第36話:ルミタとルマタ
「――ちょっと盗み聞きさせてもろうたんやけど。アンタ、ボラれとるで?」
そこにいたのは、エルフのお兄さんだった。
最初に目に入ったのは、髪だった。
長い髪を後ろでまとめる白銀の簪が、やけに目立つ。そこだけ切り取れば上品なのに、耳元まで視線が滑った瞬間、印象が少し変わる。尖った耳の先には揺れるピアス。右に太陽、左に月。左右で違うそれが、妙に気取って見えた。
そのせいで、かけられた言葉の意味が少し遅れてしみ込んでくる。
たしか今、この人は「ボラれている」と言った。
「僕がボラれてる? え、そうなの……?」
つまりその言葉が意味するのは、「騙されている」だ。
もちろん、人のよさそうなそのおじさんに。
「ちょっと! アンタ、誰なんだ? 横からいきなり口を出して、どういうつもりなんだい?」
店主のおじさんが、笑みはそのままにエルフのお兄さんを見た。声は少し、威圧的にも感じる。
「店主はん。気持ちはわかるで? 営業妨害になる、って言いたいんやろう? なら、こうするんはどないやろか」
薄い笑みを浮かべたまま、淡々とエルフのお兄さんは続ける。
「もしボクの言うことがまったくの的外れで、営業妨害になるんやったら、ここにあるルミタは全部ボクが買うたるで? もしこの条件も飲めんのやったら、暗に都合の悪い何かがあるって言うとるようなもんや。客はもう現場を見とる。ボクとしてはどっちでもかまわんのやけど……店主はん、どないする?」
言葉の組み立て方が、妙に手慣れていると感じるのは気のせいか。
「それを……アンタが守る保証はどこにもない」
おじさんの声が、冷えているように聞こえた。
「それもそうやね。リスクが口だけになるんは、よくないわけや」
わざとらしく一拍置いてから、
「口だけになるんは」と、ねっとり付け足した。
「……何が言いたいんだい」
「優しくしてあげる、言うとんねん。ほな、約束を守るためにも契約結ぼか」
「……契約。紙とペンでも用意しようってのかい?」
「不要やわ。今から結ぶんは、『星還りの契約』やからなぁ」
その瞬間、隣にいた橙馬の空気が変わった。
さっきまで野次馬みたいにニコニコしていたのに、笑いが一枚、すっと剥がれた。笑顔のまま固まった、というのが正確かもしれない。牛乳を温めすぎたときに表面に張る膜みたいな、薄くて不自然な笑いだった。
「ほ、星還りの契約!? あ、アンタ正気かい……? こんなくだらないことで命を懸けるなんて……」
くだらないこと。
たしかに、芋の値段の話だ。
でも\橙馬の顔を見る限り、あれはそういう言葉で済ませていいものじゃないらしい。喉の奥が、ひとりでにごくりと鳴った。
「命なんて賭けてへんよ。結果は最初から知っとるようなもんやからなぁ。ほな、いくで――」
お兄さんは懐に手を入れて、小さな石を取り出した。
握り込める卵ぐらいの大きさで、半月の形をしている。透明に近い色で、光の当たり方によっては薄く青みがかって見えた。綺麗だと思った。欠けた月を切り取って、そのまま固めたみたいな石だ。初めて見る。
次に、髪をまとめていた白銀の簪を、するりと引き抜く。
細く長い銀の針は、飾りというより、何か別の用途まで兼ねていそうに見えた。
簪は二つあるので、髪型は崩れない。
そのまま何をするのかと見ていたら、簪の先を自分の手のひらに、軽く引いた。
浅く、けれど迷いなく。
赤い線が走る。血がじわりと滲む。痛そうだ。
「ボクは誓う。――ここにいる買い手は、ルミタの正当な価値を知らされないまま、不当な取引を持ちかけられている。この言葉が偽りであるなら、ここにある取引対象の商品をすべて買い取る。できなければ、ボクの魔力はその刻より星に還る」
言葉が終わると同時に、手のひらの血が石に触れた。
半月の石が、内側から赤く光る。
染まるというより、溶け込むような光り方だった。血が石に吸い込まれるように広がって、赤い光がゆっくり満ち、やがてすっと消える。石は元の透明に戻った。何事もなかったかのように。
ただ、さっきまでとは違う何かが、静かにそこに在る気もする。
手のひらの傷より、石の赤のほうが怖かった。
言葉が冗談ではないと示すには、それで充分だった。
「受けた」
店主のおじさんが、笑みを薄くしながら答えた。
橙馬が僕の袖をそっと引っぱった。小さく、「……星還りの契約って、死ぬやつだからな」と耳打ちしてくる。死ぬ、という言葉の重さに対して、声のトーンが妙に淡々としていた。理解が追いつかないときに人が出す声だと思った。
「さて。下準備も終わったところやし、まずは率直に聞くんやけど、そのじゃがいも、本当に一銀貨の価値があるんか?」
