第46話:夜に手を伸ばす
「完成したな……」
「うん……」
完成した柵を見ていると、感慨深いような、でもどこかむずがゆいような、うまく名前のつかない気持ちが胸のあたりに残った。
つぎはぎだらけで、形だって完璧とは言いがたい。
なのに、自分たちの手でここまで戻したと思うと、それだけで少し誇らしい。
ただ柵を修繕するだけなら、きっと誰がやっても、見た目にはそこまで大きな違いは出ないはずだ。
けれど不思議なことに、それを自分の手でやったというだけで、景色の見え方はまるで違っていた。
壊れていた場所が繋がっただけ。
それだけなのに、さっきまでよりずっとちゃんと、ここが「自分の牧場」になった気がした。
……ううん。
これを繰り返して、「自分の牧場」にしていくんだと思う。
「……ありがとう橙馬。今日ここまで進められたのは……橙馬が手伝ってくれたおかげだと思う」
「おう! いいってことよ」
「橙馬、今日いろいろあったね……」
「おう! そうだな!」
ひと仕事終えたせいか、張っていた気持ちが少しだけほどける。
夜風も心地よくて、気づけば僕は、今日のことを振り返りながら口にしていた。
「まず、おにぎりうますぎでしょ!? 塩むすびだけで意識飛ぶかと思った! それに途中で入ったラーメン屋さんも、出汁のハーモニーが効いてて、たまご麺で美味しかったな。そして何よりも……ソフトクリームね! 極上生絞りのっ! なんてったって、甘くて濃厚で、味わい深くて……反則級の甘さで……次も行く! 花丸満開! 絶対リピる!」
「ダハハハッ! ホノジどんだけだよっ! 全部メシの話じゃねえかっ!」
「あはは、もちろんそれだけじゃないよ。椿君に詐欺られるところ助けてもらって、ルミタまでもらって、もう橙馬よりとっくに好きになってるし」
「オイッ!」
「花丸さん一家もあたたかかったな。梅子さんも茜さんも、短い時間だったけど優しくしてくれたし、何より万典さん、かっこよすぎた。あんな大人に思わずなりたいなって思ったぐらいだよ。うちの師匠と会わせてみたいなって思うくらいには。品ぞろえも質も一級品だし、割引も本当にしてくれて……感謝しかない」
「マジでお前ってヤツは……それで充分すぎだぜ……」
「そして芽依ちゃんね。芽依ちゃん本当に……ほんっっとに! 可愛かったねっ!! 許されるなら持ち帰りたいぐらいだよ! うっへっへ~~」
「お、おう? メイちゃんかわいいのはわかるけど、ちょっと怖いぜホノジ。マジで誘拐すんなよ……?」
「しないしない。どれだけその衝動があっても、万典さんお手製の墓に入るのはさすがに勘弁だからねっ!」
「ダハハ! 誘拐衝動は、嘘でも否定しろよ! マジでそのうち墓入ることになるぜホノジ!」
「ふーん、そうやって軽く言ってるけどいいの? じゃあ、橙馬は茜さんを可愛すぎて誘拐したいなって思ったことないって、誓って言える? 星還りの契約できる?」
「星還りの契約は重すぎんだろっ!? でもまあ、できるぜ……? アカネはそりゃあ、最高に可愛いと思ってるけど、でも誘拐じゃなくて、もっとこう、しっかり向き合って、男として誠実に……って、あ」
その「あ」が口をついた時点で、もう遅い。
「ふふーん? 続けて続けてっ!」
「ホ、ホノジィ~~っ!? お前、俺っちをハメたなぁ~~っ!?」
「なんの話かな? で、話の続きどうしたの。気にせずどうぞ、なんだけど?」
「……いや、遠慮しとくぜ」
「ちぇっ。せっかく墓穴ほってくれたと思ったのに」
「墓穴って……なんで俺っちが墓に入りそうになってんだよ……。つーかホノジ、そういうお前はどうなんだよ……」
「どうって……引っ越してきたばかりの人に、いるわけないでしょ」
「それもそうだよな。なんつーか、まあ、そういうことがあるといいな」
「……ま、こういうのは巡り合わせってやつでしょ」
「めっちゃ大人な意見言うじゃん……てかそれ、そう言っとけば恋愛する機会がなくても傷つかないからって理由で言ってねえか?」
「ぎくっ!」
「ぎく、て。ダハハハッ! 言葉に出すやついねえだろ普通! でもまあ、巡り合わせがあるといいな? 応援してるぜ!」
