第2章 翡翠と黒曜石④
「ああ」
「いや——え、エルディンの?」
「わたし以外に誰がいる」
「エルディン、結婚するの?」
「縁談、だ。まだ何も決まってない」
エルディンは首を小さく横に振った。声は落ち着いていた。
「グラニスの領主の娘だ、領主から話が持ちかけられた」
「政略結婚ってこと?」
「それ以外にないだろう」
エルディンは吐き捨てるように言った。
「グラニスは北の国境で軍事上の要衝だ。鉱山もある。王家としては繋がりを持っておきたい、向こうは向こうで王家の後ろ盾が欲しい。利害が一致した、というだけだ」
馬車が小さな段差を越えて、車体がわずかに揺れた。
アルティは黙っていた。なんというか、胸がざわついている自分に驚いていた。
彼は王家の一員であり、当然のように「必要な相手と」結婚することが求められている。そのことは知っていたし、承知もしていたはずなのに——こうして縁談の話聞いたのは初めてだったから。だからこんな気持ちになったのだろう。
それにしても、エルディンの顔は、とても良い話を楽しみにしている顔ではない。
「……乗り気じゃなさそうだね」
「当たり前だ。あっちが求めてるのはわたしの身分と血筋だけだ。他にちょうどいいのがいなかったから声がかかったのがわかっているのに、いい気分にはならんだろう」
「じゃあ断ればいいじゃない」
「断る理由がない。——わたし個人がどう思おうが、王家にとっては合理的な話だ。——街を出たな」
エルディンは馬車の窓の隙間に目を向けた。街並みはもう途切れ始めていて、畑と低い石塀が流れている。
「舗装された道はいいんだが、土となるとやはり揺れを制御しきれんな……」
「もう一つ魔道具をかませるといいかなと思いましたけどね。吊ってる車体自体に少し風を」
「その話は後にしてもらえる?」
「はい……」
また魔道具の話で盛り上がりそうになるのを、アルティが牽制した。エルディンが咳払いをした。
「——だから直接会いに行く。公式に訪問すれば、それだけで話が決まったということになりかねん。非公式で行って、まず向こうの真意を確かめる」
「真意って」
「本当に王家との繋がりだけが目的なのか。その娘本人がどう思っているのか。——それくらいは知っておきたいだろう。駒として扱われているのは、わたしだけじゃない」
「エルディンらしいね……」
アルティがつぶやいた。
「でも、ほら、護衛もいるなら、私はいらないんじゃない?」
「護衛がほしくて連れ出したんじゃない。お前に頼みたいのはもう一つの用事だ」
エルディンの声がさらに低くなった。
「もう一つ?」
「グラニスの近くに、王家直轄の禁足地がある。そこの様子を見てきてほしい」
リンの指が、膝の上で組み直された。
「禁足地、というのは?」
「グラニスから半日くらいのところにある。もう何百年も前から禁足地になっているところだ。元々は危険な土地ということで、封印された場所だと聞いている」
「魔法で封印されているところってこと?」
「そうだ」
「なにか最近問題でもあったの?」
アルティが聞くと、エルディンは首を横に振った。
「いや、定期的に変化がないか様子を見ていてな。今年もどこかで行かなくてはいけなかったんだが、グラニスに行くついでに用事を済ませようというだけだ」
「でもさ、それなら誰か王都から連れてくればよかったんじゃない? なにもわざわざ遠回りしてレンスティアにいるところを拉致しに来なくても」
「わたしが自分で調べるつもりだったからな……そもそも、レンスティアを通る予定はなかったんだ。北の街道から抜けるはずだったんだが、橋が壊れて馬車が通れないと言われてな……」
橋。
アルティとリンの顔が同時に上がった。
レンスティアの北の橋。
——リンが吹き飛ばした、あの橋。
「仕方なく南のレンスティア側に下りてきたところだ。おかげでグラニスに着く予定も遅れたし、その後の日程的にも私が動ける時間がなくなってな。どうするかと思ってたら、そこにアルティがいるのがわかったから、——拉致じゃないぞ、声をかけに行ったんだ。……なんだ、お前たち、変な顔をして」
「ううん、なんでもない。そっか、それは大変だったね」
努めて笑顔でアルティは答えたが、リンは窓の方へ目を逸らしていた。
「そっか、うん。わかった」
「なにを隠してるのか知らんが、素直に言った方がいいと思うぞ」
「ううん、なんでもない」
エルディンの目が、数秒、うろんげにこちらに留まったが、アルティは笑顔で押し通した。
「——まあいい」
エルディンは腕を組み直し、話を切り替えた。助かった。
「そういうわけで、そんなに金は出せんぞ。グラニスから半日くらいの場所にある禁足地の調査、それからグラニスや周辺でなにか異変……禁足地がらみの変化が起きてないかの調査。二人分の滞在費と拘束した日数分の手間賃と、あとは成功報酬」
「危険手当は出してよ」
「頼むから、危険にならない範囲で動いてくれ。調査だけで済まない時は引き返せばいいから」
「それは気を付けるけど……魔法使いもいるから、調査がスムーズにいくかもしれないし、その分特別手当みたいなものは? あと、最低限の前金も」
食い下がるアルティに、エルディンの眉間に皺が寄った。
「——あのな、アルティ。なんでそこまで金に困ってるんだ」
「えーと……ちょっと、お仕事を失敗したりしてて……」
エルディンはため息をついた。それから、ちらりとリンの方に目をやる。
「……おい、迷惑をかけてるんじゃないのか」
「私のせいじゃないもん!」
思わず大声が出た。
エルディンは申し訳なさそうに、リンの方へ頭を下げた。
「至らないところもあると思いますが、いい子なので、どうぞよろしくお願いいたします」
「だから私のせいじゃないってば!」




