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蹄煮込み、経験を喰らう――牛好きの少年は「死」を食べて強くなる  作者: メイ
第二章:言葉を探す少年

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第50話:白衣じゃない検査官

 「最悪の昼」の本番がやってきた。


 検査室の匂いは、いつだって同じだった。


 金属と薬品と、妙に乾いた空気。


 そして、いつもの白衣。

 いつもの手順。

 いつもの「異常値」。


 ――なのに今日は、入口の時点で違った。


 扉を開けた瞬間、あの硬い匂いの奥に、ほんの少しだけ甘さが混ざった気がした。


 ほろ苦くて、やわらかい香り。


鴨葱かもねぎ焔乃士ほのじくん。入ってきてください。……あ、椅子はそっちね」


 声が、柔らかい。

 いつもの事務的なトーンじゃない。


 思わず視線を上げると、そこにいたのは白衣の検査官ではなく、淡い薄紫色のカーディガンを羽織った女性だった。


 ゆるく波打つウェーブの髪が、肩のあたりで揺れている。

 整いすぎていないのに、妙に目を引く。


 耳元で、小さな白いハート型のピアスが揺れた。

 中心には乳白色の魔煌玉マテリアルが光を拾って、やわらかくつやめく。


 医務室の緊張感を、その髪のゆるさと笑みで吸い取ってしまうみたいな人だった。


「……担当、変わったんですか」


 口に出した瞬間、自分の声が思ったより尖っていて、心臓が小さく跳ねた。


 もっと愛想よくできたはずなのに、と思う。


 闇属性で、エラー続きで――たった一週間のことだけど、説明もないまま検査だけが増えていく日々に、思いのほか、僕の心はささくれ立っていたらしい。


 朝は牛さんたちに会って、癒されたはずなのに。

 咄嗟に出た口調は、僕の“本音の硬さ”を隠してくれなかった。


 でも、言っては後の祭りだ。


 ――怒られる。


 反射的に身構えた。


 けれど、その女性ひとは怒らなかった。

 代わりに、ほんの少しだけ口角を上げ、面白がるように頷く。


「うん。変わった感じです。嫌でしたか?」


「嫌、とかではないですけど……」


「……エラーが出すぎたって聞きましたから」


 その言葉が、余計に胸をざわつかせる。


 エラー。

 異常。

 監視。


 僕が嫌いな言葉たち。


「深い専門職が入ると、さっき言われましたので、予測はしてました」


「そうそう。あたしが、その“深い専門職”の人。……えへ」


 照れたように笑う。


 一瞬ふざけてるのかと思ったが、そうじゃない。

 空気をゆるめるために、笑ってくれているのだろう。


 ――そう考えた瞬間、僕の体の力が、ほんの少しだけ抜けた。


 悔しいけど、ペースを持っていかれる。


「自己紹介しますね。支援学と保健室担当の――セシリア・グロウ。セシルって呼ばれてます。先生と生徒っていう接し方より……保健室のお姉さんって感じでいいかな?」


 そのはにかんだ顔で、いきなり“お姉さん”は反則だろ、と心のどこかで思う。


 でも、その軽さと照れ臭さが、検査室の硬さにひびを入れた。


「……お姉さん。いい響き。堅苦しくなくて好きです」


「うん。そう思ってもらえると嬉しいかな。先生って呼ばれると、ちょっと肩こっちゃうから……なんて」


 セシルさんは椅子を引き、僕の正面には座らず、少し横に立った。

 真正面から圧をかけない配置。


 気をつかってくれているのだろうか。


 机の上には、冷たい光を放つ金属製の器具が並んでいる。

 カチャリ、と音が鳴るのを予期して、僕は身構えた。


 けれど――静かだった。


 彼女が手を伸ばした瞬間、空気が変わる。


 動作が、音を置き去りにしたみたいだ。


 金属が金属に触れる不快な音が、一切しない。

 指先で衝撃を殺し、まるで綿毛でも扱うように器具をセットしていく。


 音が立たないだけで、こんなに落ち着くのか。


 その所作の美しさに、僕は思わず目を奪われた。


「ホノジくん。まず確認します。うまく呼吸できてる?」


