第40話 極上生絞りソフトクリーム
振り向くと、芽依ちゃんが石畳に手をついていた。
一瞬、しんとした。
芽依ちゃん自身も、何が起きたかわかっていないような顔で、ぽかんと自分の膝を見ている。
次の瞬間、その顔がくしゃっと歪んだ。
「……ぅ」
小さな声。
「……ぅえ」
だんだん大きくなる。
「うぇええん!!」
ついに全開になった。
「芽依ッ! 大丈夫か!? 痛くないかっ!?」
万典さんの声が、僕の知っている万典さんの声とは別人みたいだった。
さっきまでの重厚な低音が跡形もなく消えて、素っ頓狂なくらい焦った声になっている。
大男が、驚くほどの速さで芽依ちゃんのそばにしゃがみこんだ。
「もう! お父さん、大げさ! これぐらい大丈夫だからっ! あんまり不安な顔しないでよ! しっしっ!」
すこしだけ「しっしっ!」が酷い気もする。
万典さんの表情が、わかりやすくショックを受けてへこんでいた。
茜さんは、そんな万典さんにそれ以上構うことなく、転んだ芽依ちゃんの隣に素早く膝をついた。
そして、芽依ちゃんの小さな手を、両手でそっと包む。
「うぇ……ぅえ……」
芽依ちゃんの膝に、うっすらと赤みがある。
すり傷だ。
茜さんが、静かに目を閉じた。
次の瞬間。
茜さんの腕に、細い蔓みたいな紋様が浮かび上がった。
根や葉脈みたいに分岐しながら、芽依ちゃんに触れた箇所から、するりと伸びていく。
綺麗だと思った。
不思議なくらい静かで、やさしい光景だった。
芽依ちゃんの「うぇ……」という泣き声が、ゆっくりと落ち着いていく。
ふしゅ、と息をついて、濡れた顔が少しずつ緩んでいった。
(……何、今の)
僕は思わず、そっと橙馬に寄った。
「……ねえ、あれって何?」
「ああ」
橙馬は短く答えた。
「アカネの魔導体質だよ」
「どんな?」
「詳しいことは知らないけど、痛みを分け合うことができるらしいぜ」
「……なるほど」
紋様は、ゆっくりと薄れていくようにも見えた。
「芽依、もう痛くない?」
「……うにゃ」
芽依ちゃんはこくりと頷いて、茜さんに抱きついた。
茜さんが、その小さな背中をぽんぽんと叩く。
「よしよし。次は気を付けるんだよ、芽依」
「うにゃ、わかった……あ。ほにょじ、みてた?」
芽依ちゃんが、こちらに向かって手を振ってくる。
そのまま、少し早歩きでこっちに向かってきた。
僕は両手を広げて、芽依ちゃんを受け入れる。
「見てたよ。芽依ちゃん、おてんばさんだね!」
「おてんばさん?」
「すっごく元気ってことだよ」
「えへへ~、メイ、しゅっごくげんき~~。おてんばさん」
にこにこの顔に戻っていた。
切り替えが早い。
さすがだ。
あと、可愛い。
万典さんは、ほうっと息をついた。
さっきまで「殺すぞ」と凄んでいた人と同一人物とは、とても思えない。
「ところで、焔乃士」
万典さんが立ち上がり、こちらへ向き直る。
「この量だと、全部でだいたい二百三十キロほどある。お届けサービスを使うなら、二百三十ソルになるが」
「二百三十ソル……」
悪くない金額だ。
銀貨二枚(200ソル)と大銅貨三枚(30ソル)ぶん。
その金額で何往復もしなくて済むなら、利用するのは大いにアリだと思った。
「ただ、今日中の配達はできんな。届くのは明日以降になる」
万典さんが頷くと、橙馬がこちらを見た。
「だってよ、ホノジ。今日中がいいとかないのか?」
「……うーん」
正直に言えば、今日中がいい。
牧場の整備は、一刻も早く始めたかった。
でも――。
「できるなら今日中がいいけど、そうなると橙馬に往復で手伝ってもらうことになるじゃん。さすがにそれは悪いよ」
「ホノジ?」
橙馬が、ちょっとだけ呆れたような顔をした。
「勘違いしてるかもしれねえけど、この量なら一回で済むぜ?」
「え」
「え、じゃないって。ホノジは知らねえかもしれねえが、この世界には魔法ってもんがあんだよなぁ」
どやっ、という音が聞こえてきそうな顔だった。
「いや、さすがに知ってるよ!? よくそのドヤ顔でいけたね!?」
「へーん」
橙馬は鼻の下を人差し指でこすった。
「……褒めてはいないよ?」
