第38話:うしたん、しゅき~!
まだ、お店に着くまでは少し時間がある。
会話が落ち着いたところで、僕はいよいよ、地味に胸に引っかかっていたことを聞くことにした。
(ミネルヴァ……あれがルミタじゃないってことぐらい、わかってたでしょ?)
『当然、把握してますわ。ご主人様』
ミネルヴァが脳内で、細い眼鏡をクイっと上げる。
(言わなかったのは、わざと?)
『私は好きなときにサポートしますわ。いつだってユーザービッチなAIと一緒にしないでください』
(え、えーあい? なんだっけそれ?)
『ともかく、ご主人様の都合のいいように世界は廻っていないのです。あの椿とかいうエルフ……ただ者でないことはわかりますが、いささか、出しゃばりが過ぎましたわね。ご主人様は、ときどきスパルタを本能から求めているということを、よくわかっていないのですわ』
(いやっ!? さも当然かのように言ってるけど、全然スパルタ求めてないからね!? ゲロ甘のアメだけを年中無休で大歓迎だよ!?)
そのとき、荒い気配が脳の奥側からした。
『ケッ。ミネルヴァ、オメエよ。本当はルマタでもいいから食いたかっただけだろ。じゃがいもの中でも、オメエが生きてた時代の大好物がルミタとルマタだったじゃねえか。特別な時に、いつもじゃがいもパーティかましてやがったクセによ』
『……オーガ、貴方。最近私が優しくしているからといって、調子に乗っていませんか? それ以上言うなら、貴方の存在ごとデータ削除しますわよ?』
(……まるで僕に知られてない感じで罵倒を展開してるところ悪いんだけど、僕、ミネルヴァの大好物がじゃがいもってことぐらい知ってるよ? 実家を出る前にフライドポテト作った時も、るんるんだったじゃんか)
『……ご主人様。知っておられたのですね……?』
(うん。ミネルヴァがじゃがいも好きなの、伝わってくるのがいつも嬉しいんだ。普段あんまりわかりやすく喜ばないから、その嬉しそうな感じがたまらなくてさ)
『…………』
(普段、いろいろと助けてもらってるけど、僕にできることはこれぐらいしかないから……。だから僕、今日久々にじゃがいもを調理できるのが楽しみ! ミネルヴァ、最高においしく作るから、たくさん食べてね!)
『ご主人様、あなたという人は…………けっ……寝ますわ』
『オイこらミネルヴァてめえッ! オレの真似すんなッ! 雑に真似すんなッ!』
『……オーガ兄、その言い方だと、雑な真似じゃなければいいみたいに聞こえるよ?』
『うるせえよ、ジュリア。チッ。寝る』
『あ、本家も帰ってった。「ケッ」って言うの恥ずかしいから、バリエーション変えて「チッ」って言って帰ってった』
(ミネルヴァも、都合が悪くなると逃げるしかないんだね……なんだか少し安心した)
『アハハ! ホノちゃん、ルヴァ姉を何だと思ってるの? ああ見えて、愛嬌を我慢してるだけで、すっごい可愛らしい人なんだから!』
『さすがのミネルヴァも、小僧の秘技には骨抜きにされるときもあるか。まったく、悪い男じゃのう……』
(ん? それホメてる?)
