第44話:ルミタのマッシュポテト
ハクゲツジャーキーとルミタのマッシュポテト。
メニューを発表した直後、橙馬のテンションはわかりやすく上がっていた。
「うぉお~~っ!? よくわかんねえが、なんだかうまそうだな、それ! ジャーキーもマッシュポテトも好きだぜ、俺っち!」
「……ただ、一個はそのまま蒸かして、塩とバターだけで食べようかなとも思ってるんだよね」
「じゃがバターってことか!? ……おにぎりで塩むすびを選んだ時点で素人とは思ってなかったけど、ホノジ、マジで素材まるごと愛しすぎだろ……。まあ、俺っちとしては大歓迎だけども!」
「ふふーん。礼儀は大事だからね。じゃあ、さっそく始めちゃうね」
バッグから小鍋、蒸し籠、木蓋、それから『水』『バター』『ミルク』と書かれた小瓶を取り出し、地面に並べる。
(じゃあまずは……)
ルミタを一つ手に取り、顔の前に近づける。
よく見ると、ほんのり薄紫色に発光しているのがわかる。
匂いを嗅ぐ。
ふわりと、土と澱粉の混じった、素朴で穏やかな香りが鼻先にのぼった。
(……うん。いい匂い。痛んでもいなさそうだな)
酪農家の家で育ったせいか、食材を手に取ると、まず鼻で確かめる癖がある。
ミルクだって、腐りかけは見た目が変わる前に匂いで気づく。
肉も野菜も、全部、鼻が先に覚える。
「ホノジ~? なんで芋嗅いでんの? 変態じゃん」
「変態じゃないから。新鮮な食材って、匂いが澄んでるんだよ。逆に、どこか傷んでたり、育ちがおかしかったりすると、鼻がざらっとするっていうか……酸っぱかったり、変な匂いがしたり、嫌な違和感があるんだよね」
「へえぇ~~っ、なんかカッコイイなっ!」
「別にカッコよくはないでしょ……」
もう一つ、二つと手に取って、同じように鼻先に近づける。
全部、同じ匂い。
澄んだ、穏やかな香り。
椿君がくれたルミタは、どれも「ちゃんとしたルミタ」だった。
(……ごちそうになります)
心の中で、小さく頭を下げた。
(えーと、次は……)
鍋に水を張る。
(あとで燃やそうと思ってたボロボロの木片たちを、薪にするかな)
燃やす予定だった木片をいくつか集める。
薪を組み、指先に種火を灯して火を移す。
ぱちりと乾いた音がして、小さな炎が薪を舐めはじめた。
鍋を薪の上に据える。
蒸し籠に、皮ごとそのままルミタを丁寧に並べていく。
まずは、一番大きな一つ。
これが塩バター用。
残りの二つが、マッシュポテト用。
蒸し籠を鍋の上にのせる。
木蓋を静かにかぶせる。
すき間から、ふわっと白い湯気が逃げはじめた。
湯気の中に、甘いような、土のような、穏やかで豊かな香りが少しずつ混じってくる。
そして、湯気の勢いが少し落ち着いた頃。
蓋のすき間から漏れる香りが、ぴんと濃くなり、たしかに「食べ頃」の気配へと変わった。
(……よし)
木蓋に手をかけて、ゆっくり持ち上げる。
ぶわっ。
湯気が一気に立ちのぼり、顔にぶつかった。
蒸し籠の中で、ルミタが綺麗に蒸し上がっている。
皮はほんのりと琥珀色を帯び、しっとりと光を反射していた。
――というより、これは……。
「うおっ!?」
「橙馬、これ……」
陽はもうほとんど落ちていて、牧場跡地にある光源は焚き火だけだ。
だからこそ、はっきりわかる。
一瞬、光を反射しているように見えたそれは、反射なんかじゃない。
ルミタ自身が、光を発しているのだ。
「うん……光ってるよね?」
「おう。光ってんな。見事にきれいによ……」
「ルミタは蒸す前だと薄紫色に光ってたけど……皮ごと蒸すと、今度は琥珀色に光るんだね……不思議……」
こうしちゃいられない。
僕は手早く、塩バター用の一個を木皿に取り出す。
そして、ルミタを手に取った。
「あちっ」
熱さを我慢しつつ、手元で少しのあいだルミタを転がす。
少し冷めたところで、皮ごと、指でふたつに割る。
――ほわっ。
割れた断面から、ほくほくの中身が顔を出した。
白いのに、ほんのり黄色い。
湯気と一緒に、甘い澱粉の匂いがふわりと漂う。
バターを一切れ、断面にのせる。
じゅわ、とバターが端から溶けながら、ルミタの繊維に沁み込んでいく。
上から、岩塩をひとつまみ。
ぱらり、と結晶が断面に散った。
「ホノジ~~~~っ!」