でも、魔法でいけるってことは……。
そこで繋がった。
さっき、芽依ちゃんが転んだ瞬間。
橙馬がひょいと手を上げて――芽依ちゃんの身体が、ほんの少しだけふわりと浮いた。
あれ、やっぱり魔法だったんだ。
「橙馬の魔法って、さっき芽依ちゃんが転んだときに使ってたやつ?」
「ほーう、ホノジ、よく見てんなぁ! そう、それだぜ!」
橙馬は、涼しい顔で続ける。
「風の魔法で纏わせたら、この量ならなんとか運べるぜ」
「……うーん、なんだか癪だけど」
この量を一回で運べるというのは、率直に言って――。
「普通にすごいなぁ……アイス、本当に三段で見合ってる?」
「おう? むしろ三段でありがたいかぎりだぜ! それ以上はもらいすぎってもんだ!」
「ガハハハッ!」
万典さんの豪快な笑い声が響いた。
「まったく、愉快なコンビだ。お前らの今後が楽しみになっちまった」
「そうですか?」
「そうとしか思えんな」
「……そうですか」
そう思われるのも癪だけど、いちいち弁明していても疲れる。
気を取り直して、万典さんに向き直った。
「万典さん。最高の品を、割引までしていただき、本当にありがとうございました。また来ます」
「ああ、いつでも来い」
一拍置いて。
「ただ、芽依はやらんぞ」
「あっははー、それは残念です。では」
万典さんが、ふっと目の端をやわらかくした。
僕は一度だけ、深く頭を下げた。
「橙馬と友達くん。話、聞いてたよ。ソフトクリーム食べてくんだって?」
明るい声と一緒に、茜さんがこちらへ歩いてきた。
花の香りがふわりと混ざって、場の空気が少しだけ華やぐ。
「アカネ! そうなんだよ……ホノジが、どうしてもソフトクリームが食べたいってさ!」
「ほほーう、それはそれは。見る目があるね、ホノジくんとやら」
「改めてはじめまして、茜さんとやら。鴨葱焔乃士です。ソフトクリーム、新聞で見て、めちゃくちゃ楽しみにしてました! なんか牛乳の味が濃厚で、甘みのバランスがいいとか! 善哉とソフトクリームのバランスも絶妙らしいので、愛しの天使ちゃんをいただいたあとに、そっちももらいます!」
「あらやだ。あんまりハードル上げないでね。緊張しちゃうから」
「はい、ハードルは勝手に上がってしまってます! 止められそうにもありません! ごめんなさい!」
「あはは、橙馬の友達だけあって、やっぱりノリがいいね」
「だろう? 自慢の親友なんだぜ?」
「ちょっと橙馬、親友はさすがに距離詰めすぎ。キモいから、まだ離れてて」
「ホノジ!? 相変わらずしっかり距離感とってくるな!? ふぅ~っ、さすがだぜ! むしろ癖になってきたぜ!」
「そういうとこだよキモいの!? 自覚して死んで!」
「死んでは言い過ぎじゃねえか!?」
茜さんが肩を揺らして笑った。
「あはははは! 息ぴったりでおもろ」
そして、僕に向き直る。
「えーと、じゃあホノジくんはどのソフトクリームにする? 普通のと、極上があるけど」
「極上生絞りソフトクリームでお願いします! すっごく極上生絞りのやつで!」
「……なんで極上生絞りをそこまで強調したのかわからないけど、たーんとなるべく美味しく、キレイに巻くからね。橙馬はどうするのかな?」
「アカネのおすすめの味で、丸いアイス三段乗せてくれれば!」
「オーケー。じゃあ二人とも、少し待っててね。このお姉さんが、ちゃちゃっと作ってきちゃうから」
茜さんが店の奥へ消えていく。
その背中を見送りながら、僕はつい口元をにやつかせた。
「な、なんだよホノジ。そんな顔して」
「いんやぁ、橙馬も隅に置けないなぁって思ってえ?」
「ホノジにしては見たことないにんまり顔だな! やめてくれよ!」
「ふーん。じゃあ茜さんとはなんともないっての? 誓って言えるの? 星還りの契約できる?」
「星還りの契約は重すぎだろっ! ……うん、でもまあな? そりゃあホノジ、アカネとはなんともねえに決まって……ねえとも言えるし……うーん、言いきれないところが痛いところだぜ……」
「ははーん。なるほろなるほろ。そういう感じの関係性ね?」
