表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蹄煮込み、経験を喰らう――牛好きの少年は「死」を食べて強くなる  作者: メイ
第二章:言葉を探す少年

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/55

第49話:一週間前の誓いは――

 購買に人の気配はまだ少ないが、それでも列はでき始めていた。数人の生徒が並んでいる列の後ろに、僕も並ぶ。


 前の生徒が、少しだけ僕との距離を空けた気がしたけれど、気にしない。後ろに並んだ生徒も、まあまあ距離を空けて列についたが、きっとそれも気のせい。たぶん、購買の列というものは、そういう間隔で並ぶものなのだ。

 牛乳を求める者同士、互いの聖域を尊重しているのかもしれない。

 きっと僕の考えすぎ。


 ――それよりも今はミルクだ。


 数を確認するために棚を見る。

 待望の『天使ちゃん』は、ぱっと見ただけでも数十本。棚の一角で、後光が差すように、静かにこちらを待っていた。


 さすがに、この数分で完売することはなかったらしい。


 ――良かった。


 僕が焦る気持ちも仕方ないと思う。

 朝のうちにミルクが消えることは珍しくない。

 昼の時間に残っていることの方が稀。

 数があると高をくくって油断すれば、欲しい頃には完売していることも多い。


 朝練帰りの生徒が、朝食代わりに甘い菓子パンと一緒に買っていくからだ。

 おいしいミルクは、いつだって競争率が高い。当然っちゃ当然だ。


 今日は、検証分として必要な本数がまだ残っていた。

 ——その事実だけで、勝った気分になる。


「おばちゃん! さっきの牛乳、あと二本ちょうだい!」


「あらあら、今日はずいぶんと喉が渇いてるのねぇ」


「それと、お願いがあるんだ! その二本のうち、一本はさっきと同じロット番号のやつ。もう一本は、違う番号のやつが欲しい!」


 同条件と、別条件。

 最低限、この二つは必要だ。

 思い込みで奇跡を語るほど、僕はミルクに不誠実ではない。


 おばちゃんが、瓶に印字されているロット番号を確認する。


「あれ――」


 おばちゃんが首を傾げる。

 まさか――欲しいロット番号のミルクが、もうなくなっているのか。

 心臓が冷えるような感覚がした。


「えーと……あったあった」


 杞憂だったようだ。

 購買のカウンターに、二本の牛乳瓶が並ぶ。


「わざわざロット番号を指定するなんて面白いね。何か理由があるのかい?」


「へへっ。秘密~!」


 怪訝そうな、それでいてどこか面白がっている顔のおばちゃんから、二本の瓶を受け取った。


 瓶は、手のひらにひんやりと冷たい。


 ……よし。

 まずは、第一関門突破だ。


 僕は食堂のテーブルに戻るなり、即座に実験——いや、テイスティングを開始した。


 まずは、さっきと同じロット番号。『No.2045』。


「……っ!」


 ごくり、と喉を鳴らす。


「……やっぱりだ。こっちは、さっきと同じ……奇跡の味がする」


 次に、違う番号。『No.2048』。


「……うん。こっちは、いつもの美味しい牛乳だ」


 ……間違いない。

 No.2045だけが、違う。

 僕は真実に辿り着いた。

 そして、机に突っ伏した。


「うぅ……お腹、たぷたぷだぁ……ふへへ……でも、しあわせええ……」


 小瓶三本——合計六百ミリリットルを短時間で一気飲みしたのだ。

 胃袋の中で、ちゃぽん、ちゃぽんと液体が揺れる。

 その心地いい圧迫感に、思わず身を委ねてしまう。


