エヴァン 01
閑話が長引きそうなので、無理やり新章突入します。
そして、主人公も変わってしまいます。
一応、天使な王子様とサクラちゃんのお話なんです…。
目を開けていちばん先に映ったのは、ライムグリーンの仄明るい光に照らし出された石組みの壁だった。
人の頭ほどの大きさの石もあれば、サクラの握った拳ほどもないくらいの小さな石まで大小さまざまな石が絶妙なバランスで組み合わさって四方の壁を構成している。
壁のみならず、床も天井も石造りだった。床一面に描かれた転移陣がライムグリーンの光で窓ひとつないこの部屋を照らし出している。
瞼を持ち上げるのと同じ速度で知覚できる範囲を広げていくと、粘っこい不快なものに引っかかった。
気持ちの悪いヘドロのようなそれは、天使の守護範囲であったあの城では見かけなかった類のもので、少々ならば放置していても問題ない。
天使なら問題にもしない程度だろうが、清浄な神界育ちのサクラには遅行性の毒と同じで長く傍にあると体を損なうことになりかねない。
そう判断してサクラはそれを見つけ次第浄化しながら、近く範囲を徐々に広げていった。
「サクラ」
サクラが現在地を地下であると判断できるほど空間を侵食したころ、声に促されてそちらに意識を向ける。
ライムグリーンの魔法光に冴え冴えと照らし出された金髪と柔和で優しげな微笑みをたたえる少年、サクラの主たるオズワルドだ。
オズの差し出す手にしとやかに手を重ね、サクラは嬉しげに微笑して歩き出した。
++++++
緑の深い山々が眼下を濁流の如き速さでうねりながら波うって過ぎていく。
大きな起伏を描く山脈をいくつか超えた時、山々の描く浪間の向こうに陽光を浴びて白く輝く街が見えた。
広大なる豊かな山脈にいだかれるようにひっそりとその繁栄を許された王都モンスの街並みは、切り立った山々の谷間に白く輝く湖のように美しかった。
エヴァンはその瑠璃色の瞳を眩しげに細めて、飛竜の高度と速度を緩やかに落としていった。
切り立った山の斜面を削り取るように建てられた王城の中庭に、いつものようにゆったりと着地する。
これまたいつものように顔色を悪くした衛士に取り囲まれて、エヴァンの顔を確認した後泡を食ったように城の中へ駆けていく。
衛士たちは泡を吹いて倒れそうな者から困ったような苦笑まで様々な表情を浮かべているが、皆一様に武器の矛先降ろしていた。
「毎度のことながら、ずいぶんとまあ、派手なご帰還ですね」
一目見ただけでわかる、歴戦の勇士とはかくやともいうべき逞しい肉体を誇る壮年の騎士が苦笑しながらそう言った。
「道理で城壁に近付いても矢の一つも飛んでこないと思ったら。お前か、ライリー」
エヴァンが感心した風に頷くと、第二王子付き護衛隊長は肩をすくめた。
「殿下の飛竜は目立ちますからね」
本来城壁に許可もなく飛竜を近づければ、誰であろうと撃ち落されても文句は言えない。
何度も撃ち落されかけた経験を持つエヴァンもそれは身に染みて理解しているので、何事もなく着陸できてとても不思議に思っていたのだ。
飛竜から騎士たちの前に軽やかに降り立つと、エヴァンはあまりにも小さくて、壁が周囲を囲っているように見える。
これは騎士たちが男性の平均からしてもあまりに逞しいためというのもあるが、ただ単にエヴァンの年齢が足りないということも大いに関係している。
年齢の平均より高いはずの身長も騎士たちの胸ほどまでしかなく、胴回りも腕も足も、一回り以上の差があった。
「なんだ。いい練習になるから射掛けてきてくれてかまわないのに」
「冗談じゃありません。矢だってタダじゃあないんですから」
騎士の一人に飛竜を預けて、防護用のグローブやマントを侍女に剥ぎ取られながらエヴァンは幼さの残る口元を突き出して不満をこぼす。
エヴァンが飛竜に乗れるようになってから頻繁に繰り返されるこの中庭着地は、彼としては攻撃を掻い潜る良い訓練になると言っているのだが、付き合わされる方はたまったものではない。
彼の母である第二王妃からの許可があるとはいえ、この国の第二王子にうっかり怪我でもさせたら困るどころではない。
かといって、無断で侵入してくるものを素通りさせれば衛士としての存在意義を失ってしまう。
