第64話:鬼遊び
冷夏は現状を見て、短く息を吐いた。
琥珀色の瞳で改めて影鬼を見据えた。
目の前の影鬼は、先ほどまでのキャンディーとはまるで違う。
(圧縮されたかのようなおぞましい魔力量。密度が異常に濃いわ……)
キャンディーは、魔力を練って飴という形に固めた、一発限りの使い捨てだった。
影に落とし込み、攻撃として放てば、形を保っていた魔力はほどけて消える。
本当に単純な、与えられた動きしかしない。
花火のように散っては、なくなっていく。
魔力密度も薄い。
だが、影鬼は違う。
影そのものに、濃い魔力を圧縮するように通し、形を与えている。
持続する。その上で、自在に動く。
まるで考えるように振る舞っている。
しかし冷夏は、その可能性を観察と推測で切り捨てた。
(……影鬼の動きを、メロウは把握していた。その上で、コントロールしているようにも見えた。つまり、あれを動かしているのはメロウ。元々の影鬼に与えられた動きは、きっと単純なもの)
なら、そこは問題ではない。
単純な攻撃なら避けやすい。
複雑な動きに関しては、メロウの考えを読み切ればいい。
それよりも重要なのは――。
――質量があるということ。
冷夏が知る限り、闇属性における影魔法は質量を持たない。
影魔法は、現実における現象の特性そのものを再現すると聞いたことがある。
実際、冷夏が今まで目にしてきた影魔法も、その例に漏れなかった。
たとえば鋭利な刃物を影魔法で作るなら、その鋭利さだけを再現する。
たとえば頑丈な盾を影魔法で作るなら、その固さだけを再現する。
つまり、影魔法には物理的な重さがない。
それが影魔法におけるメリットであり、同時にデメリットにもなりえる。
これは冷夏だけでなく、魔法を習う者なら誰でも知っている常識だった。
しかし、間違いなく影鬼は地面を砕いた。
拳を振るっただけで、土を抉り、冷夏の身体を風圧だけで吹き飛ばした。
つまりそれは、影鬼自体が物理的な質量を持っている証拠だった。
冷夏がまだ確認できていないのは、なぜ質量を持っているのかということ。
(限界まで練り込まれた魔力密度が、ただの影に質量を与えているのかしら……それとも、『質量』という特性そのものを獲得しているのかしら?)
だが、理由そのものは今、さして重要ではない。
真実がどちらであれ、冷夏が見るべき一点は変わらない。
(……重要なのは、質量があるという事実。質量があるなら、それはそれで好都合。実体があるなら、攻撃は通るはずだから)
冷夏は、静かに影鬼の奥を見た。
その背後に立つ、大木までを一直線に捉える。
(試してみる価値はあるわね)
冷夏は右手を掲げた。
指先に、雷が集まる。
青白い光が凝縮し、槍の形を取る。
その完成まで、ほんの一瞬。
戦闘中でなければ見落とすほどの、一秒にも満たない溜め。
だが。
そのとき、メロウは冷夏を見ていた。
「――雷槍」
冷夏の手から、雷槍が放たれる。
一直線に、影鬼を貫く軌道。
その瞬間、メロウが無邪気に笑った。
「きゃはっ」
影鬼の輪郭が、ぐにゃりと崩れる。
巨体が黒い影へと溶け込み、雷槍は影鬼を貫くことなく、その奥へ抜けた。
直後。
――ズガァンッ!!
グニルが大木の幹に直撃した。
雷が内部で弾け、焦げた木片が四方に飛び散る。
幹には大きな穴と、深い亀裂が走った。
だが、大木はミシリと小さな音を立てるだけで、まだ倒れない。
「きゃは、ざんねぇんでしたぁ☆」
メロウは勝ち誇ったように、指を振った。
「ちっちっち。わかってるよぉ。お姫さまがビリビリ撃つためには、溜めの時間が必要なんでしょぉ~~?」
冷夏は目を細める。
「……わかっていたのね」
「ばぁか! ばれちゃって悔しい!? ねえねえ、どんな気持ちぃ!? メロウを甘く見て、攻撃を外すからだよぉ!」
「はいはい、悔しいわ」
冷夏は、まるで悔しがらなかった。
「むぅ! 言ってることと、顔が一致してなぁい!」
「そんなことないわよ……感心したわ、メロウ」
冷夏は薄く笑ったあと、静かにメロウを見る。
「……やるじゃない」
「えへへ、褒められちゃったぁ」
メロウは頬をゆるませ、嬉しそうに笑った。
「やっぱりお姫さまは、ペンダントにして正解かもぉ」
「もうアクセサリーを手に入れたつもり? 気が早いわね」
「むうぅ。そうやって調子にのれるのも今のうち……」
メロウの唇が、にぃっと歪む。
「そぉいえば、お姫さまはジャンプするのが好きなんでしょう~~?」
