閑話
※サクラも王子様も出てきません。あんた誰?ってやつしか出てきません。
※読まなくても本編には何の影響もありません。
太陽に憧れた。
肌を焼く暖かさも、直視できない眩しさも、幾ら高い木に登って手を伸ばしても届かない高さも。
何処までも私なんて視界の端にすら引っかからないだろうから。
その高さと眩しさに、ただ…憧れた。
◇◇◇
「ちょっとそこのお姉さん!新鮮な果物があるよ!見て行って!」
恰幅のいい親父が威勢の良い声で客を呼び込んでいる。
「もう、お姉さんって年じゃぁないよ」
お姉さんと呼ばれた中年女性が、お世辞と解っていても満更でもない表情で笑って振り返る。
「いやいや、ウチの母ちゃんよりずっと別嬪さんだ!美人には特別安くしとくよ?」
「口のうまいオヤジだねぇ」
中年女性は苦笑しながらも、露店に山と積み上げられた果物の品定めに目を走らせ始めた。
「これなんてどうだい?魔の森を抜けて今朝届いたばかりのアプリだ」
親父の言葉に女は家にいる子供たちの顔を思い浮かべて、そういえば上の息子が好きだったと思いだす。
この店で以前そんな話をした記憶もあるから、覚えられていたのかしいらと思い至って苦笑する。どうやら買わないわけにはいかなさそうだ。
「仕方ないねぇ」
街は活気ある喧騒に包まれている。待ち行く人々の顔に影はなく、荒んだ雰囲気も見受けられない。
それもそのはず。
ここは聖女、今代の英雄王の第三王妃でもあるアレクサンドラ王妃の御膝元、信仰の街なのだから。
この町では人種はもちろん、老いも若きも性別も貴賤すらも信仰の前には押しなべて等しい。
街を巡回する神兵たちは礼儀正しく、罪を犯すものは即座に取り締まられる。
街を囲う高い塀と聖女の結界により、魔物も街の平和を揺るがすことはなく、安全な宿を求めて集まる冒険者や商人たちにより町は発展している。
そのうえ、何らかの事情により養ってくれる保護者のない子供たちは神殿の孤児院に集められ、教育を受けることができる。
王都の城壁の外に広がるような悪臭漂う貧民街は存在しないし、野卑な連中が屯しやすい下級の酒屋兼娼館も見えない。
まさに理想郷だとこの町を訪れた者たちに伝え聞き、誰もが憧れる街であった。
それこそ、周囲を魔の森に囲まれて上位冒険者の護衛なしには商人たちが行き来出来ないほど危険であるにもかかわらず、王家が入居者制限を設けても不法に侵入を試みるものが後を絶たないほどに。
「毎度あり!」
いい笑顔でいくつかのアプリを買い物籠に放り込んで代金を払うと、親父はにやりと笑ってもう一つ籠にそっと入れた。
「これはおまけ。またどうぞ」
他の客に聞かれないようにささやかれた言葉に、やはり覚えられていたと女は苦笑した。
まあ、こうやっておまけしてもらえるのならまた買いに来ようと思った時、ふと視界の端を何か黒いものがかすめた。
何だろうと思って目で追うと、親父も怪訝な顔で同じ方向に目を向けて、あっと声を上げた。
「畜生!やられたっ!」
親父の怒号と走り去る小さな背中に事情を察した。
「おい、母ちゃん!ちょっと店を頼む!」
親父はそう言い残して、押取り刀で軒先に置いてある棒を掴み、果物をかすめ取って行った泥棒猫を追いかけていく。
泥だか煤だかで薄汚れたぼさぼさの髪と襤褸切れのような布をまとった小さな背の子供だった。
ただの子供ならば同じ年頃の子供を持つ母親として、女も鬼の形相で追いかける親父をなだめただろう。
だが、子供の尻には人の子ではありえぬ獣の尾があった。
思わず鼻に皺が寄る。
なぜこの理想郷にあんなモノがいるのだろう。
ペットとして持ち込むのなら、ちゃんと首輪をして繋いでおけばいいのに。
聖女はお優しいから、あんな獣や亜人にもこの町の門戸を開くべきだと言っているらしいが、冗談じゃない。
あんな汚らわしいモノが、人の言葉を解し、まして崇高な神殿の教えを順守できるとは思えない。
あんなモノたちが街を我が物顔で歩くようになったら、この平和な理想郷が壊れてしまう。
(聖女様には申し訳ないけれど、神殿で善人にばかり囲まれてお育ちだから現実というものがお見えになっていないんだわ)
女はそんな甘い考えを持つ聖女を憐れに思い、聖女の世迷言をもしや王は受け入れやしないだろうかと将来を憂いながら家路をたどる。
家の入口が見えてくる頃には、八百屋の泥棒猫の事はきれいさっぱり忘れていた。
「コラ!待ちやがれ!」
大通りを鬼の形相で中年の男性が駆け抜けていく。男のごつごつとした右手にはこん棒というには些か長い棒が握られている。軒先の庇を上げるためのつっかえ棒と同じくらいの長さだ。
茶色い染みのついた前掛けと合わせてみると、どこかの商店の親父がコソ泥を追いかけているのだと一目でわかる。