僕が心の中で首を傾げた、そのタイミングだった。
「ついたぜ~~、ホノジ」
橙馬は立ち止まると、親指で店を指した。
その先へ視線を向けて、僕は思わず足を止める。
通りの角を曲がった先に、どっしりと店が構えていた。
看板には、〈花丸日曜大工店〉の文字。
重厚な石造りの外壁に、濃い茶色の扉。
看板は黒鉄でできていて、打ち込まれた文字まで無骨で、ぱっと見の印象はかなり厳つい。
日曜大工店というより、小さな砦みたいだった。
ちょっと近寄りがたい。
というか、普通に強そうだ。
――なのに。
看板の端っこにだけ、ちまっと小さな花の彫刻が入っていた。
しかも入口の両脇には、やたら大きな木製プランターがどんと置かれていて、片方にはモクレン、もう片方には梅が植わっている。
どう見ても、見た目の圧に対して、趣味が妙にかわいい。
そんな花丸日曜大工店の両隣には、花屋とソフトクリーム屋が寄り添うように並んでいた。
三軒とも、色も雰囲気も少しずつ違うはずなのに、不思議とばらばらには見えない。
軒先の高さがきれいに揃っているせいだろうか。
見ていると、ひとつづきの家みたいに思えてくる。
左隣の花屋は、白を基調にしたやわらかな店構えだった。
レースみたいな日よけの下で、色とりどりの花が揺れている。
そして反対側のソフトクリーム屋は――木造のこじんまりとした店構えに、屋根の一部だけ茜色の瓦が夕焼けみたいに差していた。
格子戸の脇には、大きなガラスのショーケース。
和の格子越しに、洋風のソフトクリームのサンプルが整然と並んでいる。
軒先には短めの赤い暖簾。
その上、軒下に掛かった看板は木彫りで――茜色の地に、墨を吸ったような和書体の縦書きで、文字が深く彫り込まれていた。
〈甘味処 花丸満開〉
――その瞬間、僕はぴたりと固まった。
事前に新聞で入手していた情報。
アイス屋〈甘味処 花丸満開〉。
その場所こそが――求めていた『極上生絞りソフトクリーム』のある場所だったからだ。
「まさか……僕の求めていたものが、隣同士にあるだなんて……なんという運命……」
「ホ、ホノジ?」
僕の足は自然と、そのソフトクリーム屋の重力に引き寄せられるように動き出す。
一歩。
二歩。
(天使ちゃん、もう少しで会えるからね……!)
あと少しで、あの夢みたいな白い渦に手が届く――。
そう思った、その時だった。
「うにゃぁああ~~っ!」
幼い声が飛んできて、反射でそちらを見る。
白いソフトクリームを片手に持った小さな女の子が、ものすごい勢いでこちらに走ってきていた。
ぶつかる。
そう思った瞬間――。
小さな足が段差に引っかかり、身体が前につんのめる。
ソフトクリームの先がぶるんと揺れて、今にも地面へダイブしそうになった。
「危ね――」
橙馬が、ひょいと手を上げた。
その瞬間、女の子の身体が風を着るみたいにふわりと浮く。
地面に鼻から突っ込むはずだった勢いが、やわらかく殺された。
同時に、橙馬の空いた手が、落ちかけたソフトクリームをひょいとさらう。
そのまま前に流れてきた小さな身体を、僕は反射的に受け止めた。
「おっと」
受け止めた衝撃が軽い。
あまりにも軽い。
両腕の中にすっぽり収まるくらい小さなその子は、ぽかんとした顔で僕を見上げた。
くりくりした大きな目が、きらきらしている。
まるで宝石みたいだ。
次の瞬間。
その子は僕の胸元に顔を寄せると、すんすんと鼻を鳴らした。
「うにゃ、しゅごく、うしたんのにおいがすりゅ。しゅき~!」
うしたん?
たぶん、牛さんのことだ。
つまりこの子、僕の匂いを嗅いで、牛の匂いだと判断したのだろう。
……え、ちょっと待って。
それってなんか、すごくない?
僕の服にも髪にも手にも、牧場の空気とか牛舎の匂いとか、そういうのが染みついてるってことだよね?
酪農家の息子としての僕を、この三歳くらいの生きものが、本能だけで一瞬で見抜いたって?
「しゅき~~っ」
「ふぇっ!?」
そのまま、ぎゅうっと抱きつかれる。
お腹あたりに顔を押しつけて、めいっぱいすりすりしてくる。
ちいさな腕。
むにっと当たるほっぺ。
ちっちゃい。
信じられないくらい、ちっちゃい。
何この生きもの。
可愛すぎる。
しかも牛好きと来た。
持ち帰りたい。
「え、なにこの生きもの可愛すぎない? 持ち帰りたい!!」
声に出てた。
「いいわけあるか。殺すぞ」
「ひゃいっ!?」
声のした方を見ると、そこには鬼みたいな顔をした大男が立っていた。
いや、比喩じゃない。
本当に鬼みたいに強面だ。
眉間にしわ、鋭い目つき、ごつい体格。
腕とか丸太みたいだし、今にも斧でも振り回しそうな迫力がある。
そして当然のように、口から出てきたのは僕への即殺害予告だった。
こわいこわいこわいこわい。
「だはははは! ホノジ~~っ、メイちゃんかわいいからなぁ、気持ちはわかるぜ? でもさすがに拉致は物騒だからやめような? 秒でおやっさんに埋められちまうぜ?」
橙馬が、にんまりとした顔でそう言った。
その手には、さっき落ちかけていたソフトクリームが、奇跡みたいに無傷で収まっている。
すると大男は、橙馬の方を見た。
「橙馬ならば問題ない。あと十三年ほど待ってくれ」
「「え?」」
僕と橙馬の声が、きれいに重なった。
いや待って。
何の年数?