「ホノジ……何やってんの? 朝から牛乳三本一気飲みして『たぷたぷ』って、何その状況? 清々しいほどの牛乳馬鹿なの?」


 呆れ果てた橙馬の声が、隣から聞こえた。

 ミルクでキマッて上機嫌になった僕には、それは褒め言葉にしか聞こえない。


「へへへ……あんまりほめないでよ~」


「やっぱりホノジって、俺っち以上にポジティブだよな……」


 このへんでいつもなら、ミネルヴァかジュリア、もしくはガンテツあたりのツッコミが飛んでくるころだが、今回は無反応だった。


 脳内では、すでに緊急会議の結論が出始めていたからだ。


『……決まりだな。ミネルヴァ』


『ええ。間違いありませんわ、ガンテツ殿』


 ミネルヴァの声色が、先ほどまでとは違う。

 冗談の混じらない、鋭い分析官のそれだ。


『餌を変更したわけではありません。もし飼料そのものを変えたのなら、変更以降の全ロットで味が変わるはずです。ですが、変化が見られたのはNo.2045のみ……つまり、これは事故アクシデントの可能性が高いですわね』


事故アクシデント……?)


『ええ。放牧中の一部の牛が、偶然にも「食べてはいけないもの」を口にしてしまった。それが消化され、乳成分に混じったのでしょう』


(……食べてはいけないもの?)


『ご主人様、バトルロイ・ブラックウッドの牧場は、裏山——竜息山りゅうそくざんふもとに位置していますわね。牛舎もありますが、餌とストレス管理のための放牧地も広大です。放牧地の一部は、おそらく禁足地との境界に近い。牛たちが柵を越えて、うっかり群生地ぐんせいちに迷い込んだ可能性は十分にあります』


(あ……そっか。だからロイさん、あんなに詳しく忠告してくれたんだ)


『コレクト。彼の牧場は、あの危険地帯と隣り合わせなのです。だからこそ、密猟者の動きにも敏感なのかもしれません』


 舌に残る、あのじんわりとした余韻。


 万病に効く滋養強壮薬の材料となり、過剰摂取すればドラゴンの如き活力を得るとも聞く——禁断の食材。


 乳成分にほんのわずか混じっただけで、これほどはっきりと感じる。

 魔導回路マジカルシナプスが、じわりと拡張されていくようなこの感覚。


 ……実家にいた頃。

 叔父が一度だけ持ってきた、あの高級食材に、よく似ている。


(……竜息茸ドラゴン・マッシュ!?)


『コレクト、ですわ』


 静かに、推測が形を取る。


 そして、約一週間前の記憶が鮮明に蘇った。

 ——ロイさんの、あの忠告だ。


『あそこは危険だぞ。竜息山りゅうそくざんと呼ばれて、禁足地になるだけの理由がある。あそこは、高熱の胞子を放つ竜息茸ドラゴン・マッシュの群生地だ』


 あの時は「危険だから行かない」と誓った。


 でも、もし。

 牛たちが放牧中、偶然にもその群生地に迷い込んだのだとしたら?


 管理された牧草地から外れた、未開のエリアへ——。


 ……ということは。


(今行けば、生えている可能性は高い……)


 たぷたぷと波打つ胃袋をさすりながら、僕は確信した。


 これは運命だ。

 啓示だ。

 牛神さまの導きに違いない。


 学園の牧場、その裏山に——。

 本当に、あのロマンが眠っているなんて。


 ロイさんの話は本当だったんだ。


 採取して、もし栽培までできるような代物だったら……。

 そのキノコを手に入れれば、実家のチーズは、世界一になれるかもしれない。


 危ないとか、禁足地とか。

 そんな理屈はいつの間にか、欲望と乳脂肪分の彼方へ、きれいさっぱり追いやられていた。


『小僧、行く気か?』


(……やっぱりだめかな?)


『駄目というわけではないのう。小僧が決めたなら、それを止める権限はワイらにはない。ただし、覚悟はしておけ』


(……うん)


