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蹄煮込み、経験を喰らう――牛好きの少年は「死」を食べて強くなる  作者: メイ
第二章:言葉を探す少年

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第56話:灰の杖

 月明かりの下。


 紫色のキノコが、静かに揺れていた。

 周囲はほんのり赤く光っていて、とても幻想的だ。


 赤紫に光るその傘は、菌類というより、ドラゴンの鱗を思わせる硬質さを帯びている。


 確かにそこにあるのは――竜息茸ドラゴン・マッシュだ。


「わあ、綺麗……」


 西芳寺さいほうじさんの声が、思わずこぼれた。


 さっきまでの満腹感など忘れたように、その美しさに見惚れている。


 月光に照らされた水溜まりが、きらきらと揺れる。

 その反射に紛れて、周囲一帯が、赤い宝石をばら撒いたように瞬いて見えた。


 綺麗だった。

 あまりにも綺麗で――だからこそ、一瞬、忘れかけた。


 ――その瞬間。


 息を吸いかけて、気づく。


「……っ!」


 喉の奥がひりつき、反射的に息を止めた。


(僕はバカか……! ロイさんの忠告で、わかってたことだろ……!)


「なんだか暑い……わね」


西芳寺さいほうじさん、吸い込まないで! 下がって!!」


 そうだ。


 目の前のきらめき。

 その正体こそ、たぎるような高熱の胞子だった。


 あまりの熱量に、光を帯びて見える。

 火の粉のように、空気中を漂っているのだ。


 直に吸い込めば、並の人間なら数呼吸で喉と肺を焼かれる。


(危ないところだった……)


 じりじりと、二人で距離を取る。


 胞子の赤い瞬きから離れるたび、喉の奥のひりつきが、ほんの少しずつ薄れていく。


 ようやく安全圏に入った。


 そう思った、その瞬間だった。

 冷夏さんの足元で、何かを踏む感触があった。


 カチャリ。


 乾いた金属音。


「……え?」


 彼女が視線を落とす。


 そこには――。


「……これ……」


 小さな、銀色の髪留め。

 月光を受けて、弱々しく光っている。


 冷夏さんの声が、はっきりと震えた。


「……瑠衣るいの……」


 彼女の手が、ゆっくりと伸びる。

 拾い上げる指先が、震えていた。


 さっきまでの「嘘の涙」とは違う。


 作ろうとして作った揺れじゃない。

 止めようとしても止まらない、身体の奥からせり上がってくる震えだ。


 本物の、剥き出しの恐怖と悲しみだった。


 僕は、思わず言葉を失った。


 ――そして、嫌でも気づいてしまう。


 髪留めが落ちていた、そのすぐ脇。

 竜息茸の菌糸が絡みつく地面が、わずかに不自然な形で盛り上がっている。


 踏み固められた跡でもない。

 掘り返した土を戻した感じとも違う。


 ただ。


 何かを覆い隠すように、上から被せられた土。


(……でも、この距離じゃ確認するのは無理だ)


 胞子が濃すぎる。

 これ以上近づけば、肺が先に焼かれる。


「……西芳寺さいほうじさん、そのままそこにいて」


 僕は一歩前に出て、彼女を庇う位置に立った。


 まずやるべきことは、一つだけだ。


 ――抜く。


 僕は、胞子の濃度が一番高い場所の手前まで、慎重に踏み込んだ。


 これ以上近づけば危険だが、離れすぎても意味がない。


 ぎりぎりの距離。


 深く息を吸い、右手を前方へ、静かに差し出す。


 意識を向ける先は、竜息茸ドラゴン・マッシュそのものじゃない。


 空気だ。


(……狙うのは、胞子だけ)


