Happy Planet Index
推定異世界。
そんな場所へ旅立ってしまってからはや数週間が経った。
どこかの本の主人公なら、新しい世界と摩訶不思議な理に驚き、順応し、成長をしている頃だろう。あるいは特別な力を要領よく用いて、のんびりスローライフと洒落込んでいるだろうか。或いは未知の冒険、強敵との出会い、そんな中に可愛い女の子との出会いや、愛嬌振りまくペットとの出会いなんかがあるのだろうか。
いいよね、楽しそうだ。読み物としての魅力を感じる。俺もそんな暮らしがしてみたいね。
「そんなに世の中甘くはないがな!」
駄目だ、心の声が漏れた。
だって許してほしい、ここを異世界だと認識してからというもの、いまいち思い通りにいかないのだ。
最初はEL.F.と高性能なアバターを引っ提げてやってこれた事に小躍りしたが、過剰すぎる圧倒的暴力兵器が手元にあった所で持て余す他ない訳で、仮に少しでも機能を使えばたちまち大袈裟な話になるじゃあないか。
物語序盤で出会うメインヒロインの気配は無い。知り合った人間はといえば成り行きで次々と会えなくなっていく。自然食が食えるのは最初こそ感動したが、遠征時に何度も口にした保存食や野生の獣肉の丸焼きは正直辛かった。それを考えたら、コーンロウの宿で食ったオーナーの料理は絶品だった、もう既に恋しい。もしや俺のヒロインはオーナーではなかろうか。
錯乱した脳裏に、ベッドでムキムキのルクレツィアさんが全裸になってにじり寄って来る光景が浮かび急速に理性を取り戻す。
知らずの内にストレスが溜まっているのかもしれない。ままならないなりに楽しんでいたつもりではあったが。
――否、ひとつだけ、どうしても耐え難きものがあった。
「――これだ」
廊下の先、辿り着いた扉を開けたそこには、一つの便器。
そう便所だ。これはもう最悪だ。
一般的な家屋では基本的に溜め込み式だし、トイレットペーパーやウォシュレットのような文明がそもそも無いのだから、それはもうえげつない。
臭気は溜まるし排泄後の"拭き取り"なんぞ、世界を3度滅ぼしても慣れないと感じた。現状知り得る最強の敵である。
資金やコネを確保したら水洗便所の普及に全力を注ぐと心に決めていた。血沸き胸躍る戦いなぞ後回しだ。
そんな訳で、今日も鼻と尻が滅びそうな地獄が始まった。
「ぐぅおおおお!」
「ちょっと」
便所から出ると、訝し気な表情でこちらを見てくる騎士、いや元騎士の女が居た。
先日王都で助けたアシュリーだ。いつもの軽鎧姿とは違うゆったりとした衣服を纏い、綺麗に梳いた赤髪はポニーテールとなって後ろで揺れている。
顔良しスタイル良しの美少女、面倒な絡まれ方をしたものの、ルクレツィアの頼みと名巧ガスパルの親戚である点も考慮して付きまとってくるのを放置していたが、難儀な事に自らが仕える国に諸共狙われるようになってしまった。
ガスパルへの義理もあるので、まあ手の届く範囲でなら守ってやろうと思っていた。しかしあろうことか手の届かない場所で死に掛けていた。俺が間に合っていなかったら死んでいただろう。結構悪運が強いのかもしれない。
とはいえ、ガスパルの心労を考慮するなら遠慮願いたい所だ。
「何だ?」
「いちいち用を足す時に魔物みたいな唸り声上げないでくれる?」
「そうか、お前は知らないよな」
「――何がよ?」
全くもってため息が出そうだ。彼女もこの酷い世界を当たり前として受け入れて来た訳で、彼女の尻にはきっと積み重ねたその傷跡が遺っているのだろう。なんだかやるせなくなってきた。
「ちょっと待って、何そのこっちを哀れむような眼は?いや肩に手を置かないで!?私が何をしたのよ!」
「いやなに、お前の幸福について考えていた」
「――どういう意味かしら?」
アシュリーの顔に幾ばくか警戒の色が見えた。
ダグの町に向かう道中、彼女はこんな事を言っていた。"ガーランド家復興の為サラマンダーを渡して欲しい。その為に今できる協力は惜しまない"と。
こちらとしてはガスパルに忖度するならサラマンダーを手放す事は別段惜しくはなかった。だがフィガロス王国そのものが形式上ではあるが滅びた。彼女のいう所の御家がどうのという状況では無くなったのだ。
アシュリー自身もそれは解っていて聞き返しているのだ。"そうやって私を憐れむのか?"と、でなければ、こんなにも彼女の表情が険しくなる事はないだろう。
「少し、いやかなりか、君という人間は国、或いは家というものに拘り過ぎだ」
同胞に刃を向けられ、余人の手には余る妖精機を手に入れ、人の手が届かぬエルフの地まで辿り着いて尚、祖国の危機を見過ごせなかったのは、度が付くほどのお人好しか、或いは――
ならばと、彼女の叔父に代わってこの言葉を告げることにした。
「一度、本気で自由に生きてみろ、きっとお前の世界は狭すぎる」




