけなら、消費は軽い。
一発限りの弾としては、十分に効率がいい。
けれど、《鬼遊び》は違う。
影に魔力を通し、形を与え、質量を持たせる。
そのたびに、メロウの身体から黒紫の魔力がごっそり影へ流れ込んでいる。
その量も、速度も、減り方も。
冷夏の目には、はっきり見えていた。
(……極度の燃費の悪さ)
メロウの魔力量は、確かにバケモノだ。
普通なら、使い切らせるなど現実的ではない。
けれど、影鬼なら話は別だった。
平均的な魔力量の持ち主なら、三回ほど顕現させるのが限界。
それほどの魔力を、影鬼は一体ごとに食っている。
(これなら、いくら魔力量が多くても、連発させれば尽きるはず)
散開して様子を見ていた複数の影鬼が、冷夏へ同時に襲いかかった。
ストレート。
薙ぎ払い。
振り下ろし。
四本腕の攻撃が、複数方向から迫る。
冷夏は決して倒しにいかない。
ただ、避ける。
攻撃範囲が重なる場所。
逆に、わずかに重ならない場所。
冷夏はその隙間を見つけ、最小限の動きで抜けた。
ただし、それは余裕があるからではない。
影鬼の一撃は、重く速い。
風圧だけで身体を吹き飛ばすほどの質量がある。
もし一発でもまともに食らえば、骨が砕け、内臓が潰れるのは想像に難くない。
その場で動けなくなってもおかしくない。
(受ける選択肢はない。防ぐのも悪手。なら、徹底して避け続ければいいのよ)
髪が風圧で揺れる。
頬のすぐ横を、巨大な拳が通り過ぎる。
足元の地面が砕ける。
それでも、冷夏に直撃することはなかった。
「な、なんであたらないのぉ!?」
「なぜかしらね」
冷夏は、影鬼の魔力密度が高すぎることに、むしろ利を見ていた。
(濃すぎるおかげで、攻撃する直前に、その方向へ魔力がわずかに流れるのがわかる。メロウはそのことに気づいていないようだけど)
「なら、避けれないように同時に攻撃させるもんっ!」
メロウがそう言った直後、三体の影鬼が同時に影へ溶けた。
冷夏は動かない。
次の攻撃に備えるため、その場で《雷槍》をチャージしながら、魔力の流れを追うことだけに集中する。
「きゃはは! 警戒して動かないと思ったよぉ!」
メロウは、冷夏の手に集まる雷を見ていた。
当然、《雷槍》に気づいている。
だが、それでよかった。
一撃で破壊できる影鬼は、一体まで。
三体同時なら、たとえ一体を撃ち抜かれても、残り二体で潰せる。
そう判断しているのが、メロウの笑みから透けて見えた。
次の瞬間、冷夏を囲うように三体の影鬼が現れる。
一体は冷夏の背後。
二体は冷夏の左右。
出現と同時に、三体の攻撃が放たれた。
背後の影鬼は、両腕を組んで振り下ろす。
左右の影鬼は、冷夏の頭部を挟み潰すように、巨大なストレートを放つ。
その瞬間、冷夏はしゃがんだ。
振り返ることもなく、右手を自分の脇下へ滑り込ませる。
すでに溜めていた雷が、青白く弾けた。
「――《雷槍》」
雷槍が、冷夏の脇下から背後へ向かって放たれる。
後ろにいた影鬼の胴体を、一直線に撃ち抜いた。
背後の影鬼が崩れる。
同時に、左右の影鬼の拳が冷夏の頭上を通過した。
そこに、標的はいない。
冷夏が消えたことで、二つの巨大な拳はそのまま互いの影鬼へ向かい――。
――ドゴォン!!
交差するように激突した。
左右の影鬼が、互いの一撃で大きく体勢を崩す。
そこへ、背後で崩れた影鬼の魔力が流れ込み、三体分の影がぐしゃりと絡まった。
まるで糸の切れた人形のように、三体の影鬼がその場に倒れ込む。
立っていたのは、冷夏だけだった。
「そんなのありぃ~~!? あとちょっと! あとちょっとだったのにぃ!」
メロウがイラつきを隠さずに叫ぶ。
冷夏は静かに返した。
「ええ。惜しかったわね」
「むぅ~~! 次は当てるもん!」
メロウはさらに手を振る。
影鬼たちが再び動き出す。
冷夏は、避けながら魔力の流れを見ていた。
(ええ。もっと出しなさい。出せば出すほど、あなたは削れていく)
その時、冷夏は再び右手を掲げた。
指先に、雷が集まる。
メロウが、ぱっと反応する。
「それ、またビリビリのやつでしょぉ?」
《雷槍》はすでに四度見せている。
一度目は、メロウのスカートを貫通させた。
二度目は、大木を撃ち抜いた。
三度目は、空中から影鬼の頭部を撃ち抜いた。
四度目は、影鬼を振り返りもせずに直撃させた。
メロウは、その威力も、溜めの一瞬も、覚えていた。
「――雷槍」
冷夏が放つ。
その直前、メロウが歌った。
「とぉりゃんせ、とぉりゃんせ♪」
冷夏とメロウの間に、影の壁が立ち上がる。
一枚ではない。
三枚。
それに向かって《雷槍》が奔る。
――ビビュン!
