第39話:花丸日曜大工店
「ほにょじ~~! またね~~!」
芽依ちゃんは、ソフトクリームで口の周りを真っ白に飾り立てたまま、元気よく手を振った。
鼻の頭にも、少しついている。
可愛い。
あまりにも可愛い。
やっぱり持ち帰りたい。
「芽依ちゃん、お口に……」
「おくち?」
「ソフトクリームがついてるよ」
「え!?」
芽依ちゃんは両手でぱっと口元を覆い、ごしごしと手で拭く。
真っ白なクリームはさらに頬と手に広がって、芽依ちゃんをいっそう可愛らしく飾り立てた。
「うにゃ、ほんとだぁ~~」
楽しそうにそう言って、そのまま梅子さんの方へぱたぱたと駆けていく。
「おかあたーん、あらって~~!」
「はーい」
梅子さんが、にこにこ笑いながら受け止める。
「じゃあ、トーマちゃんにホノジちゃん。ゆっくり買い物楽しんでくださいね」
「はい! ありがとうございます!」
気遣う言葉があまりに嬉しくて、僕は梅子さんの姿が花屋の奥に消えるまで見送った。
芽依ちゃんの姿も、もう見えない。
また来たときには、すぐ会えるのに。
それでも、もう少しだけさびしい。
そんな自分に気づいて、少しだけ可笑しくなった。
「じゃあホノジ~~っ! さくっと買い物済ましちまうか!?」
橙馬にパーンと背中を叩かれる。
それから「こっちだ」と大男に促されて、僕は店の中へ足を踏み入れた。
花丸日曜大工店に、いよいよ初入店だ。
第一印象は――広い、だった。
外から見た印象より、ずっと奥行きがある。
天井が高く、そこまで届くような棚が左右にずらりと並び、資材がびっしりと詰まっている。
縄、板材、金具、桶、釘――。
種類ごとに整然と並んでいて、どこに何があるか一目でわかる。
飾り気は、ない。
でも、その整理の仕方には、使う人間への気遣いがあった。
取り出しやすい高さ。
重いものは下。
細かいものは目の高さ。
その徹底ぶりが、いかにも職人らしかった。
カウンターの奥には、作業台がある。
表面には細かな傷と、使い込まれた艶が同居していた。
道具が壁にかかっていて、どれも丁寧に手入れされている。
そのとき、棚の端にそれを見つけた。
小さな花細工だ。
木を削って作ったらしい、親指ほどの大きさの梅の花。
棚の端、ちょっとした隙間にちょこんと置いてある。
ほかの資材たちの無骨さとはまったく釣り合っていないのに、なぜかそこだけは馴染んで見えた。
ゴツさの中に、ほんのりした上品さとカワイイが添えられている。
(……ガンテツ好みの店だ)
ふと、そんなことを思った。
「あらためて初めましてだな。俺は花丸万典だ。橙馬から軽く話は聞いている。実際に必要なものは何だ?」
「必要なものは、このメモに書いてあります。よろしくお願いします」
軽く頭を下げて、買い物メモを万典さんに手渡す。
「牧場跡地の復興の品だな。その認識で間違いないか?」
「はい。間違いないです」
彼はそれだけを確認してメモを受け取り、店の奥へと消えた。
しばらくして、資材がひとつずつカウンターに並べられていく。
縄、釘、木杭、補修布、金具、桶、油、雑巾――。
メモの順番通りに、過不足なく、迷いなく。
その光景を眺めていると、脳内でぼそりと声が響いた。
『ほう。どれもこれもいい品じゃ……小僧。この品の素晴らしさがわかるか?』
ガンテツだ。
(たぶん、わかると思う。完璧とはいかなくとも……ガンテツが、いろいろ教えてくれたから)
『なら、品評してみせよ』
(うん。やってみるね)
そのとき、ゴトリという音が聞こえた。
予備の板が、丁寧な手つきでカウンターに置かれた音だった。
「これで全部だ。確認してくれ。不足や追加で欲しいものがあればすぐにまた用意する」
「……万典さん。用意してくれてありがとうございます。どれもこれも、最高の資材ですね」
「ほほう。わかるのか……?」
「素人なりには、ですけど」
僕は答えながら、並んだ資材を端から手に取っていく。
まずは縄。
持ち上げて、指先で撚り目を確かめる。
「……撚りがしっかりしていますね。湿気に強い素材を選んでる」
次に釘をつまみ、頭の形を見る。
「鍛え方が素晴らしいです。頭が均一だ」
木杭。
