第4章 差し出された手②
館は城壁の奥、街の北端にあった。領主の居城というには素朴だと思った。大きな石造りの屋敷で、壁は厚く、窓は小さい。ここもまた、実用を旨とした北の土地の建物だった。
「お二人は、この後どうされますか?」
「私たちはここでお暇をいただきます。エルディン様がお帰りになる際に合流致します」
「そうなのですね。あの、お二人の宿は、街の中で手配してもよろしいでしょうか。お二人の部屋を準備できておらず——」
アルティとリンを見て、クレアが申し訳なさそうに言った。
それは当然だろう。自分たちが来ることは、エルディンは伝えてなかっただろうから。どちらにしても町で聞き込みをしたかったので、領主の館に泊まるわけにはいかない。
「お気遣い感謝致します。私たちは自分で手配しますので大丈夫です」
「お願いしてよろしいですか? ——宿は、中央通りの『銀嶺亭』が良いかと思います。私の名前を出してもらえば、請求はこちらに来ますのでご心配なく。羊肉の煮込みが美味しいですよ」
使用人、もしくは雇われただけの冒険者にまで気遣いを見せる様子に、アルティは少し戸惑いを覚えずにはいられなかった。もっとこう、高慢だったり、無関心だったりする方が、むしろ対応しやすいのに。
門の前で馬車が止まると、エルディンが先に降りた。クレアはエルディンの差し出す手に支えられて降りた。不自然なほど、自然に。
エルディンもクレアも長身で、二人並ぶと迫力がある。エルディンの横にいても萎縮することなく、クレアの背筋は真っ直ぐと通っていた。
リンが馬車を降り手を差し出してくれたが、弓と矢筒を両腕に抱えていたので、そのまま飛び降りた。まあ、手が空いていても、あんなに優雅に馬車を降りれた気はしないけれども。
「じゃあ、ここで」
アルティは、クレアの横のエルディンを見た。
「また。——無理はしないように」
エルディンは表情を変えずにそう言い、アルティは、二回頷いた。はいはい、と言いたくて。
それを見たエルディンは一瞬眉を顰めたが、それ以上は何も言わなかった。
「では——行きましょうか」
クレアがエルディンに向かって言った。
「ああ」
エルディンが頷き、二人は館の門をくぐった。
アルティとリンはその背中を見送った。
エルディンと、クレア。並んで歩くその姿が、おかしなくらい自然だった。
「まとまるかもしれませんね、この縁談」
「そうだね」
「随分と返事が早い」
「同じことを思っていたからね」
アルティは肩をすくめた。本当に、そう思っていたから。
エルディンの隣に誰かが立っていて、それを自然だと思えること。昨夜あれだけ泣いたのに、そう思えることが少し不思議だった。
いや、おかしなことではない。やっぱり、エルディンに幸せになって欲しいのだ。本当に、心から。
ただ、彼を笑顔にする相手が自分ではないことに、まだほんの少しだけ、痛みを感じるけれど。
「さて、荷物を受け取ってから行きましょうか」
リンの声が、すぐ横から聞こえた。
「——うん」
アルティは館に背を向けた。
グラニスは、アルティが想像していたよりもずっと活気のある街だった。
鉱山の街だと聞いていたから、もっと荒っぽい場所を想像していた。泥だらけの坑夫が行き交い、空気が煤けていて——みたいな、そういう街を。
だが、実際は違った。
石畳の通りは掃除が行き届いていて、建物は木造りのものが多かった。商店が軒を連ねていて、鍛冶屋の槌音がどこからか響いてくる。それに混じって、どこからか肉を焼く匂いも漂ってきていた。
人通りも多い。坑夫らしき男たちもいたが、それよりも普通の——普通というのも変だが、普通の町民、商人や職人の姿も目についた。女性や子どもの姿もあった。きちんと暮らしが息づいた街だ。
夕方過ぎた街並みで、気づいたことがある。
「街灯が多いね……」
「確かに」
徐々に暗くなる街に灯された魔法の街灯、それがレンスティアよりもかなり数が多く感じた。石造りや白い漆喰の家に、沢山の灯り。遠くに見える白い山の峰、どこか絵本のような幻想的な光景だった。
「多いですね。そういう街並みを狙ってのものなのか……」
