第63話:メロウの友達
「半殺し? なにそれ。生きてるか死んでるか、わからないんだけどぉ?」
「――場合によっては、死んだ方がマシな生きてる状態のことよ」
「ふーん、メロウはわかりづらいのキライ! 半分殺すぐらいなら、全殺しのほうがわかりやすいよぉ!」
「死ぬのも、壊すのも怖くないのかしら?」
「ん~~、怖いかどうかはあまりわからないけど、メロウが思うのはね――」
メロウは首を傾げて、頬に指を当てた。
「――気づかないぐらい、いきなり死ねたら、寂しくはないよ……ってことかな」
そう言って、メロウは寂しそうな表情を浮かべた。
まさしく発言そのままの、わかりやすい顔だと冷夏は思った。
その瞬間、冷夏を襲ったのは、強烈な違和感――ほとんど直感に近い警鐘だった。
四方八方から、不吉な気配がする。
冷夏はくるりと、三百六十度を見回した。
(……数が多いのはあそこ。少ないのはあそこ。散らばり方は、楕円に近い。なら、ルートはこれが最適かしらね……)
先ほどばら撒かれた、カラフルな飴の位置を確認する。
確認を終えた瞬間、冷夏は走り出した。
それとほぼ同時に、地面に転がっていた飴が一斉に闇へ溶け、影となり、ぐにゃりと這い始める。
いや――這う、という言葉では足りない。
飴の一粒一粒が、それぞれ独立した生き物のように長い影の触手を伸ばし、四方から冷夏へ襲いかかってきた。
「えええ~~っ!? なんでわかっちゃうの!? お姫さま、せっかくサクッと死ねるチャンスだったのにぃ~~!?」
メロウの驚愕する声が聞こえたが、構っている暇はない。
メロウの動きを意識の端に置きながら、冷夏は目の前の蛇のような影に集中した。
数は――十数本。
全方位から、ほぼ同時。
冷夏めがけて、影の棘が殺到する。
「だめだめ~~っ! メロメロになってよ~~~っ!」
(同時に来るなら、むしろわかりやすいわね。好都合よ)
冷夏の対処法は、おそろしくシンプルだった。
――回避する。
ただ、それだけ。
そのための情報は、すでに手元にある。
散らばった飴の位置を確認し、攻撃範囲を大まかに絞る。
最初に仕掛けられた二回の攻撃で、冷夏にはすでに、飴の射程がおおよそ掴めていた。
(無限に伸びるわけじゃない。投げたり、近くに落としたりしている時点で、射程に限界があると認めているようなものよ)
飴が影になって伸びる最大射程は、およそ三メートル。
だから冷夏は、近くにある飴から順番に、なぞるように射程の外側を走った。
(それに、キャンディーが弾けて影になれるのは、おそらく一回だけ。複雑な操作もできないはず……!)
冷夏の瞳に、闇属性の魔力の流線が浮かぶ。
生まれつき備わった、特別な目。
視える、というだけの単純な恩恵。
本来想定されていた用途は、別にある。
でも今夜は、それが何よりの武器だった。
影の中に潜む、黒紫の闇の魔力のカタチを見る。
見えている。
全部、見えている。
全力で走りながらも、冷夏は次の影の動きを見逃さない。
近づいてくる黒紫の影を見て、身体を捻り、上半身を逸らし、左足を引き、右足を出す。
隙間を縫うように。
寸分の余裕で。
一本ずつ、回避していく。
なるべく射程のぎりぎりで攻撃を引き出す。
鋭利に伸びた影の棘たちは、冷夏に届きそうで、寸前のところで止まった。
数本は、射程の内側まで届く。
それでも、回避する。
ぎりぎり。
でも、確実に。
冷夏は、頭の中で描いた楕円状のルートを走り切った。
影の棘たちが唸るように地面だけを抉ったあと、冷夏の周囲で――ふっ、と魔力の残滓が消えた。
飴は影となり、影は闇になり、完全に消失していく。
冷夏の目は、それを最後まで見届けた。
「あれぇ……? あれあれあれぇ~~……? これも避けるのぉ? お姫さま、ほんとにずるい……! その目で見えてるじゃん! ずるいずるいずるい! キャンディーが全部ぱぁになっちゃったじゃん!」
その言葉に、冷夏は鼻で笑った。
「生まれた時からあるものを使って、何が悪いのよ」
「ずるはずるじゃ~ん!」
「ふふ、子どもみたいなこと言うのね」
「メロウは子どもだもん!」
「あら、自覚はあるのね。さっきまでは『もう子どもじゃないもん!』とか言ってたくせに」
「むぅ~~! お姫さまのいぢわる~~!」
メロウの声に、わずかな苛立ちが混じる。
「いいわよ。メロウもキャンディーを使わないなら、私もフェアにこの目を使わずにいくわよ?」
「え、ほんと……? それなら……ん? あれ?」
そこで一瞬、メロウは納得しかけた。
だが、すぐに気づく。
「それじゃあ戦うことできないじゃん!」