「うわ。ホノジって、意外と恋愛とかに興味あるタイプだったのかよ……」
「まあ、人のを見てる分には楽しいよねえ?」
「地味に性格悪ぃ~~~っ!」
ほどなくして、茜さんが戻ってきた。
手元には、見るからに幸福そうな冷たさがあった。
「はーい、お待たせ。こっちが極上生絞りソフトクリームだよ。どうぞ」
「うひょ~~っ! きたきた、これだよこれだよ!」
「なんだか橙馬みたいな大げさなリアクションだね、ホノジくん」
「そうかな? 普段だったらそう言われるの最悪だけど、今だけは何言われてもどうでもいいぐらい、早くこの子を食べたいです!」
「うんうん。誰も止めないし、思う存分食べな食べな」
「俺っちが大げさなリアクションとってる野郎って思われてるのが地味にショックだし、ホノジの返しも相変わらずで地味に傷つきそうだぜ」
「あはは、ギリギリで傷つきはしないんだね。そんな橙馬には、この三段アイスをどうぞ。上からほうじ茶、あずき味、バニラになってるよ。たーんと食べてね」
「うひょ~~~~いっ! テンション上がるぜ! ぜったいうまいやつじゃねえかこれ!」
僕は受け取ったソフトクリームを、まじまじと見つめた。
白い渦がきれいな螺旋を描いて、てっぺんがくるんと丸くなっている。
陽の光を受けて、つやりと光る白。
もはや食べ物というより、芸術品に近かった。
「うわ~~天使ちゃん、かわいい天使ちゃん! なんでそんなに綺麗に巻かれてるの? そんなに食されたいの? 舐めようかな? パクっといっちゃおうかな?」
『いいからさっさと食べてください、ご主人様。気持ち悪い』
「なんか、冷えた声が聞こえた気がするけど、ここは無視して食べよっと! じゃないと泣いちゃうからね! いただきま~~す」
口をつけた瞬間、ひんやりとした甘さが舌の上でふわっとほどけた。
「う、う、うま~~っ! なにこれ!? 甘さがしっかりあるのに、くどくない! なのに、舌に残ってる味がしっかり濃い! 奥にある層の味が深すぎる。……んん~~っ! おいしいっ~~、ずっとお口の中が美味しいとミルキーで満たされてくよぉ!? 想像以上だよ! でへへへ、お口がしあわせえ」
足元から、ちいさな声がした。
「ねえ、ほにょじ、おいしいでしゅか?」
いつの間にか、芽依ちゃんが来ていた。
「うん、おいしすぎるよ、メイちゃん! メイちゃん、これ毎日食べられて幸せだねえ?」
「えっへん、だしょ~~?」
小さく腰に手をあてている姿が可愛すぎる。
持ち帰りたい。
「ホノジやるなぁ。じゃあ俺っちも、いただきま~~~す」
橙馬が舌先でひと舐めして、目をまるくした。
「ああっ! すっげえうまぴょいぞこれ! ほうじ茶のほどよい渋さがまず最高、ぺろっ、あずき味も風味たまんなくてうまーい、ぺろっ、バニラもいつも通りの味で裏切りなくうますぎるぜ!」
「ふふふ。わたしの甘さだと思って、ぜんぶ食べてくれるとうれしいな?」
茜さんのその一言に、橙馬の動きがぴたりと止まった。
さっきまで勢いよく回っていた舌まで止まりそうな勢いだった。
「ええぇえ!? アカネさん……それは反則すぎません? そんなこと言われたら、ぺろりと平らげちゃう以外、選択肢ねえじゃんか……」
ソフトクリームをもう一口舐めながら、僕は目の前の光景を楽しんだ。
「おお……まさか、口だけじゃなく目からも糖分摂取できるとは。一石二鳥……至福至福……」
「あのね、ほにょじ。そのみるくはね、ぷれりあむだから、おいちいんだよ」
「ぷれりあむ?」
「あ、ホノジくん、プレミアムミルクってことだよ。近くの美味しい酪農家さんから直接仕入れてるの」
その言葉が、胸の真ん中にすとんと落ちた。
「近くの酪農家? あ、もしかしてそれ! 名前、ブラックウッド牧場ですか!?」
「そうそう! そこだよ。よくしてもらってる酪農家さんなの。なんでホノジくんが知ってるのかな?」
「知ってるも何も! 僕、明日からそこでバイトすることになるんです!」
「うひょ!? そうなのかホノジ!?」
「うん? わたしがわからないのは当然なんだけど、なんで橙馬がびっくりしてるの?」
「こいつが秘密主義でさぁ!?」