「怪しいってことは?」
アルティの言葉に、リンは少し首を傾げた。
「えーと、それは……なにか疑ってます?」
「——いや、ここがいい領地なのかなって、それだけなんだけどね。エルディンの縁戚になるかもしれないんだし」
「ああ……そうですね、このくらいで怪しいとは思いませんが。ただ、維持するには随分お金がかかりそうだな、とは」
「そうなの?」
「魔法の街灯は結構金食い虫ですよ。核晶を使ってますので、導入にお金がかかって、魔道具を扱える魔法使いがいないと異常があった時の対応もできないので、人件費もかかります。あとは街灯自体も痛みますしね。修繕費だけでも結構」
「お金か……」
ふとクレアのことを思い出した。クレアの服は、上質だった。だが、特別華美ということもなく、貴族としての最低の品位は保てる程度のものに見えた。屋敷も、外から見る限り、贅沢をするような様子は見えなかった。
「税をたくさん街に還元してる……?」
「まつりごとはよくわかりませんけど、それは別に良いことでは」
確かにそれもそうだ。
「良いところじゃない方が嬉しいですか?」
リンがぽつりと言い、アルティは言葉に詰まった。「そんなことない」と言えば良いだけだったのに。
「——よくわかんないや」
山が近いせいか、日が沈むのが早い。空がもう紫色に染まりはじめていた。日が沈んでから夜になるまでの、一瞬の色彩。
アルティは大きく伸びをした。冷たい空気が肺に沁みた。グラニスが良いところじゃないことを願ってはいない、と思う。でも、良いところであればあるだけ、ちょっとだけまた胸が燻るような気もする。
「今日はとりあえず、宿に行って休もうか」
「ですね。ご飯にしましょう」
リンの声が少し弾んでいた。この男、見た目からは想像つかないが、食べることが結構好きだ。
「代金はクレアさんに行くって言ってたよね。贅沢していいかな?」
「そこは、良心に聞いてみるといいと思いますよ」
「……でも、羊肉の煮込み料理勧めてくれたから、それは食べてもいいと思うんだよ、ね?」
「そのくらい大丈夫と思いますよ」
リンはくすくすと笑った。
その笑い声が白い息になって、夕暮れの空気に溶けた。
「あ」
アルティが突然立ち止まり、リンが間に合わずぶつかった。
「まずい……エルディンから、依頼料、前金もらい忘れてた」
「え、そうなんですか」
「うん。到着前にもらうつもりだったのに、すっかり忘れてた……」
「今から取りに行く——わけにはいかないですよね」
夜、領主の館にお金をせびりに行く冒険者、という構図は、流石に避けたい。ましてや中では、縁談なんて繊細な話をしている最中なのに。
「宿泊代と食事代は出してもらえるので、生きていくことはできそうですよ」
「生きてはいけるけど、流石に出費ゼロにはできないよ」
二人は向かい合ったまま、腕組みをして唸った。
街灯の明かりが、いつの間にか二人の足元まで届いていた。日が落ちるのが早い。
「僕のお金を使います?」
リンの申し出に、アルティは首を横に振った。
「パーティ財布と個人の財産は別にしようって話したよね。そこ、ゆるくしない方がいいと思うんだ。キリがなくなっちゃう」
「あとから返してもらったらいいですよ」
「うーん……それは最後の手段にしたいなあ。そうだ、明日、冒険者の店を探して、依頼がないか見てみる?」
「エルディンさんの依頼はどうするんです?」
「滞在3日くらいって言ってたし、様子見るだけなら明日行かなくても良さそうじゃない? 禁足地がらみの変化が起きてないか、街での聞き込みも一緒にやれるような依頼があるかも知れないじゃん」
「そんな都合のいい仕事がありますかねえ……」
リンは呆れたように言ったが、その口元は少し笑っていた。
山の向こうに日が沈んで、空の最後の紫が夜に呑まれていく。白い峰だけが、まだうっすらと光を残していた。
見知らぬ街の、最初の夜だった。
明日のことは明日考えよう。今夜はとりあえず、羊肉の煮込みだ。
アルティはかじかむ両手を擦り合わせて、銀嶺亭への道を歩き始めた。半歩遅れて、リンの足音がついてきた。




