第61話:暗い森に立つ少女と、奔る雷光
◇
メロウのスキップは、軽快なリズムで森の奥へと続いていた。
「ふふ~~ん、鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪」
その鼻歌は、迦導国の童歌そのものだった。
無邪気で、舌っ足らずで、月夜の森に妙に馴染む。
あまりに馴染みすぎていて、気持ち悪かった。
(……誘導されているわね)
冷夏は、それをわかっていて追っていた。
わかっていて、それでも踏み込んだ。
(罠に誘ったつもりなのかもしれないけれど)
――むしろそれは好都合。
あの子を、焔乃士から、罠にかかっているバイソンから、引き剥がせたなら、それで充分だ。
あとは――。
あとは、自分が引き受ければいい。
冷夏には、それを全うできる自信がある。
それは矜持にも似た使命感だった。
けれど、それだけではないざわめきもある。
(何よこれ。何の感覚なの……)
今は戸惑っている場合ではない。
そのざわめきを深い夜とともに沈める。
木々が密集し、頭上の梢が差し込む月光を疎らにする。
地面に伸びていた自分の影さえ、輪郭を失って、暗闇に自分ごと溶けていくような感覚があった。
ふと、勢いよくスキップしていたメロウが立ち止まる。
「うーん、全然引き離せないや~」
少し離れた場所で立ち止まり、こちらに振り返った。
暗い森に立つその少女の姿が、冷夏にはどうにも不気味に思える。
(引き離そうとした……? 姿を隠すつもりだったのかしら……)
「おねえちゃん、はやいね~。すごいすごい~」
ぱちぱち、と小さな拍手。
スキップしているだけに見える女の子を追うために、冷夏はそれなりに本気で走っていた。
(まだ子どもなのに、なんて脚力……本当に速いのはどっちよ……)
「ねえねえ、おねえちゃん。お名前なぁに?」
メロウがちょこんと首を傾げる。
「……教えないわよ」
「えー、けちんぼ~! ひんにゅう~~!」
「――貧乳じゃないわ。スタイルがいいって言いなさい」
「わかった! スタイルいいおねえちゃん!」
「素直ね。わかってるじゃない」
「ほらメロウは言ったよ! 名前教えてよ~~~!」
「嫌よ」
「言ったのにぃ~~っ! ずるいっ! 騙されたっ! 悪い人!」
「最初から名前を教えるとは一言も言ってないわ」
「けちけち~~! そんなんだから、おっぱい大きくならないんだよぉ~? メロウはいっぱい牛乳飲んでるから、大きくなったら、ぐらまらすばでぃが約束されてるもんね~~!」
「――まだ子どもなのにマセ過ぎよ、あなた」
「メロウは子どもじゃないもん! もう十歳になるもんっ! 明日なるんだもんっ!」
「十歳になるなら、なおさら品を身につけることから始めたらいいわ。まずは他人さまへの失礼な態度を弁えなさい」
「ぶぅ~~っ! それを言うなら、おねえちゃんもそうじゃんっ!」
「……一理あるわね。やるじゃない、メロウ」
「あ、今メロウの名前呼んだ! メロウだけ名前バレてるのずる~~い!」
「あなたが自分のこと何度もメロウって言ってるのよ?」
「ずるいよっ! おねえちゃんのも教えてよっ!」
「いいわよ」
「え、いいの!? 名前なんていうの!?」
「――私のことは『グラマラスボディ様』と呼びなさい」
メロウは頬をぷくぅっと膨らませる。
「ぷぅ~~~っ! ふざけないでよ! 絶対それ、おねえちゃんの名前じゃないじゃん! メロウのやくそくされた未来じゃんっ!」
むきー、という音が聞こえるほどに、暗い森の中でもメロウの顔が真っ赤になるのがわかった。
でも、次の瞬間には。
「……でもいいもん! メロウが勝手に呼ぶから。きれいなおねえちゃんがいい? あ、それともね、お姫さまっぽいから、お姫さまでもいいかも!」
いつの間にか満面の笑みになってる。
コロコロ表情が変わるそのさまは、冷夏には年齢相応の子どもにも見えた。
「うん、お姫さまにしよっかな!」
『お姫さま』ってフレーズが繰り返されるたびに、冷夏の眉が、わずかに動く。
(……この子、私を「お姫さま」に近い存在として認識してる? 偶然?)