「ふん。べつに巡り合わせなんてなくていいもん。僕には芽依ちゃんと牛さんがいればいいんだから!」
「開き直りかよ。にしても牛て。相変わらずぶれねえヤツ……」
くだらないやり取りのはずなのに、笑いながら交わせるのが妙に心地いい。
今日はいろいろあったはずなのに、不思議と嫌な疲れ方はしていなかった。
「ん、橙馬。どうかしたの?」
さっきまで笑っていた橙馬が、ふいに声の調子を変えた。
「……朝さ、念波石で連絡来たとき……俺さ、正直ビビったんだよね」
「びびった……? なんで?」
「いやあ、ちょっと後悔してる言葉があってよ……」
「ん? なんのこと?」
「新聞契約してくれた日、覚えてるか?」
「……もちろん」
「親の教育どうなってんだって言ったの。マジでデリカシーがなかったと反省してる。あれは俺が本当に……よくなかった。ホノジ、ごめんな」
「え」
そんなことを今さら持ち出してくるとは思わなくて、少しだけ目を丸くする。
でも、それ以上に意外だったのは、橙馬がそのことをちゃんと覚えていて、ずっと引っかけていたことだった。
「ホ、ホノジ……? やっぱり怒ってんのか?」
「……ぷっ」
「ホノジ?」
「ぶっ! あはは! あはははははっ! マジか橙馬! それはさすがに……だよ!? あはははは!」
「な、何がだよ? 笑ってないとやってられないぐらい、気分害しちまったか?」
「いやだってさ……そこ気にしてたの!? 今さら!? 橙馬って、そういうとこ変に真面目だよね……っ、あはは! てかどう見ても、僕爆笑してるじゃん! そ、それで『気分害しちまったか?』って、どう考えてもその返しもおかしいでしょ! あはははは!」
「や、やめてくれよ! 俺っちだってそんだけ不安だったんだぞ!? ……あまり気にしてないならいいんだけどもよ。……ほら、親関係って人によって違うじゃん? うちんとこはちょっと微妙だからな。あの時は俺っちの感覚だけで言っちまったからさ」
笑いながら聞いていたけれど、その言葉の奥にある本気はちゃんと伝わってきた。
軽く流して終わらせるには、少しもったいないと思えるくらいだった。
「……その見た目で繊細さんなんだ。うわぁ引く」
「引くなよ!?」
橙馬は抗議しながらも、どこかほっとしたように頭を掻いた。
からかい半分の返しではあったけれど、ちゃんと受け取ってもらえたのはわかる。
普段はめいっぱいにうるさいぐらいおちゃらけてるのに、そういう妙な真面目さが、やっぱり橙馬らしい。
言い合って、笑って、ほんの少しだけ本音まで混ざったからだろうか。
夜気の冷たさまで、さっきより気持ちよく感じられた。
そのとき、ふっと世界の輪郭が遠のいた。
「「あ」」
またしても、橙馬と僕の声がぴたりと重なる。
さっきまで見えていた板の木目も、足元の土の細かな凹凸も、急に夜らしい曖昧さの中へ戻っていく。
「あ、橙馬、これ!」
「……おう、ホノジ。もしやお前も」
そこで僕と橙馬は顔を見合わせて――。
「「ルミタの効果が切れた!」」
今度もまた、声が重なった。
「おいおいおいホノジお前……」
「なになになに橙馬……」
「ハモんなよっ! ダハハハッ!」
「あははは! それはこっちのセリフだよ橙馬! 真似しないでよ!」
謝ったり笑ったりしていたせいか、さっきから妙に息が合いすぎていて、それがなんだかおかしかった。
肩を揺らして笑う橙馬につられて、僕まで笑ってしまう。
夜の牧場に、二人ぶんの笑い声がしばらく転がった。
笑うのに少し疲れたとき。
ふと、空を見上げた。
「橙馬、星空ってこんなんだっけ」
暗さが戻ったぶん、今度は空のほうがやけに目についた。
さっきまで地面や手元ばかり見ていたのに、顔を上げた先には、それよりずっと広いものがあった。
「……うわ~~、つーか、なんていうかこれは」
「キレイ、だね」
どこまでも果てしなく広がる、星空そのものだった。
「マジそれな……否定できねえし、したくもねえ。俺っちもあの星ぐらい輝きてえよ……」
「橙馬、僕ね」
「なんだ?」
「都会じゃ、下手したら星は見られないかと思ってた」
「ダハハハッ! なんだよそれっ!? なわけねえだろがい!」
