第9章 制御④
「魔法のことはよくわからないんだけどさ、リンの魔法は強いよね。多分、強い魔法を撃つために力を使いすぎてて、制御ができていないように見えるんだよね。威力を程々に、上げすぎないようにすれぱ、制御は十分できるんじゃないかと思うんだけど……」
アルティは、言葉を選びながら、言った。
「…………」
リンが黙った。
核晶の光が、二人の間の空気を青白く染めていた。滝の音が遠くで響いている。リンは視線を落とし、自分の手を見ていた。杖を握る方の手だった。
「教えて、リン」
アルティは静かに言った。
リンは、長く長く息を吐いた。目を伏せ、それから、アルティに視線を向けた。その目は、これまでになく、冷たい。
「——アルティさん、それは……あなたの職業から来る質問ですか。それとも、あなた個人の質問ですか」
「どういう意味?」
「つまり……それを聞いて、僕をどうするつもりなのかと聞いています」
アルティは、一瞬、息が止まった。
リンの顔は、表情が読めなかった。声は落ち着いていた。だが、その瞳が冷ややかで——アルティとリンの間に、見えない壁ができているのを、感じた。
「どうするって……」
「僕の、弱点を、暴こうとしてます。今の質問は」
アルティは、小さく息を吸った。もちろん、弱点を暴こうとして発した質問なんかではない。
そうじゃない、と言いかけて、やめた。リンの作る壁に、ほんの少しの苛立ちを感じたからだ。誤解を解くだけでは、不公平だ。
「——つまり、私がリンの弱点を暴いて、その弱点をついて……リンを捕まえようとしてるんじゃないかって、そう言いたいの?」
「……」
「本気で言ってる? リン。私がそうするつもりって?」
リンの眉が、わずかに、ぴくりと上がり、それから、ゆっくりと息を吐いた。
「——いえ、そうですね。捕まえる気があるなら、もう捕まえてますね」
リンは、視線をアルティから外し、目を伏せた。
「そんな機会は、もうこれまでに、何回もありましたね……」
「リン、謝ってよ。さすがに今のは傷つくよ、私」
「——ごめんなさい」
アルティはため息を一つついた。長い息だった。核晶の光の中に、白い吐息が溶けた。
「いいよ。リンが悪いことをするなら止めるし捕まえるつもりはある。それは前から知ってると思う。でも今はリンを捕まえるためじゃなくて、知りたいの。私の体質、どこまで魔法が消せるのか、知らないのは不便じゃないかって言ってくれたみたいに、私もリンの不便さがあるなら解消してあげたい。普通の魔法使いじゃないことくらいわかってるよ。よくわからないんだよ。強い魔法は、制御ができないってこと?」
リンの目が、もう一度アルティを捉えた。
翡翠の瞳が、核晶の光を映して、深い緑に沈んでいた。
「……できます」
静かな声だった。
「……できるけど、してないってこと?」
リンは、大きく息を吐いた。覚悟を決めたような、それとも諦めたような、どちらとも取れる吐息だった。
「説明すると長くなりますが、短い方がいいですよね」
「流石に短くしろとは言わないけど、私が分かるように言って欲しい」
「そうですね……制御をしなければ、楽なんです」
「うん、そりゃそうだよね。威力を上げなければ楽だと思うんだよ」
「いや、違います。威力を下げるための制御をしないといけないんです」
「——どういうこと?」
「橋を吹き飛ばすほどの威力に『上げている』んじゃないってことです」
「……制御しなかったから、あの威力になっちゃったってこと?」
「いや、あれでも抑えたんですよ。だから、制御してないってわけじゃあないんですけども……」
アルティはリンの翡翠の瞳を見た。いつもの口調で、軽くそう言ったその男の瞳は、底知れぬ色をしていた。
首筋が、すう、と、冷たくなった。
「威力を下げる」という制御。
リンはさらりと言った。だが、その言葉の意味するところは——これまでの全てを、根底から覆すものだった。