「……できてます。てか、さすがに呼吸できなかったら、やばくないですか? 死んじゃいますよ?」


「その顔……ふふ。本気で聞いてるの?」


「……?」


「本気、なんですね」


「……本気以外に、何か聞き方あるんですか?」


「それもそうか……。ふふ、ホノジくんって面白いね」


「面白いって……何が、ですか?」


「うん。ピュアで素敵ってことですよ。そのままでいてね」


 質問の返答の意味がいまいちわからず首を傾げた僕を見て、セシルさんは微笑んだ。


「で、今日はね、追加の検査……っていうより、“壊さないための確認”をしに来た感じ。エラーが多いと、身体のどこかが無理してる可能性があるから」


「……僕が、【闇属性】で異常だから?」


 言った瞬間、胸の奥がじくりと痛んだ気がする。


 気にしてないつもりだった。


 ――けど、押し付けられてきた“異常”のラベルは、知らないうちに皮膚の内側に染みていたらしい。


 セシルさんは、作業していた手をピタリと止めた。


 目を逸らさない。

 でも、責める目じゃない。

 顕微鏡で覗くような、けれど温度のある瞳だ。


「まず最初に言っておきます。【闇属性】は別に異常ではありません。珍しいだけです」


 その言い方は、事実を述べるように淡々としている。

 でも、どこか暖かかった。


「……はい」


「うん。だって異常扱いは腹立つよね。あたしも、あの感じ、好きじゃないです」


「……あの感じ?」


「見られてる感じ。測られてる感じ。『お前は規格外だ』って言われてる感じ」


 胸の奥に、何かが落ちた。


 落ちた、というより――引っかかっていたものが、少しだけ外れた感覚に近い。


「だから、いきなり全部はやらなくていいかな? まずは“痛くないやつ”だけにしよっか。ホノジくんが“ここまではやっていい”って線、自分で決めていいから」


 このお姉さん……。

 主導権を、渡してくる。


 検査される側なのに、僕が選んでいいと言う。

 そんなことを言う人は、これまでの検査で誰もいなかった。


「……線、って」


「うん。ここまでならやれる、っていう線。怖いのが悪いってわけじゃないから。怖いままでも進める道を作る、って感じです」


 そう言ってセシルさんは、薄い手袋をつけた。


 つける瞬間、指先がいちど止まる。


 僕の反応を待っているのがわかる。


 その“間”が、やさしい。


「僕は別に……なんでも大丈夫です」


「うん、そっかそっか。でもここはお姉さんの独断と偏見で、採血はなしにしよっか。病気ってわけじゃないし、昨日も採りましたからね」


 そう言って、セシルさんは僕の前に屈んで目線を合わせた。


「あたしの手、手袋越しでも冷たいからね。触りますよ」


 丁寧に“触りますよ”なんて言う検査官は、ここにはいなかった。


 それだけで、僕の肩の力が一段階だけ抜けた。

 身構えたくて身構えているわけじゃない――と、やっと自分で認められた気がする。


 検査は、静かに始まった。

 不快さは、驚くほどない。


 魔力回路マジカルシナプスの反応を読む機材を胸に当てられ、呼吸の波形と脈、回路の応答が画面に映る。


 いつもの手順。


 ――なのに、なんだかホッとできた。


 セシルさんが“押し切らない”からだ。

 僕の呼吸のリズムに合わせて、器具を丁寧に動かしているのがわかる。


「……ん? これ……」


 セシルさんの目が、画面の一点に吸い寄せられた。


 僕もつられて画面を見る。


「ほら、ここ。……すごいね」


 彼女の細い指が、波形の一部をなぞった。


 穏やかな波が続いていると思ったら、突然、跳ね上がるような鋭いスパイクが混じっている。


 一つじゃない。

 幾重にも重なって、まるでノイズみたいに乱れていた。


「今までのデータからもそうなんだけど、潜在的な魔力量が、時々こうやって跳ね上がるの。……キミ、複数人の魔力が混ざり合ってるみたいだね」


 不意打ちの発言に、心臓が早鐘を打った。


「へ? ふ、複数人? そ、そんなことあるんですか……?」


 変な汗が出る。


 まさか、バレた?

