第45話:打ち戻す釘
「え、なにこれ……」
口から漏れた言葉とは裏腹に、その異変は実にわかりやすいものだった。
陽はもう落ちているはずなのに、足元の土の盛り上がりも、転がった木片の角も、妙にはっきり見える。
さっきまで目を凝らさないと拾えなかった輪郭が、今は向こうから勝手に浮かび上がってくるみたいだった。
逆に、視界から消えるものもある。
少しずつ姿を現していたはずの星たちが、隠れるように見えづらくなった。
太陽がないはずなのに、世界が均等に明るくなっているような錯覚。
遠くと近くの境目まで、いつもより曖昧じゃない。
夜なのに、世界のほうが一歩こっちへ寄ってきたみたいで、少しだけ気味が悪い。
「橙馬……」
「ホノジ……」
お互いに顔を見合わせて、お互いに何が起きたのか察したみたいだった。
おそらく、僕が感じているこの異変を、橙馬も感じている。
その答え合わせは、望んでもいないほどのうるささと同時にやってきた。
「なんだよこれえええっ!? 世界が明るくねえかっ!? どうなってんのマジこれえええっ!? ホノジホノジホノジィ~~~~っ!?」
骨にまで、橙馬の声がガンガン響く。
ハクゲツジャーキーの覚醒効果と振動感知のせいで、その振動は僕の中で不快に木霊した。
「うるさいって橙馬……! いや、たぶん橙馬と僕で同じことを経験してて、興奮してるのはわかるけど、それにしたってバカでかすぎる音量はやめてよ……」
「ホノジィ~~~っ!? だってこれよぉ~~っ!? 世界が明るいんだぜ!? 夜なのによぉ~~っ!」
橙馬が今度は僕の肩を掴んで、楽しそうに大きく揺らしてくる。
視界が、がくんがくんと上下に振り回される。
明るくなった世界が、激しく揺れる。
「やめろバカ!」
思わず橙馬の首に、斜め上からチョップを見舞ってしまった。
「ぐえぇっ!?」
カエルが潰れた断末魔みたいな声が、橙馬から出た。
思わず出たチョップは申し訳ない。
僕は別に、暴力に訴えたいわけではない。
でも今のは、客観的に見ても橙馬が悪い。
突然の異変に興奮する気持ちはわかるけれど、強く肩を揺さぶられる身にもなってほしい。
「……頼むから落ち着いてよ。陽は確かに落ちてる。暗いはずなのに、世界が明るく見えるようになったの……冷静に考えてやばいと思う。でも大丈夫。たぶんこれ、異常ってワケじゃなさそうだから」
「おう……すまんホノジ。いったん落ち着くわ。でもよ、なんでこれ明るく見えてんだ? 異常じゃないってんなら、なにかしらの魔法か?」
「これはたぶん、魔法っていうより……魔法強化食ってやつだよ」
「おう? さらっと当然のことみてえに言ってるけど、ブースターミールってなんぞや?」
橙馬が首を傾げながら、肩を竦める。
なんでこいつは、わかってないくせに妙にドヤ顔でいられるんだ……。
頭がからっぽそうな橙馬の顔はむかつくが、このまま適当に説明したら、たぶん余計にややこしくなる。
「ちょっと待って。バカにもわかるように説明したいから、少し考えさせて」
「おう……今、さらっとバカって言わなかったか?」
「否定できるの?」
「えーと……おう、少し考えたけど否定できねえ! バカは大人しく説明を待つ!」
びしっと敬礼するようなポーズをとる橙馬を確認してから、僕は内側にいる、氷のような知性を持つメイドに意識を集中させた。
(ミネルヴァ? 世界が昼間みたいに明るく見えてるんだけど、これって魔法強化食が発動したってことでいいんだよね?)