「必要以上に情報を渡すタイプじゃないだけです。特に橙馬には」
「ホノジ!?」
もう一口、ゆっくりと食べた。
濃くてまろやかな甘さが、舌の上でとろけていく。
「うますぎ……うん。これがブラックウッド特製のプレミアムミルクを使ったソフトクリーム……いくらなんでも茜さん~、これ美味しすぎでしょ!?」
「それ言われるとうれしいな。普通にありがとうだよ! でもその感想は、ブラックウッド夫妻にも言ってあげてほしいかな。すごく喜んでくれると思うから」
「はい! この感動、そのまま冷蔵庫にしまってお届けしたいと思います!」
「あはは、冷蔵庫って! やっぱり橙馬の友達は、橙馬に似てて変でいいね」
「アカネ!? それだと俺っちがめっためたに変みたいになるんだけど!?」
「うん? そう言ってるんだよ? 橙馬は実際に変だしね」
「ええ~、それ喜んでいいやつなのか?」
「わたしが、橙馬の変なところ好きってことなんだよ? それでも喜ばないっていうのかな?」
「おいおいおいおい、その言い方……喜ぶ以外、選択肢あるわけねえよ。ずりぃぜ……」
橙馬が、参ったみたいに笑った。
それを見ながら、僕はソフトクリームの最後のコーンの部分をぽいと口に入れた。
甘さの余韻が、ぱきっとした軽い音と一緒に口の中でほどける。
「うーん、甘いのは大好きだけど……さすがの僕でも胸やけしそうだよ……なんて贅沢な甘さなんだ……もう一回食べに来たい」
ソフトクリームの最後まで美味しい余韻を味わいながら、僕は立ち上がった。
「橙馬、そろそろ行こうか」
「おう!」
茜さんに、プレミアムソフトクリームの六ソルと、橙馬の三段アイスの四ソル。合わせて十ソルぶんを、大銅貨一枚でぴったり支払った。
橙馬が、資材に向けて手をかざす。
ふわりと風が纏わりつくように包んで、資材が宙に浮いた。
「うおっ!? 橙馬、本当にすごいね……」
「まあ、ちょちょいのちょいってもんよ!」
「……筋肉は関係なさそうだけど」
「んまぁ、この程度ならなんとかなったってだけだぜ! もう少し重かったら、俺っちの愛しの筋肉ちゃんの出番だったかもな!」
「……その『もう少し』に幅がありそうだけど、まあ今はそれはいいや」
すると、渋い声が飛んできた。
「帰るんだな。気をつけろよ」
そこには万典さん、そして花丸一家の姿があった。
家族らしく四人が並んでいて、なんだか微笑ましかった。
「じゃあ万典さん、茜さん、梅子さん。今日は本当にありがとうございました。また来ます」
頭をしっかりと下げる。
「ああ。またいつでも来い焔乃士。もちろん橙馬もな」
腕をがっつり組んだまま、万典さんが言った。
「次はあなたの話もたっぷり聞かせてくださいね、ホノジちゃん」
梅子さんは、ゆったりと手を振ってくれた。
「またきてね、ホノジくん。ブラックウッド夫妻によろしく伝えてね」
明るい笑みで、茜さんがウインクする。
「はい、ソフトクリームの感動ごと届けてきます!」
「あはは、それいいね。絶対喜ぶよ。橙馬も時間あったら、また個人的に会いにきてくれるかな?」
「個人的にっておいおい……そんなこと言われたら、すぐにでも! 以外の回答したくねえじゃん……やっぱりずりぃぜ……」
「ふふふ」
茜さんの笑い声が転がる。
その横で芽依ちゃんがコテコテと走り出して、大きくこちらに手を振った。
「ほにょじ~~またね~~っ」
「うん、またね芽依ちゃん! また会いにくるからね」
「ほにょじ、しゅき~~」
「うん、僕も芽依ちゃんが好きだよ」
「えへへへ、ほにょじ、じぇったいまたあいにきてね~~っ!」
芽依ちゃんの大きく振る小さな手と、声を背中で受けながら、僕たちは歩き出した。
万典さんの鋭い視線を感じた気がしたが、目を合わせると怖いので、そのまま振り返ることはしなかった。
商店街を少し歩いたところで、橙馬がふと立ち止まった。
「なあホノジ。せっかくだし、ここでちょっとここらで腹ごしらえしてかねえ?」
指さした先には、湯気の立つ小さなラーメン屋があった。
ずるい香りを漂わせていた朝に見たラーメン屋さんだ。