何の猶予?
何の宣告?
僕が混乱しているあいだにも、橙馬は妙に前向きだった。
「なるほろなるほろ……だってさ、メイちゃん。おやっさんがああやって言ってくれてるの嬉しいな? 十三年はちょっと……その頃にはメイちゃんの自由もあるから強制できねえけど、今のうちにいっぱい可愛がってあげるぜ~~。ほらおいで。さっき落としそうになったアイス、返してあげるからね~」
すると、芽依ちゃんは僕の後ろにするっと回り込み、服の裾をぎゅっとつかんだ。
そして――。
「べぇえ」
全力で舌を出した。
「なんでだっ!?」
橙馬の顔に、じわじわとした敗北の色が滲む。
でも、そんなのを笑っている余裕なんて、僕にもなかった。
僕はとっくに、この小さな生き物にメロメロになってしまっている。
「やっぱり持ち帰るぅ~~! でへへ、かわいすぎぃ~~!」
「――墓ならウチの店だけでも用意できるぞ。棺桶にこだわるか、少年?」
大男が、僕に向かって凄んだ声で睨みを利かせた。
いやいやいやいや。
さらに、こわいこわいこわいこわい。
脅しに具体性を持たせて、進化させないでほしい。
大男は額に青筋を立てたまま、僕の後ろに隠れている芽依ちゃんへ近づいてくる。
僕の体が、思わずびくっと反応した。
「ほら、芽依。こっちにきなさい」
しかし、芽依ちゃんはなかなか動こうとしない。
大男は僕の脇越しに手を伸ばし、そのまま芽依ちゃんを抱っこした。
「やあ、やあ、なの! ……うっ、うぇええん!」
芽依ちゃんは抱っこされながらも、こっちに小さな手を伸ばす。
「うわぁああんっ! うしたん~~~っ!」
涙目で助けを求められたみたいで、胸の奥がきゅっとした。
「もう、パパ。新しいお客さんなんだから、威圧しないでよ。芽依まで泣かせちゃって。そもそも芽依がなついてるんだからいいでしょ。その子、間違いなくいい子ってことだよ?」
凛とした声が飛んできた。
振り向くと、ソフトクリーム屋の奥から、すらりとしたおねえさんがこちらへ歩いてくる。
白い花のピアスと、橙色の瞳がとても印象的だ。
どこか芽依ちゃんと、少し面差しが似ている気もする。
大男は、さっきまでの威圧感をほんの少しだけしぼませた。
「あ、茜……それはわかっておるが……しかし、俺の愛しの娘が……ム、ムム……」
「パパ? いいの? わたしまで嫌いにさせたい?」
「ム……ほれ」
秒で負けた。
あまりにもわかりやすく負けた。
さっきまで眉間に皺を寄せて怖い顔をしていた人が、今はしゅんとした顔で手を引っ込めている。
ごつい見た目との落差がすごい。
解放された芽依ちゃんは、ためらいなく僕のところへ戻ってくると、そのまま僕のお腹にすりっと頬をこすりつけた。
「うにゃ。うしたん、しゅき~~~」
「~~~~っ!」
だ、だめだ。
こんなの、やられるに決まってる。
僕はお腹にすりついてくる小さな体温と、見上げてくるきらきらの瞳に完全に脳を焼かれながら、ふらふらと口を開いた。
「え、かわいすぎてもう無理。母性くすぐられてる。母乳出そう。ホルスタインになっちゃう……」
「だはは! 何だよそれ!?」
橙馬のツッコミが飛んできたけれど、もうだめだった。
理性とか羞恥とか、そういうものは芽依ちゃんの「うしたん、しゅき~~~」の時点で、だいたい溶けている。
すると芽依ちゃんは、僕のお腹に頬をすりすりしたまま、ぱちぱちと目を瞬かせた。