橙馬が目元を輝かせながら、こっちを見ている。
しかも、口元から垂れてるものまで光っていた。
「橙馬、よだれ汚いよ……」
「だって、こんなの見たらもう……てか、ホノジもよだれ垂れてんぞ……?」
「はひっ!?」
「ダハハハッ! でも仕方ないよなっ!? こんなに美味そうなやつ、前にしたらっ!」
「……いや、ほんとそれ。誘惑してるこいつが悪い」
「おう。じゃあ、そろそろかぶりついてもいいか……?」
「うん! 思いっきり喰らいついちゃって!!」
「いただきます! だぜ!」
橙馬が、塩バターの断面にかぶりついた。
沈黙。
一秒、二秒、三秒。
橙馬の目が、ゆっくりと見開かれていく。
「……うっま」
橙馬が、二口目を頬張る。
「う、うっっっま……!」
橙馬が、三口目を頬張る。
「うっっっっっっっま!!!!」
橙馬の声が、鼓膜に響いた。
「うるさっ!」
「いやあ、ホノジ、食べてみろよこれっ! マジでうまぴょい過ぎるんだって!?」
橙馬が手をぶんぶんと振る。
その興奮ぶりだけで、どれだけ美味しかったのかがわかる。
「ほ、ほんと? 飛べる?」
「ああ、めっちゃ飛ぶから気をつけろっ!」
ごくりと一度、生唾を飲み込む。
目の前には、淡く、けれどたしかに艶やかに光るじゃがいも。
塩の結晶が粒立ち、バターがほどよい熱でだらぁっと溶けている。
「いただきます!」
僕はおそるおそる、バターがしみ込んでいそうな箇所に大きくかぶりついた。
瞬間だった――。
「~~~っ!? なにこれぇえ~~っ!? あっまくて、ほっくほくで、塩がっ! バターがっ! ああああああっ! 芋がこんなに美味いって、なにこれぇええええっ! 芋ってこんな味したっけ!?」
まず、ちょうどよく蒸されたじゃがいものほどけ方がいい。
そこにバターと塩が、甘さと旨味を引き立てる。
普通のじゃがいもと比べると、繊維のほどけ方も、素材本来の甘みもずっといい。
じゃがいものくせに、コクまで感じる。
思わず二口目にいきそうになる。
でもその前に、僕は大事なことを確認した。
(ミネルヴァ、どう?)
このじゃがバターは、ミネルヴァのためにも作っている。
だからこそ、ミネルヴァに満足してもらえないと、僕としてもいまいちなんだ。
『……美味しいですわ』
すごく控えめな言い方だった。
微妙だったかなと思って、脳内のミネルヴァの顔を見る。
ミネルヴァは頬に手を当てながら、にやけていた。
……こんなミネルヴァの姿、ほとんど見たことがない。
つまり、それだけ美味しかったってことなんだと思う。
成功だ。
僕は心の中で小さくガッツポーズをした。
『あの、ご主人様』
(何?)
『さっさと食べちゃいましょう』
食べることを促された。
ミネルヴァも、もっと味わいたいんだろう。
同意する以外にできることがない。
そうだ。
僕も、とっくに二口目をこらえきれそうになかった。
僕は芋を見る。
次に、橙馬とも目が合う。
それからはすごかった。
僕と橙馬はハフハフしながらも、まるで何かに追われているかのように、じゃがバターをあっという間に食べ尽くしてしまった。
シンプルながら、その味は最強すぎた。
「……う、うまいけどよぉ。これずるくねえかっ!? むしろもっとお腹すいたんだけど! 半個じゃ足りねえって!」
橙馬がまるで恨み言のように言う。
けれど僕も、反論する気がさらさら起きなかった。
「わかる。むしろお腹すくよね……これ。椿君が蒸して食べろって言ってたけど、その意味がわかる。素材のレベルが違いすぎ……」
「なぁなぁホノジ~~~っ! 早く次作ってくれよ~~っ!」
「橙馬のほしがりめ! じゃあ、次はマッシュポテトをさくっと作っちゃうね!」
皮を剥いたルミタを木のボウルに移す。
木べらの背で、ぎゅっと押しつぶす。
ほくりと繊維が崩れる、柔らかい感触。
ほどよく粗めにつぶす。
完全に滑らかにするよりも、かたまりが少し残っているくらいの方が、食感がちゃんと顔を出す。
(潰しすぎるな。食材の顔を消さないように……)
芋でも、肉でも、魚でも、こねすぎたらそいつの顔がなくなる。
料理は、食材の顔を活かすものなんだ。
ミルクを、少しずつ垂らす。
蒸気で温まったルミタが、ミルクを吸い込んで、ぽってりとした重みに変わっていく。
バターを二切れ。
塩を適量。
