第62話:その甘さ、半殺しで許してあげる
ばさり、と布の裂ける音。
ピンク色の水玉模様のスカートの裾が、雷の通り道に沿って、焦げ目を残しながら裂ける。
メロウは、立ったまま目を見開いていた。
肌には、傷ひとつない。
雷槍は、メロウの脚と布の間を、紙一重で通り抜けていた。
地面にすたっと着地した冷夏は、まっすぐメロウを見据える。
「……」
メロウは、しばらく無言だった。
そして、ゆっくりと自分のスカートの焦げた裂け目を見下ろす。
指でつまんで、ぴらぴらと揺らした。
「……あれぇ? あれれぇ? なんでぇ?」
声に、初めて、無邪気さ以外の温度が混じった。
「メロウに当たってないよぉ?」
「わざと外したのよ」
「……」
「私に当てる気があれば、あなたは死んでいたわね」
「……そうだねぇ」
「メロウ、今どんな気持ちかしら?」
メロウの瞳が、すうっと細くなる。
「……ふぅん。普通にむかつく」
ふっと、表情から「幼さ」が抜けた。
唇は笑っているのに、目だけが少し大人びる。
その変わり身の速さに、冷夏の喉の奥が、無意識に冷えた。
「くそったれなおねえちゃん、メロウのこと、なめてる?」
「ナメてるのはあなたでしょ」
「――今のでメロウを殺さなかったこと、後悔するよ~~?」
メロウは、また数粒のキャンディーを魔力で生成する。
でも、今度は地面に落とさない。
手の中で、じゃらり、と転がしている。
メロウはそれを見ると、その中でも一番大きい粒を「ちゅぱ」っと口に含んだ。
「ねえねえ、お姫さま」
「――あれ? 『くそったれおねえちゃん』じゃなかったかしら」
「よろこんでいいよ。おまえを今から『お姫さま』って呼んであげる」
「どういう風の吹き回しかしら?」
「うーん、最初はムカついてたんだけど、よく考えたら、違うってことに気づいたの。だってメロウを殺せるタイミングで殺さなかったってことは――」
メロウのとろけるような目線が、冷夏を貫く。
「やさしい人ってことでしょっ!?」
本日一番の、甘えるような声だった。
「聞いて聞いて。メロウね、もう十八人ぐらい殺したんだよ?」
冷夏の指先が、わずかに強張る。
「十八? ん、十九だっけ? あれぇ、忘れちゃった。あ、でもね、悪い人だけだからね、殺したの。ま、細かいことはどうでもいっか☆」
冷夏は、答えなかった。
ただ、その目は、メロウを見続けていた。
――この子は、「殺した」を「数える」ものとして口にしている。
ひとりひとりの相手を、「生きた人間」として覚えていない。
『悪い人』として一括りにしている。
その軽さが、重いはずの価値を台無しにしている。
「先生とパパね、悪い人をメロメロにするたびに、いっつもメロウのこと褒めてくれるんだぁ。えらいえらいって」
「……」
「ねえ、お姫さま、聞いてる?」
「……ええ、聞いているわ」
冷夏は、低く答えた。
「私は褒めないわよ」
「……なんで? べつにメロウのこと素直に褒めればいいじゃん!」
「嫌よ」
「えー、ケチ~! バカバカバカ! 褒めても減らないじゃんっ!」
「減るわよ。私の貴重な時間が」
メロウは唇を尖らせ、それからまた笑顔に戻る。
相変わらず表情だけはコロコロと変わる。
「ねえ、知ってる? メロウね、好きな人を溶かしたあとはね――特別な電池にしてあげてるの」
「……電池?」
「うん。みて、このペンダント!」
メロウは、首から下げていた小さなペンダントを摘んで、見せた。
黒い金属の枠の中に、深い藍色の核。
冷夏の瞳が――反射的に、それを捉えた。
冷夏の特別な目が、ペンダントの中の魔力を映し出す。
――揺らいでいる。
ペンダントの中の魔力が、揺れている。
いや、違う。
これは「揺れている」のではなく――。
(……まだ、死に切れていない)
冷夏の喉が、無意識に詰まった。
藍色の中に閉じ込められた魔力の中に、かすかに「人」の輪郭。
散り散りに溶かされた、誰かの命の残滓。
それが消えきれずに、ペンダントの中で永遠に動かされている。
……これは、完全に死んでいない。
もちろん、生きているとも言えない。
ただ生命が「燃料」として固定されている。
冷夏は、この世界の残酷さを学んできたつもりだ。
西芳寺家の令嬢として、それなりに見せられてきた。
でも、これは――違う。
これは、人間にやっていいことの埒外にある。
子どもだからと言って、許していい範疇を突き抜けている。
「メロウにね、とってもやさしくしてくれた人は、こうしてあげるの」
メロウは、にっこりと笑った。
「愛するためにメロメロに溶かしてあげて、ペンダントに入れてあげるの。そうしたら、ずぅっと一緒にいれるでしょ?」
「……」
「パパもそんな感じのことしてたの。だからメロウもそうしてるの。ちゅぱっ。えへへへへ」
パパ。
メロウは幸せそうにそう言う。