 この人には見えるのか?

 僕の中に、本当に“いる”ことが。


 引きつった僕の顔を見て、セシルさんはきょとんとしてから、あはは、と笑った。


「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。あくまで比喩……例え話です。実際に誰かが入ってるわけないから、安心して。それに――」


 セシルさんは、すっと目を細めた。


「自分のことは、自分がいちばんわかってますよね? ……なんて」


 セシルさんは、そう言うと、胸に当てていた機材を静かに片付けた。


(び、びびったぁぁ……っ! まじでバレたかと思った……!!)


 寿命が縮んだ。

 心臓に悪いなんてもんじゃない。


 内心で冷や汗を拭っていると、脳内で鈴の音のように笑う声が響いた。


『アハハ! ホノちゃん、九死に一生を得た感覚だね~』


(笑い事じゃないってば!)


 脳内のジュリアに文句を言いながら、僕は必死で平静を装った。


「あ、あはは……そういうことも、あるんですね……」


「これだけの出力が出るのは才能みたいなもんですよ。魔力回路マジカルシナプスに異常があったり、闇属性の人はここら辺がブレるの、意外と珍しいことじゃないしね。気にしすぎないのが一番って感じ」


 セシルさんは、さらりと流した。


 けれど僕は、自分の波形の乱れが、心の中身を見透かされているみたいで、少し居心地が悪かった。


「……よーし、ここまででひと段落。お疲れ様でした」


「あ、ありがとうございます。なんだかあっという間に終わった気がします」


「……それだけ普段、頑張ってるってことだね。ホノジくん――」


 セシルさんが、僕の頬にそっと手を添えた。


 そして、僕の目をじっと見る。


「平気なフリしちゃだめだよ?」


 不意打ちだった。

 何気ない口調で、一番触れられたくない場所を撫でられた気がした。


「平気なフリ……? してるのかな……?」


 言葉が漏れた。

 ごまかそうとしたわけじゃない。


 正直、自分でもよくわからないのだ。


 僕は僕自身に対して、正直に生きている……と思っている。


 でも「正直」って、全部言うことじゃない気もする。

 全部感じ切ることでもないと思う。


 ――感じ切ったら壊れるから、どこかで無意識に薄めてるのかも。

 もしかして、それが“平気なフリ”ってヤツの正体なんだろうか。


 黙り込む僕を見て、セシルさんは小さく笑った。


「知ってましたか。人って意外と嘘をつくんですよ。他人だけじゃなくて、自分にも嘘をつく。あたしなんて、今日こそはってダイエットしてるのを無視して、いつも通りお菓子食べ過ぎちゃった……えへ」


 「えへっ」って笑ったときに、舌が少し出ていた。


 まっすぐにお茶目だ。


 なんなんだ、この人は。


「お姉さん、お茶目ですね」


 ……口に出てた。


「……やだ。ホノジくん、本当にお姉さんって言ってくれるんですね。それにお茶目って……もしかしてホノジくん、年上のお姉さん口説くの慣れてる感じ?」


 セシルさんの目が、悪戯っぽく細められる。


「え、く、口説いてませんよ!? ……あ、いや、口説いてないって言うと魅力がないみたいで失礼……? えーと、じゃあ口説いてます? ……って、へ? 何言ってるんだ僕!? あああもう、わかんないです! ごめんなさい!!」