リンのやらかしは、リンが「威力を上げすぎて」もしくは「力量に合わない強い魔法を使って」起きたものだと思っていた。
逆だ。抑えようとして、抑えきれなかったのだ。
あの橋を壊した時、リンの魔法が暴発したわけではない。手を抜いていたわけでもない。あれでも、抑えた結果だった。
規格外だ、と以前思ったことがある。
違う。
これはもう、規格外の魔法使いではなく、魔法使いの皮を被った——
アルティは首を横に振った。
違う。
そうじゃない。
リンは、リンだ。
アルティの知っているリンは、悩んで、生きている、自分と同じ、ただの人間だ。
「——わかった。じゃあ、制御できるって言ったってことは、もっと下げられるというか……必要十分なだけの魔法に調節できるってことだよね」
自分の声が、思ったより普通だったことに、少し安心した。
「まあ、できます」
「それを普段しない理由があるんだよね。疲れるだけなら、制御するでしょ? リンも失敗したいわけじゃないだろうし。制御したら、どんな不都合が起きるの?」
リンは一瞬息を呑んだあとに、
「——体に、負担がかかります」
と、短く答えた。それ以上は言わなかった。言いたくないのか、言えないのか——アルティにはわからなかった。
「なるほど……」
アルティは呟いた。体に負担がかかる。それだけの情報で、いくつかのことが繋がった。その負担がどの程度なのかは、リンが口にしてくれないとわからない。ここまで言い淀む程度には、深刻な負担がかかるのだろう。
アルティはもう一度、空洞の奥に目を向けた。底で蠢く巨大な影。それを囲む核晶の壁。魔法を跳ね返す壁。
「……私の矢に、魔法を乗せるのは負担じゃないの?」
「ああ……そうですね。あれは特に負担じゃなかったですね」
「そこの差がわかんないんだけど」
「僕もよくわからないんですよね……やりやすい魔法とやりにくい魔法があります。感覚的なものなんですが——この前、アルティさんに言われるまで、戦闘系の制御が特別苦手とも思ってなかったですし、自分のことって案外自分じゃわからないものですね」
リンが苦笑した。自嘲のような、それでいて本当に不思議そうな顔だった。
アルティは目を細めて、底の奥を見た。巨大岩蟲、さらにその手前に魔力溜まり——
「あのでかいやつのところまで、矢、届くと思う?」
「……いやあ、無理じゃないですか。いくら下に向かってうつとは言え……」
アルティも同意見だった。この縁から底の向こうの巨大岩蟲まで、弓で狙うには遠すぎる。しかも下り角度の射撃は矢の制御が難しい。
「じゃあさ、こっちにあのでっかいの、おびき寄せれない?」
「おびき寄せる……?」
リンの眉が上がった。
「おびき寄せたら、私の弓で狙えると思うんだよね。あの、魔力溜まりの下あたりなら」
アルティは頭の中で距離を測った。すり鉢の縁から底の中央まではまだ遠い。だが、魔力溜まりの直下あたりまで巨大岩蟲が移動してくれれば——斜め下への射撃になるが、届かない距離ではない。
「——なるほど、あの一帯だけでも核晶が溶ければ、ってことですね」
「やれそう?」
「一撃では無理じゃないですかね。何発かあれば。万が一反射しても、アルティさんが消せば被害は少ないはずですね」
リンの顔に、考えが固まっていく気配があった。目が動いている。底の地形を、巨大岩蟲の位置を、核晶の配置を、魔力溜まりの位置を、一つずつ繋いでいるのだろう。
アルティも矢の残りを頭の中で数えた。九本。九本あれば、大丈夫だろう。多分。
「その後に、核晶が解けた床を撃ち抜くとして……あのさ、そっちの方が心配なんだけど、それは大丈夫なの? 威力はともかく、狙いが厳しそうな気がするんだけど」
「——どうですかね。まあ、底だけならなんとか」
底だけならなんとか。そのあたりの感覚はよくわからなかったが、なんとかなるなら、やってみる意味がありそうだった。




