第33話:念波石とうるさい男
『お〜? ホノちゃん〜〜、お礼言うつもりなんだ〜?』
ジュリアが、にんまりした顔で脳内から覗き込んでくる。
「い、いや、そういうつもりじゃなくて……! ただ、人手が足りないから手伝ってもらうだけで、そもそもお礼を言う理由なんか――」
そこまで言って、口が止まった。
……いや。
そもそも、だ。
この牧場跡地は、旧ブラックウッド牧場。
つまり、ロイさん夫妻の牧場だった場所だ。
そのロイさん夫妻と巡り会えたきっかけは、新聞。
その新聞をくれたのが――。
「――橙馬……」
口に出した途端、誤魔化しづらくなった。
あいつがいなかったら、そもそも僕はあの新聞を読んでいない。
新聞を読まなかったら、ロイさん夫妻にも会っていない。
会っていなかったら、この牧場跡地の話だって、たぶん今ここにはない。
小さな夢への入り口を作ったのは、間違いなく橙馬だ。
「……さすがに、お礼は言った方がいいよね。癪だけど」
『癪なんだ』
「まあ、アイスくらいなら奢ってもいいか……」
『アハハ! ホノちゃん、そういうとこ素直じゃないよね〜』
ジュリアの茶化しは、きっちり無視した。
そのまま念波石を手の中で持ち直し、そっと魔力を流し込む。石が、じんわりと温かくなっていく。
時間は七時過ぎ。
さて、あいつは起きているのか。
トゥルリン、トゥルリン。
念波石の音が、一定のリズムで部屋に響く。
数秒待つ。
やがて石の表面が、ふっと熱を帯びた。
繋がった。
『――おはよう! ホノジじゃ〜〜んっ! 初念話イエェ〜〜〜イッ! 生きてっか!? 俺っちは今日も生きてて、神様に感謝しっぱなしだぜ! ほんでほんで、こんな朝からどうしたんだ!?』
やたら耳に残る声が、一息に畳みかけてくる。
しかしこれは、あまりにも――。
「うるさっ!」
あ。
反射で念話を切ってしまった。
『アハハ! 自分から掛けといて、ホノちゃんそれはないでしょ!? 出会い頭におもしろすぎっ!』
「いや、急に来てびっくりしただけ。ジュリアたちのうるささには慣れてるんだけどね。ちょっとテンションが予想以上だった。まだ朝なのに……」
六英雄ぶんの騒がしさを、ひとりで凌駕しようとする男。
その名も橘橙馬。
恐ろしや。
そうやって半ば本気で感心していると、手の中の念波石がもう一度鳴った。
トゥルリン、トゥルリン。
僕は今度こそしっかり構えて、石に魔力を流す。
『ホノジっ!? 大丈夫かよ!? なんかピンチなのか!?』
さっきとは違う、ちゃんと心配している声色だった。
どうやら、変な誤解をさせたらしい。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと手が滑っただけだから」
『おう? ホノジに変なことが起きてないなら別にいいんだけどよ。で、念話を掛けてきたってのはどういった要件なんだ? 俺っちの声が愛しくなっちまったか?』
最後の発言に、思わず口をあんぐりと開けてしまった。
見えていないのでセーフである。
もう一度念話を切りたい衝動をなんとか抑えながら、僕は本題を切り出した。
「――頼みがあるんだ」
『おう?』
「両手は元気?」
『おう? どういう新手の挨拶だそれ。もしかして地元の馴染みの挨拶でもぶっこまれてる?』
「あはは、ちがうよ。詳しい事情はあとで説明するんだけど、牧場復興のために買い物をしたいんだ。ただ、僕も手が二つしかなくてね。一度に運べる量には、残念ながら限界がある」
『なるほろな。俺っちの可愛いおててを拝借したいと! へへーん、いいぜ。脳みそはすっからかんだが、代わりに筋肉は意外とギチギチよ。俺っちに任せちゃいな!』
返事は、びっくりするくらい早かった。
清々しいぐらいの承諾。
根がいいやつすぎて、一瞬だけ裏があるんじゃないかと疑いたくなる。
でも、橙馬に限ってそれはないか、と思う自分のほうが強かった。
「お礼はするよ。アイスクリームでいい?」
『おうおう! 充分すぎるぜ。何段まで?』
「うーん、三段!」
『上等すぎるぜ!』
「よし。じゃあ、セントルファー商店街で集合でどう? 時間は何時からいける?」
『飯食ってから行きたいから、今からなら一時間半後には確実に行けるぜ!』
「おけおけ。じゃあ八時半ぐらいに商店街の――あ、なんか目立つ待ち合わせの目印とかある?」
『おうおう。それなら、ドラ公の前とかどうだ?』
「ドラ公?」
『でっけえドラゴンの像だよ。まあ見たらわかるぜ』
「おけ! じゃあまた!」
念話を切ると、部屋の中が急に静かになった。
さっきまで耳の奥で暴れていた暑苦しい声が消えただけで、朝の空気が少し広くなる。
『……相変わらず、元気なうえに愚かそうな子ですわね』
ミネルヴァのそれが褒め言葉なのか悪口なのか、いまだによくわからない。
『アハハ! でも助かるじゃん、ああいう子。アホっぽくて』
続いたジュリアの評価も、だいたい似たようなものだった。
僕は念波石を机に戻し、買い物メモをもう一度だけ確認する。
木杭、縄、補修布、釘、金具。
そして――極上生絞りソフトクリーム。
早く食べたい。
よし。
「……行くかな」
小さく呟いて、僕は荷物を整えた。
朝の光は、もうすっかり出かけるための明るさになっている。
今日が、僕の牧場の最初の一歩になる。
でも、焦るわけにはいかない。
――死ぬ命は巡る命。
急いで壊してしまったら、たぶん意味がなくなってしまう。
なら。
ちゃんと整えて、ちゃんと回して。
ちゃんと続く形にしたい。
そうやって積み重ねた先に、毎日美味しいミルクがある。
僕にとっては、その平穏がいちばんわかりやすい正解だった。
胸の奥にわくわくをしまい込んで、僕は部屋の扉を気持ちよく開けた。




