第十一話
朝起きて、今までの中で“良かったこと”を数えてみよう。
さあ、あなたは何個見つけられる?
++++++
ああああああああああぁああああああああああああぁああ!!糞っ!!
なんなのあの天使!マジむかつく!!
ああいう、身勝手で我儘でヒトの事考えない奴なんか、大っ嫌いだ!
俺見てるみたいで!
ああそうさ自己嫌悪だよ!同族嫌悪して悪いか、ちくしょうめ!
しかも、その身勝手で我儘な奴のせいでまっすぐに生きてる子が犠牲になるなんて、余計に腹が立つ。
あーもう、腹が立ちすぎて涙まで出てきた。
胸糞悪い気分を発散させるために滅茶苦茶に振り回していた手足を、力いっぱい柔らかい羽根布団に叩きつけた。
綺麗に整えられて皺ひとつなかったベッドは見る影もなく無残に散らされていた。
その皺くちゃのシーツの海の中で、俺は腹の中から熱い塊を吐き出すような深い息を吐いておしまいにする。
もういい。
俺にできることはやったんだから、いいってことにする。
あんまりにも腹の立つことを覚えていてもいいことはない。って、変人と名高い前世の母上が言ってた。
よし、と勢いをつけてスプリングの利いたベッドから顔を上げた時、ドアをノックする音が聞こえた。
びっくりして声を裏返らせながら応えを返すと、水色の髪を一つに括ったな泣き黒子のメイドさんが入ってきて朝を告げた。
ぎょっとして窓を見ると、確かに夜が明けてかなり日が高くなっているのがわかる。夜が明けていることにも気が付かなかった。
本来ならもう午前のお茶の時間のはずだ。
朝食の時間に起こされず、この時間まで放っておいてくれたのは、きっと昨夜のあの場にいた王妃様たちの配慮だろう。
一昨日の夜には、眠れなくとも身体に若干の疲労を感じてベッドで体を休めた覚えがある。半精神体になった反動か、肉体が及ぼす影響を感じ辛くなっているらしい。
この体が壊れても大丈夫だから、まあいいけど。
「オズワルド殿下からお茶のお誘いがありますが、いかがいたしますか?」
ヤバい。朝から顔だしてないってことはきっと昨日の権で顔出し辛くって、こっちに遠慮してるよな。あの子の性格なら絶対。
「あ、すみません。行きます」
まさか王子様を待たせるわけにもいかないので、跳ね起きて腰を折るメイドさんに駆け寄る。
この無駄にメルヘンな部屋は王子様の部屋と同じく、寝室の前にも部屋がある仕様だ。
そこはテーブルも椅子もあって都内の安アパート(いわゆる四畳半)など比べ物にならない位豪華な部屋だが、決して王子様を待たせていい所じゃない。
それはオズペディアを引かなくてもわかるくらいの常識だろう。
それなのに、駆け寄った俺を泣き黒子のメイドBさんはやんわり押しとどめてきた。
「サクラ様、その御姿では…」
苦笑気味に促されて自分を見下ろし、赤面した。
先ほどまでベッドの上で暴れていたので、ぐちゃぐちゃのベッドのシーツ並みに無残な姿だ。
大人しくお姫様チックなドレッサーの前に座ると、メイドBさんだけでなくお嬢系メイドCさんもいい笑顔で新しいドレスを持ってきた。
そういえば、昨日のドレスのままだった。
「ご用意ができてから殿下のお部屋へお伺いさせていただくようにしました」
「さ、こちらにお着替えを」
メルヘンチックなデザインで、フリルとリボンが若干多めのデザインだ。
手伝ってもらってカントリーガール風のドレスを脱ぎ、着付けてもらう。
ほぼ一晩中泣いていたらしく、赤くなった目元を冷やしてる間にテキパキと着付けられた。
全部精神体にならなくてよかった。体が無くなったらこうして愛くるしいサクラを着せ替えて遊ぶことができなくなるところだ。
「もう大丈夫ですかしら」
濡らした手巾が瞼から除けられるとちょっと腫れが引いている気がした。
髪を編み込んでいたメイドBさんが言うのを鏡越しに見て、足元で靴下や靴を履かせていたメイドCさんも頷く。
「ええ、それくらいなら目立たないでしょう。殿下もお待ちですし…」
「すみません」
思わず首をすくめて謝ると、メイドさんたちは微笑んで否定して目を見張るほどの速度で仕上げてくれた。
「サクラ…!」
ティールームへ行くと、すかさず飛んできた王子様に抱きすくめられた。
おぅふ。