『コレクト。まさしく魔法強化食が成功したのです』
(あ、やっぱりそうなんだ)
『難しく考える前に、シンプルに整理しておきましょう。魔法強化食の条件はひとつ。高魔力食材を口にしたときに、魔力含有細胞の保全率が八十%を超えていること。それだけですわ』
(……そうやって考えると、すごいシンプルだね。ちなみに今回のルミタの保全率はどんなもんだったの?)
視線を少し横にやると、さっきまでぼんやりしていた釘の頭が、今は小さな点としてちゃんと見えた。
説明を聞いているだけなのに、現実のほうが「そうです」と答え合わせしてくる感じがする。
『口に含まれたルミタを分析した結果、その保全率は八十六%まで回復しております』
(……回復? ちょっと待って。保全率ってのは魔力含有量の割合だよね? そもそも、それって回復するものなの?)
『その疑問はもっともですわね。通常、時間経過や調理過程において、保全率は低下します。もっとも、それは魔力そのものが消失した、という意味ではありません』
(消えてないんだとしたら、どこにいったの?)
『魔力含有細胞に保持されていた魔力は変質し、細胞内へ取り込まれているのです。つまり、失われたのではなく、使いにくい形へ変わっただけですわね』
(じゃあ、保全率の回復って……)
『特定の調理法と組み合わせによって、その変質したものを再び従来の魔力へ変換する。その過程を、ここでは回復と呼んでいます。ゼロから増やしたわけではありません。引き戻した、と表現するのが正確です』
(食材本来の潜在能力を引き出した、みたいなイメージなのかな……)
『ええ、そのイメージは有用ですわね。素材に合わない調理をすれば、保全率は落ちる一方です。ですが、素材に合った火入れと組み合わせであれば、内側に沈んだ魔力を呼び戻せます。今回はまさしく、素材の性質を損なわず、味を正しく引き出したということ』
(――つまり「高魔力食材の味を最大限に引き出して、おいしく作る」と、魔法強化食が発動するってこと!?)
『コレクト。大体はその認識でも間違いないでしょう。ただし、食材によっては「相性のいい食材と組み合わせないと難しいことがある」ことはお忘れなく。調理法だけでなく、食材の組み合わせも重要。ですわよね? レクター』
『その通りサッ! 今回の場合、ハクゲツのジャーキーと、空椒との組み合わせが抜群によかっタ! その上、宿主の手際と調理のおかげで美味しく仕上がリ、ルミタの特殊効果である「暗視」が発動しタ、というワケだネエ!』
(なんだよレクター。だからわざわざ提言したってわけか……)
言われてみれば、さっきまで黒く潰れていた遠くの輪郭まで、今はちゃんと形として拾えている。
木杭のささくれも、板に打つ釘の位置も、いちいち目を凝らさなくても見える。
便利だけど、ちょっとだけ怖い。
『あアッ! 宿主よっ! その通リッ! その通りなのサッ! 思う存分、いっぱいボクを褒めてくれたまえッ! 寵愛してくれたまえッ!』
不服だけど、ここは――。
(…………チッ……ありがとう)
しぶしぶ感謝を述べておく。
『あ、あアッ!? あ、ありがとウッ!? 宿主からありがとウだなんて、じ、実に四年ぶり……あ、あア、ああアアッッ!? ……え、えく、ヒク、えク、絶頂ィィイ~~~~~ッ!!』
恍惚に目がとろけてイっちゃってるレクターを、一瞬だけ認識してしまった。
しかも、ピクピクと痙攣までしている。
気持ち悪すぎる。
……というかこれ、子どもが見ていいヤツなの?
一刻も早く忘れたい。
このままだと、せっかく冴えている頭まで、気持ち悪い方向に持っていかれそうだった。
すると、「なあ、ホノジ~~~っ!?」という橙馬の声が飛んできた。
タイミングが神すぎる。
ありがたい。
橙馬はそのまま言葉を続ける。
「すっげえわかりやすく伝えようと思って考えてくれてるところ悪いんだけどさ? 俺っちバカだから、難しすぎる理屈は、どれだけわかりやすく説明されても、わかんねえもんはわかんねえぞ?」
だったら最初から、噛み砕いた答えだけ渡せばいい。
僕にはできる。
なぜかって?