「……アンタ、ルミタを知らないからって適当に言うんじゃないぞ。これは間違いなくルミタ、高級じゃがいもさ。そこに偽りはない」
「――それが本当にルミタなら、せやろね」
「アンタ……ルミタを知ってる口ぶりだね」
「ああ、知っとるよ。よう好きで食べとったからね」
「味を知ってるんだね……なら、食べてみるかい?」
「ええね。いただこか」
店主のおじさんが、蒸したルミタにバターをちょんと乗せて、塩をひとつまみ振る。それをお兄さんの前に出した。
「ルミタは、ふかして食べるのがうまいんだ。ほら、食べてみてくれ。吹っ飛ぶから」
お兄さんが一口食べた。
咀嚼の速度が、一瞬だけ変わった。僕も食べたい。
速くも遅くもない。ただ、何かを確かめるような噛み方に変わった。食べ物の目利きをするときに自然と出る動作を、僕はよく知っている。牧場で父親がやっていたのと似た動き方だった。なんだか懐かしい。
「……うーん、おいしゅうね。蒸すところも、偶然やけど正解やわ」
「どうだい。これでわかってくれただろう。ルミタだって」
「せやね。味は限りなくルミタやねえ」
わざとらしくまた一拍置いてから、
「味は」と追加して、お兄さんは笑う。
「さっきから含みのある言い方をしたところで、それがルミタじゃないことの証明にはならないよ。どうするんだい。契約もしたし、全部お買い上げしてくれるんだろ?」
おじさんの声が少し早口になった気もする。
「味が似通っとるから騙せてると思っとるのかもしれへんのやけど……これ、ルマタやろ? ルマタならあかんやん。一銀貨やなくて、五銅貨で売らんと」
「――うん? なんの話だい?」
「ええってええって。しらこい。知らんフリ、せんでええよ。大根芝居が煮えるほど、見え透いとるから」
エルフのお兄さんは、山盛りの『ルミタ』から一つを手に取る。
「ルマタは、ようできとる。ルミタに限りなく味も性質も近い。せやけどな、決定的にひとつ違うねん。ルマタは、光を浴びて育っても――猛毒にならんのや」
ルマタ。
その単語は知らなかった。
でも、構造はわかる気がした。
ルミタの価値の核心――光を浴びると毒になるという性質が、そのまま希少性と価格に直結しているなら――その性質を持たない近縁種は、価値の根拠を持たない、ただよく似た芋だってことだ。
なるほど。
危険な性質そのものが、価値の線引きになっているわけだ。
「ほう。それがアンタの言うルマタだとして、ルミタとの違いをどう証明してくれるんだい? ここには、収穫したあとの『ルミタ』しかないわけだけど」
「あかんわ」
一瞬、空気が揺れた。
「……お? さすがに降参かい?」
「ふふ……おかしゅうて、あかんわ。店主はん、ほんまおもろいなぁ」
笑い方が、涼しかった。
「勘弁してくれよ。さすがの俺も限度がある。お客さんだって待ってるんだ。でも、そうだね。……許そう」
「許す……?」
「ああ、許すさ。俺だってしがない行商人だ。アンタみたいなプライドの高いエルフ、何度か見かけたことだってある。それにアンタだって、思いつきで言ってしまっただけなんじゃないかな。ルミタを食べたことがあると、少し自慢したくなっただけなんだろう。だから許すさ。ここにあるルミタを全部買うって言ってたけど、それも別にしなくていい。俺はまっとうに商売がしたいだけなんだ。わかったらこれ以上は商売の邪魔をせず、大人しく帰ってくれると助かる」
周囲の空気が、ほんの少しだけ店主のおじさんに味方した気がした。
場の重力が、一瞬だけ店主のおじさん側に傾いたようにも思う。
「許す」という言葉の使い方が巧かった。
責めるのではなく、許すことで相手を子ども扱いにする。大人が子どもの失言を笑って流すときの構造で、お兄さんを「思いつきで口を滑らせた若いエルフ」に仕立てようとしている気がする。
でも。
「……うまいなぁ、ホンマに。人のいいフリするんが、うまいなぁ」
お兄さんの声は、まったく揺れていなかった。
「でもなぁ、店主はん、もっとうまくやらんとあかんよ? 少なくともルミタが何かを知らんで、詐欺はしたらあかん」
「あはは、そろそろ通報させてもらうけれど、それでいいかい」
「これ、なぁんや?」
エルフのお兄さんの手には、じゃがいもがあった。
その見た目は、そこに山盛りにされている『ルミタ』に似ている。
「……次は堂々と盗みかい」
「……星還りの契約はもう成立しとるわけやからな。ここで引くことはできへん。それは店主はんもわかっとるやろ?」
店主のおじさんの表情から、笑みが完全に消えた。代わりに目が鋭くなる。
「……続けて」