買い物を終えたあとの身体には、なんだか妙にしみそうな見た目だったので、僕は素直に頷いた。
「いいね。こういうタイミングのラーメンって、絶対おいしいやつじゃん」
「だろぉ?」
資材を通行の邪魔にならないところに置いて、店に入る。
橙馬は勢いよくとんこつラーメンを注文して、勢いよく食べ始めた。
ずるずる、はふはふ、もぐもぐ、ごくん。
やけに食べるのが早い。
「橙馬、なんか食べるの早くない?」
「おう? まあな。ホノジは気にせず、ゆっくり食ってろって」
「言われなくてもそうするけど……」
橙馬は笑いながら最後のひと口をかき込み、席を立った。
早食いは別にいいけれど、しっかりおいしく味わえたのかな。
「んじゃ俺っち、先に出てるわ。ドラ公のしっぽの前にいるから、食い終わったら来いよ」
「はーい」
僕は合わせダシが売りの味噌ラーメンを食べた。
湯気の立つスープを、ふうふう冷ましながらゆっくり口に運ぶ。
温かい汁が、歩き回った身体にじんわり落ちていく。
麺をすする。
甘みとほどよいコシが特徴のたまご麺だ。
うまい。
急ぐ理由もないので、麺も、スープも、のんびり味わう。
うん、白みそ特有のコクと魚介と牛骨の合わせダシが効いてて、美味しすぎる。背脂の量もほどよい。
気づけばどんぶりは、空になっていた。
スープ一滴たりとも残っていない。
「ごちそうさまでした! おいしかったです!」
十二銅貨(12ソル)支払って、会計を済ます。
食べ終えて店を出ると、商店街の喧騒は、少しだけ昼に向かう熱を帯び始めていた。
僕はその中を、膨らんだお腹を落ち着かせながら、ゆったりとした足取りで歩いていく。
ドラ公のしっぽの前まで行くと、橙馬がこっちに駆け寄った。
「おっ、きたきた。じゃあ、行くかホノジ」
「うん」
それから改めて、二人で牧場跡地へ向かった。
通りを抜けると、商店街の喧騒が少しずつ遠くなっていく。
牧場跡地までの道のりは、セントルファーの街からおおよそ八キロぐらい。
少しだけ早歩きで移動する。
距離の割にはあっという間に感じた。
やがて見えてきたのは、待望の景色だった。
崩れかけた柵と牛小屋。
長い間手入れされていないであろう、乾いた土。
「おお~~~っ!? ここが牧場跡地かっ! 確かにボロボロだけどもよぉ……なんつーかこれは」
「なに?」
「ワクワクやべえって! 最高じゃんかよ!」
そう言って、橙馬は大きく目を輝かせた。
「へへ~~、だよね」
僕もつい嬉しくなる。
橙馬の風に支えられた資材たちが、ふわりふわりと静かに運ばれていく。
その様子を見ると、まるで二百キロ以上もある資材には見えない。
地味にすごいと思った。
「……やっぱ便利だね、その魔法」
「だろぉ? もっと褒めてもいいんだぜ?」
「調子に乗るからやだ」
「ホノジ、そういうとこだけ一貫してんなぁ……」
橙馬が肩をすくめながら笑う。
そうこうしているうちに、資材は牧場跡地の端へ、ひとつずつ丁寧に下ろされていった。
縄。
釘。
木杭。
板材。
桶。
金具。
さっきまで商店街にあったそれらが、今はもう、ここにある。
その事実だけで、胸の奥が少し熱くなった。
「……うん。これで始められる」
「おう」
しばらく資材と跡地を見比べていた橙馬は、やがて僕のほうを見た。
「んじゃホノジ。俺っちはいったん外すけど、夕方ぐらいにはまた来るぜ」
「そっか。じゃあその前に。運ぶの手伝ってくれて、ほんと助かったよ」
「へへっ。アイス三段でこの働きなら、俺っちかなりコスパいい男だろ?」
「そこだけ聞くと、ちょっとやだな……」
「なんでだよ!?」
いつもの調子で笑い合ってから、橙馬はくるりと背を向けた。
「んじゃ、また夕方にな、ホノジ!」
「うん。またあとでね、橙馬」
軽く手を振ると、橙馬も片手を上げて応える。
そのまま土埃の向こうへ遠ざかっていく背中を、僕はしばらく見送った。
それから、改めて目の前の資材へ視線を戻す。
何もない、わけじゃない。
ここにはもう、始めるためのものがある。
風が吹いた。
乾いた匂いの中に、ほんの少しだけ前へ進む気配が混じった気がした。