対処に非常に困るので、エヴァンが飛竜と共に出立した際には帰りの申請まで届出をしておくように兵士たちには通達が回っていた。
「それに、今はお連れの方々もいらっしゃるのですから。そう頻繁に城を開けられては、お連れの方もさぞ心細くお思いでしょう」
ライリーの言葉に、そうだろうかとエヴァンは首を傾げる。
共に冒険する仲間たちは、一緒に飛竜の巣に狩りに行けるほど勇敢で胆の座った連中だと知っている。
いくらエヴァンがパーティーの主戦力であるとはいえ、魔獣一匹出やしない王城の中で一人掛けたくらいで動揺する者がいるとは思えなかった。
斥侯のアンドリアなどむしろ、進んで王城内を一人散策してお宝などを物色していそうな気がする。
思っていることが顔に出ていたのか、ライリーが苦笑を深めた。
「殿下。この世の魔物は何も森や人気のない場所に出るものばかりではありません」
歴戦の騎士が何を言い出すのかと、エヴァンは目を丸くしてライリーを見上げた。
そんなこと知っている。
海にだって街にだってどこにでも、強弱を問わなければ魔物なんて巷にあふれているのだ。
エヴァンは思わずそう言い返しそうになったが、灰色の瞳が真剣な光を湛えていて、ライリーの言いたいことは言葉通りの意味ではないのだと気付いた。
「真に警戒するべきは剣で倒せないモノです」
「それは・・・」
「おや、これはこれは。第二王子殿下、お早いお帰りで」
どういう意味だと問う言葉は、男にしては甲高い耳障りな声に遮られた。
音も立てずにエヴァンの周囲を囲んでいた侍女と騎士たちの壁が割れて、数人の神官を従えた純白の高位神官服の男が笑みを浮かべながら近づいてくる。
「エリヤ神官長」
ライリーが視界の端で上位者に対する敬礼をするのを捉えながら、エヴァンは自分の眉間に皺が寄るのを自覚する。
たとえそれが生まれつきなのだとしても、怜悧な細面に酷薄な笑みをいつでも湛えているこの男をどうしても好きになれない。
神殿に所属するとき家名を捨てるため神官は総じてその出身が知られることはほぼないが、彼がある高位貴族の出身で、生家が声を大きくするたびに彼の位階が繰り上がって行った事を誰もが知っていた。
「見事な手綱さばきでこのように警備厳重な場所にも着陸なさいますとは。あれが殿下自ら竜谷まで赴き手に入れられた飛竜ですか。成人されてからもますますのご活躍のようで何よりです」
―――嫌味な奴だ。
思わずエヴァンは舌打ちしてしまいそうになるのをぐっと堪えた。
成人しても、兄のように政務に参加するでもなく、その高い身体能力を生かして騎士団に入るわけでもなく、冒険者紛いのことをしてふらふらしている自覚はある。
騎士団に入って国のために尽くすべきだとは思う。
兄ほど頭がいいとはお世辞にも言えないし、体を動かすことが性に合っていると自覚もしている。
王族としての義務も理解はしているが、もう少し世の中を見て学びたいという我儘を父王も母も理解してくれているのだ。神官如きに口出しされる謂れはない。
聞き流してしまえばいいと頭では分かっていても、胸に痞える罪悪感がエヴァンに渋面を作らせた。
対照的にエリヤは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ですが、いかに武勇に優れた殿下といえど、下界には危険が多うございます。穢れを身に宿す者どもには、くれぐれもご注意くださりませ」
かっと目の前が真っ赤になった。
振り上げてしまいそうになった拳を、ライリーに抑えられて気付く。
「……エリヤ神官長…貴様、俺の仲間を侮辱するつもりか?」
抑えきれなかった怒りが魔力と反応してエヴァンの周囲に赤い陽炎となって立ち上る。
エヴァンの怒気に蒼褪める神官たちの中、涼しげな顔でエリヤは笑う。
「まさか!殿下のご友人を貶めるだなんて。ただ、殿下のように身分ある御方に近付きたがる者には、邪な思いをいだく者も多くおります。特に、教育もろくになされない市井の中には。御身のお立場をお忘れなきようお願い申し上げるだけでございます」
っぎしり、と奥歯が鳴った。
「殿下」
ライリーの静かな声に視線をやれば、灰色の瞳が落ち着けと諭してくる。
何度も深呼吸して、熱い息を吐き出す。
