第2章 葡萄の雫①
二人がレントの門を潜ったのは、ちょうど太陽が山の端に消えた頃だった。まだ空にはうっすらと明るさが残っているのだが、街にはもう明かりがともされている。
幸い、道中大きな危険はなかった。元より短い間道で、魔物の出没はほとんどないと言われている。だからこそ、盗賊が狙ってくるのだが。
「助かりました、ありがとうございました」
リンがゆっくりと丁寧に頭を下げた。
「それはいいんだけど……杖を新調するんだったよね」
「はい」
リンが頷く。
「道々考えてたんだけど……レントには、多分、杖を扱える人はいない気がするんだよね」
「——そうなんですか?」
リンが整った眉を寄せた。
「見ての通り、あんまり大きい街じゃないから……そういう特殊な技術がある人は、大きい街の方に移っちゃうんだよ」
「魔術師協会の支部もない?」
「うん。そもそも、普段魔法使い自体がほとんどいない街だから……」
リンは眉をしかめて、長い指で額を押さえた。
「まあ、私の記憶違いかもしれない。冒険者の店の主人に聞いてみた方がいいと思う。行こう、案内するよ」
*
「いないね」
果たして、たどり着いた宿屋兼冒険者の店の主人はにべもなくそう言った。カウンターの向こうで、太い指で耳をかきながら、面倒そうに首を横に振る。
「ですよね……」
やっぱりいないか、と小さくアルティは肩を落とした。
二人はカウンターに座り、少し早めの夕食をとっていた。少し堅くなった黒パンと、シチュー、なにかのソースの掛かった鹿肉を焼いたもの。簡素ながら、疲れた体に沁みる味だ。
「流れの魔法使いならともかく、魔法の道具を扱うようなのはなあ……。探せばいるのかもしれないが、この街で何日もかけて探すくらいなら、レンスティアの方まで行った方が早いと思うぞ。その、魔法の道具って、一体なにを探してるんだ」
「私の結界石とかね、消耗品を買い足したくて」
魔法使いの命とも言える杖をなくしたとは言いがたく、アルティはパンをちぎりながら、適当そうな理由を述べた。ああ、と主人は納得げに頷く。
「レンスティアまでどのくらいかかるんですか」
リンに尋ねられ、主人は腕組みをする。
「そうだな。レンスティアなら、馬車だったら一日かからず着く。朝出れば夕には着くだろう。徒歩だと最低二日はいるな。歩き慣れてないなら、もう少し見た方がいい」
参ったな、とアルティは思った。個人で馬車を準備するのは論外だが、乗り合い馬車でもそれなりに金がかかる。荷物を全て、つまり金も奪われ、自分を守るための杖もない魔法使いにとってみれば、完全に「詰んだ」状態だ。
アルティはちらりと横に座ったリンを見た。リンは整った眉を少しだけしかめ、掬ったシチューに視線を落としていた。長い睫毛が、頬に影を落としていた。
アルティは目を瞑って考えた。こう動いたらどうか、ああ動いたらどうか。だが、いくら考えても、彼をこのまま置いていくには忍びない、という結論に達してしまう。
どうせ目的地は一緒なのだ。少しくらい人助けをしてもバチは当たらないだろう。
「ところでマスター。乗り合い馬車の護衛の依頼とか、来てない? 例えば——レンスティアまでとか?」
主人は、カウンターから身を乗り出してきたアルティに見上げられ、眉をあげて、にやりと笑った。
「そんな都合良くあると思うか?」
しかしアルティも負けてはいられない。
「あると思ってるから、聞いてるの。ほら、見ての通り、魔法使い付きだよ。今なら、ちょっとは割引してあげる。悪い話じゃないと思うけど?」
リンを指差すと、主人は、ふむ、とうなった。
「いや、僕は……」
「言っとくけど、実力はかなり、よ」
「そんな魔法使いサマなら、自分で馬車を用立てたらどうだね」
主人は少し意地悪く言った。それもそうなのだ。そもそも、魔法使いはその実力故に、もしくはそもそも金持ちであることが多い。
アルティは困ったように首を傾げてみせた。
「彼一人ならそれでもいいんだけど。私と組んでるからには、きちんと仕事してもらわなきゃ困るんだ。冒険者として」
「ま、そりゃそうだな。しっかりした相棒がいてよかったな、色男」
「ええ、はい……」
目の前で勝手に繰り広げられる会話に、口も挟めずにいたリンは、微妙な表情で頷いた。本当は言いたいことは山ほどあるはずだった。いや、言いたげに、主人に見えないようにアルティの腕をつついたり引っ張ったりしていたのだが、アルティはそれを完全に無視していた。
「ま、そういうことなら、一件うちの若い連中に回そうかと思ってた仕事をやるよ。あちらもできれば魔法使い付きがいいって条件だったから、連中も文句言わないだろう。小さい辻馬車の護衛だ、金貨二と半、レンスティアまで」
「二半? 少なくない? 魔法使いつきで?」
「だから、本当は二なんだ。魔法使いがいるなら、二と半。追加報酬が高くないから、他の魔法使いサマは無視して他の仕事に行っちまったよ」
「残り物ってわけね」
なるほど、そんなにうまい話はない、か。
「それでも安い気がするけど」
なおもアルティは口を尖らせて食い下がったが、主人は苦笑で応えた。
「この間道はあまり危険がないんだよ。護衛付きで襲われた話はほぼない。だからそんなもんさ」
粘れるのはここまでだろう。アルティは肩をすくめてみせた。
「ま、それなら仕方ないかな……了解、受けるわ。リンもいいよね?」
アルティはリンを振り返り、にこっと笑って見せた。無言の威圧感を感じて、リンは小さく「あ」と言った。
これは、意趣返しだ。さっきの盗賊とのやりとりの。
リンは苦笑して、
「はい」
と言い、頷いた。アルティは満足そうに微笑み、主人を見た。
「出発は?」
「明日の朝だな。宿はどうする? うちでとるか?」
「そうする。二部屋お願い」
「前払いだ」
「安くしてよね」
貨幣の詰まった布袋を取り出したアルティに、リンはもう一度、今度ははっきりと肩に手を置いた。アルティは、その手を、ぽんぽん、と軽く叩いた。
「パーティ財布は私が管理するって言ったでしょ」
「財布は女に掴ませといた方がいいぞ。窮屈だが、金は貯まる」
主人はそう言って、がははと笑った。




