第9章 制御②
しばらく、二人とも黙っていた。
途方に暮れていた、と言った方が正しいかもしれない。
一面の核晶に、巨大な岩蟲。無数の岩蟲。それに、得体のしれない「魔力溜まり」
滝の音だけが、空洞の奥に、ずっと響いていた。
魔力溜まりからは、またぼと、と新しい命が落ちてきた。なんだろう、時間の感覚が曖昧になってくる。
先に口を開いたのはアルティだった。
「リン」
「はい」
「これは、私がああいうのが嫌いだからってわけじゃないんだけど……あのでっかいやつ、大きさ的にさ、もしこっち来ても、こっちの洞窟の通路は通れないんじゃないかな」
言いながら、自分でも希望的観測が混じっているのはわかっていた。
「……どうですかね、ギリギリ通りそうですけども」
リンは首を傾げて、底の巨体と、自分たちが通ってきた通路の幅を交互に見比べた。
「いや、だからさ、もし通れないなら、放って帰っても大丈夫じゃないかなって……」
「ああ……」
リンが小さく笑った。アルティの本音が透けて見えたのだろう。
「どうでしょう。わかりませんが、通るには時間がかかるんじゃないですかね」
「だよね」
自分に言い聞かせるように頷いた。通れないのではなく、時間がかかる。それは、大丈夫ということではないが、封印をかけ直すまでに出てくるのは難しそうなら、それでいい。
「ただ、アルティさん」
「ん?」
「——これ、岩蟲だけで済めばいいんですけれどね」
「え?」
リンの声の温度が、一段下がった気がした。
リンは長い指で、空中に滞留する闇のゆらめきを指した。
「あの、魔力溜まり……ええと、違います。なんて言ったかな……すみません、固有名詞を忘れてしまったんですが」
「『魔力溜まり』でいいよ、もう」
「すみません。あの魔力溜まりから湧くもの、ずっと岩蟲とは限りません」
「え」
アルティは、改めて底の中央の淀みを見下ろした。空気がねっとりと歪んで見えるその場所から、また、ぼと、と小さな岩蟲が落ちた。生まれたばかりの、まだ動きの鈍い個体だった。
「岩蟲だよ?」
「今はね」
「そもそも、あの『魔力溜まり』って、なんなの?」
「詳しい原理はわからないんですが、あれは、魔物を産み出します。幸い、今は岩蟲みたいですが、別のものが出てくるようになるかも」
「別のもの……?」
声に出してから、聞きたくなかったかもしれないと思った。そもそも「幸い岩蟲」なんかではないのだが、まあ、脅威にはならないという点では「幸い」だ。
「わかりませんけどね。竜とか出たらいやでしょう?」
「あのサイズのところから、竜が?」
距離が離れているのと、光を吸い込む闇のせいで大きさがはっきりしないが、それでも竜が湧き出てくるような大きさには見えなかった。
「魔力溜まり自体の大きさと、出てくる魔物の大きさはあまり関係ない、ようです。大きいものが出てくる時もある」
リンの口調はいつもの穏やかさだった。だが、言っている内容はまるで穏やかではない。アルティは眉を寄せた。
「でも、出てきても、ここに閉じ込められるならよくない?」
「まあ、それはそうなんですが、閉じ込められてくれないようなやつが出てきたら?」
「大蛇?」
「そういうぎりぎり通るサイズ、とかじゃなくても、熊とかでも大量に出てきたらかなり脅威じゃないですか」
アルティは一瞬、この洞窟から熊が群れで出てくる光景を想像して、背筋が冷えた。グラニスの街からは離れているとはいえ、街道に出られれば——
「ん? 熊って、魔物じゃなくない?」
「魔物にもいますよ。普通の獣よりは、もう少し大型の事が多いですが」
「……魔物って、獣とは別と思ってたんだけど……」
「別ですね。ただまあほぼ同じに見えることもあるので、ざっくり分けると元々の生まれが向こう側か、それともこちら側か——」
「ちょ——ちょっと待って。魔物って、もしかして全部あの魔力溜まりから出てきたやつってこと?」
自分で言いながら、声が大きくなっていた。
「——すごいですね。その通りです。元々はね。ただ、こちらに出てきてから繁殖してるのもいるので、全部とは言いませんが」
リンは感心したように頷いたが、アルティは感心している場合ではなかった。
人間の脅威になるものを魔物と呼んでるとか、なんというか……《《そういうもの》》だと思っていた。
「嘘でしょ……魔物の発生源があるとか、聞いたことがない」
「まあ、あまり知られてませんから」
飄々とリンはそう答えたが、知られてないことをなぜこの男が知っているのか——考えかけて、やめた。リンに常識を適応させる方が、無駄な話なのだろう。
「じゃあ、あれが元凶ってこと?」
「ああ、そうではなく、ええと……魔力溜まりは、各地にあるんですよ。出来たり消えたりしてますけれども」
各地に。出来たり消えたり。
アルティはもう一度、ゆらめく空間を見た。あの闇の歪みの向こうに、何があるのか。どこに繋がっているのか。考えようとしたが、想像の手がかりすらなかった。
「じゃあ、どこかから魔物がやってきてる、ってこと?」
「……それはわからないです。『向こう側』に行った人がいないので。そもそも、その『向こう側』があるのか、ないのか——それもわかってないですね」
リンの声は淡々としていたが、「わからない」と言う時の口調に、いつもと少し違う重さがあった。本当にわからないのだと、この男が言うのだから、誰にもわからないのだろう。
「魔法で壊したりできないの?」
「できないんですよね、これが。何回も試しましたが、無理でした」
「そうか……」
何回も試した、とリンは言った。それがいつの話なのか、聞かなかった。
アルティは、一度俯いてから頭を上げた。闇の淀みを見据えた。
「——あれさ、私、消せる?」
「えっ」
リンが言葉を失った。振り返ると、翡翠の目が見開かれていた。こんな顔をさせたのは初めてかもしれない。
「——いや、どうでしょう……試さないとなんとも……試してみる……いや、でも、アルティさんの魔法を消せる範囲って狭いんですよね? あそこまで行きます……?」
リンの視線が、足元の縁から岩肌の底まで下り、それから魔力溜まりの位置を測るように動いた。距離をはかるように。
「あ、そうか……」
「僕が魔法でアルティさんをあそこまで浮かせられなくは無いと思いますが……でも、そこでアルティさん、ペンダント外したら」
「落ちるから無理! あそこに落ちるのだけはぜっっったいに、いや!」
底に蠢く黒い塊の中に落ちる自分を一瞬でも想像してしまい、全身が総毛立った。
「ですよね。今ここで試すのはリスク大きすぎるからやめませんか」
「わかった、やめる」
アルティは力強く頷き、リンは苦笑した。