溶かし込みながら、ゆっくり混ぜる。
木べらを持ち上げると、マッシュは重たそうに形を崩しながら、とろりとボウルへ落ちていった。
(……いい感じ)
最後に、ハクゲツジャーキーを指で細かくほぐし入れる。
ぴりっと、ピーキーペーパーの香りが鼻先を刺した。
燻された肉の、奥深い香ばしさ。
そのまま、さっくりと混ぜ込む。
じゃきっと、ジャーキーの繊維とマッシュが絡む感触が、木べら越しに伝わってきた。
ぽってりとした白の上に、赤茶色のジャーキーが散っている。
ほんのりとした湯気とともに、ルミタの甘い香りと、ジャーキーの燻された香りが、寄り添うように重なっていた。
……できた。
「じゃじゃーん! ハクゲツジャーキーのマッシュポテトの完成です!」
「ホ、ホノジィ~~~っ!?」
橙馬が、辛抱たまらないといった顔で僕を見た。
「どうどうどうどう。わかってるって。でも手で食べたら、よごれるから。ホイ」
木製のスプーンを橙馬に渡す。
「く、食っていいかっ!?」
「ふふふ。止める者はここにはおらぬ。我が許可する。食べるがよい」
「ほ、ホノジ様っ! ありがとうございやすっ! 感謝感激の極み!」
「ふむ。くるしゅうない」
『おい、小市民。もしかしてそれ、我を真似ているのか?』
傲慢そうな声が聞こえたけど、ここは無視しておく。
『おい! 小市民!』
無視しておく。
『クソガキッ! クソ雑魚魔法使いにその扱い! くくく……久々に笑えるじゃねえかッ!』
『おい貴様。低能があまりしゃべるな。せっかく美味しいじゃがいもの味がぼやける。我の集中を乱すな。息を止めていろ』
『あんだとテメエッ!? このじゃがバターみてえに、ほろッほろにやわい体を擂り潰してヤンぞッ!? アアッ!?』
なんか聞こえるけど、まるごと無視しておく。
橙馬はスプーンで、マッシュポテトを大きくすくい上げる。
容赦がなくて気持ちがいい。
僕もスプーンでマッシュポテトをすくい上げ、自分の口元に運ぶ。
橙馬と僕がマッシュポテトを口に入れたのは、ほぼ同時だった。
「「~~~~~~っ!?」」
マッシュポテトを口にして、しばらく言葉が出なかった。
僕と橙馬は顔を合わせて、もぐもぐしながら、お互いにゆっくり頷き合う。
なぜそうしたのかわからない。
でも、思わずそうしてしまう味だった。
それに、何かが通じ合った気もした。
気づけば、ボウルの中に残るマッシュポテトは、あと一口だった。
「ホノジ~~~っ! このハクゲツのジャーキーってやつ、初めて食べたけど、これやばいな。なんか痺れるくせに、塩味も効いてるし、癖になるっていうか。美味いジャーキーとめっちゃ美味いマッシュポテトが合わさって……なんつーか、なんつーか……とにかくめちゃくちゃ美味すぎたぜ!」
橙馬が下手くそな味の感想を述べている。
いちおう返しておくか。
「わかるわかる! ジャーキーの塩味と独特の痺れと、マッシュしたミルキーなじゃがいもが合わさって、無限に食べられそうな味してるよね。あと、食感もイイ感じ。ジャーキーも、クリーミーなじゃがいもと混ぜたおかげで水分がほどよく入って、すこしふやかされてる感じなのもちょうどいいよね!」
「ずっとコメントうめえな、ホノジ……次も機会あったら作ってくれよ」
「もちろんだよ! うまく作れたようでよかった!」
まるで食べ尽くしたかのように二人で感想を言い合っているが、まだマッシュポテトはボウルに残っている。
たしか、これを「遠慮のかたまり」って言うんだっけ。
「……ふぅ。食った食った。俺っち、まじで幸せだぜ~」
橙馬がわざとらしくそうこぼした。
下手な演技だ。
たぶん僕に気を遣わせないように、最後に残ったマッシュポテトを食べてほしいのだろう。
でも残念ながら、その要求は受け入れられない。
「うそつき」
「え?」
「橙馬、まだ全然足りそうな顔してるよ……? 遠慮してるんでしょ。せめてこれは橙馬が食べて」
「……いいのか?」
「いいに決まってるじゃん。今日こんだけ手伝ってもらってるのはこっちなんだよ? むしろ食べたいものぐらい遠慮しないでよ」
「……おう、わかった。じゃあ、ありがたくいただくぜ」
その時だった。
「「え」」
橙馬と僕の声が、不意に重なる。
異変は、そのとき起きた。




