第10章 灰色③
通路が少し広くなった場所で、アルティは足を止めた。
「ちょっと休もう」
「そうですね」
壁際にリンを導いて、座らせた。リンは背を壁にもたれさせ、片膝を立て、見えない目を閉じた。
アルティはその隣に座った。肩が触れるくらいの距離だった。
核晶の光が、通路の壁をまばらに照らしていた。さっきの空洞に比べればずっと暗い。だが、二人の顔を見分けるくらいの明るさはあった。ただ——リンの方だけが、何も見えていないのだ。
息が上がっていた。水筒を取り出して、一口飲む。それから、リンの手を掴むと、両手に握らせた。
「水。口は空いてる」
「ありがとうございます」
リンは水筒に口をつけた。白い喉が動いた。
「ねえ——目のことだけど、なにかできることはない? 治す方法とか」
「ないですねえ。待つしかありません」
リンはあっさりと言った。おそらく、何度も経験してきたのだろう。
「冷やすとか温めるとか」
「いや、変わらないですね」
「揉むとか」
「いや、眼球潰れるのでやめてください。待ってたらそのうち治りますから」
「じゃあ、どのくらいで——」
「わかりません。早ければ数刻、長ければ一晩か、数日か」
アルティは黙った。
「……ごめんね」
「何がです?」
「無理させたこと」
「いや、あれを放っておけなかったのは、僕です。謝られることじゃない」
リンの声は穏やかだったが、はっきりと言い切った。
「むしろ、アルティさんが中を見に行こうと言ってくれて、感謝してますよ。行かなければ、あの魔力溜まりを見つけられなかった。アルティさんの判断は正しかったですよ」
「でも——」
「目は治りますから。それより——」
リンが、ふいに、首を少し傾けた。見えない目がアルティの方を向いた。
「そんな顔しないでください」
「……見えないのに、なんでわかるの」
「声でわかりますよ」
リンが笑った。目はそっと閉じられ、口元が穏やかな笑みを湛えていた。
アルティは曖昧に笑い、それから、そっとため息をついた。
少し間を置いて、リンが言った。
「ところで、寒くないですか?」
アルティは、一瞬昨夜に戻ったのかと思った。昨夜の、宿屋の一室と、温かい葡萄酒。
しかし、ここには何もない。暗い洞窟に、味気ない、水。
「……寒くないけど」
「そうですか? 僕は少し寒いですが」
リンが、マントごしに自分の両腕を抱く仕草をした。
「もしかして体調が悪い?」
「ああ……いえ、そうではなくてですね、ちょっと寒いな、と」
リンの少し軽い口調に、アルティは眉を寄せた。
「……もしかして、リンがひっつきたいだけじゃない?」
「だから、比較的、いつでもって言いませんでしたっけ?」
見えないはずのリンの口元に、人の悪い笑みが浮かんでいた。目が見えなくても、この男はこういう顔ができるのだ。
アルティはがっくりと肩を落とした。そして、自分が、今までずっと緊張していたことに、気づいた。
「こんな時まで、そういうことを言う」
「ひどいですね、僕は本気なのに」
「本気で寒いなら、フード、かぶりなよ」
「それはちょっと冷たくないですか」
アルティは呆れた息を吐いた。だが、口元が緩んでいるのは自分でもわかっていた。こういう軽口の応酬が、何でもない日常の温度を取り戻してくれる。さっきまで岩盤をぶち抜いて崩落を起こしていたとは思えない、いつもの二人だった。
リンの笑みが少し薄れた。
口元に残っていた軽さが、ゆっくりと、別のものに変わった。
「冗談はともかく」
リンが静かに言った。
「少し側で温めてもらえると、不安が和ぐと思うんですけれども、どうでしょうか」
アルティはリンの横顔を見た。
その横顔に、不安な様子は、正直見えなかった。口元は薄く笑みを浮かべたままで、この男は見えないことにすら動揺していないように見える。
——リンの不安、では、ないだろう。
これは、多分——自分の不安を、軽くしようとしてくれようとしているのだ。リンは。
そう思うと、胸がぎゅっと掴まれるように苦しくなった。
こんな時なのに。
自分は目も見えてないのに。
得体はしれないし、何を考えているのか全然わからないけれど、多分この男のこの優しさは本物だと思う。
なぜかはわからないけれど、涙が出そうになって唇をぎゅっと、閉じた。
だけどもし、この人に、自分にはわからないくらいちょこっとの不安があるとしたら、自分には何ができるだろうか。
「——わかった」
リンの肩に、手を伸ばした。
布越しに、体温を確かめるように、そっと触れた。それからゆっくりと腕を滑らせて、リンの背中に回した。壁とリンの体の隙間に腕を差し入れる形になった。
引き寄せて、抱きしめた。
リンはきっと、抱きしめられるとは、思ってなかったと思う。
リンの体が一瞬だけ強張って、それから、ゆっくりと、力が抜けた。
リンの肩がアルティの方に傾いで、体の重みが腕の中に預けられた。長衣の布越しに、リンの体温が伝わってきた。思ったより、温かかった。洞窟の冷たい空気の中で、この男の中にはちゃんと熱があった。
「ああ、あたたかいですね……」
小さく呟いたリンが動いて——と思ったら、そのままリンに抱きしめられていた。大きな腕にとらえられて、引き寄せられる。
リンの顔が、アルティの首元に寄せられた。金の髪が首筋にかかった。
リンの鼻先が、首の付け根にそっと触れた。
呼吸が、直接、肌にかかる。
まずい、昨夜の感触が一気に蘇って、顔が赤くなるのがわかった。
違う、リンは多分そんなつもりで抱きしめてるわけじゃないと思うのに、これでは自分の心臓が落ち着かない。