冷夏も、さすがに騙せるとは思っていなかった。
むしろこれは、話しやすくするための布石だった。
今まで立てていた仮説。
そして先ほど検証した結果。
おそらく自分の考えは、おおよそ当たっている。
(魔力を練り、キャンディーという形に固める。それを影に落とし込み、攻撃の起点にする。一度影として放てば、キャンディーを構成していた魔力はほどける。つまり、あれは一発限りの使い捨て)
つまり、メロウのキャンディーは弓矢のような飛び道具に近い。
ばら撒いた瞬間に「装填」され、影として操作する瞬間に「発射」される。
弱点は、射程が短いこと。
範囲外にいれば、そもそも届かない。
そして、外せば次の矢を構える必要がある。
攻撃に転じるまで、準備の時間が必要になる。
ただし、弓矢と最も違うのは、撃てる数だった。
メロウは、魔力でキャンディーを生成している。
だからキャンディー攻撃が止まるのは、メロウの魔力が尽きたとき。
ただ、簡単には尽きそうもない。
メロウの魔力の揺らぎを見ればわかる。
あれだけキャンディーをばら撒いておいて、消費したのはおそらく一割程度。
正真正銘の、バケモノクラスの魔力量だ。
ただ、それだけといえば、それだけの問題でもある。
冷夏は、そこまで考えて、すうっと息を整えた。
どうしても、先に確認しないといけないことがある。
「メロウ」
冷夏は、相手の名を呼んだ。
「ひとつ聞かせて」
「えー、なぁに~?」
メロウは、首を傾げる。
「――瑠衣って、聞いたことあるかしら?」
メロウは、ぱちりと瞬きをした。
それから二秒ほど固まって、無邪気に首を振る。
「るい? だぁれ、それ。メロウ、そんな人しらないよ?」
冷夏の唇が、ゆっくりと弧を描いた。
「……おかしいわね。私は『瑠衣』を知ってるか聞いただけで、人とは言ってないわよ」
メロウの表情が、固まった。
「ベタな手に引っかかるなんて、おこちゃまね」
「……ッ!」
メロウの頬が、ぷくっと膨らむ。
「ほ、ほんとうにしらないもんっ! なんか響きが、なんとなく人っておもっただけだもんっ! ほんとうだもんっ!」
ぴょんぴょんと地団駄を踏むその仕草は、完全に十歳の子どものそれだった。
仕事として人を殺すことはできても――嘘を見破られた悔しさだけは、年齢相応に出てしまう。
冷夏は、心の中で軽く整理した。
(この子は、瑠衣のことを本当に知らないのかもしれない。知っていたとしても、どこまで知っているかは見えない。……まあ、今すぐ判別するのは難しいわね)
言ってしまった以上、それが嘘か本当かを正確に見抜くのは、意外と難しい。
でも、気になることはある。
(この子は「先生」と「パパ」を口にした。少なくとも――この子のいる場所より上に、「何か」がある。瑠衣がそこにつながっていると、私の直感が言ってる)
今夜は、想定外の収穫があったのかもしれない。
あとで、整理する価値はある。
「もう質問おわり!? メロウ、もうおこったよ……!」
「――もう一個だけ、いいかしら」
「何? 今さらおまえが何いうのっ!?」
「私が『殺さないで』と命乞いしたら、どうする?」
「――きゃはははは! 許すわけないじゃ~~~んっ! 今さらメロウにここまでいぢわるしてるんだから。とっとと死ねよ、ばーかっ!」
「……そう。今までも、そうやって必死に命乞いした人たちを……踏みにじって来たのね」
「踏みにじるってなに!? 悪いのはおまえらだもんっ! メロウにおとなしくメロメロに溶かされていればいいの! 死ね! メロウに黙って愛されてよっ!」
「……わかったわ」
冷夏の声から、温度が消えた。
「しっかり『半殺し』にするわね」
「できないこと言わないでっ! メロウがドロドロのメロメロにするんだから!」
――パン、パン、パパパパン。
――パパパパ、パパン。
メロウが、手拍子するようにリズミカルに手を叩く。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪」
「――またそれ? ふざけてるのかしら?」
冷夏は眉すら動かさず、メロウに問う。
メロウは、きゃははと笑った。
それから今度は、冷夏の目を羨ましそうに見つめる。
「……お姫さまの目は、魔力の流れを見てるんでしょ……便利だし、キレイな色してるよね……」
メロウの唇が、にぃ、と歪む。
「メロウ、その目が気に入っちゃった」
瞬間。
波紋のように、メロウの足元から魔力が広がった。
それは地面の影を伝い、冷夏の足元へと向かってくる。
(キャンディーじゃない……?)