節の位置を確認する。
「節の位置がいいですね。これなら割れにくい」
補修布を広げ、光に透かす。
「目が細かい……。水を弾く加工もしてある」
金具。
表面を親指でなぞる。
「錆止めが丁寧です」
桶。
内側の継ぎ目に指を走らせる。
「継ぎ目の処理が綺麗ですね。これなら水が漏れにくい」
油の瓶をそっと傾け、粘度を見る。
蓋を開け、匂いを確かめるように鼻先へ寄せる。
「純度が高い。匂いでわかります」
雑巾。
縫い目を軽く引っ張る。
「縫い目が揃ってる。長持ちする作りだ」
最後に、予備の板。
木目に沿って、指を走らせる。
「木目が通ってる。乾燥も十分に済んでる。これも……いい板ですね」
言い終えたとき、万典さんが静かに口を開いた。
「……大したものだ」
その声は、さっきまでの圧とはまるで違っていた。
品定めをするような、それでいてどこか穏やかな響きだった。
「ありがとうございます。でもこれは……僕自身の力というより、どちらかというと、僕の師匠が教えてくれたことです」
「師匠?」
「はい。ガンテツはすごいんです。本当に、心から尊敬しています」
言ってから、気づいた。
思わず名前を出してしまった。
万典さんの眉が、わずかに動く。
「……ガンテツ、だと?」
「は、はい」
「それは……伝説の職人と同じ名前ではないか?」
「あ、あ……! その、たまたまです! ガンテツって名前からあやかったみたいで……えーっと、師匠も職人で、その、名前に憧れてたらしく……!」
我ながら、ひどい言い訳だと思った。
口が動けば動くほど、どんどん怪しくなっていく。
けれど止めるわけにもいかず、僕はなんとか笑ってごまかした。
万典さんはしばらく無言で僕を見ていたが、それ以上は追及してこなかった。代わりに「その気持ちもわからんでもない」とだけ言った。
脳内で、ガンテツの響くような声が落ちる。
『確かに悪くはないのう。じゃが……まだ甘い』
(え、やっぱり名前を出したらいけなかったよね?)
『そっちじゃないわい。これらの品のことじゃ』
(ん? まだあるの?)
『この品はどれも、安全に設計されとる。折れづらい性質、燃えづらい性質――それらが、使い手の安全にまで気を巡らせとる。さらに、それぞれの品が牧場で使われることまで見越した品選びになっとる。万典という漢が、いかに気遣い、こだわっとるか。それに気づかんようでは、まだまだじゃな』
その瞬間、すとんと腑に落ちた。
(あ〜……たしかにそうだ! 全部そうなってる……! へへへ、やっぱりガンテツにはまだ敵わないや……)
『さすがに、まだ超えられるには早いのう。たゆまぬ努力で精進せい』
満足そうな、でも素直には喜ばない、あの声だった。
僕は手の中の板を一度見てから、万典さんへ視線を戻す。
「細かいとろこまでこだわりぬいてるのが伝わります……神は細部に宿る。本当にそう思います」
万典さんは、しばらく無言だった。
それから、ふっと何かを緩めるように息をついた。
「フン。芽依を誑かしたときは、どうしてやろうかと思ったものだが……」
一拍置いて。
「……俺が勘違いしとったようだ。君、名前は?」
「鴨葱焔乃士と言います」
「和名か? どう書く?」
そう言われたので、僕は紙をもらってそこに書く。
「鴨葱……そして、焔の士か。……悪くないな」
「ありがとうございます……でも、ちょっと恥ずかしいです。これらの資材、全部、牧場で使うことまで考えて選んでくれていますよね。すぐに気づけなかったのが申し訳ないです」
「お客様に最高の品を用意することは、商売人として当然のことだ。客側が気遣うようなことではない」
万典さんの目の端が、少しだけやわらかくなった気がした。
そこには、職人としての矜持と、温かさがあった。
万典さんは、ひとつずつ品を確認しながらメモに書いていく。
紙の上を走る筆記具の音が、静かな店内に小さく響く。
どうやら計算をしているようだった。
「……全部で一万八千七百ソルになる。ただ、ここまで初回で大量に買ってくれたのだから、多少割引を利かせて、一万五千ソルでいいか?」
一万五千ソル。
つまり、金貨一枚と大銀貨五枚あればいいってことだ。
