第5章 猫①
グラニスの冒険者の店は、レンスティアのそれに比べると随分こぢんまりとしていた。
酒場「赤煉瓦亭」の一角に、壁に打ちつけられた依頼板。そこには、羊皮紙が十数枚ほど貼られているだけだった。
アルティは依頼板の前に立ち、端から順に目を通していく。
街道の警備、荷運び護衛、薬草の採取——数日拘束されるものは調査と並行するのは難しいし、薬草が禁足地付近に生えているとも限らない。
元々冒険者も少ない土地柄なのかもしれない。書かれた依頼も、「店番の手伝い」のような、冒険者に限らない、小さな日雇いの求人を酒場の主人が仲介しているだけのようだった。
一枚、また一枚と見ていくうちに、依頼板の端に、他より小さな紙片が貼られているのが目に入った。
迷い猫の捜索。銀貨五枚、発見時に追加で三枚。
アルティは紙片をじっと見た。
「……リン、これ」
「猫ですか」
「猫」
リンが隣から覗き込んで、小さく首を傾げた。
「銀貨五枚」
「発見できたら八枚」
「……ないよりは、まあ、いいんじゃないでしょうか」
正直なところ、あまりにも心許ない金額だ。だが半日で終わるかもしれない。なにより調査の合間にできるなら悪くない——かもしれない。
「猫って得意?」
「得意、と言うと?」
「私、あんまり猫に好かれないんだよね。リンは動物に懐かれやすい方?」
「どうですかね。もう少し懐かれやすいと嬉しいんですけれども」
リンが、ちらりとアルティを見た。
「……なに」
「いえ、なんでも」
リンは肩をすくめた。
「見つけさえすれば、なんとかしますよ」
「本当に? なんか壊したりしない?」
「それは多分、大丈夫ですよ。多分ですけども」
「信用ならないなあ……」
カウンターの向こうで帳簿をつけていた店主は、恰幅のいい中年の男だった。アルティが紙片を持っていくと、ああ、という顔をした。
「うちの婆さんの友達の猫なんだがね、しょっちゅういなくなるんだよ。一昨日の夕方から帰ってこないらしい」
「しょっちゅう?」
「ひと月に一度はこうだ。普段は近所の子どもらが見つけてくれるんだがね、今日はあいつら鍛冶屋の手伝いに行っちまって」
店主はカウンターに肘をついて、困ったように笑った。
なるほど、子どもたちで分け合うのなら、銀貨八枚は十分な報酬だろう。
「黒ぶちの太った猫だ。首に青い紐を巻いてる。名前はシロ」
「……黒ぶちなのに、シロ?」
「飼い主に言ってくれ」
先入観はよくないけれど、冒険者の店に迷い猫の依頼がそっと置かれる街は、多分平和でいい街だ。冒険者にとっては、生きていくのが難しいかもしれないけれど。
店を出ると、朝の冷たい空気が頬を刺した。
空は高く晴れていたが、日差しの温もりが少ない。吐く息が白い。アルティはマントの前を合わせながら、隣のリンを見上げた。
リンはいつも通りの格好だった。乳白色の長衣に、青鈍色のマント。寒そうな素振りは一切ない。
「寒くないの?」
「まあ、そこそこ」
「前から思ってたんだけどさ、長衣って、足元スースーしない?」
「流石に下衣履いてますよ」
リンが長衣の裾を少しめくると、長衣と同じ乳白色の下衣の裾が見えた。
「それならあったかいね」
「アルティさんが薄着すぎると思うんですよね」
それはわかっているのだが、今さらどうしようもない。手持ちの服はこれが全てだ。
「山に来る予定はなかったんだよね……」
そこまで距離は離れていないが、レンスティアはここに比べればまだ暖かい。動きにくい装備は苦手だし、もう少ししてから調達するつもりだったのだ。
「どこかで買いませんか、防寒具」
「そのためにも、とっとと猫を見つけよう。お金の余裕がないんだよ」
「そうですね」
「まず鍛冶屋に向かおう。猫を知ってる子たちがいるなら、聞いた方が早い」
「場所はわかります?」
「さっき店主が教えてくれた。中央通りを北に行って、鐘楼が見えたら左に曲がるって」
歩き始めると、街は昨晩よりもずっと表情が違って見えた。
