エヴァン 04
◇◇◇
爪先から剣の切っ先まで、すべてが自分の体の一部であるという認識。体中を魔力で覆い、神経を研ぎ澄ませて、振り上げ、下ろす。呼吸は深く、絶え間なくゆったりと。
顎の先から一滴、汗が伝い落ちた。
爪先をその汗が叩くのを感知して、エヴァンはもう一度、剣を振りかぶる。
直後、何かが研ぎ澄ました感覚の端に引っかかった。
「―――っ!」
キンッと音を立てて硬質な何かをはじいた。音と硬度からして、投擲された…石?
そう考える間にも飛んでくる二つ三つと拳大ほどの石を剣の腹で叩き落とした。
飛んできた方角に視線を飛ばすと、イーサンがにやりと笑う。
「よう」
「ああ、おはよう。イーサン」
文字通りとんだご挨拶だが、彼のすることならまあ許容範囲だ。エヴァンは肩をすくめるだけにとどめた。
「朝から精が出るな」
「一日振らないと鈍るからな」
「火竜を降せるだけの剣技がありゃあ充分だろ。魔王でも討伐する気か?」
呆れたように言うイーサンに、エヴァンは苦笑する。
たった十五で、火竜を降せる実力があるのだから十分なはずだと、自分でも思う。
だが、と身の内で叫ぶ声がするのだ。
誰に理解してもらおうとも思わないが、いつだって“まだまだだ”と胸が焼けつくような焦燥に焦がれている。
それは、賢い兄の隣に並ぶにはなのか、英雄王と呼ばれる父に対抗しての事なのか、自分でも判断がつかない。ただ、喉の奥がひりつくような焦燥だけが、いつだってエヴァンの内側を炙っているのだ。
剣を振っていれば少しだけその熱が外に逃げるような気がするから、エヴァンはずっと剣を振り続けている。
「そんな事より、もういいのか?」
昨夜、夢と現実の落差に打ちひしがれたらしい仲間は、いつもはセーブしている酒量の限界を超えてつぶれていたはずだ。朝鍛錬に行くと一言断った時にも、二日酔いによってベッドで唸っていた。
イーサンはエヴァンの二重の意味を持つ問いかけに、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ああ…まあ、な」
その顔は答えに即してもういいとは言い難い表情だったが、いいらしい。
「ハンナの奴はまだ、もう少しかかりそうだがな」
「そうか」
リチャードに対して憧れを抱いた事のないエヴァンには、彼らのように打ちひしがれた経験がないからいまいち理解しがたい。
ハンナが王族の動向を気にかけている事は何となく知っていたが、なぜ彼女たちがそこまで落ち込んでいるのか、わからなかった。
まあ、それでも、いいというからにはいいのだろう。
エヴァンは笑ってイーサンに予備の木剣を投げ渡す。
「おっ…と。なんだ?」
「もう大丈夫なんだろ?一本付き合え」
木剣が手に渡ると同時に切り込む。だが、軽く打ち込んだ斬撃は同じくらい軽く受け止められてしまった。
ゆるく切り込むエヴァンに、イーサンが顔をしかめた。
「そんなこと言って…どうせ俺をズタボロに打ち負かすまでやる、くせ、に!っと」
「そんなことはしないさ。今日は、な!」
上段から打ち込んだ斬撃が軽く流されて、体制を整えないうちに足払いをかけられた。ひらりと足を交わし、胴を突く斬撃を木剣を戻しがてらはじいて軌道をそらす。
踏み出した足に体重をかけて後ろへ跳んだ。
髪の毛一筋分の差で、目の前を木剣の切っ先がかすめる。そのまま勢いをつけて数歩後方へ跳べば、その後を木剣が空気を裂く音がついてくる。
剣を立てるように剣を構えなおすと、その腹の髪一筋分むこうに、正確に突き立てられた木剣の切っ先があった。
一拍遅れて、胸の鼓動が走り出す。気分が高揚していく。やはり、剣は一人で振るよりも誰かと合わせる方がいい。だが。
ああ、ダメだ。逸るな、今日は。
「ここまでだ。弟が来るからな」
切っ先をはじいて、イーサンの背後に回り、その首筋にひたりと剣を当てた。
久しぶりに纏った正装は、一応略式ではあるのだが、襟元が窮屈でたまらなかった。
首と詰襟の間を指で崩れない程度にくつろげながら、それでも彼らよりはまだマシかと思う。
「…動きにくい」
苦虫を噛み潰したような顔で、見事な刺繍で飾られた下級貴族の略式礼装のジャケットの袖を彼にしてみれば恐ろしく慎重に引っ張るイーサンの姿に、笑みが思わず零れる。
普段着なれた綿の軽い上下に比べたら、金糸銀糸で施された煌びやかな刺繍はさぞかし重いだろう。だが、これくらいで文句を言われても困る。