 セシルさんは声を立てて笑った。

 無邪気な笑い方だった。


 でも、笑いながらも手は止まらない。

 器具を戻す動きは、やはり精密機械みたいに正確で、静かだった。


「ホノジくんって、かわいいんですね」


「ん? 今度は僕が口説かれてるの……?」


「あはは~、なんでそうなるんですかっ。ホノジくん、ピュアピュアって感じでホントかわいいんだから」


「うーん、褒められてない感じなのはわかるぞ」


「いやいや、褒めてるんですよこれ。そのまま“ピュア担当”でいてくれると、お姉さん助かるし……なんて」


 悔しいけれど、悪い気はしない。


 この人と話していると、自分が「異常な検査対象」じゃなくて、ただの「年下の男の子」に戻れる気がする。


 でも。


「やっぱ褒められてない気がします」


 なんとなくそんな気がする。


「なんでそうなるかな~。……まあ、いいっか。少しでもホノジくんの胸が楽になったキッカケになれたなら、お姉さんはそれだけで満足です」


「はい。なんだか胸が少しだけスーッとした感じがあるんで、それは間違いないですね。……ただ、さっきの『平気なフリ』ってのだけは、なぜか引っかかる感じがします」


「それはきっと、ホノジくんが自分をごまかすのがうまいから」


 その言葉だけ、トーンが違った。


「ごまかすのがうまい? じゃあダメじゃないですか……」


「そういうわけでもないんだよね、これが。時には、ごまかすのが大事な時もあったりする」


 セシルさんは、遠くを見るような目をした。


「……えへ。そう、難しいんです。大人になるのって、難しさを抱えるってことだからね」


 その横顔が、一瞬だけひどく大人びて見えた。


「僕にはまだ早いみたいです」


 そう呟くと、セシルさんは僕の顔を覗き込み、悪戯っぽく――でも、どこか真剣な瞳で言った。


「焦らなくても、いつかその時は来るから。今は、自分のやりたいようにするのが一番かもしれませんね」


 言いながら、彼女の瞳がほんの一瞬、揺れた気がした。

 まるで、彼女自身に言い聞かせているみたいに。


 その言葉は優しく聞こえた。

 けれどなぜか、胸の奥底の「欲望」に火をつけられたような気がした。


「やりたいように……する……」


 その言葉が、すとんと腹に落ちた。


 膝の上で、無意識に拳を握りしめる。

 爪が食い込む痛みが、なぜか心地よかった。


「検査は一応ここまでです。最後に何か聞きたいことはありますか?」


 僕は立ち上がりかけ、ふと足を止めた。


 この人なら、答えてくれるかもしれない。


「うーん、ずっと気になってて……違う検査官の人に聞いたら、知らん! って一蹴された内容なんですけど……」


「なになに? いいですよ。遠慮なくお姉さんに聞いちゃいなさいっ!」


「じゃあ遠慮なく。【闇属性】ってそんなに珍しいんですか?」


「あー、そうですね。闇属性以外にも出づらい属性はあるんだけど、その中でも【闇属性】は群を抜いて珍しいかもです。百人に一人ぐらい? 下手したらもっとかな?」


「なるほど。イメージよりは多いですね。闇属性だと、何回もエラーが出るのは当然なんですか?」


「それに関しては、そんなこともないかも。闇属性ってだけでエラーが出る理由にはなりづらいかな」


「じゃあ僕がこんなに――」


「うん?」


「エラーが出るのは、何故なんですか?」


 それまですらすらと質問に答えていたセシルさんが、その質問にはすぐに答えなかった。


 僕の目を見て、次に機材の画面を見て。


 それから言葉を選ぶみたいに、一拍置く。

 その「一拍」に、嘘のない誠実さを感じた。


「……主に出てるのは魔力回路マジカルシナプス周りのエラー。実は魔力回路マジカルシナプスって繊細だから。神託の帽子も魔力回路マジカルシナプスを読み取って属性を探ってるんだけど、属性だけ見るなら神託の帽子で充分って感じ」