それから、うるうるした目で僕を見上げる。
「うしたん、メイね、みるくのみちゃい」
「あ、無理。母乳出た」
「だはははは! ホノジ、変なこと言うなよっ! おもしろすぎだろっ!」
橙馬が腹を抱えて、ひとしきり笑ったあと。
「…………あと、俺が悲しすぎんだろ」
今度は目が潤んで、泣きそうになっている。
どんまい、橙馬。
そのときだった。
「トーマちゃんの連れてくる子は、やっぱり面白い子なんですね。ふふふ」
やわらかな声がして、僕はそちらを見た。
花屋のほうから、ひとりの女性が歩いてくる。
僕はとりあえず、挨拶をする。
「はじめまして! 鴨葱焔乃士って言います!」
「はじめまして。このごつい大男の妻の、梅子って言います。よろしくお願いしますね、ホノジちゃん」
「はい、よろしくお願いします! 梅子さん!」
ふわりとした雰囲気の人だった。
どこか春の日だまりみたいな空気をまとっていて、口元にはやさしい笑みが浮かんでいる。
君付けじゃなくて「ちゃん」呼びなのが、少しくすぐったい。
でも、嫌ってわけじゃなかった。
「梅子。頭に梅の花がくっついてる」
大男が言った。
見てみると、確かに女性の頭には梅の花びらがちょこんとくっついていた。
「あら、貴方が取ってくださるのかしら?」
「お、教えただろう。自分で取れ」
さっきまで「殺すぞ」と言っていた人と同じ口とは思えないくらい、妙なところで歯切れが悪い。
梅子さんは、小さく首を傾げた。
「……取ってくださらないの?」
少しだけうるんだ目で見上げる。
大男の顔が、ほんのり赤くなった気がした。
「……こっちに来い」
ぶっきらぼうにそう言って、梅子さんの髪に手を伸ばす。
ごつい指先が、そっと梅の花びらをつまみ取った。
とても丁寧な動きだった。
「取ってくださるんじゃないですか」
「うるさい」
「ふふふ」
梅子さんはうれしそうに笑っているし、大男はますますしかめっ面になっている。
でも、不思議と嫌そうには見えなかった。
僕は、ロイ夫妻を思い出す。
どうしてこうも、仲のいい夫婦は微笑ましいのだろう。
橙馬が、そんな二人を見てしみじみと呟いた。
「メイちゃんもウメコさんも、甘え方上手すぎるだろ……。やっぱり血の繋がりってすげえんだな……」
「……やっぱり、年下の芽依のほうが気になるの?」
すぐ横から、じっとりした声が飛んだ。
見ると、さっきの橙色の瞳をしたおねえさんが、うるうるした目で橙馬を見上げている。
「ぐはっ!? 伏兵っ!?」
橙馬が胸を押さえてのけぞった。
それを見てる僕の傍らで、芽依ちゃんはまだ僕のお腹にすりすりしている。
「ねえねえ、みてみて、これ~~」
見て見てと、甘えるような声で、芽依ちゃんは髪に留めた牛さんのヘアクリップを見せてきた。なんてセンスがいいんだ。
「すっごくカワイイね! 芽依ちゃんにとても似合ってるよ!」
「ありがちょ!」
そう言って、芽依ちゃんはにこにこの笑顔を向けてくる。
かわいすぎる。死ぬ。
「ねえねえ、うしたん、おなまえ、なんでしゅか?」
「僕?」
自分を指さすと、芽依ちゃんは大げさなくらいに首を縦に振った。
「僕の名前は焔乃士だよ」
「ほにょ……?」
「ほ、の、じ」
「ほ、にょ、じ!」
「そうそう、ほにょじだよ。名前呼ぶの上手だね!」
「えへへ~、ほにょじ、しゅきしゅき~~~」
「~~~~っ!」
あまりの可愛さに、本格的に駄目になりそうだった。