そのコソ泥はといえば、人波の隙間をスルスルとまるで野良猫のように駆け抜けて、二人の距離は縮まるどころか見る間に致命的なまでに広がっていく。
道行く人の幾人かは親父とコソ泥の関係性を飲み込んでコソ泥をとらえるべく手を伸ばしたが、彼らの手も易々と掻い潜られていく。
見世物であったならいっそ見事というべき身のこなしだ。
このままコソ泥の勝利で終わるかと見えた時、親父にとって救いの手が差し伸べられた。
「聖女様の御膝元で何の騒ぎだ?」
緊張感のない声とともに、見失いかけていたコソ泥が白く輝く鎧の男に抱え上げられた。
八百屋の親父は男の姿を見てほっと胸をなでおろした。
「お手数おかけしてすみません、騎士様」
白銀に輝くミスリルの鎧は王妃の城に仕える聖騎士の証。
フル装備ならフルフェイスの甲冑姿だが、街中でそんな重装備は必要ないため、聖衣の上に要所を固める軽装備の鎧だけだ。暖かな麦穂色の髪が陽光にきらめいてまぶしいほどだ。
それでも、彼らの清廉たる威厳が些かも薄れるものではない。
しかも、彼はクラウス・エクエス。第三王妃の神殿兼居城を守る神官の称号も持つ世紀師団長だ。
クラウスの後ろに二人の聖騎士の姿も見えるから、街の巡回の途中騒ぎを聞きつけてくれたのだろう。
結構な距離を走ったために上がった息を整えて、八百屋の親父がクラウスに頭を下げる。
聖騎士が来たからにはもう心配ない。
コソ泥を捉えようと手伝ったり見守ったりしていた町人たちは、クラウスの登場に安堵の表情を浮かべてそれぞれの日常に戻って行った。
「この泥棒猫がうちの商品をかっぱらったんで」
親父の苦々しい口調で語られる言葉に、クラウスの視線が自らの捕まえた子供に向けられる。
子供は枯れ木のように細い両腕には、まるまると実ったアプリが2つ抱えられていた。向けられた視線に居心地悪げに身を捩る子供は、必死に獲物を隠そうとする獣に似ている。
子供の泥で汚れた歪に欠けた爪がアプリのつるりと滑らかな皮を傷つけるのを見て、親父は忌々しく舌打ちした。
あれはもう商品にならない。
どんな病気をもっているかわからない獣に傷つけられた果物など、いったい誰が買うというのか。
クラウスのほうからため息が聞こえて、親父は聖騎士の前だったと気づいて青ざめた。
恐る恐る視線を上げてクラウスを見上げると、懐から何かを取り出した。
促されて手を差し出すと、数枚の銀貨を落とされた。
「これで足りるか?」
銀貨1枚もあればアプリなど樽単位で買える。親父の視線と舌打ちの意味を察して迷惑料も含めて買い取ってくれるのだろう。
「へ、へい!ありがとうございます!」
親父はコソ泥を捕まえたら叩きつけてやろうと思っていた事も忘れてほくほくと帰って行った。
◇◇◇
「じゃあ俺はこの子を送ってくるから。先に戻っておいてくれ」
クラウスがそう言うと、巡回に追従していた騎士二人は無言で騎士の礼をすると城壁の宿舎のほうへ向かっていった。
クラウスはほっと息を吐く。
それは安堵の息であったし、失望の息であったかもしれない。
礼をする一瞬、騎士の一人が子供を目に映して微かに眉をしかめたのを見てしまった。
民の手本となるべき聖騎士の中にも残念ながらこういう者が少なからずいる。
クラウスの腰よりも小さな子供は、枯れ木のように細い手足と、対照的なほどポッコリと突き出たお腹が目立つ。貧民街の子供のようだ。
「行こうか」
クラウスに促されて子供は無気力に足を踏み出す。八百屋から盗んだアプリはすでに子供の腹の中だ。八百屋の親父が背を向けてすぐに、騎士に奪われることを恐れたかのような勢いで平らげていたので、子供の口の周りから胸にかけても両手も果汁で汚れていたが、子供は気にした様子はない。
全身真っ黒に汚れているから今更なのかもしれないが。
外の人からは理想郷と呼ばれる事もあるこの町にだって、貧民街はある。
この町に住む多くの住民はその事実を知っていながら、まるで認識疎外の魔法でもかかっているかのように無視する。
中には本当に貧民街なんてないと思っている者もいるのかもしれない。
そんな考えの者の理屈には心当たりがある。
子供のぼさぼさの頭の、耳があるべき位置には貝殻のような外耳は見えない。
髪と同じ焦げ茶とも黒とも灰色ともつかない薄汚れた毛に覆われた大きな獣の耳がそこにはある。
ほとんど襤褸切れを引っ掛けているだけの体の臀部付近から力なく垂れているのは、薄汚れた毛に覆われたネコ科の獣の尾だ。
これのせいだ。
この町は確かに、ヒト族にとっては理想郷だといえるかもしれない。