「好きになさい」
「――うーん、や~めた! やっぱりムカつくから、おまえなんて『くそったれなおねえちゃん』でいいや!」
「あら、それは光栄ね。会ったばかりでクソッタレだなんて、そこまで意識してもらえるなんて」
「でもねでもね? メロウやさしいから、愛憎を込めて『くそったれなおねえちゃん』って呼び続けてあげるねっ!」
「愛憎なんて言葉、その年齢でよく使えるわね」
「パパが『愛は憎しみと切り離せない』って言ってたんだ! 先生はよくわからないって言ってたけど……」
「けど?」
「でもメロウはくそったれなおねえちゃんがやさしい人なら、愛してあげようと思ってるよっ! 愛は態度からって、それもパパが言ってたから!」
「――素敵な受け売りね」
「えへへへ、でしょ~~~?」
直後、メロウの表情に悪戯な笑みが滲む。
「くそったれなおねえちゃんは、どうかなぁ? やさしい人なのかなぁ~~?」
メロウのスカートのポケットから、カラフルでつやつやしたキャンディーがこぼれ落ちた――いや、こぼしたフリをして、地面に散らばらせたのだろう。
ぽとり、ぽとり、ぽとり。
「あれぇ、おっちゃった☆」
その瞬間、地面に転がったカラフルなキャンディーがぐにゃりと黒く溶け、影の刺のように立ち上がる。
四方から、冷夏に向かって、勢いよく伸びた。
しかし――。
「《雷光》ッ!」
――ビリッ。
冷夏の身体が、青白い軌跡を残して横に跳んだ。
雷速の機動。
だが、回避するためだけの必要最低限の出力。
影の刺は虚空を貫き、空を切る。
影は地面に戻ると、魔力の残滓とともに消えていった。
【雷属性】の魔法である《雷光》。
一瞬だけ、雷の速度のごとく動ける機動魔法だ。
便利ではあるが、大きく動けば燃費が悪く、直線状にしか動けない。
しかし冷夏は、この魔法を気に入っている。
「あぁ~、すごぉい! それ避けるのずる~い! 一瞬おねえちゃんの残像がみえたよ~~! ほんとにはや~い! きもぉ~~い!」
メロウは、心底感心したような声を上げる。
「くそったれなおねえちゃんもキラキラできるんだね! メロウのキャンディーとどっちがきれいかなぁ?」
「――私に決まってるじゃない」
「きゃははは! 面白いね、おねえちゃん……じかじょう~~」
「じかじょう?」
「自意識過剰ってことぉ!」
「自意識過剰ね。それの何がいけないの?」
「きゃはは、本当に自意識過剰だぁ~~っ!」
「――最高じゃない」
「きゃはは! むかつく~~! すぐ死んで~~! 息止めて~~っ!」
軽口に付き合いつつも、冷夏は足元に気を配っていた。
(なに、この違和感……)
「ねぇねぇ、そんなに調子のってて、いいのかなぁ?」
言いながら、メロウは丸いキャンディーを一個、口に「ちゅぱ」っと放り込み、手からさらに数個ほど地面に落とす。
そのキャンディーが黒紫の染みになって影を伝い、こちらに伸びてくる。
まるで細い蛇のようだった。
冷夏の目が、影に染み込んでいく闇属性の魔力の奔流を捉える。
次の瞬間――。
足元の影が爆ぜた。
それは無数の棘になって広がる。
冷夏はバックステップを取り、ギリギリで回避した。
あと数コンマ遅れていたら、串刺しになっていたかもしれない。
そして無数の棘は影に溶け、魔力の残滓も消失する。
(私じゃなかったら、今のは死んでいたかもしれないわね――)
それは、決して冷夏の驕りではない。
冷夏の瞳が特別だったからこそ、回避できた。
もし自分ではなく、この場にいるのが焔乃士だったら――串刺しになって死んでいたかもしれない。
その可能性に、少し冷えるような感覚を覚える。
そのあと、そうならなかったことに、冷夏は安堵した。
(まったく、危ないわね。この子の相手が私でよかった……)
「えええ~~っ!? 今のも避けるのおねえちゃんっ!? もしかして見えてる!? へんたぁい!」
「さて、どうかしら」
「そのいいかた~~、見えてるやつじゃぁ~ん! ちゅぱちゅぱ……余裕ぶるのきらぁ~~い! メロウちょっとぷんぷんしてきたかもぉ」
そう言うと、メロウは手に魔力を集中させた。
黒紫の魔力がカタチをつくり、どんどんカラフルな飴になっていく。
そのカラフルな飴は、この暗闇の中で虹色に発光していた。
それは次々と生まれ、小さな手の上にこんもりと山盛りになった。
(なんて色の広がり……! この子、魔力の量が尋常じゃない……少なく見積もっても平均の十倍はあるわ……)
「つっぎは気持ちよく死ねるかなぁ☆ きゃははは!」
冷夏は、その山盛りの飴に集中した。
凝縮され、なお揺らめく魔力量に、意識を持っていかれそうになる。
メロウが口を窄めたのが見えた次の瞬間――。
「ぷっ!!」
――シュンッ!!
揺らめく魔力の中心から、鋭い何かがこちらに向かって高速で飛んでくる。
メロウが口から飴玉を吹き飛ばしたのだ。
冷夏は咄嗟に体をひねって回避するも――。
「痛っ!」
飛んできた何かが、腕を掠った。
その跡を見る。
(これ、切り傷じゃないわね……)
どちらかというと、ただれたような跡。
なぜそうなったかを考え始めるも――。
「え~~~い! くそったれなおねえちゃん、死んでぇ~~!」
メロウは攻撃の手を止めない。
こんもりあった数十粒の飴玉を、冷夏めがけてばら撒くように放り投げた。
(……どこに移動しても、着実にダメージを与える算段ね)
周囲にばら撒かれた飴玉の、おおよその軌道を予測する。
短い時間で細かく計算できなくても、その意図は探れる。
周囲は暗く、密度のある木々が檻のように冷夏を囲んでいる。
導線として一番逃げやすいのは、メロウのいる方向。
――つまり、それが罠。
最初からばら撒く予定で、ここに誘導していた。
そう瞬間的に判断して、移動する先は――。
「《雷光》」
ビシュン。
「ここは想定してたかしら?」
真上。
木枝をぶち抜く。
雷光を利用した大ジャンプ。
冷夏は真上に大きく飛んでいた。
落ちてくる飴玉と入れ違いになる。
満月の逆光で、冷夏のシルエットが浮かび上がった。
一石二鳥の、回避からの攻撃。
メロウの表情はまだ無邪気だ。
「きゃは! それも、メロウはわかって――」
だが。
メロウの言葉は完成しなかった。
「――《雷槍》」
冷夏が指に、魔力をすでにチャージしていたからだ。
ビリッ!
指先に電気のようなエネルギーが奔る。
メロウの表情が、歪む。
次の瞬間――。
「やめ――」
ビュゥンッ!!
それは、標的めがけて一直線に奔った。