「ルミタの正規価格は大体、二銀貨ってところ。それをここでは一銀貨で売っとる。たいそうお得やねえ」
「大量に仕入れる機会があってね。それで安く手に入れることができたんだ」
「店主はんはいろいろ間違ごうとる。まず、これはそこから拝借したルミタやない。ボクが元々持ち歩いとる『本物のルミタ』や」
お兄さんが、手にしていた芋を台の上に置く。山盛りに積まれた『ルミタ』の隣に、同じように土のついた芋が並んだ。見た目で区別をつけるのは難しい。
「そして次。ルミタは、貴重で美味しいから高いんやのうて、高魔力食材で需要が異常やから高いんや。もともと採れる数が少ないうえに、希少価値があり、需要も高い。必然的に数は少のうなる。そりゃあ価格は跳ね上がるわけや」
お兄さんが懐から細長い器具を取り出した。先端に細い針のついた、魔道具だ。
「そしてこれが、魔含針。魔力測定器のひとつやね。こいつの針を伸ばして、食材にブスっと刺す」
お兄さんは針をルミタに刺した。
「するどないなるか」
『魔力含有量、現在380デル。保全率、73%です。高魔力食材です』
無機質な声が鳴った。棒の側面に数字が浮かんでいる。
「次に、店主はんとこの『ルミタ』に刺す。すると—―」
『魔力含有量、現在22デル。保全率、32%です。普通食材です』
数字の差は、一目でわかった。
うわ、全然違う。思ったよりずっと違う。
周囲がざわついた。
さっきまで値札を見ていたおばさんが、山盛りの芋からそっと手を引っ込める。別の客は、エルフのお兄さんが持っている本物のルミタと『ルミタ』もどきを見比べるように、顔を何度も動かしていた。さっきまで店主のおじさん側に少し傾いていた場の重さが、今度ははっきり逆に流れたのがわかった。
にしても違いが酷い。
『偽物のルミタ』と『本物のルミタ』の魔力の差は――えーと何倍……
『約17.27倍ですわ、ご主人様』
そう、十七倍以上。同じ見た目の芋で、中身がまるで違う。一銀貨(100ソル)と五銅貨(5ソル)の差よりも、もっと根本的な違いな気がする。
「――あらら、これはあかんわ。店主はん、ルミタが高魔力食材ってこと知らんかったんやね。少し本腰入れて調べたらわかることやのに、取り扱い商品の知識がスッカスカ。せやから騙す技術はそれなりにあったとしても、商いやるにはド三流やったってことや」
「は、はったりだ……!」
「そう来るん? ……つまらんやっちゃな。なら――通報してもらってもええねんやで?」
「何?」
おじさんの声には明らかに「怒り」か「焦り」のようなものが滲んでいた。
誤魔化す気はもうないらしい。
……そんなおじさんに騙されたかもしれないという事実が、じわじわ僕の精神に響いてくる。
でも買ってないからセーフだ。
そういうことにしておこう。
「さっきも言ったやろ。偽りだったなら、そこにあるルミタもどきは全部ボクが買わなあかん。そうしないと死んでまうからね。だから偽りかどうかを説明するためにも、むしろ商務員に通報してくれや。そしたらボクが言ってることの是非がわかるんやからね。まあ、ボクはどっちでもええねんやけど――」
お兄さんの声は、終始、同じ温度だった。
熱くならない。冷たくもない。出汁をとるときの火加減みたいに、最初から最後まで一定に保たれていた。
「どないしたいん?」
沈黙が落ちた。
店主のおじさんから、表情が消える。
「俺もバカじゃない……準備ぐらいしてるのさ」
その瞬間、テーブルの端にいた小綺麗なネズミが、ぴくりと動いた。
「《皮被り》」
店主のおじさんの体が、ぐにゃりと縮んだ。
一瞬だった。人の形が解けて、ネズミになって、露台の隙間に滑り込む。それを追うように、さっきまでテーブルにいたネズミも同じ方向へ消えた。
(ネ、ネズミ!? マジで!?)
「ネズミになんのきめぇなっ!?」
となりの橙馬もネズミになることに驚いている様子だった。
『アハハ! 懐かしの変化の術だ! ねずみ男のこと思い出しちゃうよ!』
ジュリアの声が、脳内で弾けた。
僕は少しの間、ネズミが消えた隙間を見ていた。
人間がネズミになって逃げる、という事態に対して、自分の中でびっくりするだけで、うまい感想が出てこなかった。ただひとつだけ、妙にはっきりした考えが浮かんだ。
(……最初からいたネズミも、仲間だったんだ!)
露台の隙間に滑り込む――その直後だった。
エルフのお兄さんは淡々と言い放つ。
「あかんやろ。ネズミになったら――」
そう言って、お兄さんの手首がわずかに動いた。
どこからか「キューッ!」という断末魔のような鳴き声が聞こえた。
「一撃でしまいやわ」




