第9章 制御③
「それはそれとして……岩蟲は別にいいんですが、これをこのまま放置して帰りたくないんですよね」
リンの視線が、再び魔力溜まりに戻った。穏やかな顔をしているが、目は笑っていない。
「これってリンから見て、まずいものってことだよね」
「そうですね。……引き返さなくて正解でしたよ、アルティさん」
「でも壊せないんでしょ」
「はい。だから、入り口の封印をかけ直すしかないと思います」
「封印かけ直すまでって、何日かかるの?」
「エルディンさん次第ですが、どんなに早くても数日——普通に考えると、十日以上だと思います」
「十日……」
「それも順調にいって、という話ですね。その間に、ここから何が出てくるか、わかりません」
アルティの背中が、冷えた。
十日。
その間、この穴の底で何が生まれ、何が這い出してくるかわからない。封印はもう機能していない。通路は人が通れるだけの幅は充分あった。それなりに大型の魔物なら素通りだ。
リンの目は、空中の淀みから動かなかった。普段の飄々とした顔ではない。眉の間にわずかな皺が寄り、唇が薄く引き結ばれている。
「リン、なんか考えてる?」
「封印も万能ではないんですよね。できれば、もう一段階——」
「もう一段階?」
「ええ。——ここ、底が抜けないかなって」
「底?」
アルティは、思わずリンの横顔を見た。
「あの魔力溜まり自体は壊せなくても、出てくる魔物がずっと下に落ちれば、しばらく這い上がってこられないんじゃないかと思って、ですね。距離があれば、落下する衝撃だけで絶命するかも」
リンは淡々と言った。まるで棚の配置を変えようかと相談するような口調で。
「底って、底?」
「底です」
「正気?」
「至って」
アルティは、もう一度、窪地の下側を見下ろした。
「——あ、もしかしてさっき言ってたやつ? この下に空洞があるかもって」
水脈の話を、二人でしたばかりだった。滝の水の流れる先を考えると、おそらく下に空間があるからだろうと。
「でもどのくらいの空間が広がってるのか、わからないよね。めちゃくちゃ浅いかもよ?」
「まあ、水で溢れていれば、溺れるかもしれませんし。あれば楽だな、くらいなんですけども」
「楽って……。あそこ、岩と核晶だよ。リンの魔法、核晶に反射するでしょ」
「そこなんですよねえ……」
リンが、近くの壁の核晶に目をやった。青白い光が、リンの横顔を下から照らしている。
「下に空間が空いてなかったとしても、岩だけならなんとかなると思うんですが」
「なんとかなるの?!」
「……まあ、多分」
「ああ……そうか……橋を吹き飛ばしてたね……」
アルティは少し遠い目をした。あの石橋の惨状が脳裏をよぎった。威力だけなら、岩盤を砕くくらいはやらかしかねない。
「——でもこの状態ですと、魔法で岩を砕こうとしても、核晶に当たると跳ね返る……」
「それは私が消せるかもよ?」
「うーん……反射したものをアルティさんに消してもらうとしても、跳ね返されると威力自体落ちそうなんですよね。そもそもアルティさんが僕の魔法を確実に消せるかも保証がないですし」
アルティはリンを見た。リンは、腕を組んだまま、静かに目を細めて空洞を睨みつけていた。眺めていただけかもしれない。だが、アルティにはそう見えた。核晶の光を浴びた翡翠の瞳が、深い色をしていた。
リンの横顔から目を離し、アルティも底に目を凝らした。
その時ゆらめく闇から、また、ぼと、と岩蟲が落ちた。小さな塊は底に着いた衝撃を受けた風もなく、すぐに蠢きはじめ、巨大岩蟲の方に向かっていく。
巨大な岩蟲は、それを見て——見たかどうかはわからないが、ゆっくりと体を捻った。お腹が空いていないのだろうか、食べる様子はなかった。ただ、あれだけ大きさが違えば、寝返り一つで潰されるのではないかとアルティは思った。
潰される——
「あ」
アルティが声を出した。
巨大岩蟲が体を捻った際に、その下の岩肌が見えた。黒い体が横たわっていた部分の核晶が、どろりと溶けて崩れている。
「……ねえ、リン」
「はい」
「あの岩蟲の体液、核晶溶かしてたよね」
リンが、アルティの方へ目を向けたが、まだどこか上の空だ。
「あれ、使えないかな」
「使う、と言うと?」
「あの巨大なの」
アルティは、底の中央を指した。
「あれだけ大きければ、体液もたくさんあるよね? あれを潰したら、あの周りの核晶くらいなら溶けるんじゃないかな……そしたら、リンの魔法、通るでしょ」
リンは、しばらく、アルティを見ていた。
それから、ゆっくりと、底の巨大岩蟲に目を移した。核晶の青白い光に照らされた巨体が、鈍く脈打っている。その周囲の、溶けた核晶の跡。露出した岩肌。
「——確かに」
短い返事だったが、声に、先ほどまでと違う色があった。
「どうかな」
「まあちょっと小さいですが……核晶は表層に生えてるだけだから——下側からか……」
リンは口の中で何か呟いていたが、何を言っているのかよくわからなかった。
「いける?」
「あのでかいのが、小さいやつと同じ性質なら、ですが」
「やってみる?」
「……いや、でも、ですね」
リンが口ごもった。視線がアルティに戻り、それから底に落ち、また戻った。
「その、誰が倒します? あのでかいやつ」
「——リンが」
「いや、だから僕がああいう戦闘系の魔法の制御が苦手だって、知ってますよね。多分突き抜けますよ」
「本当に?」
「——本当です。もう何回か見てるじゃないですか」
リンの声が少し硬くなった。そのたびにアルティに尻拭いをさせてきた自覚はあるのだろう。
「わかるよ。苦手なのは、わかる。でも、本当にできないの?」
「…………」