「俺のよりはだいぶ動きやすいはずだろ?飾りも少ないし」
正装といっても略式なのだ。本来ならこれにマントやら勲章やら飾りがごてごてとさらに引っ付く。
相当免除されているのだから、ちょっとは我慢してほしい。
「そりゃあ、お前は着慣れてるだろうからいいが、こんな似合いもしねぇもんを…」
「エヴァン!なんだってこんな格好しなくちゃならないわけ?!」
イーサンがぐちぐち文句を垂れるのにかぶせて、隣室に続く扉が音を立てて開き、中から緑色の布の塊が転がり込んできた。
「…あ。アンドリア」
「あ。じゃないっ!なんなのこれ!内臓飛び出るかと思ったわ!」
彼女の瞳と同じ常盤色のドレスを纏って、貴族の令嬢にすらみえる美しい装いのアンドリアが、いつものように捲し立てるのがおかしくてエヴァンは笑った。
「コルセットで内臓が飛び出た女性はいないって聞くよ」
「じゃああんたが締め付けられてみればいい!」
「この年でドレスはさすがに…」
見苦しいだろうと拒否したら、アンドリアだけじゃなくイーサンにまで顔をしかめられた。
なんでだ。
「まるで着たことがあるような口ぶりですね」
満面の笑みでいうハンナは、ラベンダー色のドレスを身にまとっていた。
「小さいころに母上に着せられた。女性の衣服は胴の防御力が増すし、武器の隠し場所に困らなくていいが、ドレスの裾を踏みつけるし、肩から上の防御には向かないよな」
エヴァンがそういうと、今度はハンナにも顔をしかめられた。彼女たちを着せ付けていた女中たちも苦笑いしている。
なんでだ。
「…エヴァンの恥ずかしい過去暴露はどうでもいいとして」
「恥ずかしい過去暴露?…え?」
「お前なぁ、ドレスはないだろ。男として」
「え、そうなのか?…なんで?」
「どうでもいいとして」
イーサンに問い詰めていたのにハンナにぶった切られた。
男がドレス着るのは恥ずかしいことなのか。
じゃあ、昔母達が嬉々として主催したパーティで、父も兄も恥ずかしいことしていたんだな。
なるほど。どおりであの時二人の顔色が冴えないと思っていたんだ。
俺は妹とおそろいで楽しかったけど、まあ、言わないほうが二人の名誉のためだろう。
そんなことを考えていたから、降られた言葉にとっさに反応できなかった。
「―――で、どういうことなんですか?」
「え?」
顔を上げると、三人が胡乱げな表情でこちらを見ていた。
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「ッチ!」
舌打ちされた。
今、ハンナに、めっちゃ舌打ちされた。
何気に彼女が仲間内で一番エヴァンに対してあたりがひどい。
肉体的に痛めつけてくるのはアンドリアが多いが、精神的な攻撃を仕掛けてくるのは彼女だ。
心身ともに頑丈でよかった。でなければ、彼女たちと一緒に旅なんてできなかっただろうから。
「なんでセーソーすんの?って聞いてんの!」
「王様相手に謁見した時だってここまで堅苦しい服着せらんなかっただろうが」
ああ、なるほど。
そういえばイーサンにその話をしている途中でもあったのだった。
「弟に会うには神殿に行かなくちゃいけないからな。あそこ、正装じゃないと通してもらえないんだよ」
「は?神殿って、あの神殿?教会じゃなくて?」
目を丸くして問うアンドリアの表情が笑える。『あの神殿』って、大陸中見渡しても、神殿と言ったら創世神が下りたというカエルム神殿しかないだろうに。
「なぜです?弟君に王宮に渡っていただいたらいいじゃないですか」
ハンナの言葉に苦笑した。それができるのなら、とっくの昔にあんな窮屈な場所から弟を連れ去っている。
「…弟は、神殿と聖域の中でしか生きてちゃいけないんだよ」
「どういう意味だ?」
一気に低くなったイーサンの声に、返せるのは苦笑しかない。
「〝神様の器”なんだとよ。お綺麗なところで、俗世の汚れを受けずにお育て申し上げなくちゃいけないらしい」
「それで、❘今まであんまり会えなかった≪・・・・・・・・・・・・・・≫のですか」
ハンナの言葉に肩をすくめる。
「神殿の外ってことは、王宮にも来たことがないのか?王族なのに?」
「…御家事情ってヤツね。胸糞悪い話」
まったくだ。
そして、そんな弟を連れ出すこともできない情けない兄なのだ。俺は。