治安もいいし、物価も王都とは比べ物にならないが、他の辺境に比べればずいぶんと格安だ。さらに、商人や冒険者たちがひっきりなしに訪れるので情報も魔物素材もたやすく手に入る。
だが、それ以外の種族にとっては地獄とそう変わらないのではないだろうか。
差別的な発言をするなら亜人と呼ばれるヒト族以外の彼らは、魔の森に近い外壁近くの一郭に集められ、まるで臭いものにふたをするように隔離されている。
聖騎士の兵舎の近くに設けられているのは何の皮肉か、はたまた町の住民に危害を加えられないようにという配慮なのか。
土嚢を積み上げ適当な廃材を打ち付けて囲い込んだ貧民街。この中はまさに地獄だ。
街中では当たり前のように享受できる神殿の恩恵も、その中までは届かない。
神殿がたまに行う配給以外では最低限の食事も、満足な飲み水すら毎日は手に入らないのだ。
街中でさえ人材は供給過多の状態で、街を広げられる土地もないため次男三男は王都に送られている現状で、当然のようにこの中の者たちが付ける職業なんてない。
お金を稼ぐ術すら持たない彼らは、見つかれば打ち据えられることを覚悟の上で街中へ食料を求めて出ていくしかない。
この子のように聖騎士に見つかれば、まだましだ。聖騎士たちは規律として彼らを害すことを禁じられているし、複数人で巡回に当たるので、たとえ彼らを嫌悪するものがいたとしても他の騎士の目を気にして手をあげられることはない。運が良ければ、街の者に見つかる前に打ち据えられることもなくこうやって送り届けてもらえる。
しかし、大半は街の者に打ち据えられてぼろ布のようになるか、打ち所が悪ければ死んでしまうことも珍しくはない。もし死んでしまっても、街の者たちが気に病むことはない。
せいぜい襤褸雑巾のように打ち捨てられた死体を見て、鼻に皺を寄せる程度だ。
アレクサンドラの願いを知るクラウスからしてみれば、この獣人のような子供を見るにつけ、ひどく心に痛い。
そんな地獄だからだろう。この囲いの中に大人と呼ばれるほど大きなものはいない。大人になれるほど長く生きられないのだ。
街中にもヒト以外の種族の大人の姿を見ることができるが、彼らは外部から来た冒険者か商人だ。
種族特性としてヒト族よりも魔力の多くない獣人は索敵能力に優れ、体も丈夫なため冒険者に多い。そんな冒険者と町のヒトとの間に生まれたモノや、先祖返りの子供たちが押し込められている。
彼らの親はというと、この中に子供を入れることを拒むのならば町を去るしかない。冒険者の中には、この町で子供を作り、必ず迎えに来るからといったきり二度と帰らぬ者もいる。
親のいない子供たちはこの中でひっそりと生き、静かに死んでいくしかないのだ。
クラウスには二人子供がいるが、この獣人の子供は下の娘よりも小さい。こんな子供たちが迫害されているのは見るに堪えない。
だからと言って、一回の騎士に過ぎないクラウスにできることはこうやって街の者たちに迫害される前に見逃してやることくらいだ。
「…さ、行きなさい」
骨の浮いた背を軽く押してやると、猫の獣人の子供はとぼとぼと貧民街へと歩き出した。
「もう、見つかるなよ…?」
小さな背に思わずそう呟いてしまって、苦笑する。親のいない彼らは、そのほとんどが言葉がわからないのに。
しかし、予想に反して子供は力ない目がクラウスを捉えた。
クラウスはぎょっとして子供を見つめる。痩せこけた子供の顔で目だけが大きくて、こぼれそうだ。
日が傾いて城壁の陰になったこの場所で、大きく開いた瞳孔が真っ黒い穴のようだ。
「…もしかして、言葉、わかるのか?」
子供は躊躇うように頷き、獣のうなり声のような声を上げた。
囲いの中で子供たちのコミュニケーションは、こういう唸り声などでとっているのを聞いたことがある。
そのせいで街の人から余計気味悪がられているのは余談だ。
この子が言葉を理解できるのは、ある程度言葉を覚えるまで親と過ごせたか、街で自力で覚えたのだろうか。後者であるのならば、この子はとても賢い。
「もし…もし君さえ良ければ、言葉を…生きる術を覚えたいと思うかい…?」
こんなのは自己満足だ。そんなことはわかっている。
しかし、深い穴みたいだった瞳に光が宿るのを見てしまった。
クラウスは知らず拳を握る。
こんなのは自己満足だ。
こんな、行詰まった場所で息詰まった獣人の子供がそんなこと覚えたところでなんになるというのだろう。
いくら獣人の体が強いとしても、この子供が大きくなるまで生きていられるはずもない。冒険者についてこの街を出られるほど強くなれるほど強くなるのに、どれだけの月日がかかるのか。
それでも、できるだけの事をしてあげたかった。
(被告の主張)猫耳成分が足りなくて、かっとなってやった。後悔はしていない。




