エヴァン 02
街中の雑踏音よりも耳障りで興味が欠片も惹かれないおっさんの戯言を右から左に聞き流し、サクラは侵食を続ける。
生真面目な性格のウィルやオズは、ちっとも面白くない話をまじめ腐った顔で聞いている。
幼いのにえらいなぁと、本当に感心しきりだ。
かといって同じようにまじめ腐って聞くつもりは甚だないが。
外見だけは、仏像のごとくアルカイックスマイルを浮かべて黙ってオズの後ろに控えているから大丈夫だ。
おっさんたちの内部も侵食済みだから、話なんぞ聞いてなくても後からいくらでも検索できるし。
ちなみに神殿と呼ばれる建物一帯はもう把握済みだ。
魔力が切れたら殿下から拝借しつつここまでサクサク侵食しているが、全く抵抗にあっていないんだが、これでいいんだろうか?
精神面での防衛ってどうなってんだ?
これじゃあ、精神攻撃に備えてwktkしながらファイヤウォール築き上げた俺がバカみたいじゃないか。
人とか意識のある生命体に対する侵食は、本人の合意なしにはできないんじゃないかと思っていたくらいなのに。まったくと言っていいほど抵抗されないし、今まで侵食した奴ら、気付いた様子もないんだが、どうしよう。
いや、さすがに王妃様にまで侵食してないよ?だって、天使を敵に回したくないし。
それにしても、王妃様の天使以外の契約天使が雑魚すぎる。攻撃力が最下級のサクラさんより雑魚い攻撃力しか持ち合わせてないとか。天使以外の従獣はそこそこいい攻撃力持ってるのに。
やっぱりあれか。役割が違うのか。
あれ、何気にサクラさんでも大丈夫っぽい?
いや、障子紙並みの防御力しかないから油断はしないけどね?
◇◇◇
飴色の扉の前でため息を二つ。
口を引き結び、エヴァンは覚悟を決めて扉を開いた。ちなみに彼の私室の扉である。
「ただい…っま!?」
冒険で鍛え上げられた危機察知が鳴らす警鐘に忠実に上体をそらすと、頬をかすめるように何かが唸りを上げて通過して行った。
廊下の壁にぶち当たって派手な音を立てて砕け散る陶器の壺(エヴァンの上半身が入るくらいの大きさ)。
ちなみに、金貨何枚もする城の備品ではない。
エヴァンから連れてこられて以降彼らは室外に出ていない様子だったがどこから持ってきたのか、聞ければ聞こうと砕け散る素焼きの壺を眺めながらライリーは頭の片隅で思った。
「ッチ!避けやがったか」
盛大な舌打ちと忌々しげな声にエヴァンが眉根を寄せてみれば、毛を逆立てた猫のように眦を吊り上げて威嚇してくるアンドリアがいた。
さも悔しげだが、当たったらエヴァンの頭蓋は無事じゃあいられなかったはずだ。
エヴァンはいまさらながらに背筋を寒くした。
こうなることを予想していたのだろうライリーは、苦笑して侍女に片づけるよう言ってくるとその場を去った。
「そこに立っていても通行の邪魔でしょう。さっさと入ったらいかがですか?」
優しげな笑みを浮かべた修道女姿のハンナの言葉に、エヴァンは肩を落としてとぼとぼと従った。
口調は丁寧だし、主張はもっともなのだが、柔和な面にそこはかとない怒りを感じて、エヴァンは遠い目をした。
一人で出歩くんじゃなかった、と。
後悔先に立たずである。
「なぁ、エヴァン。俺たちはお前が“家族に会わせたい”っていうからついてきてやったんだぞ?」
豪放磊落を絵に描いたように大らかな性格のはずのイーサンの灰茶色の目が怒りに爛々と輝いている。
「そうそう。あんた最初はどこのボンボンかっていうくらいオキレーな喋りしかできなかったからね?そりゃあ、貴族だろうとは思ってたから、ちょっとは覚悟してきたよ?でもさ、これはないと思わないか?」
長く伸びた犬歯をむき出しにして、アンドリアが笑う。
低く唸るような威嚇音に、今にも飛び掛かってきそうな体勢に、思わず身構えてしまいそうになるのを必死にエヴァンは自制した。
「王家に連なる方だろうと予想しておりましたので、私はそれに関しては仕方がないとあきらめておりますけれど。ですが、事前説明もなくこのような場所に連れてきておいて、何のフォローもなくまさか一人出奔するなんて。ねぇ?」
しとやかに微笑みながら言うハンナの手の上では、成人男性の平均と同じくらいの重さのメイスが軽々と指揮棒のように揺れている。
「すまん。悪かった。許してくれ」
エヴァンは即行で腰と膝を折った。
王族としてのプライドも見栄も恥も外聞もない。そんなもの、命の前には塵よりも軽い。
二、三拍の間があって、三人からため息が漏れた。
同時ではなかったが、三人が視線を合わせて、肩をすくめる。
ハンナの手の内で遊んでいたメイスが降ろされる。もちろん、エヴァンの頭ではなく床の上に。
「仕方ないな。もちっと考えて行動しろよ」
「次から、騙し討ちみたいのはナシね?」
「…たしか王宮に図書館ってありましたよね?」
三人三様の許しの言葉に、エヴァンはほっと胸をなでおろして苦笑した。
「ありがとう。今度出るときは一緒に行こう。…図書館の使用許可は取っておく」
立ち上がることを許されて、床についていた膝を立てる。
半日でとある火山と王宮を往復し、ついて早々この騒動だったので、ちょっとよろめいたのはご愛嬌だ。