通りには人が行き交い、荷車がごろごろと石畳の上を転がっていく。開いたばかりの店先で、女が野菜を並べ直している。煙突からは白い煙が上がっていた。あれは、パンの匂いだろうか。普通の朝だ。鉱山の街と聞いて想像していた荒っぽさは、やはりどこにもなかった。
「来たことないからわかんないんだけど、鉱山の街ってこんな感じなの?」
「どうですかね。街によりますが……鉱山近くはまたイメージが違うかもしれませんよ。このあたりは、領地内でも中心部でしょうから」
「それもそっか」
エルディンから聞いた禁足地は街からも鉱山からも少し離れた場所にある山の一帯だ。エルディンから頼まれた調査項目には、「周辺地域への影響」も含まれていた。影響があるようなことがあっては困るのだが、様子を見ておくに越したことはない。
「禁足地の影響って言われても、何を見ればいいのかさっぱりなんだよね。変な魔物が出たような話とか聞けばいいのかな」
「そこを伝えてないのはエルディンさんに問題ある気がするんですが、特に何もないと思ってるんじゃないですかね」
リンは通りを見回していたが、特に何かに引っかかる様子もなく歩いていた。
槌の音が聞こえてきたのは、鐘楼を曲がって少し歩いた先だった。
木造りの低い建物から、リズムよく金属を打つ音が漏れている。入口の扉は開け放たれていて、中から赤い光が差していた。
「すみませーん」
顔を覗かせると、炉の前で男が一人、鉄を打っていた。革の前掛けに煤だらけの腕。こちらに気づくと、槌を置いて額の汗を拭った。
「なんだい、嬢ちゃん。武器の修理か?」
「いえ、ここでお手伝いしてる子たちに聞きたいことがあって」
「ああ、あいつらなら裏にいるよ。薪割りさせてる」
裏に回ると、三人の少年が薪を割っていた。一番上が十二、三歳くらいだろうか。アルティを見ると、手を止めてきょとんとした。
「冒険者の店で猫探しの依頼を受けたんだけど、シロのこと知ってるのは君たち?」
その一言で、少年たちの顔がぱっと明るくなった。
「シロ! またいなくなったの?」
「一昨日の夕方からだって」
「ああー、じゃあ多分、市場の裏か、坂の上の工房のとこだな」
一番年上に見える少年が、腕を組んで考え込んだ。
「シロはいくつも別荘持ってるんだよ。乾物屋のおばちゃんが餌くれることあるから、昼間はよく市場に行くし、寒い時は工房のあたりに行く。あそこの裏、日当たりいいから」
「工房って?」
「坂を上がったとこにあるんだ。石を削ったりしてるとこ。あそこの親方もシロのこと知ってるから、聞いたらなにかわかるかも」
「ありがとう、助かった」
「あいつ太ってるけど、結構逃げ足早いよ。がんばってね」
少年がにかっと笑った。アルティも釣られて笑った。
「あの」
一番小さい少年が、おずおずとリンを見上げた。
「お兄ちゃん、すごく綺麗だね」
リンが面食らった顔をした。アルティは吹き出しそうになるのを堪えた。
「……ありがとうございます」
リンが困った笑顔で応えると、少年は満足げに頷いて、また薪割りに戻っていった。
「行こう、リン」
鍛冶屋を出て、まずは市場に向かうことにした。昼間ならそちらにいる可能性が高い。
「子どもは正直だねえ」
にやりと笑って言った。少し揶揄おうかと思って。
だが、リンはそのアルティを見て、数度瞬いた。
「どうかした?」
「いえ——アルティさんが、そう言うとは予想してなくて」
「——あ」
子どもが言ったことを「正直」と評するということは、つまりそれが事実だと認めているということで、つまり自分がリンのことを——
「いや、まあ、だって……ごめん、忘れて」
アルティは前を向いて足早に歩き出した。顔を見られたくなかった。多分、赤い。
「あれ、僕は嬉しいんですけれども?」
「やめて。本当に、ちょっと油断した」
「油断、ですか」
背中の後ろで、リンがくすくすと笑っているのが聞こえた。




