第32話:見るだけのつもりだった
調整休日、最終日。
僕は、にらめっこしていた。
見るだけ。
今日はあくまで、見るだけだ。
そう自分に言い聞かせていたくせに、僕の手元の紙には、朝から細かい字でびっしりと品名が並んでいた。どれもこれも、僕の下手くそで愛しい文字だ。
『縄。釘。木杭。補修布。金具。桶。油。雑巾。予備の板etc.』
そして――
『極上生絞りソフトクリーム。
※最重要。絶対食べる!!!!』
何度見ても、あまりにも魅力的な字面たちだった。
言うなれば、悪魔のささやき。
いや、この場合は悪魔の字面か。
僕は朝日に照らされたそのメモを、もう一度ちらりと見た。
『ソフトクリーム』
「ぐはっ! そ、ソフトクリームだって!?」
悪魔どころか、食べたら昇天する天使ちゃんアイスじゃないか。
そんなに誘惑してどうする。
一体、僕をどうしたいっていうんだ。悪い子め。
しかも、もう一度見れば――。
『極上生絞りソフトクリーム』
(ぐえっ!? ご、極上だと!? そのうえ生絞り!? ソフトクリームって、そんな堂々と生を名乗っていいのか!? は、犯罪じゃないのか!? 正気なのか!?)
『……何やってんの、ホノちゃん。……それ、自分で書いたメモだよね?』
くすぐったい声が、脳内で呆れるように響いた。
ジュリアだ。
『ほっておいてやれ、ジュリア。小僧も昨日の今日じゃ。癒しぐらい求める』
ガンテツは今日も優しい。
さすがドワーフ、伊達に生きてない。
……あ、今はもう死んでるんだった。
『……それを差し置いても、レクターみたいに気持ち悪いんだけど』
『レクターほどではありませんが、かなり気持ち悪いですわね』
淡々と刺してきたのは、いつもの調子のミネルヴァだ。
『当然のように引き合いに出されるレクター、かわいそすぎんかのう……』
今日も朝から、英雄たちが好き勝手に言う。
この人たち、僕に聞かれてるの、たまに忘れてない?
「ちょっと待ってよ、二人とも! さすがにレクターほど気持ち悪くはないよ! 失敬な!」
『……あアッ! 宿主ォ! あまり、ほ、褒めないでくレ! そんなに、き、気持ち悪いって言われたラ……あ、あァッ! 絶頂ッ!!』
「キンッッモッ! 今のどこで褒めたと思ったのさ!?」
『アハハ! ホノちゃん、レクターに常識求めたら疲れるのはこっちだから、やめときなやめときな!』
ジュリアのその意見は、至極まっとうだった。
レクターにまともさを求めるのは、焼け石に水をぶっかけるくらい虚しい。
『そんなことよりホノちゃん、そのメモに書いてあるもの、見るだけって言ってたけど、なんで見るだけ? お金はあるんでしょ』
僕の脳内で、ジュリアがちょこんと首を傾げる。
「これ手に入れちゃうとさぁ、牧場跡地の復興が、とんとん拍子に進んじゃうわけじゃん?」
『ん? それの何がいけないの? どんどん気持ちよく進めちゃえばいいじゃん。せっかく夢の牧場跡地が手に入ったんだから』
「うーん、それはそうなんだけど……全部そろえると、意外と高くて……」
言いながら、僕は手元のメモを見下ろした。
縄に釘、木杭に板。
これだけでも、そこそこする。
しかも、こういうものは揃え始めると際限がない。
乳牛も必要になれば、維持コストの餌代だってバカにならない。
あれも欲しい、これも必要かも、ってなって、気づいたときにはお財布が死ぬやつだ。
「その……ほら、酪農を始めるためには、いろいろと必要になってくるし?」
『なるほど。つまりご主人様は、牧場跡地の復興作業を進めていくと、酪農まで一直線になって止められなくなる。全部揃えようとした結果、金欠になってしまう……そういう心配をされているのですね?』
「その通り! さすがミネルヴァ!」
『当然です。できる女ですので』
『にしても、なんて情けない理由なんじゃ……。節制がきかんと告白しとるようなもんじゃぞ』
「だ、だって! 牛さん好きなんだもん! 愛でたいんだもん!」
『貧乏人は金の使い方も稼ぎ方も三流。さすがは小市民といったところか』
傲慢なヴァンデルの声が、脳内に落ちてくる。
なんでこいつは、嫌味を言うタイミングだけ、こうも正確にしゃしゃり出てくるんだ。
「嫌味な金持ちアピールはやめてくれる!? ヴァンデルが大層なお金持ちだったのはわかったからさ!」
『……お金の問題だけではない。これは華と格に関わる美学である。小市民に言っても無駄かもしれぬが』
「ふんっ! どうせ僕には華なんてもの、ないよーだっ!」
そうやって拗ねていると、ミネルヴァが眼鏡をくいっと上げて光らせた。
『ご主人様。お金と牛の件なら、そこまで心配なさることもないのでは?』
「え? なんでなんで?」
『その顔……もしや、明日から牧場のバイトが始まること、お忘れだったので?』
「……あ」
頭の中で、何かがぴたりと止まった。
「……そうだった! 明日からブラックウッド牧場で働くんだった!」
『抜けていたのですか。相変わらずめでたい頭をしていますね』