冷夏は、すぐに違和感を捉えた。
メロウはキャンディーをばら撒いていない。
なら、これは先ほどまでの一発限りの攻撃ではない。
「キャンディーだけだと思ったぁ?」
メロウが、無邪気に笑う。
「メロウはねぇ、影と遊ぶのも得意なんだよ?」
影から、魔力そのものが立ち上がる。
それは突如として、冷夏の前に現れた。
三メートルほどの巨躯。
四本の腕。
筋骨隆々の肉体。
影から生じたためか、その全身は黒く塗り潰されている。
そして、悍ましい形相。
冷夏は、それを直感した。
これは、ただの影ではない。
そこには、目に見えるほど――いや、冷夏の身体に圧がかかるほど――濃密な魔力が圧縮され、黒い肉体を構成していた。
(ただの影じゃない。質量を持っているわね……)
この世界に、“鬼”という魔獣はいない。
少なくとも、冷夏の知る限りでは。
それでも冷夏は、目の前の異形を「鬼」だと認識した。
物語や絵画、絵本の中に描かれてきた、あの怪物そのものだったからだ。
「鬼……!?」
冷夏がそう認識した瞬間、『鬼』は四本ある腕のうち、二本を高く掲げた。
太い両腕で拳を作り、それを力任せに組み合わせる。
そして、そのまま冷夏めがけて、勢いよく振り下ろした。
冷夏は、大きく後ろに跳ぶ。
「――きゃは!」
メロウが、嬉しそうに笑った。
「お姫さまのこと信じてたよ! ジャンプして避けてくれると思ったんだぁ!」
『鬼』が、にへら、と笑う。
拳を振り下ろした姿勢のまま、残る二本の腕が肘を引いた。
空中。
回避直後。
身動きが取りにくい一瞬。
そこを狙って、影でできた鬼は、冷夏の高さに合わせるように真横から拳を叩き込んだ。
空を裂くような一撃。
このままでは、致命傷になる。
だが、冷夏は諦めなかった。
すぐさま右手を地面へかざす。
その親指にはめられた指輪が、淡く光った。
「――衝撃突風」
指輪に刻まれた術式が起動し、冷夏の手から地面に向かって突風が生じる。
その風圧で、冷夏の身体が一瞬だけ上へ浮いた。
――ブゥン!
影の鬼は、渾身のフックを空振った。
衝撃突風。
それは、冷夏自身の魔法ではない。
冷夏の属性は雷。
風ではない。
これは、父親が遺した魔道具だ。
指輪に魔力を流し込めば、刻まれた術式が起動し、短い突風を生み出す。
人間相手なら、十分に脅威となる威力はある。
けれど、影に魔力を圧縮して作られたこの鬼を打ち崩すには、相性が悪い。
そもそも、防御魔法でもない。
けれど、ほんの一瞬、自分の身体の軌道をずらすことはできる。
生死を分ける隙間を作るには、それで十分だった。
(……パパ、ありがとう)
冷夏は空中で体勢を立て直しながら、地面へ着地する。
「やるじゃ~~ん! でもぉ、一回避けただけでしょ?」
メロウは、悪戯を楽しむように笑っている。
気づけば、影鬼の姿は消えていた。
おそらく、影に溶けたのだろう。
キャンディーは、使い捨ての弾。
けれど、これは違う。
影そのものに魔力を通し、形を与えている。
持続する。
動く。
そして、質量がある。
(考えなしに近づけば、潰されるわね)
冷夏は、とっさに影鬼の位置にアタリをつける。
(あの口ぶり……攻撃を死角から仕掛けるつもりね)
見えていなくても、考えればわかる。
今のメロウなら、冷夏が視認できない位置を選ぶ。
そして、空中から着地したばかりの相手に仕掛けるなら――。
(後ろ!)
