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第2章 葡萄の雫②

 夕食をとり終わった二人は、階段を上がった。冒険者の店の二階は宿になっていた。魔法の光の揺れる質素な廊下で、アルティは主人から受け取った部屋の鍵をリンの手に落とす。


「じゃ、私はこっちの部屋、リンはあっちね。朝早いから気をつけて」

「やってくれましたね」


 リンは笑っていいのか怒っていいのか、なんとも言えない渋い顔をしてアルティに言った。


「お互い様じゃない?」


 アルティは、ふふんと笑って見せたが、少しの沈黙のあと、自分の部屋の鍵を開けた。


「とりあえず中で話そうか。いい加減、体を休めたいの」


 小さな部屋だった。木造のシンプルな机と椅子が一脚、それに寝台。安く寝泊まりできれば十分、というのが冒険者の店の宿のスタンダードだ。

 どさりと窓際に旅の荷物を置く。弓矢とマントもとると、まとめて積んだ。腰の二本の短剣は、枕元に。自分は全くスプリングのないベッドに腰掛けると、リンに椅子を勧めた。


「やられました。すみませんでした」


 と、リンは座ってから頭を下げた。

 もちろん、さっきのやりとりの話だ。盗賊相手にハッタリの劇を繰り広げたお返しを、今度は宿屋の主人相手にされたということだ。


「……謝ってくれるなら、私も言えるかな。さっきは利用してごめんね」

「やられてわかりました。次は、ちゃんと前もって確認してからやることにします」

「……なにをするつもりかは知らないけど、確認してやるもんでもないと思うわ」

「まあ、次があるかも、わかりませんが」


 リンが、誰に言うともなく、ぽつんと言った。

 それは、そうだ。なりゆきで一緒にいるが、次にそんなことをする機会がある前に道を分つだろうから。


「お金は必ず返しますので」

「依頼料多くもらった分でチャラよ。あなたがいたおかげでこっちも美味しい仕事にありつけたわ。レンスティアまで歩かなくて済んだしね」


 乗合馬車代も払わず、しかもお金までもらえる仕事だ——あまり金額は高くなかったが——。


「でも、もし襲われたとしたらどうします?」

「あなたには頼るつもりはないわよ。大丈夫、私が守るから。馬車も、馬車の人たちも——あなたも」


 脇の短剣を、ぽん、と叩く。それなりに、自信はあるのだ。そうでなければ、あんな仕事の受け方はしない。魔法使い一人分くらいの仕事はできるという自負がある。

 編み上げた革靴の紐を解き、歩き疲れた足をようやく解放すると、アルティはベッドの上であぐらをかいた。

 リンはつい、目をそらした。あまりに無防備に見えたものだから、直視するのが眩しかった。彼女の引き締まった四肢としなやかな動きは、どこか猫を想像させる。


「とりあえず私が話したいのはそんなとこだけど、そのこと? これでなんとか二人ともレンスティアまでは辿り着けると思うけど、まだ心配事がある?」

「いえ、十分すぎるほどです。レンスティアに着けばなんとでもなります。多分。ええと、まあ、そのこともですね。そのこともなんですけど」


 リンは少し口ごもり、アルティはそれをゆっくりと待った。


「……どうしてここまでしてくれるんですか。その——ただの、通りすがりに」


 アルティはリンの問いに、頭をかいた。


「理由ねえ……。まあ、人を助けるのに理由は要らなくない? 見捨てるならともかく」

「——すごいな。サラッと言うんですね」


 リンが唸った。何かを噛み締めるように。

 そこまでの話じゃないんだけどな、とアルティは少し居心地が悪いように、足を組み直した。


「困ったときはお互い様ってだけの話よ。だから、私が困ったときはよろしくね!」


 ぐっとアルティが親指を立てると、リンが苦笑した。


「わかりました——必ず」


 その答えにアルティはとても満足した。ベッドの上で、うーんと両手を上に上げて伸びをした。

 それから、ぽん、と手を叩いた。


「あ、そうだ。じゃあ、早速体で払ってもらおうかな」

「え」

「私さあ、今日すっごく疲れたんだよね。癒しが必要でさあ……」


 リンは目を見張った。アルティは自分の唇を細い人差し指でさすって、微笑んだ。妖艶、という言葉がリンの頭をよぎった。


