第3章 幸せにしたい人、幸せになって欲しい人③
朝の空気は冷たかった。
吐く息が白く煙る。季節は冬に近づいていた。そうでなくても、レンスティアよりも高地にあるこの町は、風が強い。
町の門のところで馬車を待っていると、宿の方からリンがやってきた。暗い色のマントの襟を立て、淡い金の髪が朝風に攫われている。
「おはよ」
「おはようございます」
「寒いね」
「そういえば、昨日この辺りを少し歩いたんですが、あっちの通りの奥で、建物を建てていましたよ。共同浴場みたいでしたが」
「共同浴場? こんな小さな街に?」
「ええ。話を聞いたら温水を作れる魔道具が手に入ったのだとか。出来上がっていたら入れたのに、残念ですね」
「へえ……こんな小さな街なのに、贅沢だね。お金持ちでもいるのかな」
魔道具はとにかく高価だ。浴場で使っているのは聞いたことがあるが、大抵は王侯貴族の持ち物だ。
「まあ、そうですね。でも寒い地域だと嬉しいでしょうね」
「入りたかったなあ……寒い」
「アルティさんは、もうちょっと装備を見直した方がいいと思いますね」
「動きにくいから厚着したくないんだよね……」
アルティは、厚手のマントの前を寄せた。マントだけ冬仕様に替えたが、その下は相変わらずだった。腕も太ももも剥き出しで、肌が冷気に晒されている。軽戦士としては動きやすさが信条だが、この気温ではさすがに限界がある。
「そうは言っても、これからの季節は辛いですよ。柔らかい服を探すとか」
「あ、いっそ暖かい地方を目指すってのはどうかなあ。タルアとか、行ったことないから行ってみたいんだよね」
「いいですね。この仕事が終わったら目指してみますか」
リンの声は穏やかだった。朝の光の中で、金の髪がほのかに光って見えた。「この仕事が終わったら」——少し先の明るい未来が、アルティにはとてもありがたかった。
「よし、とっとと終わらせよう、こんな仕事」
「『こんな仕事』はないだろう、『こんな仕事』は……」
後ろから急に声をかけられて、跳び上がりそうになった。振り返ると、エルディンが外套の前を合わせながら、呆れた顔で立っていた。いつからいたのだ、この男は。
「だって、寒いし楽しくないよ」
「楽しいばかりが仕事じゃないだろう。金を出すんだから頑張ってくれ」
「はいはい」
「返事は一回」
頭を軽くこつんと突いて、エルディンは道の向こうを覗きに行った。馬車の準備を確認しに行ったのだろう。その背中は、昨夜のことなど何もなかったかのようにまっすぐだった。
アルティは、小さく、本当に小さく息をついた。
「大丈夫ですか?」
「なにが?」
「いえ、なんとなく」
リンは穏やかに笑った。わからない。何かを見たのか、それとも見なかったのか。昨日のことを知っているとは思わないが、それ以上聞いてこないリンの優しさを見た気がした。
「大丈夫だよ。リンも大丈夫?」
「ええ。ここから道が少し険しくなるので、あの魔道具をどう調整するのか気になってますね」
「いや、そこは全く心配してないんだけどね……」
アルティはため息をついた。リンは笑って、アルティの頭を撫でた。
アルティが怪訝そうにリンを見上げると、もう一度、くしゃくしゃと撫でた。長くて細い指だった。
不意に鼻の奥がつんとして、アルティは自分のマントを、ぎゅっと掴んだ。