 そこで一度、呼吸みたいに間が入った。


「でも、それ以上に複雑だと、こういう検査を重ねることもあります。ホノジくんの場合、数値が【闇属性】の平均値の中でも、なぜか安定しない傾向にあるんだよね。【闇属性】っていうよりは、魔力回路マジカルシナプス自体に原因があるのかも。でも、魔力回路マジカルシナプスの細かい反応って目に見えるものじゃないから、治療も検査も難しいの」


「え~? じゃあ僕の場合、その原因がよくわかってないってこと!?」


「答えとしては半分イエスで、半分ノーかな。確かに詳細はわかっていませんが、大体の方向性はわかってますし、データをもとになんとなくでも予測することはできちゃいます」


「じゃあ、その予測内容を教えてください!」


 食い気味に聞いた僕に、セシルさんは困ったように――でも、きっぱりと首を横に振った。


「……それはごめんね。今伝えると、誤診したときに混乱や被害を招くこともあるから、詳細は伏せてるって感じです。ほんとごめんね……えへ」


 教えてくれない。

 でも、「教えられない理由」を教えてくれた。


 それだけで、今までの「理由なき拒絶」とは全然違う気がする。


「うーん、それは仕方ないですよね~~。飲みこみます、はい」


「審査結果が出るのは、たぶん一か月後ぐらいになると思います。今は考えすぎても毒だから、気長にゆっくり休んでね」


「うん。ありがとうございました。じゃあ僕はこれで」


 そう言って僕が席を立つと、セシルさんは手袋を外した。


 ぱち、と薄い革が肌から離れる音すら、やけに静かだった。


「あ。ホノジくん、ちょっと待って」


 セシルさんはそう言うと、白衣のポケットを探って、小さなカードを一枚取り出した。


 さらさら、と迷いのない筆運びで何かを書いている。


 次に、机の上の小さな金属の缶を手に取る。

 蓋を開けると、甘くてほろ苦い匂いが、ふわりとこぼれた。


 セシルさんは缶の中から、銀紙に包まれた小さな粒を一つだけ取り出す。

 それをさっきのカードの上に添える。


 そうして、僕の手のひらに、そっと乗せた。


「これ、あげるね」


「……なんですか、これ」


 僕はカードを見た。


 そこには可愛らしい文字で――。


ーーーーーーーーーーーーーー

   無理しないでね♡

ーーーーーーーーーーーーーー


 とだけ書いてある。


「メッセージ? 嬉しいですけど……なんでわざわざ書いたんですか? 口で言った方が早いのに」


 セシルさんは、少しだけ肩をすくめて笑った。


「えへ。こっちのほうが気持ちを込められるから」


「気持ち……」


「うん。あとで見返せるでしょ? ホノジくんが、少し息しづらいなってなったときに」


 その言い方が、妙に優しかった。

 押しつけじゃないのに、逃がさない距離感。


「……これ、今たべていいんですか?」


「もちろん。今でも、あとでも。ホノジくんの自由ですよ。ホノジくんが決めていいんですよ」


 包みは軽いのに、匂いだけが濃い。


 僕は銀紙をほどいた。

 丸い粒がひとつ、ころん、と掌の上で転がった。


 黒い艶。

 指先で転がるほど小さいのに、匂いだけはやけに濃い。


 間違いない。

 カカオの香りだ。


「……え、これ……」


 僕が中身に驚くと、脳内からジュリアの声が弾むのが聞こえる。


『はわわわっ! ……これっ! チョコじゃん~~っ! チョコレートじゃん~~っ! セシルわかってるぅ~~っ!』


 ジュリアのテンションが上がるのも当然だ。

 だってチョコレートは、ジュリアの大好物だから。


 そして、もちろん僕の大好物でもある。


 驚いている僕を見て、セシルさんが楽しそうに目を細める。


「どうかな?」


「チョコレート大好きなんで、めちゃくちゃうれしいです! でも……チョコレートって高いですよね」


