第8章 その性質がわかったら③
その時、音がした。
ずる、と何かが岩を擦るような、湿った音。
弓を構えるのと、それが視界に入ったのは、ほとんど同時だった。
道の先、五歩ほど離れた岩陰から、ぬるりとした長い黒い体が這い出してきていた。胴は太く、人間の腿ほどはある。体節がうねるように動き、岩肌を滑るように進む。先端には、口……口なのか? 穴のようなところに、歯のようなものが内側にぐるりと並んでいる。
岩蟲だ。
「いっ——」
アルティの肌が一瞬粟立った。喉の奥で、声にならない音が漏れかけた。
だが、怯んでいる場合じゃない。弦を引き、放つ。
矢は、岩蟲の胴の前方に深々と突き刺さった。
次の動きを見る前に、すぐさま次の矢をつがえる。
打つ。
岩蟲の体が痙攣するように跳ね、岩肌を打って、動かなくなった。
「お見事」
「まずいまずいまずい」
「え、なんですか」
「鳥肌、鳥肌がやばい」
アルティは両腕を抱き抱えるようにしてしゃがみ込んだ。
「え?」
「私、ダメなの、虫っぼいやつ」
「——でも、この前虫を叩き潰してませんでした?」
「違うの。長くて足がいっぱい生えてるやつと、足がないやつがダメなの」
「ああ……」
リンが、アルティの横にしゃがみ込む。
「どうしますか、戻ります? 核晶の確認もできましたし、引き返しても」
アルティは深呼吸をしてから、立ち上がった。さすがに個人の好き嫌いで仕事を放棄するわけにもいかないだろう。
矢筒の位置を直し、弓を握り直した。
「いや、行こう。もうちょっと安全確認してから戻りたい」
リンも立ち上がる。
「無理してませんか」
その時、また、ずるり、と音がした。
左、右、少し先の岩陰。
素早く視線を動かすと、奥の光る壁の間から、黒い塊が、ぬるりと体を引き剥がすように現れた。二匹。
声にならないなにかが喉から漏れた。首筋がぞくぞくする。
弓を構えようとした手を、リンが押さえた。
「アルティさん、下がって」
リンが灯りが灯ったままの杖を前に差し出した。
わずかな違和感。
「あれ?」
アルティが眉をひそめた。
「どうしました?」
「なんか、こっち向かなかった?」
「……目、あります? これ」
「いや、なんか……なんだろう。灯りくらい、わかるんじゃない?」
「灯り……?」
リンが杖を持ったまま、大きく腕を動かした。
リンの動きにつられるように、岩蟲たちは岩肌に体を押し付けるようにしながら、ゆっくりと向きを変えた。
「うえ……」
「光がわかるんですかね」
「知りたくもない性質を知っちゃったよ……」
「アルティさんが言い出したんじゃないですか」
「詳しくなんてなりたくないのになあ……」
頭の片隅に岩蟲の生態なんて入れておきたくないのに。変に想像しちゃうじゃないか。
「敵を知ればなんとやらじゃないですか。いいこともありますよ。きっと」
「慰めてくれてありがとう」
「じゃあ、後ろにどうぞ。僕がやりましょう」
「本当? 洞窟壊さないでよ?」
「善処します」
短い詠唱。リンの杖の先に、白い光が集まる。空気が一瞬、張り詰めた。
光が放たれた。
光の筋が束となって、岩蟲の群れに向かって走った。先頭の岩蟲の胴を貫き、その奥の岩蟲をもまとめて吹き飛ばす。黒い体が痙攣しながら床に落ちた。岩壁に当たった光は砂煙を上げて消えた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
壁の核晶に当たった光があった。跳ねた。跳ねた先が岩壁なら、そこで止まる。だが核晶に当たれば、また跳ねる。数本が次々と結晶を拾い、方向を変え、反射が通路の中に広がっていった。
「なっ——」
リンの息が止まった。
跳ね返った光の一筋が、こちらに向かってくる。
リンが杖を握り直す。詠唱を始めようとしている。
間に合うか——判断より先に体が先に動いていた。
リンの懐に飛び込む。胸元に手を入れ、ペンダントを掴む。鎖を首から引き抜く。
ふっと、空気が変わった。
乱反射していた光が、一斉に消えた。蝋燭を吹き消したように、跡形もなく。
部屋には、核晶の青白い光と、魔法で砕けた岩盤の砂煙だけが残った。
二人の荒い息の音だけが、静寂の中に響いていた。