そりゃあ、あらかじめミネルヴァ様が噛み砕いてくれたのだから。
『なんだか残念な人ですね、ご主人様……』
その棘には反応しない。
「……ちっちっち。僕の熟考をなめないでよ」
「お、おう!?」
「じゃあ説明するね。心して刮目せよ!」
「おう!」
「魔法強化食というのは……なんかすごい食材をめっちゃおいしく作ると、特殊効果が発動するってこと! 今回の場合は、ルミタの特殊効果の『暗視』が発動して、世界が明るく見えたってことだね!」
「……おふ。わ、わかりやすすぎるぜ。バカに説明する天才かよ……」
「へへーん」
「もしかして、この頭がすっきりする感覚も、ルミタの特殊効果のおかげか?」
「あ、それは別。ハクゲツジャーキーの方の特殊効果。意識をくっきり活性化させるような効果があるんだよね」
「ジャーキーの方の特殊効果!? さらっと言ってるけど、ホノジの地元ではこの魔法強化食ってやつが当然のように存在してるのかよ……」
「ちがうちがう。魔法強化食っていうのは、宮廷料理の技術らしくて、なんか昔、気持ちわる……じゃなくて、えーと、よくわからない錬金術師が発明した技術らしい。細かいことは知らない」
「へえ、なんかよくわかんねえけど、すげえんだな」
「そうそう。よくわかんないけど、すごいぐらいでいいと思う。僕だって、おいしく作ったら魔法強化食になってラッキー、ぐらいの認識だし」
「おう。でも、たぶんそれ、俺っちじゃ無理だわ」
「へ? なんで?」
「おいしく作ったらって当然のように言ってるけどよ、それ誰しもできるわけじゃないからな?」
「あ。それもそっか。良かったよ、たまたま僕が料理好きで。これもラッキーだね」
そうやって話が丸く収まりかけたところで、橙馬はふいに別の引っかかりを持ち出した。
「……にしても、夜に蒸して食えって、あの椿とかいうエルフが言ってたよな。なんか怪しくねえか?」
「怪しい? なんで?」
「……夜に食え、だぜ? しかも蒸すって、たぶんその魔法強化食ってやつの条件にもなってそうじゃねえか? あいつ、魔法強化食のことを知ってて言ったように思えるぜ」
「……うーん、確かに夜に蒸して食えは具体的だったよね。『それ以外はあかん』みたいなことも言ってたし。でも、たぶん魔法強化食が発動したのは、ハクゲツジャーキーと組み合わせたからってのもあると思うよ。僕がこのジャーキーを持ってることを椿君は知らないし、偶然じゃない?」
「いやいやいや! だったらむしろ怪しいだろっ!? 知らないのに言うかよ!? 普通! まるでジャーキー持ってることも知ってて、組み合わせるのもわかってたみたいじゃねえか!?」
「あははは、なんでそうなるの。椿君的には、魔法強化食に関しては、ワンチャン発動してくれたらいいぐらいに考えてたんじゃないの。ルミタ農家なんだし、ルミタを美味しく食べる方法もたくさん知ってるでしょ。やっぱり、たまたまなんじゃない? ……ていうか橙馬、なんでそこまで椿君のこと目の敵にしてんのさ?」
「目の敵っつーか、なんか胡散臭えんだよな、あいつ。……ま、これは俺っちの感覚なだけだから別にいいんだけどもよ……いちおうホノジも、気を抜かないで接しておけよ」
「うん、いちおう忘れないでおくね」
そう答えながらも、夜に蒸して食え、という言葉だけは頭のどこかに残った。
偶然で片づけるには、少しだけ具体的すぎる気もする。
……でも今は、それを考え込んでも仕方がない。
今はそれより、柵に手をかけないと。
「……つーか思ったんだけどもよ! 頭もシャキッとして、視界も明るい! こりゃあ作業チャンスじゃねえの!?」
