第1章 杖のない魔法使い③
アルティは大きく息を吐いた。
肩から力が抜ける。短剣の柄にかけていた指の感覚が、ようやく戻ってきた。
「いやあ、お見事」
振り返ると、リンが笑顔で立っていた。きれいなだけに、妙に癪に触った。
アルティはその場にしゃがみ込んだ。どっと疲れが押し寄せてきたのだ。
「……さっきのあれは、なに?」
「あれ?」
「魔術審問官が云々ってやつ」
「ああ。王家の使いだけじゃあ、押しが弱そうだったので、それならもうちょっと派手に煽ってみようかと」
リンはあくまで穏やかな口調で言った。さっきまでの怯えた様子は、もうどこにもない。
「派手にって……なんで魔術審問官なの? 盗賊が知ってるようなもんじゃないでしょ? せめてもうちょっとなにか別の——」
「盗賊は知らないけど、魔法使いで知らない人はいない、それはそれは怖い人たち——ってあたりが、不気味でいいじゃないですか」
リンが、顎に手を当て、にや、と悪そうな笑みを見せた。それでなお美しいのだから、この男は相当質が悪い。
「私が乗らなかったらどうするつもりだったの?」
「まあ、その時はその時かなって」
「盗賊が信じなかったら?」
「それも、その時はその時ですね」
飄々と言うリンを前に、アルティは額に手を当て、大きくため息をついた。
だめだ、どうにもこの男は調子が狂う。
「それで——王家の使いの方が、なぜこんなところに?」
リンは、しゃがみ込むアルティを見下ろしながら、笑顔を崩さずにそう言ったが、アルティはその言葉に少し冷ややかな物を感じた。
軽い口調なのに、翡翠色の目だけが、どこかこちらを測っている。
「王家と言っても下っ端の下っ端だから、警戒しなくていいよ」
「ああ……いえ、僕は協会員じゃないので、王家に対して文句が言いたいわけではないですよ」
元々、王家と魔術師協会は魔法に関して対立していて仲が良くない。魔法使いに
「王家」と言うと身構えられても仕方ないのだが、どうやらこの男は珍しくも魔術師協会に所属していないらしい。確かに、マントにも、協会のあの派手な印章が入ってない。
「単純な疑問です」
アルティは少し逡巡したが、差し支えのない範囲を拾って口にすることにした。
「盗賊に——ある物を盗まれたって情報があってね。その盗品を探しにきたんだけど……」
「盗賊討伐ではないんですか?」
アルティは肩をすくめた。
「人手不足でね、私一人が派遣されたから、盗品チェックだけ。ここに盗品があれば一番だったんだけどね……売られた後の情報としては、まあ——十分かな」
「それはよかった」
リンは微笑んだ。優雅に。
それを見たアルティは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「?」
「いや……」
リンの機転で、戦闘にもならず穏便に情報も聞き出せた訳だが、今ここでリンに
「ありがとう」と言うのは、どうにも納得がいかなかった。
「まあ……いいか」
アルティはもう一度ため息をつき、膝に手をついて立ち上がった。顔を上げ、街道の方角を確認する。
「それであなたは——どこに行くところだったの?」
「レンスティアですね」
リンは間髪入れずに答えた。
「そう。私もレンスティアに向かうんだけど、一緒に行く? 荷物も杖も取り返し損なったでしょう?」
「あっ」
リンが大きな声をあげた。
「そうでした……」
彫像のような顔が、少しだけ崩れた。
「もしかするとあいつらがまだ持ってたかもしれなくて、本当はそれも聞きたかったんだけど……ちょっとそこまでの時間は取れなくて」
「いえ、僕もすっかり忘れてて……しまったなぁ……」
リンは口元を片手で押さえて、形のいい眉を顰めた。なるほど、美形というのは悩んでも絵になるものらしい。
アルティはちょっと感心しながら、その姿を眺めた。
「お金は?」
「手持ちは全部盗られました」
「じゃあ、家にはある?」
「家はないですけども、レンスティアに行けばなんとか」
預け商にでも預けているのか、まあそれは自分が知る必要はないことだ。
「まあ、命あっただけよかったじゃない。いいよ、護衛してあげるから一緒に行こう。途中にレントっていう小さな街があるから、まずそこまで一緒に行こう。杖を扱ってる店があるかはわからないけど」
「……いいんですか?」
「ここで杖のない魔法使いを放り出す方が寝覚めが悪いから、気にしないで」
リンは少し目を細めた。口元がわずかに緩む。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えます」
リンが頭を下げた。その動作が、妙に丁寧で、こんな状況にあって場違いに上品だった。
アルティは何となく落ち着かなくなって、視線をそらした。
盗賊の洞窟があった山林を抜けると、視界が一気に開けた。
街道まで出た後、西に向かって歩き始めた。午後の日差しは柔らかく、街道の轍の跡に長い影を落としている。
影を並べてしばらく歩いた後、リンが口を開いた。
「アルティさんは、何をされている方ですか」
「さっき見たでしょ。今は、王宮関係の使い走り」
「しかし、王家の使い走りにしては、鍵開けがずいぶんお上手だなと」
アルティは目を細くしてリンを睨んだ。
「……余計なことに気づく人ね」
「すみません」
謝る口調に、反省の色は一片もなかった。
「普段は冒険者もやってるから、生きていくためにいろいろね」
「鍵開けを?」
「開けられた方が便利よ?」
「まあ、それはそうですね。……そうか?」
リンは少し納得がいかなそうだ。
「それで、あなたは、なにをしているの?」
「ええと……僕もアルティさんと似たようなものですかね」
「冒険者なの?」
「そうですね——依頼を受けたりしながら路銀を稼いで旅をするのを、冒険者と言うなら」
冒険者と呼ばれる人たちの中には、もちろん魔法使いもいる。むしろ魔法使いは重宝されていて、依頼も多いし、報酬も高い。
だがしかし、魔法使いが必要な場合は魔術師協会に依頼を出すのが一般的だ。値段は張るが、数の少ない魔法使いを探すより効率が良い。冒険者の仕事を受ける魔法使いは、ほとんどが協会からの派遣だった。
しかし、この男は協会に所属していないと言う。
「警戒されない?」
「——まあ、少しは。このあたりで協会に入ってない魔法使いは、なにか協会とトラブル起こして除名処分されてるか、変人かですからねえ」
「あなたは変人の方?」
「どちらかか選べというなら、変人の方ですかね……」
真面目に答えるリンに、うっかりアルティは吹き出した。
笑ったのは久しぶりだ、と思った。ここ数日、笑う暇もないくらい忙しかった。
「この辺りじゃなければ違うの?」
「場所によりますよ。他の国だと、魔術師ギルドとか学院が幅を利かせているところもあります」
「へえ……ん? もしかしてあなた、外国の人?」
「ああ——生まれはね。もうこの国に長くいますし、旅をしているとどの国の人とは言いにくくなりますね」
「へえ……」
アルティは、「すごいなあ」と小さく言った。自分はこの国から出たことがない。別にそれは珍しいことではなかったし、国中あちこち駆け回ってきたけれど、もっと広い世界が外にあることを忘れていた気がする。
午後の日差しが街道に長い影を落としている。なんとか夜になるまでにはレントに着けそうだ。
——変な出会いだった。
でも不思議と、嫌な気分ではなかった。
隣を歩くこの男のことを、まだほとんど何も知らない。
杖のない魔法使いということだけ。
それなのに、こうして並んで歩いていることが、奇妙に自然に感じられた。