その言葉に、冷夏の警戒が一段上がる。
直後、周囲の地面で小さな魔力反応が弾けた。
冷夏にとっても、もうなじみのあるキャンディー。
会話の間に、メロウはひっそりと冷夏の周囲へばら撒いていたのだ。
(……来たわね)
地面に転がった飴が、影へ変わる。
前後左右から、黒い棘が伸びた。
横へ逃げるには遅い。
後ろも塞がれている。
前にも影が走っている。
残る逃げ道は、上。
冷夏は真上へ跳んだ。
その瞬間、メロウの顔がぱぁっと明るくなる。
「ほぉら、ジャンプするのがやっぱり好きじゃん~!」
嬉しそうに両手を広げる。
「ありがとう、お姫さま。信じてたよぉ」
冷夏の真下の影が、ぐにゃりと膨れ上がった。
影鬼が現れる。
冷夏は空中。
逃げ場なし。
真下から、四本の腕が冷夏を狙う。
そのままでは絶体絶命。
「しまった……! 私をわざと飛ばせたのね!?」
冷夏が目を見開く。
メロウは、楽しそうに笑った。
「えへへ」
だが、冷夏の声はそこで変わった。
「……とでも言うと思ったかしら?」
落ちていく冷夏の右手には、すでに雷が集まっていた。
跳んだ瞬間から。
いや、跳ぶと決めた瞬間から、冷夏は次のグニルを溜めていた。
メロウが自分を上へ逃がすこと。
真下から影鬼を出してくること。
そのどちらも、可能性として読んでいた。
冷夏にとって、空中は逃げ場ではない。
真下の影鬼を撃ち抜くための、射線だった。
「――雷槍」
上から、雷槍が落ちる。
影鬼の頭部へ、一直線に突き刺さった。
――バヂィッ!!
黒い頭部が弾け、濃密な魔力が散る。
影鬼の輪郭がぐらりと崩れた。
メロウの目が丸くなる。
「やられちゃった……!」
冷夏は空中で体勢を立て直し、地面へ着地する。
だが、メロウの顔はすぐに歪な笑みになった。
「……とでも言うと思ったぁ?」
冷夏の背後の影が、ぞわりと膨れる。
消えたはずの影鬼が、再び現れた。
「ざぁんねん! メロウの影鬼ちゃんは、死んでもすぐ復活するんだよぉ!」
影鬼が四本の腕を振り上げる。
冷夏は着地直後。
グニルを撃ったばかり。
次の溜めには、一瞬が必要。
影鬼の拳が、冷夏へ振り下ろされようとした。
その直前。
――ミシリ。
小さな音が、夜に混じった。
メロウの表情が止まる。
さきほどグニルが直撃した大木。
幹の内側に深い亀裂を走らされていたそれが、限界を迎えていた。
――メリメリメリッ。
太い幹が裂ける。
大木が、傾いた。
「え?」
メロウが間の抜けた声を漏らす。
次の瞬間、大木が勢いよく倒れ込む。
冷夏の背後に立っていた影鬼めがけて。
影鬼はその異常事態に気づかないまま――
――ドゴォン!!
その巨体が、大木に押し潰された。
土煙が舞い、木片が弾ける。
黒い魔力が、倒木の下でじゅわりと滲むように崩れた。
メロウは、ぽかんと口を開けた。
それから、顔をくしゃりと歪ませる。
「なんで!?」
小さな手が、ぎゅっと握られる。
「なんでなんでなんで……!? なんでなのっ!?」
メロウは地団駄を踏むように、その場で跳ねた。
「影鬼ちゃん、ちゃんと復活したのに! お姫さまの後ろに出たのに! ちゃんと潰せるはずだったのにぃ! お姫さま、最初からわかってたの!?」
冷夏は、ようやく振り返る。
倒木の下で崩れていく影鬼を見下ろし、淡々と言った。
「ふがいない結果ね」
「むぅぅぅ~~~~っ!」
メロウの頬が、ぷくっと膨らむ。
「私にとっては、どちらでもよかったのよ。最初の雷槍が当たろうと、外れようと」
「どういうこと!?」
メロウは声を大きくしたまま、首を傾げた。
「当たれば、影鬼に雷が通るか確かめられた。避けてくれたなら、あなたがこの結果を引き寄せる。それだけよ」
「――さいしょから、わかってたってこと!?」
「当然じゃない」
冷夏は、静かに言った。
「だから外したんじゃないわ。外れてもいい場所に撃っただけよ」
冷夏は続ける。
「二回も私に出し抜かれたってわけ。そんなんじゃ、先生に怒られちゃうわね」
その一言で、メロウの頬は膨れたまま、表情だけが少し寂しそうに沈んだ。
「むぅ……怒られないもん」
声も、少し低くなる。
「メロウ、ちゃんとできるもん。先生に、ほめてもらうんだもん」
メロウは一度、首を横に振った。
そして、そのまま両手をゆっくりと自分の目の前まで持ち上げる。
「――お姫さまが悪いんだからね」
メロウの目が、月光に照らされてぎらりと光る。
小さな手が、ぱん、と鳴った。