「そうそう、めでたいんだよ! いいことじゃんっ! どうにかなるって意味だから!」
『おめでたさも行き過ぎると、いっそのこと清々しいですわね』
「うーん、バイトは平日だけって言ってたから、休日に牛に触れられないのは残念だけど……」
『アハハ! ホノちゃん、週七で会いたいだなんて、恋人だったら嫌な感じの依存だよそれ!』
『ケッ! 女に依存するなんて、クソッカスな女々しさを極めてやがンな!』
ざらついたオーガの声が、後から割り込んできた。
まさか、四六時中脳内にいる英雄たちに、それを言われるとは思わなかった。
二人ともどの口で言ってるんだろうな、とは思う。
けれどその想いはすぐに沈めて、前を向くことにした。
「よーし! 街に行って買い物するぞ! そのためにも早速準備して――」
勢いよく立ち上がる。
そのまま一歩、踏み出しかけて。
止まった。
……あ。
手に持ったままのメモに、視線が落ちる。
さっきまで“欲しいものリスト”だったはずのそれが、急に現実の重さを持ち始める。
牧場跡地は、一度見に行っている。
解体から帰った翌日――すなわち昨日、あの場所に立って、だいたいの状態は頭に入っている。
壊れた柵。
傾いた杭。
踏み荒らされた土。
その全部を見たうえで、僕は今、このメモを書いた。
つまり。
――これ、思ってたより“遊び”じゃ済まない。
指先で紙の端をつまむ。
軽いはずの紙が、少しだけ重く感じる。
「……これ、相当な量の資材が必要になってこない?」
間髪入れず、ミネルヴァが答えた。
『はい。ざっくりで申し上げます。分析するには時間が足りておらず、おおよそでしかお答えできないのが悔しいですが――』
悔しいなら、もう少し悔しそうにしてほしい。
声はいつも通り、びっくりするほど淡々としていた。
『まず、入口側の柵。仮復旧だけでも木杭が最低四十。縄は三十メートル以上。補修布は破損箇所の割合から見て四反ほど。釘と金具はそれぞれ百単位、最低でも三百は用意しておいた方が安心です』
「……え」
思わず漏れた声は、我ながら情けないくらい薄かった。
『さらに、小屋の一角と柵を使える状態にする場合、板材が追加で三十枚前後。地面の補修まで考えるなら、土嚢代わりの袋や詰め材も必要になります』
「ちょっと待って、ちょっと待って」
紙の上では可愛げのあった品名たちが、数になった途端に牙をむいた。
縄、釘、木杭。
どれも文字で見ているうちは大人しかったくせに、現実味を帯びた瞬間、急にこっちの財布へ襲いかかってくる。
「それ、全部“仮復旧”の話だよね?」
『はい。本格復旧ではありません』
「……本格でやったらどうなるの?」
『隅々まで修復するなら、最低でも今申し上げた数の三倍は必要かと』
「そいつはやばいな……。ちなみに、仮復旧に必要な額って、おおよそでいいからどれくらいかわかる?」
『地元のレインズと比べ、セントルファーの生活用品の相場はおおよそ二倍ですので……推定ですが、二金貨もあれば安心できます』
頭の中で、ぱきんと音がした気がした。
僕の全財産は約四金貨(40,000ソル)。
つまり、仮復旧だけでも財産の半分が飛ぶ。
僕の「ちょっくら見てくるか」くらいの気軽さは、そこで綺麗に折れた。
しかし、全財産が飛ぶわけじゃないのなら、僕の心は決まっている。
迷ったらゴーだって偉い人が言ってた。
誰だか全然知らないけど。
それに月給十八銀貨(1,800ソル)のアルバイトだってある。早朝バイトとしては破格の給与だ。飢えて死ぬことはない。
「だから、お金は大丈夫っと。問題なのは――」
あらためてメモを見ながら、ミネルヴァの数値を頭の中で並べ直す。
木杭、縄、補修布、釘、金具。
仮復旧で二金貨(20,000ソル)。
全部買っても残るのは二金貨(20,000ソル)。
……買える。
間違いなく買える。
でも、だからこそ、別の問題が浮かび上がってきた。
「――持ち運ぶのが大変だ」
シンプルに物量の問題。
仮復旧と言えど、一人の人間が運ぶ量としては尋常じゃない。
一体、何往復かかるんだろう。
……地道に運ぶこと自体はできる。
できるけど、できれば今日のうちに少しでも修復に入りたい。残された休日は、あと一日だ。
運ぶだけで一日を潰すのは、さすがにもったいない。
さて、何かいい方法はないか。
そう考えながら部屋の中を見回して、机の端に置きっぱなしだった石が目に入った。
目が合った。
掌に収まる、見慣れた大きさ。
まるで「やっと気づいたか」とでも言いたげに、朝の光を鈍く返している。
「ほほ〜う。人手が足りないなら、増やせばいいと……」
僕はそれを手に取る。
石の表面には、魔力の残滓みたいなわずかな温かさが残っていた。そのまま、僕は念波石を頬ですりすりした。
そうだそうだ。
この街が繁栄しまくってる環境で、僕の気持ちがわかるのはお前しかいない。なんて愛いやつなんだ。
ひとしきりすりすりして満足してから、脳裏に、白い歯を輝かせる暑苦しい気配が浮かぶ。
「ちょっと癪だけど……手伝ってもらうか」