橙馬も同意見のようだ。
「おっ! いいね、橙馬! 実は今日中に柵だけは終わらせたかったんだよね。手伝ってくれる?」
「こんなうめえメシ食わされて、誰が断れるかよっ! 最後まで付き合うぜ、相棒!」
それから食べ終えた食器をサッと片づけて、まず仕分けしたゴミを燃やした。
使えない板切れや木くずをひとまとめにして、掌を向ける。
《種火》。
ぼっと小さな火が灯り、乾いた木くずへ移る。
ぱちぱちと音を立てながら、壊れた木片は少しずつ火に呑まれていった。
「思ったけど、それ【火属性】の魔法じゃねえよな? 見たことねえ優しい火力だ」
「そうそう。僕の生粋魔法――調理だよ……って、火力のなさバカにしてる?」
「……あー、通りで見たことねえ優しい火力なわけだ」
「優しい優しいって……やっぱりバカにしてるよね?」
「してないって! おめえにピッタリすぎる優しい魔法じゃねえかって思っただけだ……まっ! 戦闘は期待できねえかもだけどな?」
「あはは、それもやっぱりバカにしてるじゃん。でもまあ火属性と違って、作れる火のサイズは本当に小さい。確かに戦闘では使いづらい部分もあるけど、焚き火をするぐらいなら十分すぎる火種なんだ。時と場合によっては融通もきくし。普通に便利で気に入ってるんだよ?」
「おう。便利なのは見たらわかるぜ! 楽しそうに魔法使うところも、見りゃ気に入ってるのわかる……あと、地味にえぐいのもな?」
「えぐい? えぐくはないでしょ」
「ダハハハッ! 冗談だって。真に受けんなって。俺っちだって、自分の魔法はそれなりに気に入ってんだ。だから気持ちはわかる。魔法っつーのは、生まれたときからの血肉みたいなもん。そもそも人生ってのは、配られたカードでやるっきゃねえだろ?」
「ああ、それは……そうだね」
橙馬にしては珍しくいいことを言うんだな、と感心した。
「うし。世界が明るく見えてるうちに、さっさと作業進めちまおうぜ」
おなかが落ち着くと、今度は手を動かしたくなってくる。
足元も手元もよく見える今なら、夜でもそこまで苦にならない。
感動もあるけれど、同時に気味悪がっていたルミタの魔法強化食の効果を、実際に作業に取りかかるとありがたすぎると思っている自分もいた。
僕も所詮は現金な男なんだ。
それが別に嫌じゃない。
さっそく僕たちは柵に取りかかった。
木杭を立て、土に埋める。
橙馬に支えてもらいながら、傾きを見て押し込み、ぐらつかないところまで踏み固める。
一本。
また一本。
必要な場所に木杭を埋め終えると、今度は板を当てた。
杭と杭のあいだに板を渡し、位置を合わせる。
橙馬が押さえ、僕が釘を打つ。
かん、かん、かん。
乾いた音が、夜に響く。
一本打って、もう一本。
板がぴたりと杭に固定される。
釘の頭が逃げずに見えるだけで、作業のしやすさがぜんぜん違った。
また次の板を当てる。
釘を打つ。
かん、かん、かん。
地味な作業だった。
でも、木杭が立ち、板が繋がっていくたびに、壊れていた場所がちゃんと柵に戻っていく。
「……できてきたな」
「うん」
完璧じゃない。
それでも、柵はちゃんとそこに伸びていた。
壊れたまま口を開けていた場所が、少しずつ塞がっていく。
ただ板を打っているだけなのに、牧場そのものが、ちゃんと自分の場所へ戻ってきてくれるみたいだった。
(そもそも最初から完璧を求めるなんて……おこがましいよね……)
僕は次の板を当てる。
「押さえてて」
「おう」
かん、かん、かん。
夜の牧場に、釘の音がまたも心地よく響いた。