 熱でも、光でも、匂いでもない。


 空気の中に混じっている「余計なもの」だけを、感覚で拾い上げる。


 本来なら、目に見えないサイズの胞子を選別するなど不可能に近い。


 だが、今の僕にはハクゲツのジャーキーの効果がまだ残っている。

 研ぎ澄まされた振動探知ソナーが、空気中の粒子の「質量」さえも捉えていた。


 集中を切らせれば、暴発する。

 雑になれば、その瞬間に死が転がり込んでくる。


 料理と同じだ。


 火加減を一つ誤れば台無しになるように、今は選り分ける精度が、そのまま生き死にに直結している。


 額を伝う汗が、夜気に冷やされていく。


生粋魔法ネイティブ調理クック――成分分離セパレート……」


 呪文を、噛みしめるように唱えた。


 空気が、わずかに歪む。


 次の瞬間。


 竜息茸ドラゴン・マッシュの周囲を満たしていた高熱の胞子だけが、糸を引くように引き剥がされ、僕の掌の前へと集まっていった。


 熱が、抜ける。

 殺気が、消える。


 だが、まだ終わりじゃない。

 一度に全部は無理だ。


 僕は位置を少しずつ変えながら、同じ作業を何度も繰り返した。


 焦れば、集中が乱れる。

 作業のたびに呼吸を整え、余計なものだけを抜く。


 抜いて、分けて、整える。

 そうやっているうちに、少しずつ、その場の空気が変わっていった。


 喉のひりつきが消え、肌を刺すような熱も感じなくなる。

 もう、だいぶ清々しい。


「……よし」


 肩の力を抜いた瞬間、自分がほとんど息を止めていたことに気づく。


 成分分離セパレートは万能じゃない。

 理解できる混合物しか、分けられない。


 しかも、集中を維持できなければ成立しない。


 ――今のは、ぎりぎりだった。


 掌の前に集まったままのじりじりとした熱、集められた胞子が、その証拠だ。

 浮かせて距離を取っているから大丈夫だが、直に触れれば、確実に火傷するだろう。


食糧保存パントリー


 魔法を発動すると、掌の前に集められていた胞子が淡く光り、サイズも、活性も、腐敗の進行も、百分の一へと圧縮されていく。


 音もなく、それは用意していた小瓶の中へ収まった。

 瓶の口が自然に封じられる。


 ラベルには、小さな文字でこう印字した。


 ――『竜息茸ドラゴン・マッシュ(胞子)』


『やるじゃねえか、クソガキ……今のは、いい手つきだ』


 脳内で、低く短い声が落ちる。

 剣鬼オーガだ。


 珍しく、僕のことを褒めている。


『だが――調子に乗んなよ』


 一瞬だけ、背中に、刃を突きつけられたような感覚が走った。


『刃も魔法もな。踏み込みすぎた瞬間に、命を取りに来っからな』


(うん、肝に銘じておくよ)


『ハン! わかりゃあいいんだ、わかりゃあ』


 掌の中の小瓶が、熱い。


 でも。


 これで、やっと近づける。


 僕は一歩、前へ進んだ。


西芳寺さいほうじさん、とりあえずここらへん一帯は安全になったよ」


「ありがとう……にしても便利ね、あなたの魔法……」


「まあ、こういうときぐらいはね。それより西芳寺さいほうじさん――」


「ええ。調べるのね?」


 胞子が消えたことで、地面の違和感が、はっきりと分かる。


 土の表面は自然だ。

 でも、内部の密度が不均一だった。


(……混ざってる)


 その瞬間、脳内で声が響いた。


『ご主人様、この土の盛り上がり……内部に高濃度の魔力触媒が埋設されている可能性が99.8%です』


 ミネルヴァの、冷徹な報告。


 僕は息を呑み、土の盛り上がりに、そっと手をかざした。


 普通の魔法使いなら、土魔法で掘る。

 あるいは、手で泥だらけになって掘り返す。


 でも、それじゃダメだ。


 ここにあるのは、ただの土じゃない。

 混ざった何かだ。


「……アクを抜くよ」


 ――成分分離セパレート


 魔法を発動した瞬間。

 僕の視界の中で、土という「混合物」を理解していく。


 水分。

 砂。

 腐葉土。

 菌糸。


 そして――それらとは明らかに異なる、不純物。


 僕は指を、スッと持ち上げた。


 その内部から、異物だけが“アク”として弾き出されるように、空中へと浮かび上がった。


 杖だった。


「……っ!」


 西芳寺さいほうじさんが息を呑み、浮かび上がった遺留品を、ひったくるように掴む。


 杖は、魔力を根こそぎ吸い取られたかのように脆かった。

 触れた瞬間、表面から静かに崩れ、灰のように半分ほど零れ落ちていく。


『ククク……ひどいネエ。宿主ホスト、見てごらン。その杖の断面……無理やり魔力を逆流させて、搾り取られた跡ダ。毒を食らわば皿まで《オーバードーズ》……いや、これは皿までどころか、骨の髄まで啜り尽くされているネエ。実に丁寧な食事ダヨ』


 レクターが、ぞくぞくするような歓喜を含ませて分析を添える。


「……これ、瑠衣るいの杖……」


 西芳寺さいほうじさんは、崩れかけたそれを抱きしめる。


「彼女、これがないと魔法をうまく制御できないぐらい、大切にしてたのに……」


(見た感じ、杖型の魔道具マギアかな。補助前提で使っていたなら、魔導回路マジカルシナプスに問題があった可能性もある……?)


 彼女は唇を強く噛み締めた。

 拳にも、わずかに力が入る。


「家庭の事情で転校? ……ハッ、笑わせないで」


 低く、吐き捨てるように言う。


「そんなのありえないわ。学園は、彼女を『何か』に使ったのよ」

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