 口にするだけで、少し緊張する言葉だ。


 チョコレートは、他の甘味とくらべると高級嗜好品だ。

 一粒で銅貨三十枚(30ソル)はくだらない。


 学食なら余裕で数回は腹を満たせる値段――それがチョコレートの場合は、たったの一粒で消える。


「そんなのを、なんで僕なんかに……」


「えへ。なんでなんだろうね?」


 セシルさんは、わざとらしく首を傾げた。

 ふわふわした笑顔なのに、目はちゃんと僕を見ている。


「……ただ、ホノジくんがつらそうに見えたから。だから私はね――」


 彼女は、僕の手のひらのカードを指先でちょん、と叩いた。

 紙のカード越しに、セシルさんの指先の感触が伝わる。


「“気持ちごと”そっと置くの。伝われ~~って」


 ……不意を突かれた気がした。


 心がじんわりする。

 まさか嫌いだった検査で、ここまでの暖かさを感じるなんて。


「…………伝わりました。あったかいです」


 そう言うと、セシルさんは柔らかく微笑み返してくれた。


 僕はメッセージにもう一度目を通した。

 ハートが、イイ感じで目に刺さる。


 医務室の硬い匂いの中で、これだけがやけに柔らかく感じた。


『ねえねえ、ホノちゃん! 早く食べようっ!?』


 急かすジュリアに、僕は脳内で肩をすくめた。


(まったく。仕方ないな~)


『味覚、共有してねっ!?』


(わかってるって)


「……じゃあ。いただきます」


 僕は少しだけ迷ってから、粒を口に入れた。


「……うわあ。甘いっ。とろとろだぁ……」


『とろとろだぁ~~っ! ん~っ……うまぁ~~いっ!』


 軽く噛んでから、舌の上でゆっくり溶かしながら転がす。


 ほろ苦さとコクが、遅れて追いついてくる。

 小さいのに、温度がじんわり変わる。


 ――チョコレートは元々高い。


 でもこれは、その中でもさらに“高い”やつだ。


 甘さが薄っぺらくない。

 苦味が尖ってない。

 深みだけが、静かに残る。


「ん~っ……美味しすぎる~~っ!」


 気づけば僕も、ジュリアみたいなリアクションを取っていた。


「ふふふ、ホノジくん、かわいいっ! もう一粒食べる?」


「い、いいんですかっ!?」


「いいよいいよ。食べて食べて!」


 セシルさんは、さっきの缶の蓋をもう一度開けて、銀紙の粒を一つつまんだ。


 ころん、と僕の掌に落ちる。


「じゃあ、遠慮なく!」


 僕は今度は、勢いよく噛み潰した。


「ん~~っ! 二粒目でも……んまぁ~~いっ」


 セシルさんは僕が食べるのを、笑顔のまま待っていた。


「気に入ってもらえてよかった……。やっぱりチョコレートは美味しいですよね」


「ほんと……ありがとうございます。これ、本当に美味しくて……絶対チョコレートの中でも高いやつですよね?」


「あたしのお気に入りなの。値段度外視でたまに食べてます。でも、ホノジくんは申し訳なく思わないでいいからね……今回はお姉さんの気まぐれ、ってことで」


 僕はカードを指で挟んだまま、気持ちを込めて、小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」


「困ったら、また来てくださいね。なんでも聞いてくれていいし、言える範囲のことなら、ちゃんと説明するから」


 僕はうなずいて、カードをそっとポケットにしまった。


 このときのメッセージのあたたかさと、チョコの甘さを、忘れることなんてできそうもない気がする。


「あ、ホノジくん」


 部屋を出る直前、またもや声が飛んでくる。


 僕はゆっくり振り返った。


「なんですか?」


「あたしは闇属性、大好きですよ。えへ」


 舌をお茶目にだしながら笑うセシルさんが、あまりにも眩しかった。

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