「で?俺らに肩身の狭い思いさせておいて、どこ行ってたんだよ?」
言葉としては痛い所を突くイーサンだが、からかう様な表情と軽い声が責めているわけではないと伝えてくる。
エヴァンもここで初めて笑みを返した。
「ああ。イーグニフェールまでちょっとな」
「イーグニフェールまで?まさか一人で火竜に会いに行ってたんですか?」
目を丸くしてハンナが振り返る。メイスを荷物にしまっていたらしい。
「ああ、うん。今度脱皮したら鱗くれるって約束だったし、誕生日プレゼントに一枚やろうかと思って。ちゃんと俺の取り分からだし、他のはまた今度取りに行くって言ってあるぜ」
「そこは心配してねぇよ」
エヴァンがあわてて付け足すと、イーサンが苦笑してエヴァンの赤銅色の頭を乱暴に撫でる。
立場上、こんな風に接してくれる者はいなかったので、エヴァンの身分を知ってなお以前と変わらず接してくれる仲間がありがたかった。
「何?あんた“俺の仲間を紹介するのがプレゼントだ!”とかほざいてなかった?」
侍女が用意してくれていたのだろうテーブルの上の果物を行儀悪く皮ごと齧り付きながら、アンドリアがどっかりとイスに腰掛ける。
「あー、うん」
歯切れ悪く答えながらエヴァンも空いた椅子に腰かけて、頬を掻いた。
こういう何気ない仕草が一々優雅で、なるほど王子様の生まれなだけあると、アンドリアとイーサンは内心納得していた。
「間に合わないと思ってたけど、間に合ったからな」
「どういう意味ですか?」
ハンナが適当に入れたお茶を一口飲んで眉をしかめ、無言で遠慮なくジャムを投入するエヴァンにハンナが微かに眉をしかめる。
わざと適当に淹れたお茶でも、茶葉がいいから飲めないことはないはずなのに。
嫌味だわ、と自分用にきちんと淹れたお茶をすすりながらハンナは思った。
「弟のが一月前だったんだが、まだこっちに来てないっていうし、あと一日あるっていうからそれならと思って」
「うん。わからん。イーサン、通訳!」
何があったか知らないが、いつもよりずっと幼い口調のエヴァンに、アンドリアは早々に理解を放棄した。
「あー。“誕生日プレゼント”として俺たちを引き合わせたかったのは弟なんだな?で、その弟君の誕生日は一月前に過ぎてしまっていると。その弟はいつもは遠方にいて、誕生日の時に王城に来るのか?だから、弟が帰るまでに間に合わないと思ったんだな。だが、来てみたら弟が何らかの都合で王城に到着しておらず、明日到着すると。そこで、時間があるのならもう一つくらいプレゼントがあってもいいかと思い立ってイーグニフェールまで鱗取りに行ったと」
頷くエヴァンにイーサンは脱力して肩を落とした。
「お前なぁ、どうしたんだよ。もうちょっとこう、会話しようぜ?この程度叱られた位でまさか拗ねてんのか?」
イーサンがため息交じりに愚痴ると、エヴァンは顔をしかめた。
「口の達者な狐と喧嘩して疲れたんだよ」
「はあ?なんじゃそりゃ」
答える気はないと、首を横に振るエヴァンに、三人は顔を見合わせて肩をすくめた。
「まぁいいや。鱗、どれもってきたの?」
切り替えるようにアンドリアが水を向ければ、エヴァンも表情を明るくして乗ってきた。
「ああ、背中のほうの。腹の所のほうが軟らかくて加工しやすいかと思ったけど、硬い方がいいだろ?」
「どのように加工するかにもよりますけど」
「大丈夫じゃないか?顔くらいあるし、短剣にするにも小さい盾にもできるだろ」
機嫌の直ったらしいエヴァンと未加工の鱗を挟んで話は弾んでいった。
ドアがノックされる音に四人とも顔を上げる。
「入れ」
思わず言葉に詰まった三人とは裏腹に、当然のように許可を与えるエヴァンに、三人は微妙な心持になった。
ドアを開けて入ってきたのはライリーで、四人が額を突き合わせて話し込んでいる姿を見て笑みを浮かべる。
「晩餐の準備が整いました」
うんと頷いていこうとするエヴァンだったが、戸惑い立ち上がりもしない三人に振り返った。
「飯、行かないのか?」
「えー。なんていうか、ねぇ?」
「あー…うん。ほら、マナーとか知らないし、なぁ?」
「…こちらに運んでもらうことってできないんですか?」
嫌そうな雰囲気の三人にエヴァンは目を丸くしてライリーを見る。
ライリーは半ば予想していたのか、苦笑していた。
「こちらに運ぶこともできますが。本日はご家族だけの私的な晩餐ですから、よろしければぜひにと陛下のお誘いがありまして…」
あきらめたようにため息をつく三人に、エヴァンは首を傾げた。
「マナーなんて、いつも気にしてないじゃないか」
「いつもは気にしなくても今日は気にするでしょう!」
憤慨するアンドリアにエヴァンはますますわからないよ眉をしかめる。
「陛下もお若い頃は冒険者として名を馳せたことがありますので、皆さまはそのままでよろしいのですよ。…すみません」
こんな主で、と苦笑するライリーにハンナとイーサンはため息をついた。
緊張して臨んだ晩餐の席で、ああ“この親にしてこの子あり”なんだと三人が納得するまであと少し。