雷槍が一枚目を貫く。
続けて、二枚目を砕く。
だが、三枚目で止まった。
三枚目の壁には大きな亀裂が走るものの《雷槍》は、そこで砕け散った。
「きゃはっ! あぶなぁい! 三枚にして正解だったぁ☆」
メロウは嬉しそうに笑う。
冷夏は目を細めた。
「……四回見て、威力まで読んだのね」
「ばぁか! 見せ過ぎだよぉ! 一枚じゃ無理でも、いっぱいなら止まるでしょぉ?」
「単純だけど、正解ね」
「えへへへへ、メロウすごいでしょぉ? 先生もほめてくれるもん!」
メロウは得意げに胸を張った。
だが、冷夏が見ているものは別だった。
影の壁の中を流れる、黒紫の魔力。
(形が違うだけね。鬼と本質は同じ。影に魔力を流し、質量を与えている)
つまり、影鬼と同じ。
強い。固い。だが、重い。
(三枚なら、消費も相当大きいはず)
メロウは、《雷槍》を防いだことに喜んでいる。
だが冷夏にとっては、それもまた、魔力を使わせた結果だった。
「とぉりゃんせ、とぉりゃんせ♪」
メロウはさらに歌う。
今度は、影の壁が地面から生えた。
最初は右。
冷夏が左へ抜けようとすると、そこにも壁が立つ。
後ろへ下がれば、背後にも黒い壁がせり上がる。
壁は冷夏を押し潰すためではない。
閉じ込めるためでもない。
逃げ道だけを、ひとつずつ潰していく。
冷夏は、影鬼の拳をかわしながら走る。
右へ。
左へ。
斜め後ろへ。
けれど、動くたびに影の壁が現れ、選べる道が減っていく。
(……誘導されてる?)
気づいた時には、冷夏の前には細い道だけが残っていた。
一本道。
その奥に、影鬼が立っている。
四本の腕をだらりと垂らし、にへら、と笑う影鬼。
後ろへ戻る道は、壁で狭められている。
横は塞がれている。
前には影鬼。
(なるほど。私を袋小路に追い詰めたってわけね……)
メロウが嬉しそうに歌う。
「行きはよいよい♪」
一本道の奥で、影鬼が身を低くした。
突進の構え。
「帰りはこわいぃ~~♪」
メロウが言い切った瞬間だった。
冷夏は、真上に走った小さな魔力反応を捉える。
見上げると、頭上には無数のキャンディーが舞っていた。
(当然、上は塞ぐわよね……)
虹色の飴玉が月光に照らされながら、ぱらぱらと雨のように落ちてくる。
その時、道の奥から、影鬼がこちらに突っ込んできた。
上にはキャンディー。
横には壁。
後ろへ戻れば、狭められた道で捕まる。
何もしなければ、詰む。
もちろん冷夏に、逃げる選択肢などない。
そんなものは誓ったときから、とっくに用意していない。
代わりに右手へ、雷を走らせた。
――バチッ。
青白い光が、指先で弾ける。
それはいつもの《雷槍》の起こりに見えた。
そして冷夏はいつも通りに素早く構え、声に出して唱える。
「《雷槍》」
唱えると同時に、影鬼の輪郭がぐにゃりと崩れた。
《雷槍》が当たったわけではない。『雷槍』はまだ、指先にある。前に《雷槍》を避けた時と同じように影鬼が影へ溶けて、雷槍をやり過ごそうとしているのだと冷夏は判断した。
(……やっぱり)
その瞬間、実体が視界から消え、一本道の奥が空いた。
頭上の飴は、鋭利なナイフとなって、今まさに冷夏に降り注ごうとしている。
冷夏は影鬼が影へ溶けた一瞬を、全力で駆け抜けた。
頭上から降った無数のナイフ状のキャンディーが、冷夏のいた場所で地面に刺さり、影へ弾けた。
間一髪。
飴による攻撃を回避した。
――雷は、撃たなかった。
指先に走った小さな雷は、《雷槍》ではない。
そう見せかけただけの、フェイント。
冷夏はそのまま黒い影の中を突っ切り、一本道を抜けると、振り返らずに言った。
「たしかに帰りはこわくて……影鬼たちがせっせと帰っていったわね」
「むきぃ~~~っ!」
メロウが地団駄を踏む。
「ずるいずるいずるい! 撃つふりするの、ずるいよぉ!」
「あなたも散々、騙し討ちしているでしょう」
「メロウのは遊びだもん!」
「なら、私も遊んだだけよ」
「むぅぅぅ~~~~っ!」
メロウは悔しそうに頬を膨らませる。
「じゃあ、次はどうかな!?」
しかし、その目はまだ輝いていた。
「かごめ、かごめ♪」
またもや童歌が始まる。