灼熱の怒りに熱せられた呼気は火がついてもおかしくないほどの熱を発して周囲の温度を上げる。
神官や侍女だけでなく気の弱い騎士も身を震わせ汗を流して、エヴァンの勘気が過ぎるのを待った。
「…立場を忘れたことはない。不要な忠告、ご苦労だな」
ようやくそれだけを絞り出したエヴァンに、ただ一人顔色一つ変えずにいたエリヤ神官長は微笑んで頭を下げた。
「そうですか。申し訳ございません。どうか、老骨の戯言とお聞き流しください」
頭を下げるエリヤに応えることなく、鼻息荒くエヴァンは歩き出した。
その場にとどまっていたら、今度こそ手が出てしまいそうだった。
「…剣で倒せぬモノとは、ああいうのか?」
エリヤの姿が影も見えなくなって荒々しい足取りがずいぶん落ち着いた頃、エヴァンが呟いた。
「俺は口がうまくないから、ああいうのはすぐぶん殴りたくなる」
子供のように唇を尖らせるエヴァンに、ライリーは笑みを深めた。
エヴァンが自分をまだ未熟だと痛感するのはこういう時だ。
もっと冷静であれば、仲間をあんな風に貶められないよう立ち回れただろうに。そう思うと悔しくてたまらない。
ライリーが苦笑気味にうつむく。
エヴァンは自分のことをあまり賢くないと思っているが、同じ年頃の者たちと比べて察しもいいし、よく回転もする頭を持っている。ただちょっと、短気で激昂しやすいだけだ。
「穢れを身に宿す者だと?お前らのほうがよっぽど薄汚い腹の内をしているだろうが!」
思い返しても腹立たしく、地団駄を踏みながら吐き捨てると、ライリーが笑い含みに制してきた。
「殿下。気持ちはわかりますが、もうちょっと声を落として」
ライリーの言い分に、ムッツリと不満げな表情のままエヴァンは口閉じた。
たしかに、誰が通るか分からない廊下でいうことではない。
神殿と国の関係は深く、父王の第三妃は神殿の聖女であるし、あまり信心深くはないがエヴァン自身も信徒の一人ではあるのだ。
だから、エリヤの言い分もわかる。
エヴァンの四人いる仲間のうち一人は獣人で、一人は黒髪の解放奴隷だ。
どちらも、エリヤを筆頭とする回帰派では穢れとされている。
一方、第三王妃を筆頭とする秩序派では彼らについて、明確な定義はされていない。容認されているというものもいるし、されていないと主張する者もいる。
一般的には、人以外のものを積極的に排除し、創世神が初めに作りたもうた人だけの世界を作ろうと言うのが回帰派であり、創世神が良かれと作りたもうた全ての人は秩序を持った生活を営むべきだというのが秩序派の主張だ。
人の定義が両者で食い違っているが、エヴァンは仲間の事もあって秩序派に属すると考えられている。エヴァン自身はそんなこと考えたこともないのだが。
王都における教会の派閥は、回帰派のトップが常駐する一方、秩序派のトップである聖女が魔の森に引き籠っていることもあって、回帰派が大勢を占めている。
エヴァンはそこまで思い出して、ようやくライリーがエヴァンに呈した苦言の意味を悟った。
「もしかしてあいつら、なんか言われてたりする?」
ライリーの笑顔が苦み走った。それが答えだ。
思わずため息が漏れた。
「ちゃんと正規の手続きふんで父上からも声かけてもらったのになぁ」
そのままいつものように連れてきてしまったらきっと歓迎されないだろうと思ったから、エヴァンにしては珍しく、正規の手続きを踏み、父王から直接声をかけてもらうことで牽制したのだ。それなのに。
「ええ。ですので、表だっていう者はございませんが…」
表だって言わないということは、裏ではさんざん言われているのだろう。
弟の登城が遅れてしまっていくら暇を持て余したからって、一人で出かけたのは失敗だった。
これが町中だったら、きっと何があっても最悪拳ひとつで対処できるだけの連中だが、眼に映る大半が貴族などという城内では拳で解決できない物事のほうが多い。
エヴァンは深く、後悔の溜息をついた。
「……きっとみんな怒ってるよねぇ…帰りたくないな」
居心地の悪い思いをして、うつむくような連中ではない。
だからこそ、拳で晴らせなかった憤りがエヴァンに炸裂するだろうと容易に想像できた。
「…殿下。謝るなら早目のほうがいいですよ」
それはわかっている、とエヴァンは項垂れて重い足を引きずって歩きだした。