「意味……わかる?」

「ええと、そう、ですね」

「いや?」

「あ、いえ……いや、なわけでは。ただ、ちょっと心の準備が」


 後半はもごもごとリンの口の中で消えた。

 何を言われているかはわかった。わかったが、どういう顔をすればいいのかがわからなかった。断るべきなのか。断らないべきなのか。そもそもこの状況は一体なんなのか。

 思考が空回りしている間に、アルティは満足げに頷いた。


「よし、じゃあ決まり」


 アルティはぽん、とベッドから飛び降りた。素足で木の床をぺたぺたと歩く姿は、妙に艶かしい——


「じゃあ一階に行って、葡萄酒を二本ばかりと、なんかよさそうなスピリッツを一本と——そうね、チーズと、なんか肉っぽいものを注文してここに持ってきて」

「——はい?」


 間抜けな声を出すリンを尻目に、アルティは放り出した荷物から、貨幣の入った布袋を引っ張りだした。


「飲み足りないのよ。食事の時、一杯しか飲んでなくて。かといって、もう疲れたし、靴も履きたくないし、動きたくないし。——体で払ってくれるんでしょ? 持ってきて。オッケー?」

「なんだ、そういう意味……ですか」


 何故か肩を落としたリンに、アルティは布袋を差し出しながら、ニヤリといたずらっぽく笑った。


「まだ払い足りない?」

「えーと、いえ……」


 リンが目をそらした。アルティはそれが可笑しくてたまらなかった。


「そんなに払いたい? 仕方ないなあ。じゃあ飲むの、付き合って。一人で飲むのは嫌いなの」



 留め具を全て外し終わると、アルティは鎧を椅子の背にかけた。軽くて動きやすい代わりに、留め具が多い。脱ぐのにも着るのにもいつも手間取る。

 その時、入口の扉のノック音が響いた。


「失礼します」


 リンがドアを開けると、目に飛び込んできたのは鎧を脱いだアルティだった。

 前を紐で編み上げた袖なしの短衣に、太ももの途中までしかない短いパンツ。鎧の下はこんな格好だったのか、というのが最初の感想だった。

 鎧に覆われていた腕が、思ったよりも細い。

肩から腰にかけての線に、一切の余分がなかった。戦うために絞られた体だった。後ろ姿だけなら、少年と見間違えたかもしれない。

 しかし振り返った顔は、やはり少女のものだった。汗を拭いたのか、少し乱れた亜麻色の髪が首筋に張りついている。その対比が、妙に目のやり場に困るものだった。


「あ、と、着替え中でしたか」


 リンが急いでドアを閉めようとするのを、手で押しとどめた。


「いいのいいの、もう終わったから」


 気にした様子がまるでない。本人にとっては、これは下着姿ではなく、鎧の下の普段着なのだろう。その無頓着さが、かえってリンを居心地悪くさせた。

 リンが葡萄酒やグラスを入れた籠をテーブルに置くと、アルティはいそいそと覗きにきた。

 体で——労働で払えというのは、アルティの嘘、もしくは気遣いだろうと思っていたリンだったが、どうやら酒が好きなのは本当らしい、とつい破顔する。


 アルティはずるずるとテーブルをベッドに寄せる。椅子は一つしかないので、ベッドをソファ代わりに使おうと思ったからだ。


「さて、まずは葡萄酒かな。リンも同じでいい?」

「構いませんけど、あの、僕、酒は苦手ですよ」

「ん? 食事の時、飲んでなかった?」

「飲めないわけじゃないです。苦手なだけで」

「じゃあ付き合ってもらうくらいは平気ね」


 リンは頷くと、あまりきれいではないグラスに、瓶から葡萄酒をそそぐ。とろりとした液体が杯を満たす。

 その横で、アルティは籠の中から、布で包んだチーズと干し肉を引っ張りだすと、自分のナイフで小さく削いだ。


「さて、乾杯しよっか」

「乾杯……なにに乾杯しますか?」

「そうね——うーん、明日の仕事にありつけたことに?」


 現実的な答えに、リンは苦笑いをするしかなかった。


「もう少し色気のあるものにしませんか。二人の出会い、とか」

「じゃあ、それで」

「かんぱーい」


 ちん、とグラスを合わせる。しかし、言葉を変えたところであまり色気はなさそうだった。

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