第10章 灰色①
「じゃあ、まずはおびき寄せましょうか」
リンが杖を構えた。
「どうやるの?」
「あの小さいのと同じだといいんですけどね……ほら、魔法の光に寄ってきてたの、覚えてますか?」
「ああ……なんでかな」
「僕も岩蟲の生態に詳しくないのでわかりませんが、まあ寄ってくるなら利用するまでです。光を飛ばすのは大したことじゃないですし」
「跳ね返らない?」
「跳ね返っても光は光なので、特に危なくないですから」
そう言ったリンの杖先から、短い詠唱と共に小さな光の球が生まれた。蛍のような、淡い白い光だった。それがふわりと浮き上がり、窪地の底に向かってゆっくりと降りていく。
その時、底の巨大岩蟲が、動いた。周辺の小さい岩蟲も。
鈍く横たわっていた巨体が、光の球に向かって首——首なのかははっきりしないが、先端の口が、光の方に、ぬう、と伸びた。
「うわあ……反応してる」
「もう少し」
リンが杖をわずかに動かすと、光球が窪地の底を横切るように流れた。巨大岩蟲が、それを追って体をうねらせる。岩を擦る音が、空洞に低く響いた。地面が振動するのが、足の裏に伝わってきた。
あの音だ。さっき奥から聞こえた、ずずずずず、という音。あれは、こいつが動く音だったのか。
光球が、魔力溜まりの直下あたりに留まった。
巨大岩蟲がそこへ向かって這い進んでくる。ゆっくりと。だが、確実に。
その通った跡の核晶が、どろりと溶けていく。体が通り過ぎた部分の岩肌が、むき出しになっていた。それは、巨大岩蟲の体液によるものなのか、それともあの巨体に潰された哀れな小さい岩蟲のものなのか、アルティにはわからなかったし、正直わかりたくもなかった。
その時、ふっとなにかの気配を感じて足元を見た。
そこには、岩蟲。
声にならない悲鳴をあげて、後ずさる。油断して降ろしていた弓を構え、矢をつがえ、引き絞る。
放つ。
岩蟲が音もなく、目の前から消えた。崖から落ちたのだろう。
「まさか……」
恐る恐る崖を覗き込むと、何体かの岩蟲がこちらに向かって、ずず……と這い上がってきているのが見えた。
まだ距離はある。どうするか……矢の残数の問題もある。残り八本だ。
仕方ない。すぐにここまで来てしまいそうな二体だけ落とすことにした。
飛びかかってくるような相手でなくてよかったと心底思いながら。
「大丈夫ですか?」
「あまり時間はかけられない。ほっとくとまた来ちゃう。というか、来てる。だんだん腹立ってきた」
「矢は足ります?」
「六本ある」
「わかりました。あのあたりで止めようと思いますが——アルティさん、どうですか。いけますか」
「いける。リンもいい?」
「いけます」
アルティは矢をつがえた。
距離がある。斜め下への射撃だ。ただ、的はこれ以上ないほど大きい。胴の幅だけで人の背丈ほどもある。外す方が難しいくらいだった。
「加減はいらないよね」
「突き抜けないでしょうから、思い切り」
「よし」
アルティは弦を引き絞った。呼吸を止める。
背後からリンの詠唱が聞こえた。短い、耳慣れた響き。
矢を放った。
矢が弦を離れた瞬間、矢尻に炎が纏わりついた。先ほどの小岩蟲に使ったものよりも、明らかに強い光だった。火を曳きながら弧を描き、巨大岩蟲の胴に突き刺さった。
巨体が跳ねた。すり鉢の底が揺れるほどの振動が走り、アルティは足元の岩を踏みしめた。
だが、まだ動いている。体をくねらせ、矢の刺さった部分を岩肌に擦りつけようとしている。
「だめ、全然体液出てない。もう一回やるよ! 破裂させれない?」
「やってみます!」
二本目の矢は、すでにつがえていた。
放つ。
リンの詠唱が重なった。
二本目の矢にも炎が乗った。今度はさらに強い。矢が空気を焦がしながら落ちていき、一本目のすぐ横に深々と突き刺さった。
巨大岩蟲の胴が、内側から膨らんだ。
次の瞬間、破裂した。
鈍い、ぐちゃりという音が空洞に反響した。黒い体液が飛び散り、周囲の核晶に降りかかった。底の岩肌にも、壁にも、大量の体液が撥ねた。
アルティは思わず顔を背けた。とても直視できたもんじゃなかった。
「……すごい絵面」
「大成功じゃないですか」
リンの声は平然としていた。この男は本当に、こういうことには動じない。
底を見下ろすと、巨大岩蟲の残骸が広がっていた。その周囲で、核晶が目に見える速さで溶けていく。青白い光が、じわじわと消えていった。結晶の形を失った核晶が、どろりと流れ、その下の岩肌が次々と露出していく。
「溶けてるね……」
「少し待ちましょうか。溶けきってからの方が失敗しないと思いますから」
二人は、崖の縁に立ったまま、黙って底を見つめていた。
ちらりと崖を見る。岩蟲がまた登ってきている。
「矢はあります?」
「あと四本」
「それは心許ないですね。光で誘き寄せますか」
「お願いできる?」
「うまくいくといいんですが」
リンの杖先から、短い詠唱と共に生まれた光の球が、ゆっくり崖を降りていく。光に引き寄せられるように鎌首をもたげた岩蟲の一匹が、壁から剥がれて落ちていった。改めて、気持ち悪い。
リンが光を操っている間に、アルティは底の方を見守る。体液は広がり続けていた。巨大岩蟲の体に蓄えられていた量は、想像以上だった。すり鉢の底の中央一帯から、青白い光が退いていく。代わりに、濡れた灰色の岩肌が広がっていた。
魔力溜まりの直下も、もう核晶はほとんど残っていなかった。
「あ」
リンの声に目をやると、光があらぬ方向へ飛んでいくのが見えた。
「ああ……」
「核晶に当たったの?」
「そうです。核晶に当たると制御を離れますね。単純に跳ね返っているだけじゃなさそうです」
「あれ、ほっといて大丈夫?」
「まぶしいだけなので大丈夫ですよ。岩蟲も粗方落としましたし。さてと……」
リンが奥の方へ目をやった。
「もう少し広がってくれると嬉しいんですが……結構狭いんですよね」
体液は広がり、その周辺の核晶を完全に溶かしてしまっていた。ただ、その範囲が十分かと言われると……アルティにはわからない。
「どう……?」
「うーん——まあ、やってみますか」
リンが、杖を握り直した。
空気が、変わった気がした。
アルティはリンを見た。リンの横顔は、核晶の残り光に照らされて、青白く浮かんでいた。その表情は、アルティの知らない硬さがあった。
「アルティさん」
「うん」
「おそらく、今から僕は、一時的に目が見えなくなります」
アルティの思考が、一瞬、止まった。
「え?」
「なので、しばらく僕の目の代わりになってください。何か起きたら——起きそうなら、教えてください」
リンの声は穏やかだった。いつもの口調だった。だが、言っている内容は穏やかではなかった。