冷夏は、その響きに、神経の一本が固まるのを感じた。
「ねぇねぇ、おまえってさ、この国のお姫さまみたいなものでしょ?」
メロウが、両手を後ろで組んで、軽く首を傾けた。
「――なぜそう思ったのかしら」
「べっつにぃ~~? なんとなくそう思っただけだよぉ☆」
「……なんとなくね。嘘が下手ね」
「ぶぅ~~っ! 嘘じゃないもん。もう、お姫さま、いい子にしててよ。そうやって優しくないフリしないで!」
「優しくないフリ?」
「そうだよぉ? お姫様、やさしいのに、メロウに本当は優しくないフリしてくれてるんでしょ? そうしたらメロウが、えーと、なんだっけ……れいせい? ってやつ! そう、冷静だ! その冷静じゃなくなって、メロウが怒っちゃうようにしようとしてる! でも残念☆ それはメロウしないよ! 先生がそれはダメだっていっぱい教えてくれたから!」
「……あなた、自分で変なこと言ってるの気づいてないのかしら?」
「ちゅぱ。なんのはなしぃ~~?」
「殺さなかったから優しいって言ってるのよね? でもあなたはその優しい人を自分で殺そうとしてるのよ?」
「そうだよ! やさしい人を殺そうとしてるの! でも変なことじゃないよ! メロウはお姫さまがやさしいから殺すんじゃなくて、悪い人だから殺すんだよ、きゃははは!」
「……優しくても悪い人だから殺す……」
「そうなの。別に変なことじゃないでしょ? でもねでもね! お姫さまはやさしいから好きだよ。普通なら殺してぽいっ、なんだけど、お姫様は特別にメロメロにして愛してあげるね。そうすればペンダントで一緒にいれるよぉ、うれしいよねぇ」
「――反吐が出るわね」
「いいのいいの。強がらなくていいの。あのね、お姫さまは特別だから……お姫さまメロメロにできれば、先生とパパにいっぱいほめられるんだぁ。えへへ、たのしみだなぁ」
その声は――本当に、純粋な子どもの喜びだった。
誕生日の朝に、プレゼントを開ける時のような。
大切な人にお手紙を渡しに行く時のような。
愛されたい欲求が、人を殺す形に倒錯している。
冷夏の睫毛が、わずかに震えた。
怒りだけではない。
哀れみだけでもない。
ただ――理解してしまった。
この子は、こうやって愛を返すしか知らない。
この子の世界には、「殺すことを喜ぶ親」しかいないのだろう。
その親なら思いっきり、遠慮なくぶちのめすことができるのに。
しかし実際にここにいるのは、小さな女の子。
「パパ」とやらがいないのが悔やまれる。
「ねぇ、お姫さま。我慢しなくてもいいんだよ? ちっちゃくてまだかわいいメロウに、メロメロになってよ」
メロウは、舌を出して、にこにこ笑う。
「それともメロウからお姫さまのことをメロメロにしてあげようか? ガリッ……ジャキジャキジャキ……」
メロウはそう言いながら、口に含んだ飴を噛み砕く。
その瞳は、確かに邪悪にも見えた。
「あなたにメロメロになるほど甘くしないし、あなたにメロメロにされるほど甘くもないわよ」
「ふ~ん?」
「それでも私は――」
冷夏は、深く息を吸った。
吸って、吐いて。
それから、メロウを真っ直ぐに見た。
「あなたを守ってあげるわ」
「きゃはっ! ほんとぉ!?」
「本当よ。でも今から言うことをしっかり覚えておいて」
「なにぃ? お姫さま」
「ここは迦導国。私は、民を守る『誇り高き盾』」
冷夏は意気揚々に続ける。
「そして『氷の令嬢』」
声は、揺るがない。
「何も取りこぼしたくないの」
その琥珀色の瞳も、揺るがない。
「だから、小さい子だって守る。でもね、そのためなら――」
指先に、チリと雷が奔る。
「――そのためなら、なんだってやるわよ」
メロウの笑顔は、変わらなかった。
でも、その目の奥の何かは、わずかに値踏みするように動いた。
「ただ――」
冷夏は控えめに肩をすくめた。
「子どもに手をかけるのは引けるわね」
「お姫さま、すっごくあまあまだね~! だからメロウを殺せなかったんだね~? きゃははは! とっくにメロウにメロメロになってるじゃ~ん☆」
メロウが、ころころと笑う。
「キャンディーより、よっぽどあまぁい。そしてやさしいひと。メロウがやさしく溶かしてペンダントにしてあげるねぇ? ずぅっとメロウと一緒にいようねぇ?」
冷夏の指先で、雷がぱちりと爆ぜた。
「そうね。私は確かに甘いかもしれない」
その瞳はメロウをしっかり見据えている。
「だから感謝なさい」
冷夏は、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「人を殺しまくった小さいあなたのこと、その年齢に免じて――」
――バリッ、バリッ。
冷夏の足元から、月光を浴びた影がくっきりと伸びる。
雷をまとった、戦う者としての影。
暗い森で、『氷の令嬢』は静かに言い放った。
「――半殺しで許してあげるわ」