 ごめん、ロイさん。


 これは実家のためなんだ。


 美味しい原因がドラゴンマッシュなら、僕はそれを確認しないわけにはいかない……気がする。


 しかも僕は、授業じゃなく検査だ。通常の終業よりも早く終わる。

 それに加えて、今日は平日の最終日、金曜日。


 ということは――。


「幸いにも、明日と明後日は土日……ちょっと、見てくるだけならセーフなはず」


 誰にともなく小声で言い訳する。


 一週間前の誓いは——白い奇跡の前に、あっけなく崩れ去ってしまった。


「採らないし、触らないし、匂いを嗅いで帰る。それだけ……本当に、それだけだから……」


 言いかけながらも、わかった。


 ——嘘だ。


 口にした瞬間から、もう自分でわかっていた。

 その言葉だけが、頭の中で何度もリフレインする。


 理性が止めようとする感覚はある。

 でも、足は止められそうにもない。


 欲望のほうが、ずっと素直だった。


「ホノジ? お前、さっきからお腹さすりながら一人で何ブツブツ言ってんだ……」


 どうやら、独り言を見られていたらしい。


 というか、隣でずっと独白を垂れ流していた僕がおかしいのは認める。


 ただ、それでも。

 呼ばれている気がする。


 そこに、前に進むための「ヒント」があるように感じる。


 その強力な引力に、抗うのが難しい。


 隣にいた橙馬の怪訝そうな顔が、正直ちょっと鬱陶しく感じた。

 今の僕の頭の中は、もう紫色のキノコと、最高のチーズのことでいっぱいだったから。


「別に、何をブツブツ言っててもいいでしょ」


 むっとした感情が尖る。


 橙馬を雑に扱おうとした、そのときだった。


「ホノジ、もしかしてお前、なんかヤバそうなことしようとしてるのか……?」


 橙馬の不意に鋭い発言に、心の中でひやっとした。


 なるべく顔に出ないよう、ポーカーフェイスを意識するが――。


「おいおい、その顔……」


 どうやら完璧には抑えられなかったらしい。


 橙馬が怪しんでいる。やばい。


「……あはは! なわけないでしょ。それに、もし僕がヤバそうなことをしようとしてたら、橙馬とうまはどうするのさ?」


 なるべくなめらかに誤魔化すことに努める。


 冷や汗が首の後ろだけで済むことを願いながら、橙馬に話を返して、違和感を隠す。


「……どうするって、内容にもよるけどよ――」


 僕の心に、緊張の亀裂が走る。


「楽しいことだったら、一枚噛むに決まってんだろ!」


 橙馬はそう言って、いつも通りに白い歯を見せた。

 その姿は明るくて、やっぱり眩しい。


 この男は、いつだって明るい方向に引っ張ろうとする。


 ただただ止めようとするのではなく、前向きにとらえようとするその態度に……少しだけ、ほっとした。


「……あはは。正直、検査の連続で疲れてるよ」


 その気持ち自体は、嘘ってわけじゃない。

 ただ、実際にそうするかは、また別の問題で……。


「だから休日は、ゆっくり休もうと思う」


 胸が、すこし締め付けられた気がした。


 でも。

 これでいいんだ。


 そう自分を丸め込む。


 そもそも、だ。

 リスクを一緒に背負わせようなんて、どうかしてる。


 そりゃあ、橙馬が一緒に来てくれるなら、心強い。


 でも。

 橙馬を、僕の身勝手な都合で巻き込むわけにもいかない。


「だからね、橙馬。大丈夫だから。僕は……大丈夫だから」


 口が引きつった感覚がある。


「……おう、そうだな」


 橙馬の声が一瞬だけ寂しそうに聞こえたのは、気のせいだろうか。


「ホノジ、確かに少し疲れてる顔してるよ。華の金曜日だからって、あんまりはしゃがず、土日はマジでゆっくり休んだほうがいいぜ。もしなんかあるなら、引き続き俺っちに遠慮せず声かけろよな!」


 その純粋さに。

 その信頼に。

 胸が少しだけ、ちくりと痛んだ。


「ありがとう、橙馬。また牧場跡地の復興で必要になったら、声かけると思う」


 精一杯、明るい声を出す。

 ……今の僕は、うまく笑えているのだろうか。


「おう!」


 そう言う橙馬の顔は、僕には純粋に笑っているように見えた。


 これは、自分と橙馬のために必要な行為ことなんだ。

 誠実さは、真実を話すこととイコールじゃない。


 きっと大丈夫。

 大丈夫なはずだ。


 そう思い込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