覚悟していた金額より、だいぶ安く済む。
橙馬が言ってくれた通り、本当に割引をしてくれた。
サービスがあまりに良すぎて、むしろちゃんと利益が出ているのか心配になるほどだ。
けれど、橙馬の「素直に喜んでほしい」という言葉が、その心配を飲み込ませた。
僕は\万典さんの目をまっすぐ見る。
「いいか、どころか、むしろ嬉しすぎます! ……素敵な品と割引、隅々まで丁寧な気遣い、本当に感謝でいっぱいです。ありがとうございます。……また来てもいいですか?」
「フン。上客を断る理由もない」
そう言う万典さんの腕組みが、ふっと緩まった気がする。
ガンテツの凄さが、少しでも伝わっていたなら嬉しい。
そのときだった。
隣にいた橙馬が、こっちを見た瞬間、ぶわっと顔をくしゃくしゃにした。
「ホノジぃ~~~! おまえってやつは……! 花丸満点どころの話じゃねえぞ!?」
「え?」
言うが早いか、橙馬が勢いよく飛びついてきた。
僕ごと、ぎゅううっと締め上げるみたいに抱きしめてくる。
「ちょ、橙馬……っ!?」
橙馬は完全に涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
しかもその顔のまま、遠慮なく僕の肩口にすり寄ってくる。
ぬるっ、と嫌な感触がした。
「ちょっと橙馬! 汚いから離れて!?」
反射でそう言うと、橙馬はぴたりと動きを止めた。
それから、すん……と一度だけ鼻をすすって、ちょっとだけ真顔になる。
「……おおう? 相変わらずの容赦ない毒舌ぶりで、むしろ安心してきたぜ……」
「さすがに鼻水つけられたら、誰だってそう思うでしょ?」
「……牛でもか?」
「あ、牛さんは別だね」
「うう……牛以下か、俺っちは……」
「ちょっと!? さすがの橙馬でも、牛さんを見下すのは許さないよ」
びしっと橙馬を指さす。
橙馬は、何事だ、という顔でこっちを見ていた。
牛さんの偉大さを知らないだなんて、この男はまだまだだな。
「ガハハハッ!」
豪快な笑い声が響く。
そちらを向くと、万典さんが口を大きく開けて笑っていた。
「いやあ、すまんすまん。お前ら、いいコンビだと思ってな。それに、牛の匂いと芽依が言ってたのも頷ける。ポーズとかではなく、焔乃士、君は本当に牛が好きなんだな」
「大好きです!」
もちろん即答した。
「ガハハハハハッ! 最高じゃねえかっ!」
万典さんの威厳ある声が、また無邪気に跳ねる。
意外と、こういうことで笑う人なんだなと思った。
同時に、なぜあんなに美人な奥さんが傍にいてくれるのかも、少しだけわかった気がした。
「じゃあ、そろそろ会計にするか? このあとも、いろいろと用事があるんだろう?」
「それもそうですね。では、二金貨(20,000ソル)でお願いします」
「ご購入ありがとうございます。では、お釣りの大銀貨五枚(5,000ソル)だ」
会計を済ませ、資材を受け取ろうと手を伸ばしたとき、大きくてごつい手がそれを遮った。万典さんの手だ。
「いい。外までは俺が運ぶ。これもサービスの一環だ」
そのあたたかい気遣いに甘えつつ、僕は店を出る。
店先には午前の光が差していて、通りを行き交う人々の声も、どこか明るかった。
「おやっさん、割引してくれてありがとう! 恩に着るよ!」
橙馬がおやっさんに軽く頭を下げる。
「……それはこっちのセリフだ。たくさんの恩を着せられて、暑いぐらいだからな」
そのやりとりを見て、二人にはきっと、それなりの歴史があるのだと思った。
気になるけど、ここで聞いたら無粋な気もする。
だから、あえて黙っておく。
「そう思ってくれるのは嬉しいけどさ……別に俺っちは……特別なことをしたつもりはねえよ……」
橙馬がそう言う横で、万典さんは静かで不器用な笑みを浮かべた。
そのまま店の外まで運んでくれた資材を、丁寧に石畳の上へ、ひとつひとつ並べていく。
改めて見ると、なかなかに壮観だった。
縄に釘に板材、桶に金具――。
こうして一堂に並ぶと、牧場復興への第一歩が、目に見える形になった気がして、胸の奥がじわっとあたたかくなる。
そのときだった。
短い声と、小さな衝撃音が重なった。