出会いがしらに幼女の体にタックルかますたぁイイ度胸だ、主殿め。昨日のことを謝る暇もねぇ。
「…殿下」
「サクラ、ごめん。ごめんね。昨日あれから母様たちに呼び出されたってさっき聞いた」
潤んだアクアマリンブルーの瞳が真摯に見つめてくる。
こちらが何か言う前に、王子様のちょっとだけ荒れた指先が眦にそっと触れてきて、目の前の秀麗な眉が泣きそうにゆがんだ。
「目が赤い。…ごめんね」
苦笑した。王子様のほうがよっぽど泣きそうだ。
昨夜の会談の事を聞いたのか。
それでも、自分のせいでなんて思ってほしくなくて今の俺より少しだけ上の彼の目線に合わせて見上げる。
抱きすくめられたままでは手が届かなくて、ほんの少しだけ腕の力を緩めてもらって右腕一本、王子様の束縛から抜け出した。
抜け出した右手で泣きそうな子供の頭をなでる。
よく手入れされた柔らかな髪をなでると、一瞬だけ目を見張った王子様は次の瞬間泣きそうに顔をゆがめてまたきつく抱きしめられた。
ぐえ。
ちょっと、王子様。あんたのほうが若干背が高いんだから撫でてた腕を挙手よろしくあげる破目に陥っているじゃないか。
「ごめんなさい、殿下。勝手をして」
王子様の許可なく勝手に力の制御などを決定してしまった。本来ならきっと、昨日のようなことは主の裁可をもってするべき決定だったはずだ。まだたった六歳の子供でも、俺の主はこの泣きそうな王子様なんだから。
苦笑して謝ると、抱きしめる力が強くなって、ちょっと苦しい。ぐりぐり肩口に頭を押し付けないでほしい。切実に痛いのだが。
「サクラが決めたんなら、それでいいよ。僕のため、なんでしょう?」
こうやって、俺みたいな“本来すべての裁定を下すべきモノ”にも、自分の裁量を持たせてくれる彼は、とても優しくて悲しい子供だ。
主としては怒って然るべきなのだと、俺は従として大人として教えてあげなくてはいけないんだろうけど。
愛しいな、と思った。
哀しみに似た感情で、ただこの小さな子供を可愛いと思う。
それはきっと、愛情だろう。
恋情ではないことだけは確かで、ただ哀惜よりも憐みに近い感情だった。
ただ、小さなこの體では抱きしめることも叶わないこの子供が愛しい。
胸よりもずっと深く、腹よりずっと底の方からふつふつと湧き上がってくるこの思いこそがきっと、桜の感情なのだ。
―――ただ、愛しい。
―――ただ、哀しい。
そうだね、桜。
俺も、そう思う。
無条件に愛してくれる存在を求めて、無条件に愛する存在を求めて、縋るように、祈るようにサクラを抱きしめるこの小さな子供が、愛しい。
この感情を母性というのか、愛情というのか、憐憫というのか。
そんなことは分からないけれど、ただただこの小さな子供が愛しかった。
だから。
いっしょに護ろうか、桜。
貴女が想うように、俺もこの子が泣くのは悲しいと思う。
あの我儘で傲慢な天使の思惑に乗るのは癪だけれど、確かに俺たちの利害は一致している。
辛くて苦しくて面倒くさい人生のやり直しなんてちっとも望んでなんかいないけれど、確かにこの小さい子供が悲しむのも嫌なんだ。
だってこの子、さっきからあんなに目を潤ませといて、泣きもしないんだぜ?
こっちが痛いって。
せめてこの子が、ちゃんと泣けるようになるまで。
せめてこの子が、泣ける場所を見つけられるまで。
できればこの子と、一緒に泣いてくれる人が見つかるまで。
それまでは、一緒に守ろう。
それまでは、俺は、“サクラ”でいよう。
「殿下、オズワルド殿下」
ぽんと背を軽く叩くと、王子様…オズワルドがゆっくり力を抜いて恐る恐るサクラを見る。
潤んだアクアマリンブルーの綺麗な瞳に映ったサクラ…俺が困ったように笑っていた。
「私はあなたに守られなければ生きていけません」
「そんなこと…!」
否定しようとするオズワルドの口に指先で触れて遮る。
「私は小さく弱い。病にも傷にも弱い。あなたに守られなければ生きていけません。ですから、私にもあなたを守らせてください」
「でも…」
「契約は、相互協力…でしょう?」
ぽかんとしているオズワルドはちょっと可笑しかった。
思わず笑うと、オズワルドは恥ずかしげに目元を染めて泣きそうに顔をゆがめた。
ようやく序章完結しました。
すみません。