「いやだって、あれ見てよ……」
僕は数キロ離れている、セントルファーの街を指さす。
はっきりと街の姿が見えるわけじゃない。
でも、茂った暗い森の向こうに、確かにぽわんと光る街がある。
その明かりが、眩しくないのに目に痛く感じるのは、気のせいだろうか。
「あ、確かにアレは……おう。街、明るいな……」
「あの明るさがどんどん広がったら、きっと星が見えづらくなる」
「……おう。それも否定しづれえな。さっきルミタで俺ら経験しちまってるからな」
「ね」
「おう」
街の灯りは、たしかにきれいだった。
それを否定したいわけじゃない。
あの明かりに助けられている人がいることだってわかってる。
人工物だとしても、明かりに温度はある。
でも、その明るさが増えるほど見えなくなるものもあるのだと、さっき自分の目で知ってしまった。
見えるようになることと、見えなくなること。
その二つは、案外べつの話じゃないのかもしれない。
そんなことを思っていると、わざわざ何か言うのが少しだけもったいない気がした。
それからしばらく、なぜか橙馬と僕は口を開かなかった。
橙馬は知らないけど、僕は別に話をしたくなかったわけじゃない。
どっちかっていうと、沈黙が不思議と心地よかったからだ。
沈黙しているあいだ、煌めく星を眺めながら、自分の胸の内で、今日のことをもう一度振り返った。
うるさい橙馬と過ごして、好き勝手にふるまう六英雄に気遣われて、ルミタを椿君から譲ってもらって、花丸一家のあたたかさに触れて、芽衣ちゃんの可愛さに悶絶して、好きなものを食べて。
そして。
痛感した。
僕は「見ないフリ」をするのが、やっぱり上手なんだと思う。
まだ十六歳かもしれないけど、それなりの経験をしてきたと自負してる。僕が生きている今日が、多くの人に助けられた結果でもあると、こうやって振り返って俯瞰し、大人ぶって調子に乗れるぐらいには。
だからこそ、あらためて思う。
……父さんのことだって、上手に捌けたわけなんかじゃない。今日は少しだけ立ち向かったけど、それだけだ。結局は「見ないフリ」をするよりマシな、「見るフリ」だったにすぎない。
家を出る時のことを思い返す。
あの朝だって、父さんがいつも通りにふざけて。
母さんがそれで笑って。
美味しいごはんを用意してくれて。
ミルクは、口いっぱいに幸せが広がるみたいに美味しくて。
ただ、父さんは少し元気がないようにも思えて。
いつか……。
いつかふたりにも、僕の立派な牧場を見せられるよね?
……うん。
今は……そうだね。考えても仕方がないとは思う。でも、ときどき、自分をいじめるみたいに考えてしまう気がする。やめろ、と言われても、それはきっと難しい。昨日起きたあの出来事や父さんのことを、僕は簡単に割り切れず、胃がむかむかするような日々を過ごすかもしれない。
今日はたまたま、夜までうまく切り抜けただけだ。失うかもしれないものよりも、確実に進むものに縋ってるだけだ。ただ幸せだと勘違いしてるだけだ。
それだけのラッキーボーイなんだ、僕は。
それでも――
「星が他人ごとみたいに、本当にきれいだね……」
僕は、届かない夜に手を伸ばす。
星は、僕の想いなんて、きっと知ってくれない。
ずっと好き勝手に煌めく。
僕が見ていても、見ていなくても、僕は星に何も影響を与えられない。
明日だって、知らない顔をして、眩しいぐらいに満天の空で輝くだろう。
それでも。
夜に手を伸ばしたくなるときがある。
「きれいだな」
隣にいる橙馬が、そう言った。
でも、それだけ。
そのまま静かに星を見ている。
そんな橙馬を、僕は見る。
橙馬も、夜に手を伸ばした。
僕もまた、夜に手を伸ばす。
僕は煌めく星のひとつを、手の中に閉じ込めた。
もちろん、星に手は届かない。
星を手に入れることはできない。
それでも。
無理だとわかっていても、夜に手を伸ばす。
そういう日があってもいい。
この時ばかりは、心からそう思えた。
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次話から第二章が始まります。
引き続き、お楽しみください。