そう結論づけた瞬間、背中に嫌な圧が走った。
冷夏は、前へ素早くステップを踏む。
――ドゴォン!!
背後で、地面が爆ぜた。
振り返ると、そこには振り抜かれた鬼の大きな拳が、地面を深く穿っていた。
「見てないのに、なんでわかったのぉ!? ずるいよぉ!」
苛立つメロウの声が響く。
だが、冷夏は集中の糸を切らさない。
目の前の鬼が、振り抜いた拳を引き上げる。
そのまま四本の腕を同時に引き、まっすぐ構えた。
(四本同時のストレート……!)
予備動作を見た瞬間、冷夏は攻撃を予測した。
すぐさまバックステップで距離を取る。
直後。
――ブォン!
冷夏の眼前に、壁が現れた。
いや、正確には壁ではない。
四本同時に放たれたストレート。
四つの巨大な拳が、隙間なく並び、まるで一枚の壁のように迫っていた。
拳は、冷夏の鼻先ぎりぎりを掠めていく。
間一髪。
回避に成功した。
そう、冷夏が安堵しかけた次の瞬間だった。
――ブォッ!
凄まじい風圧が、冷夏の身体を叩いた。
「っ……!」
拳は当たっていない。
掠めてもいない。
それなのに、肺の中の空気ごと叩き出されるような衝撃が、冷夏を襲った。
身体が宙に浮き、そのまま後方へ勢いよく吹き飛ばされる。
冷夏は吹き飛ばされながらも、必死に事態の把握に集中する。
(これは……拳の風圧!?)
視界が揺れる。
身体が空中で流される。
それでも冷夏は、鬼の拳を見据えた。
(なんて質量とスピードなの……!? 直撃どころか、避けても危ないなんて……!)
吹き飛ばされた冷夏の身体が、地面へ迫る。
だが、冷夏はそのまま無様に転がるような真似はしなかった。
空中でくるりと身体を一回転させ、落下の勢いを逃がす。
右手を地面につく。
手のひらが土を擦り、落ち葉が舞った。
――ズザザザッ!
靴底と手のひらで地面を噛むようにして、冷夏は後方へ滑りながら着地した。
「……っ」
手のひらが、じんと熱い。
肺の奥に、まだ風圧の衝撃が残っている。
けれど、冷夏の目はもう次を見ていた。
影鬼は、拳を振り抜いた姿勢のまま、ぴたりと動きを止めている。
そして次の瞬間、その巨体がぐにゃりと崩れた。
黒い肉体は輪郭を失い、地面の影へと溶けていく。
(また消える……! 死角に潜む気!? 同じ手は喰わないわよ……!)
だが、今度は見逃さない。
冷夏の瞳に、黒紫の魔力の流線が浮かぶ。
地面を這う影。
その中に紛れる、濃密な魔力の塊。
完全に見えなくなったわけではない。
影と影の境目に溶け込み、形を曖昧にしているだけだ。
冷夏は、その流れを目で追った。
影は一直線に冷夏へ向かってくる――わけではなかった。
地面を滑るように迂回し、メロウの足元を抜ける。
そして、メロウの背後で、再び黒い魔力が膨れ上がった。
影が立ち上がる。
腕が生える。
牙のように笑う口が裂ける。
四本腕の影鬼が、メロウの後ろにぬらりと現れた。
まるで、主を守る番犬のように。
いや。
それは番犬というより、子どもの後ろに立つ、歪な遊び相手だった。
「――これ、メロウだけの生粋魔法なの」
メロウは得意げに胸を張った。
背後に立つ影鬼の巨体など、まるで怖がっていない。
むしろ、仲良しの友達を紹介するように、にこにこと笑っている。
「名前は《鬼遊び》。影の体でできた、その子たちがメロウの友達」
メロウはくるっと振り返り、影鬼の太い腕にぺたんと手を添えた。
その手つきは、怪物に触れるものではなかった。
ぬいぐるみを抱く子どものように、あまりにも自然だった。
「影鬼ちゃんって呼んであげてねっ☆」
影鬼とメロウは、同じ形に口を歪めて、にへら、と笑った。




